おかえりなさい
レベッカと向かい合うようにクリストファーがソファに腰を下ろした。その後ろではリードが静かに控える。ジャンヌがお茶の準備をしている間もクリストファーとリードはレベッカをまじまじと見つめていた。その視線の強さにモジモジしながら、レベッカはジャンヌが渡してくれたカップを受け取った。そのままお茶を一口飲みこむ。
最初に口を開いたのはクリストファーだった。
「まずは聞きたい。レベッカ、君はこの4年間、どこにいたんだい?」
その質問にレベッカの動きが止まった。
――しまった。どう誤魔化せばいいんだろう。考えておけばよかった。
どう答えればいいか分からず、視線が泳ぐ。そんなレベッカの代わりにリースエラゴが口を開いた。
「こいつは大きな怪我をして、私の住み処で療養をしていた」
「怪我?ベッカ、怪我をしているの!?」
ウェンディが顔を強張らせてレベッカに視線を向ける。レベッカは慌てて口を開いた。
「も、もう治りました!」
その答えにウェンディが安心したように息を吐いた。一方、クリストファーは眉をひそめてリースエラゴに問いかけた。
「……住み処とは?そもそも、あなたは何者なのですか?レベッカとはどういう……?」
「あ、あの!」
レベッカは慌てたようにクリストファーに声をかけた。
「クリストファー様とお嬢様に、私からも言わなければならない事があるんです!」
レベッカはゴクリと生唾を飲み込み、手をギュッと握りしめ、口を開いた。
「わ、私……私が、4年前に突然いなくなったのは……理由があって……」
どう説明すればいいか分からず、レベッカは迷いながら、下を向く。そんなレベッカを安心させるようにウェンディが口を開いた。
「分かってるわ。あなたの御兄弟に誘拐されてしまったのよね?」
その言葉に、レベッカは目を見開き、勢いよく顔を上げた。
「ご、ご存知だったのですか?」
声を震わせながらそう言うと、ウェンディが頷いた。
「ええ」
クリストファーもまた冷静な声で言葉を返してきた。
「君がリオンフォール家の末子、キャロル・リオンフォールだという事は知っているよ。8年前に家出をして、名前を変えてここで働いていたということも……君の魔力に関しても」
レベッカの身体が硬直する。震えながら、絞り出すように声を出した。
「い、いつから……?」
「……ウェンディの呪いが解けた後くらいに知ったんだ」
クリストファーの答えにレベッカは愕然と口を開いた。
「そ、そんなに前から!?」
前のめりになりながら、レベッカは問いかける。
「な、なぜ!?」
なぜ知ったのか、なぜ黙っていたのか――
具体的な疑問を口に出す前に、クリストファーが答えてくれた。
「初めに気づいたのはエヴァンだ」
「へ?エヴァン様……?」
頭の中で、クリストファーの友人であり王子でもあるエヴァンのにこやかな顔が浮かび上がる。レベッカがキョトンとしていると、クリストファーが苦笑しながら言葉を続けた。
「やはり知らなかったんだね、レベッカ。自分がエヴァンの婚約者だったと言うことを」
「……へ?」
レベッカはポカンと口を開ける。
数秒の沈黙の後、
「え、えええええぇぇぇぇぇっ!?婚約者ぁっ!?」
レベッカの絶叫が部屋中に響いた。
クリストファーは軽く頷き、言葉を続けた。
「正確には婚約者候補の1人、だけどね」
呆然とするレベッカの隣では、ウェンディが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「は、初耳なんですけど……」
レベッカは顔を引きつらせながら呟く。頭の中が疑問だらけで混乱しそうだ。
王子の婚約者候補だなんて、一体どういうことだろう?リオンフォールの家に住んでいた頃、家族からそんな話など聞いた覚えはない。王子と結婚する可能性があっただなんて、信じられない。あまりにも身分の差がありすぎる。いや、確かに自分は元々は貴族だが、リオンフォール家など弱小の下位貴族だ。王子と結婚だなんて、さすがに家柄が釣り合わなさすぎる。
