懐かしい人々
「ベッカ、……ベッカ……!」
ウェンディが何度も名前を呼ぶ。もう絶対に離さないというように抱き締めてくる。
レベッカは涙を流しながら目を閉じ、先ほどのリースエラゴの言葉を思い出した。
『会わないと、絶対に後悔するぞ。このままで終わらせてはダメだ』
リースエラゴの言った言葉は正しい。会うべきだった。会わなければならなかったんだ、お嬢様に。
強く強く、そして長い時間抱き締め、ウェンディはようやくレベッカから身体を離した。涙を流しながら、言葉を重ねる。
「ベッカ……会いたかった。ずっと、ずーっと、会いたかった」
「お嬢様……」
絞り出すようなその声に胸が詰まった。
涙を流し続けるウェンディを、レベッカはまっすぐに見つめた。17歳になったウェンディはレベッカの想像した以上に美しく成長していた。月明かりのように輝く金髪、宝石のような緑の瞳、雪のような白い肌と薔薇色の唇。濃い青色の上品なドレスを身にまとっている。その姿に視線が縫い付けられて、瞬きをするのも忘れてしまった。レベッカが覚えているウェンディは人形や天使のような愛らしい少女だったが、今のウェンディはこの世のものとは思えない、まるで女神のような女性となっている。
――すごい
――予想はしていたけど、すっごいキレイ……
呆けたようにレベッカはウェンディを見つめる。ウェンディはそんなレベッカの肩を掴むと、困惑したように首をかしげた。
「ベッカ、……どうしてそんなに小さくなっているの?」
「あっ、これは……その……深い事情がありまして……」
どう説明しようか迷い、レベッカは誤魔化すように言葉を重ねた。
「えっと、お嬢様、よく私が分かりましたね……こんなに変わってしまったのに」
その言葉に、ウェンディは小さく笑う。その笑顔に心臓が大きな音をたてるのを感じた。
「当たり前でしょう?どんなに姿が変わっても、あなたのこと、私は絶対に分かるわ」
「あ……そ、そうですか」
慌ててその笑顔から視線をそらしたその時だった。
「レベッカ!!」
突然名前を呼ばれて、レベッカは振り返る。リースエラゴが息を切らせながら駆け寄ってきた。
「やっと見つけた!!探したんだぞ!!」
「あっ」
レベッカは小さく声をあげた。雨の中、リースエラゴに何も言わずに休憩所を離れた事をようやく思い出す。
「お前、あれほど迷子にはなるなと……」
リースエラゴは言葉を続けようとしたが、レベッカのそばにいるウェンディに目を留めて、眉をひそめた。ウェンディもまた、リースエラゴを不審そうに見返す。
「レベッカ、誰だ?」
「ベッカ、あの人は誰?」
2人同時にほぼ同じ事を問いかけてくる。レベッカは慌てて口を開いた。
「リーシー、こちらは前に話したお嬢様です!」
レベッカの言葉に、リースエラゴは少し驚いてから納得したように頷く。
「そうか……会えたのか」
レベッカは次にウェンディに声をかけた。
「お嬢様、こちらはリーシー……リースエラゴといいまして、私の――」
言葉を続けようとしたレベッカの唇が止まる。
――あれ?待って。リーシーのこと、なんて紹介すればいいんだろう?
