おねだり
同僚達との再会の後、レベッカはウェンディと共に、かつての自分の部屋へと向かった。
「あ……変わってないですね」
部屋へと入ったレベッカは呟いた。自分の記憶にある部屋とあまり変わってない。いくつかの物の配置が変わっているようだが、ほとんどはそのままだった。
「あなたがいつでも帰ってきていいように、そのままにしておいたの」
ウェンディの言葉に、グルリと部屋を見回しながらレベッカは問いかけた。
「掃除もしてくださっていたのですか?」
「ええ、もちろん」
自分が戻ってくることを信じてくれていたのだ。ウェンディのその思いに心が温かくなるのを感じながら、レベッカは頭を下げた。
「ありがとうございます、お嬢様」
そう言って頭を上げ、ウェンディと微笑み合う。
ふと、ウェンディが何かに気づいたような顔をした。その場でしゃがみこみ、レベッカと真っ直ぐ目を合わせる。
「ベッカ……その目」
「はい?」
「目の色が……違うわ」
「ああ」
レベッカは苦笑しながら頷いた。
「元々は、この色だったんですよ……数年前、家出する時に魔法で黒く染めていたんです。もう魔法の効力も切れてしまったので」
「そう……」
ウェンディが少し複雑そうな顔をする。レベッカは首をかしげながら言葉を続けた。
「お嬢様がお望みなら、また変えましょうか?」
そう言うと、ウェンディは驚いたような顔をした。
「えっ……なんで?いいわよ、そのままで。とても綺麗な青い瞳なんだもの」
「そう、ですか……?」
ウェンディは困ったように笑って、レベッカの頬に手を添えた。
「なんだか、ね……私、思い知ったわ」
「はい?」
「私ね……自分がベッカの一番の仲良しだって思ってたの……だけど、本当は、ベッカの事、ほとんど何も知らなかったんだなって」
少しだけ寂しそうな顔をするウェンディに、罪悪感を感じて胸が締め付けられるような気がした。レベッカはウェンディの手に自分の手を重ねて、口を開いた。
「……私の、一番はお嬢様ですよ。昔から……」
その言葉にウェンディは驚いたような顔をした後、上目遣いでレベッカを見た。
「……本当に?」
「それは、もちろん」
「あの人は?」
「え?」
「あのリースエラゴとかいう変な人。ベッカとすごく親しそうだったわ」
どこか拗ねたようにウェンディが言う。レベッカは慌てて首を横に振った。
「そ、それはそうなんですけど……でも、私の一番は絶対にお嬢様です!」
「……本当の本当に?」
「はい!」
レベッカがキッパリとそう返事をすると、ウェンディはようやく安心したように息を吐く。そのまま再びレベッカを抱き締めた。
「ベッカ……よかった、本当に……戻ってきてくれて……もう絶対に離さないわ」
囁くようにそう言うウェンディの背中を、レベッカは優しく撫でた。
しばらくして、身体を離したウェンディに、レベッカは問いかけた。
「あ、あの、お嬢様に聞きたいことがあるんですが……」
「うん?」
「あの――」
婚約するって本当ですか?と尋ねようとして、言葉を詰まらせる。とても気になるが、再会したばかりなのに、そんな個人的な事を聞いてもいいのだろうか。レベッカが唇をギュッと結びながらそう考えていると、ウェンディが首をかしげた。
「ベッカ、どうかしたの?」
「あっ、ええと……」
レベッカが言葉を続けようとしたその時だった。コンコンと扉を叩く音がした。
「何?」
ウェンディが軽く返事をすると、扉の向こうからジャンヌの声が聞こえた。
「お嬢様、食事の準備ができました。クリストファー様がレベッカさんも一緒に来るように、との事です」
その言葉に、ウェンディとレベッカは顔を見合わせる。レベッカは微笑んで、ウェンディに声をかけた。
「呼ばれちゃいましたね」
「……そうね」
ウェンディがゆっくりと立ち上がり、レベッカはそのまま扉へと向かった。ガチャリと開けると、扉の向こうにはジャンヌが立っていた。
「私も一緒にいいのかな?」
レベッカの言葉に、ジャンヌは頷いた。
「はい、クリストファー様が是非に、と。リースエラゴさんはもう向かわれたそうです」
レベッカは顔を綻ばせる。ウェンディの方へ顔を向け、声をかけた。
「行きましょう、お嬢様」
「うん」
レベッカとウェンディは自然に手を繋ぎ、部屋を出る。ジャンヌの後に続いて、ダイニングルームへと向かった。
大きな部屋に到着すると、長いテーブルが一番に目に入った。クリストファーとリースエラゴは既に座っている。クリストファーの近くには、知らない女性が座っていた。亜麻色の髪に、焦げ茶色の大きな瞳を持つ、優しそうな雰囲気の綺麗な女性だった。
誰だろう?とレベッカが不思議に思っていると、クリストファーが口を開いた。