グルグルと思考が乱れる。そんなレベッカに、クリストファーが困ったような顔をして答えた。
「あいつは王族としてはかなり魔力が低いから……ご両親がそのことにかなり気を揉んでいて、結婚相手は魔力の強い貴族の女性を、と考えていたらしい。それで高い魔力を持つ君が、その候補に上がっていたんだ。もちろん、多くの婚約者候補の中の1人だけど」
「そ、そうですか……」
レベッカが呆然としながら声を出す。クリストファーは苦笑しながら言葉を続けた。
「君のご両親は婚約に対して大いに乗り気だったみたいだね……当時、婚約を実現させるために、頼んでもないのに君の身上書や姿絵を送ってきたらしい。それで、エヴァンは君の顔を知って、ぼんやりと覚えていたんだ。まあ、思い出したのはここで君と出会ってから、随分と時間が経った後の事だけどね」
レベッカは下を向いて思わず頭を抱えた。
まさかそんなところからバレるとは思いもしなかった。
「ああ、ちなみに婚約話そのものは君が失踪したからすぐに立ち消えになったそうだよ。エヴァンもとっくの昔に結婚したしね」
クリストファーの言葉に顔が引きつるのを抑えきれなかった。あまりにも衝撃的な事実を今更知って、現実を受け止めきれない。
レベッカの隣のウェンディは、何故か怒ったように顔をしかめていた。リースエラゴは会話に興味がない様子で、無言でお茶を飲んでいた。
しばらくして、レベッカは震えながら小さな声を出した。
「どうして、何も言ってこなかったのですか?エヴァン様も、クリストファー様も……」
レベッカの問いかけに、クリストファーが言葉に詰まったように唇を結ぶ。チラリとウェンディを見て、すぐに口を開いた。
「――僕が、エヴァンに頼んだ。知らないふりをするように、頼んだんだ。そして、僕も知らないふりをすることにした」
レベッカは瞬きをして、クリストファーを見返した。クリストファーは真っ直ぐにレベッカを見つめながら言葉を重ねた。
「……君に、ここにいてほしかったんだ、レベッカ。リオンフォール家とか魔力とか関係なく、ウェンディのそばにいてほしかった。だから……」
レベッカは唇を強く結んだ。クリストファーの思いも知らずに、呑気にこの屋敷で働いていた自分が情けなくなる。
ゆっくりとレベッカは頭を下げた。
「ありがとう、ございました。クリストファー様」
クリストファーは少しだけ困ったように笑うと、
「うん」
小さく頷いた。
そんな中、割り込むようにウェンディが声をかけてきた。
「--それで?4年前、何が起きたの?」
レベッカは再び目を泳がせる。
「え、ええっと……」
レベッカが慌てている様子をチラリと見てから、リースエラゴが口を開いた。
「4年前、こいつを助けたのは私だ」
その言葉に、ウェンディは眉を寄せながらリースエラゴの方へ顔を向けた。
「あなたが?」
「ああ」
何故か偉そうにリースエラゴが頷く。自信満々な彼女がうまく説明してくれることを期待して、レベッカはチラリと視線を向けた。しかし、
「こいつとは昔から友人で、……4年前に助けを求められたんだ。慌てて駆けつけると、こいつの兄弟達が暴力を振るっているのを見つけて、それで、えーと、……ちょっとした魔法を使って助けた」
リースエラゴの説明に、レベッカは唖然とする。慌ててリースエラゴの服を引っ張り、口を開いた。
「リ、リーシー!なんですか、その説明は!!」
コソコソと問いかけると、リースエラゴは眉を寄せて言い返してきた。
「あ?なんだ?ちゃんと誤魔化しただろう?」
思わず頭を抱える。
「設定が雑!!なんで自信満々に話しちゃってるんですか!?誤魔化すならもっと上手く誤魔化してくださいよ!」
「どう話せばよかったんだ。まさか本当のことを言うわけにはいかないだろ?」