どう話せばいいのか分からず言葉を詰まらせる。
『人間じゃなくて、竜なんです。すごい力を持った親切な竜で、私をここまで連れてきてくれたんですよ』
ウェンディにそう説明する自分を想像して、頭が痛くなった。こんなこと説明できるわけない。
「ベッカの……なに?」
ウェンディが不思議そうに尋ねてくる。レベッカは少し逡巡し、すぐに言葉を続けた。
「……えっと、姉……じゃなくて……保護者?そう!保護者!保護者なのです!!」
「えっ」
ウェンディが驚きの声をあげたのと同時に、リースエラゴも同じく驚いたように目を丸くする。レベッカはリースエラゴに顔を向けて、大きく声をかけた。
「そうですよね!」
心の中で“お願いだから話を合わせて”と叫ぶ。
その勢いに圧されたのか、リースエラゴは一瞬複雑な顔をしたがすぐに頷いた。
「あー、そうだ。こいつの保護者だ……」
その言葉に、ウェンディは困惑したような顔をしたが、やがてゆっくりと立ち上がった。
「……とにかく、一緒に屋敷に戻りましょう、ベッカ。馬車を待たせてるから」
そのままリースエラゴにも視線を向ける。明らかに不審者を見る目だったが、
「……そちらも、ぜひお越しください」
と言ったため、レベッカはホッとした。
リースエラゴもまた戸惑っていたが、小さくため息をつくと頭を掻きながら声を出した。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
その言葉にウェンディは小さく頷く。そのまま落ちていた傘を拾い、言葉を続けた。
「あっちに馬車を待たせてるわ。ついてきて」
「は、はい!」
とにかくこのままコードウェル邸へ向かうべきだろう。クリストファーにもきちんと挨拶をするべきだし、昔の仕事仲間にも会いたい。そう思いながら、レベッカは自然な流れでそばにいたリースエラゴの手を握った。
その姿を見たウェンディがギョッとしたように目を見開き、声を出した。
「ちょっと!」
その鋭い声に、レベッカとリースエラゴは、
「へ?」
「ん?」
と揃って首をかしげる。その姿にイライラした様子でウェンディは言葉を続けた。
「どうして手を繋いでいるの!?」
その問いかけに、レベッカはリースエラゴと顔を見合わせる。
「どうしてって……」
別に深い意味はない。旅をしている間、はぐれないようにこうして手を繋ぐ事が当たり前になってしまっただけだ。
リースエラゴはウェンディへと視線を戻し、戸惑いながらも言葉を返した。
「あー、なんとなく?」
その答えにウェンディはますます怒ったような顔をした。勢いよく近づいてきて、レベッカの手をリースエラゴから離す。
「私と繋ぐの!ベッカの手は私のなの!」
キッと鋭くリースエラゴを睨むと、そのままレベッカの手を引いて歩き出した。
レベッカは戸惑ったようにしながらもウェンディと共に足を進めた。
「……なんで怒っているんだ?私、何かしたか?」
リースエラゴがコソコソとレベッカに問いかけてきたが、レベッカは何も答えられなかった。
ウェンディが歩きながら、チラリとレベッカを見て声をかける。
「ベッカ、ちょっと乾かすわよ」
「えっ?」
突然の言葉にレベッカが反応する前に、ウェンディが魔法をかけるのを感じた。ずぶ濡れになったレベッカの身体を一瞬で乾かす。
「わあ……」
ほとんど魔法を使うことのなかったウェンディがサラリと魔法を使う姿が新鮮で、レベッカは思わず声をあげた。ウェンディはその声に苦笑すると、そのまま足を進めた。
馬車は公園の近くに停まっていた。ウェンディと共に馬車に乗り込む。レベッカとリースエラゴの姿を見て、御者は不思議そうな顔をしていたが、何も言わずに馬車を出発させた。
馬車の中でウェンディはレベッカの手を強く握りながら、強い視線で見つめてきた。レベッカが居心地悪そうにモジモジしていると、ウェンディは口を開いた。
「……ベッカ、とても可愛らしくなったのね」
「へ?」
「小さい……手もこんなに小さくて……可愛い。本当に可愛い」
ウェンディがうっとりしたようにレベッカの手を持って頬擦りをする。レベッカはその様子にオロオロとしながら、答えた。