「レベッカは初めてだったね。僕の妻のリゼッテだ」
レベッカはハッとして、慌てて姿勢を正した。
「は、初めまして!レベッカ・リオンと申します」
自己紹介をすると、リゼッテは淡く微笑み、口を開いた。
「初めまして。お会いできて嬉しいです。レベッカさんの事はよく聞いています」
穏やかで優しそうな声だった。
綺麗な人だな、と見とれていたその時、ウェンディがレベッカの手を軽く引いた。
「ベッカ、こっちに座って。私の隣」
「あ、はい!」
慌ててウェンディに付いていく。レベッカが席に座ると、すぐに食事が始まった。
使用人達が運んでくる料理を、リースエラゴはいつものように、わしわしと食べていく。味を気に入ったのか、満足そうに頷いた。
「うん、うまいな」
次から次へと料理がリースエラゴの口の中へと消えていく。レベッカにとっては見慣れた光景だが、他の人々は目を丸くしていた。その姿にレベッカは苦笑して、自分も料理を口に運ぶ。リースエラゴの言う通り、とても美味しかった。
「美味しいですね……」
思わず呟くと、隣のウェンディが声をかけてきた。
「でしょう?最近、新しい料理人が来たの。とても腕がいいのよ」
「本当に、美味しいですね」
「ベッカが好きな物を今度作ってもらいましょうね」
ウェンディとの会話を楽しみながら、食事を続けていると、不意にリゼッテが顔を綻ばせながらクリストファーに声をかけた。
「なんだか、今日はいつもと違って、にぎやかで楽しいですね、ね?クリス様」
「……ああ」
クリストファーが何故か複雑な顔をして短く答えた。
レベッカはふと気づいた。クリストファーとウェンディはこの場で全く言葉を交わしていない。それどころか視線を合わせるのさえ避けているような気がする。一体、レベッカが不在の4年間に何があったのだろう、と考えているうちに、食事は進んでいき、やがてデザートの時間になった。
デザートをレベッカに運んできたのはリードだった。テーブルにアイスクリームの乗ったグラスを置くのと同時に、小声でレベッカに話しかけてくる。
「クリストファー様がお話があるそうです」
「え?」
「後程お呼び致します」
レベッカが詳しく聞く前に、リードは仕事へ戻ってしまった。
冷たいアイスクリームを口に運びながら、話ってなんだろう?と考える。そんなレベッカをウェンディが静かに見つめていた。
食事の後、リースエラゴは軽く挨拶をすると、早々にダイニングルームから出ていった。恐らくは与えられた部屋へと向かったのだろう。レベッカもウェンディに声をかけてから、自分の部屋に戻る。もう一度部屋を見回してから、荷物を整理しようとしたその時だった。コンコンと、扉が音をたてた。
「レベッカさん、私です」
リードの声が聞こえて、慌てて駆け寄り、扉を開ける。扉の向こうでは、いつも通り無表情のリードが立っていた。
「お、お疲れ様です。えーと……」
「夜遅くに申し訳ありません。クリストファー様がどうしてもお話をしたいとの事だったので。よろしいですか?」
「あ、はい。もちろん」
レベッカはそう答えながら、部屋を出て扉を閉める。リードは軽く頷くと、そのまま歩き出した。ゆっくりと歩くリードに付いていきながら、クリストファーからの話はなんだろう?と想像をする。
やがて、大きな茶色の扉の前でリードは足を止めた。
「ここって――」
「クリストファー様の書斎です」
そう言いながら、リードは扉をノックする。すぐに、
「入って」
というクリストファーの声か聞こえた。
リードが扉を開けると、そこはたくさんの書物が収められている広い部屋だった。真ん中にある大きなソファにクリストファーが座っているのが見える。
クリストファーはレベッカの姿を見て、微かに微笑んだ。
「こんな夜遅くにごめんね、レベッカ」
「あ、いえ、大丈夫です」
「話があるんだ。そこに座って」
そう言われて、レベッカはおずおずと部屋に足を踏み入れ、クリストファーと向かい合うようにソファへと腰を下ろす。ふと、壁に設置された本棚に視線を向ける。たくさんの本の中から、知っている本を発見した。
「……あ」
思わず声を出したが、それと同時にリードが事前に準備をしていたらしいお茶をレベッカの前に置く。慌ててリードに向き直り、お礼を言った。
静かにお茶のカップを口に運ぶクリストファーに、レベッカは声をかけた。
「あの、クリストファー様、お話というのは……」
レベッカが声をかけると、クリストファーは一瞬だけ気まずそうな顔をする。そして、躊躇いながらも口を開いた。
「ごめんね。本当はさっき話そうと思ってたんだけど、……どう説明したらいいか分からなくて。それに、ウェンディの前では少し話しにくかったから」
「え?」