「それはそうなんですけど!言い訳がフワフワであまりにも曖昧すぎるでしょ!」
小声で言い合いながら、クリストファーとウェンディをチラリと見る。あんな説明で納得できるわけない。案の定、クリストファーもウェンディも不審者を見るような視線をリースエラゴに向けた。
「ベッカの、お友達なの……?本当に……?」
ウェンディの言葉に、レベッカは無理矢理笑顔を作って頷く。
「は、はい。そうなんですよ……。この人は昔から仲良しの友達でして……えーと、その……4年前、偶然、実家の近くにいるのを見かけて、えーと、助けてもらった?というか……」
自分の言葉も曖昧になってしまう。レベッカは誤魔化すようにウェンディに微笑んだ。
--もうこれで突き通すしかない。なんとか誤魔化さないと。嘘じゃないし、ね。
レベッカの言葉にますます不思議そうな顔をしたクリストファーは再び口を開いた。
「だけど、どうしてこの4年間何も連絡をしてこなかったんだい?」
その言葉に答えたのはリースエラゴだった。
「4年前、こいつを助けた時、こいつは全身傷だらけで頭を強く打っていた。私は医者だったから、すぐに私の住み処に連れ帰って、手当てをしたんだが……頭を打った影響で長いこと目を覚まさなかった」
それを聞いたウェンディが再びレベッカへ強い視線を向けてきた。そんなウェンディを安心させるようにレベッカは微笑む。
「もう、治りましたから。どこも悪くありません」
ウェンディがホッと息をつく。リースエラゴが小さく頷き、言葉を続けた。
「だが、あまりにも強く頭を打っていて、かなり危険な状態だった。身体の治療のために、多くの魔法や薬を使ったんだ。私しか使えない新しく高度な技術の治癒魔法を使って……その副作用でこうして身体が縮んでしまった」
クリストファーが困惑したようにレベッカを見つめた。
「そんな技術が……?聞いたことがない……」
「えーと、あの……とっても難しくて、珍しい魔法だそうです!!」
レベッカが慌てて口を挟むと、それを援護するようにリースエラゴも頷いた。
「私が研究していた独自の魔法だからな。まあ、傷そのものは治ったから、心配はいらない。身体も……そのうち成長していくはずだ」
その言葉に、レベッカは一瞬何か言いたげにリースエラゴを見る。しかし、結局は何も言わずに視線を戻した。
「その後、こいつは目を覚ましたが、強く頭を打った影響で記憶喪失になっていたんだ。数日前、ようやく記憶を取り戻して……ここに帰りたいと望んだから連れてきた。以上だ」
デタラメな話を締めくくったリースエラゴは涼しい顔でジャンヌが用意した焼き菓子を口の中に放り込んだ。一方、クリストファーとウェンディは、
「……」
「……」
困惑したような顔のまま無言でレベッカを見つめた。どう見ても納得しているようには見えない。2人の視線を痛いほどに感じながら、レベッカは慌てて口を開いた。
「あ、あの!それで、……お、お願いがあります!!クリストファー様とお嬢様に!」
「うん?」
首をかしげたクリストファーに、レベッカは、
「どうかもう一度、私を雇っていただけないでしょうか!!」
そう言って頭を下げた。
「長い間、身元を隠していて申し訳ありません。そして、姿を消して、帰ってこれなくて申し訳ありませんでした。でも、……あの……私、ここが好きなんです!!厚かましいお願いなのは分かっています。でも……どうか、もう一度、ここで働かせてください!!」
少し大きな声が出てしまった。そんな自分を恥ずかしく思いながら、返事を待つ。
その場を沈黙が支配した。一瞬の後、手に温かさを感じた。ウェンディの手が、レベッカの手を包み込むように握っている。そっと顔を上げると、ウェンディが微笑んでいた。
「……勿論だよ、レベッカ。心から、君の事を歓迎する」