「4年前……君が誘拐されて……行方不明になってからいろいろあってね。それを話そうと思ったんだ」
クリストファーはリードの入れてくれたお茶をもう一口飲み、カップをテーブルに置く。そして、ゆっくりと話し始めた。
「……4年前、君が何も言わずに姿を消してしまった時は、絶対におかしいと思った。恐らくは、君の家族が関係しているのではないかと考えたんだ」
大当たりだ、とレベッカは心の中で呟いた。
「かなり迷ったけど、君を探すためにリオンフォール家へと向かった。君を何とか引き渡してもらおうと考えて、いろいろと交渉の準備をして……でも、僕達が到着した時、既にリオンフォール家は大変なことになっていた。屋敷の一部が燃えてしまって……リオンフォール家の当主とその妹達が傷だらけになって倒れていた。目を覚ました彼らに何があったのか尋ねても、騒ぐばかりで明確に答えようとしない。でも、レベッカを誘拐したことはなんとか聞き出せた。大変だったよ、本当に。どうやら彼らは、君を、ある貴族に差し出そうとしていたみたいだね。多額の金と引き換えに……」
「私、というか私の魔力と引き換えに、ですね」
レベッカの言葉に、クリストファーは顔をしかめながら頷いた。
「その通りだ。君の高い魔力を欲しがっていた貴族がいたらしく、既に話をつけていたみたいでね……だけど、結局は火事と共に君が消えてしまったから、事件はそのまま終わった。だけど、なぜ火事になったのか、レベッカがどこに行ってしまったのかは分からなかった。恐らくは火事のショックで君のご家族は全員揃って記憶喪失になったらしくて……火事の前後の事は全く覚えていなかった」
多分その記憶喪失の原因はリースエラゴの魔法だ。後でもう一度お礼を言おう、とレベッカは思った。
レベッカから視線をそらして、クリストファーは一度口を閉じる。迷ったような顔をした後、すぐに言葉を続けた。
「……レベッカ、とても言いにくいんだけど……君のご実家はもうない」
「はい?」
レベッカはポカンと口を開けた。
「……な、ない?」
「うん……何が起きたのか調べるため、そして君の行方を探すために、リオンフォール家の内情を調査したんだ。その過程で判明したんだけど……リオンフォールの当主は借金まみれで、それを何とかしようとして……かなり悪質な事をしていたみたいだ。調べによると、仕事上で数々の不正行為をしていた。それに違法薬物の取引と、あと権力で揉み消したみたいだけど過去には暴力事件も……」
「あ、もういいです」
レベッカはそう言って頭を抱えた。兄であるサミュエルの顔を思い浮かべる。
最悪だ。絵に書いたような悪徳貴族だ。
レベッカは頭を抱えたまま目を閉じ、再びクリストファーに問いかけた。
「えーと、それで兄は……いえ、もう兄とは思っていませんけど、あの人達はどうなったんですか?」
クリストファーが気まずそうな顔をしながらも答えてくれた。
「当主はすぐに投獄された。それに次女も当主の一部の犯罪に加担していたみたいで……そちらはそちらでいろいろと詐欺まがいの事をしていたらしくて……国外追放になった。この国に戻ってくることは、二度とないと思うよ」
“いろいろ”という言葉が気になって、具体的な事を聞こうとしたが怖くなって結局止めた。代わりに、別に質問を投げかける。
「えーと、もう一人の姉は……?」
「ああ、五女は犯罪の事は何も知らなかったみたいだね。でも、君が消えた後、かなり混乱して精神状態がおかしくなってしまって……心を病んでしまったんだ。今は病院にいる。そちらも、恐らくは今後二度と外には出ることはないと思う」
「……そうですか」
レベッカは顔を伏せた。最悪な兄と姉達だったが、それぞれの末路に少しだけ心がチクリと痛む。散々ひどい事をされたが、それでも一度は家族と思っていた人達なのだ。モヤモヤとした思いが心を支配した。それに、リオンフォールの領地の事や、他の兄や姉はどうなったのだろう。クリストファーに尋ねようとして口を開きかけたが、結局閉じた。
やっぱり考えたくない。最早どうでもいい。きっと、もう二度と自分の人生には関わってこないだろう。
その時、レベッカはあることを思い出してハッと顔を上げた。
「クリストファー様、リオンフォールにはココという小さな使用人の女の子がいたんですが、あの子は……?」
レベッカの問いかけに、クリストファーが何かを思い出すように答えてくれた。
「ああ。あの子は、リオンフォール家にかなりひどい扱いをされていたみたいだね。レベッカの誘拐事件について、いろいろと証言をしてくれた。何度もレベッカに対して謝っていたよ。あの家で、当主と次女に無理矢理犯罪まがいの事をさせられていたらしいけど、まだ子どもだということで、罪に問われることはなかった。事件の後、幸運にも他国にいる親類が見つかったんだ。そこに養女として引き取られたよ。大事にされてるみたいだから、安心して」
「そうですか……」
よかった、と安心して胸を撫で下ろす。レベッカが4年前に助かったのはココが首輪を外してくれたおかげだ。彼女が無事だったという事が、心から嬉しかった。
「……本当にご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。そして、ありがとうございました、クリストファー様」
レベッカは再びクリストファーに向かって深く頭を下げた。
「いいや。気にしないでくれ。君が戻ってきてくれて、僕も本当に嬉しいんだ」
レベッカが頭を上げると、クリストファーは薄く微笑み、言葉を重ねた。
「どうか、もう一度ウェンディのそばにいてあげて、レベッカ。あの子は、……君の事を本当に大切に思ってるんだよ」
レベッカはクリストファーの瞳を真っ直ぐに見つめ、
「はい」
と、短く答える。その答えに、クリストファーは安心したような表情でソファに身体を沈めた。
「……遅くまで話をしてごめんね、レベッカ。そろそろ休もうか」
「あ、はい……」
レベッカはソファから立ち上がった。クリストファーがリードに、
「レベッカを送っていってくれ」
と命じる。しかし、レベッカはそれを断った。
「1人で大丈夫です。お気になさらず」
「でも……」
「大丈夫ですから」
レベッカが笑って首を横に振ると、クリストファーはそれ以上は何も言わなかった。
ペコリと再び頭を下げて、扉へと近づく。外に出ようとしたその時だった。
「レベッカ」
クリストファーが呼び止めた。
「はい?」
レベッカが振り向く。クリストファーは一瞬だけ顔を伏せる。すぐにレベッカを真っ直ぐに見て、問いかけてきた。
「――あのリースエラゴという人は、本当は……何者なんだい?」
その言葉に、レベッカは視線をそらしそうになる。だが、クリストファーを見つめながらキッパリと答えた。
「友達なんです。すごく、すごく仲良しの」
そして、ニッコリ笑うと、
「失礼します」
そう言って、部屋から足を踏み出した。
廊下を歩きながら自室へと戻る。
「あ、そうだ……」
クリストファーにウェンディと何があったのか聞けばよかったな、と今更思い出す。答えてくれるかは分からないが、尋ねればよかった。明日お嬢様に直接聞いてみようかな、と思いながら足を進めていたその時だった。
暗闇の中、自室の扉の前で人影を見つけて、レベッカは驚いた。
「おかえり」
「お嬢様……」
部屋の前に佇むウェンディに慌てて駆け寄った。
「ここで、ずっと待ってたんですか?」
「うん」
ウェンディが小さく頷いた。レベッカは慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。ちょっと用があって……」
「知ってる。あの人に呼ばれたんでしょ」
ウェンディの素っ気ない言葉に、レベッカは驚いた。
「あの人って……」
それはまさかクリストファーを示しているのだろうか。昔のウェンディはクリストファーの事をそんな呼び方はしなかったはずだ。本当に、この兄妹の間に何があったのだろう――
レベッカがいろいろと考えていたその時、ウェンディがレベッカの手に触れてきた。
「あの、ベッカ」
「はい?」
ウェンディはなぜか恥ずかしそうな様子で言葉を続ける。
「あの、ね。帰ってきたばかりのあなたに、頼むのは申し訳ないんだけど……でも、あの……私、どうしても――」
モジモジしているウェンディの様子を不思議に思い、キョトンとする。しかし、数秒でピンと来たレベッカは、ウェンディの手をそっと握った。
「――お嬢様、温かいミルクはいかがですか?」
その言葉に、ウェンディが息を呑んだ。そのすぐ後、泣きそうな顔でその場にしゃがみこむ。
涙で瞳を潤ませながら、レベッカに小さく囁いた。
「蜂蜜入りの、よ」
懐かしいおねだりに、レベッカはコクリと頷き、ニッコリ微笑む。
「はい。ご用意しますね」
その言葉に、今度こそウェンディは涙をポロポロと流す。そして、小さく微笑み返した。
裏設定
※リゼッテ・ジェマ・コードウェル
ブランフィールド子爵の娘。2年前に結婚し、クリストファーの妻となった。おっとりとした雰囲気の美人だが、怒ったら非常に怖い。実家は代々騎士の家系で、彼女も剣術の達人。運動能力も高く、その辺の男よりずっと強い。学生時代は裏でこっそり「令嬢の皮を被ったゴリラ」と呼ばれていた。学生の時、過労と貧血で倒れたクリストファーを発見し、お姫様抱っこで医務室へ運んだのが出会いのきっかけ。クリストファーとは相思相愛。