その声に、正面へと視線を向ける。クリストファーもまた優しい笑顔を浮かべていた。その後ろに控えたリードは軽く頷き、ジャンヌも嬉しそうに顔を綻ばせている。
「よ、よろしいのですか?」
「うん。……ここに帰ってきてくれて、ありがとう、レベッカ」
クリストファーの言葉に、レベッカは胸を撫で下ろした。あまりの嬉しさに、涙が出そうになるのをこらえながら、再び頭を下げる。
「ありがとうございます。心から、感謝いたします」
そんなレベッカの姿を見て、クリストファーは考えるように腕を組んで口を開いた。
「でも、その姿で前と同じ仕事は難しいかな……メイドじゃなくて……そうだな、まずは下働きとして、レベッカができることから――」
「ちがうわ」
クリストファーの言葉を遮るように、ウェンディが口を開いた。
「私の専属メイドよ。ね?」
ウェンディがレベッカの手をギュッと握りながら、クリストファーに鋭い視線を向ける。その視線に気圧されたように、クリストファーは口を閉じて、大きく息を吐いた。
「……分かった。ウェンディの好きなようにすればいい」
「ええ。そうさせていただきます」
どこか冷たいウェンディの声に、レベッカは首をかしげる。
なんだろう。クリストファーとウェンディの様子が変だ。レベッカが知っている2人は、とても絆が強く、仲のいい兄妹だった。だが、今の2人はどこかよそよそしく、会話も素っ気ない。特にウェンディのクリストファーに対する視線が、冷たくて刺々しい。
どうしたのだろう。この2人の間に何かあったのだろうか――?
そう考えていたその時、リースエラゴが口を開いた。
「話はまとまったか?それじゃあ、私は戻るぞ」
その言葉に、レベッカは慌てて口を開く。
「リ、リーシー!帰るの!?」
「ああ」
軽く頷いたリースエラゴに、今度はクリストファーが声をかけた。
「夜も遅いし、よければここにお泊まりになりませんか?」
その言葉に、リースエラゴが少し困ったような顔をした。
「レベッカを助けてくれたお礼もしたいですし。ぜひ泊まっていってください」
そう強く勧められ、リースエラゴは困惑していたが、結局諦めたように頷いた。
「世話になる」
「ゆっくりしていってください。――リード、食事の準備を」
そう命じられたリードが軽く頭を下げた。すぐに顔を上げると、レベッカへと声をかけてくる。
「――その前に……レベッカさんに、ぜひ会わせたい人が」
突然リードがそう言ったため、レベッカはキョトンとして首をかしげた。
「え?」
リードが手招きをする。レベッカはそのままウェンディから手を離すと、リードの方へと近寄っていった。
「何ですか?」
不思議そうなレベッカに、リードが珍しく少しだけ笑った。
「恐らくは、外で待っているはずなので」
「え?」
リードが部屋の扉を開ける。外を指し示されて、ヒョコッと顔を出すと、そこには、
「レベッカ!!」
キャリーが立っていた。
「あ、キャリーさん!!」
思わず大声をあげる。髪型が変わっていたが、間違いなく同僚だったキャリーだった。よく見るとキャリーだけではなく、メイド長や顔見知りの使用人達がその場に集まっている。
キャリーを始め、その場の全員が驚いたようにレベッカを見てくる。
「レ、レベッカ、よね?間違いなく?」
キャリーの言葉に慌てて頷いた。
「は、はい!!こんな姿ですが、正真正銘、レベッカ・リオンです!ただいま、戻りました!!」
レベッカがそう言うと、キャリーが涙ぐみ、勢いよく抱きついてきた。
「レベッカ、レベッカ、よかった~!心配していたのよ!!」
「キャリーさん……」
周囲の使用人達も驚きながらも明るい顔で口々にレベッカに話しかけてきた。
そんな彼らに囲まれながら、レベッカもまた少しだけ目を潤ませながら、キャリーを抱き締め返す。
そんなレベッカを見つめながら、ウェンディはポツリと呟いた。
「……本当に、おかえりなさい、ベッカ」