「わ、私よりも、お嬢様の方がお綺麗だと思います……」
その言葉に、ウェンディは一瞬だけ目を見開き、はにかんだ。
「……ありがとう。嬉しい」
その表情があまりにも愛らしくて、レベッカは顔を赤く染めながら見とれる。
「……こいつら、私の存在を忘れてやしないか?」
リースエラゴが呆れたように呟き、外の景色へと視線を向けた。
コードウェル邸へ到着すると、すぐにメイド姿の女性が出迎えてくれた。ウェンディと手を繋ぐレベッカと、後ろからついてくるリースエラゴを見て不思議そうな顔をしたが、すぐに頭を深く下げて挨拶をする。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
そのメイドを見たレベッカは大きな声をあげた。
「ジャンヌ?」
「え?」
メイドの女性が驚いたように顔を上げる。
髪型が変化していたが、間違いなくレベッカの後輩メイドであるジャンヌ・バシェットだった。
「あの?どこかで……お会いしましたか?」
ジャンヌは困惑したようにレベッカとリースエラゴを交互に見る。レベッカは自分の方を指差して答えた。
「私、レベッカ」
その言葉に、ジャンヌの目が点になった。
「……は?」
言葉も出ない様子でレベッカを凝視する。
「……は?……え?レ、レベッカ、さん……?本当に……?」
「うん。久しぶり」
レベッカがへらりと笑うと、ジャンヌはあんぐりと口を開けた。
ジャンヌに挨拶をした後、そのままウェンディの部屋へと向かった。現実を受け止めきれない様子のジャンヌはまだレベッカをチラチラと見てくる。
「うわぁ、懐かしい……」
ウェンディの部屋に入ったレベッカは感激したように、小さく息を吐き出す。失礼になると分かってはいたが、キョロキョロと部屋中を見回した。
4年前と比べて机は大きくなっているし、調度品や家具が増えているが、紛れもなく記憶にあるウェンディの部屋だった。机の上にはクリストファーが以前誕生日に贈ったタイプライターが置いてある。
「あの人達を呼んできて。今すぐに」
ウェンディが素っ気ない声でジャンヌに命じた。ジャンヌは頭を下げると部屋から出ていった。
ジャンヌが立ち去るとウェンディはすぐにとろけるような笑顔をレベッカに向けて、口を開いた。
「さあ、ベッカ、座って」
その言葉に、レベッカは
「はい!」
と元気よく頷き、ソファに腰を下ろした。
ちなみにソファは4年前と変わっていなかった。
「すぐにお茶を用意させるわ。それにお菓子も。ベッカの好きな焼き菓子があるはずだから。それにね、お茶もすごく美味しいのがあるのよ」
レベッカの隣に座ったウェンディは、微笑みながらレベッカに話しかけ続けた。一方、完全に放置されたリースエラゴは部屋の隅っこで腕を組み、無言で壁に身体を預けるように立っていた。
「あの、お嬢様……」
レベッカがウェンディに話しかけようとしたその時、バタバタとした足音が聞こえた。すぐに勢いよく扉が開かれる。ノックもなく飛び込んできたのは、精悍な顔つきの青年と、背の高い眼鏡をかけた男性だった。
「あっ」
レベッカは慌てて立ち上がった。
「クリストファー様!リードさん!」
ウェンディの兄、クリストファーとその執事のリードだった。レベッカの記憶よりも少し年を重ねた顔のクリストファーは相変わらず美形だった。一方、リードの方はあまり変わってはいない。レベッカの姿を見たクリストファーは愕然として身体を硬直させる。
「これは……どういう事だ?」
クリストファーが声を震わせながら近づく。執事のリードもまた目を大きく見開き、眼鏡を外してハンカチで拭き、再び装着した。それでも信じられない、とでも言いたげにレベッカを見てくる。クリストファーはレベッカと視線を合わせるようにその場にしゃがみこんだ。
「本当に、レベッカなのか……?」
その問いかけに、レベッカは慌てて頷いた。
「は、はい!メイドのレベッカ・リオンです!!長い間不在にして……連絡を取ることもできず、申し訳ありませんでした!」
まずは謝罪の言葉を口にし、深く頭を下げる。
クリストファーは何度も瞬きをしてレベッカを凝視した。
「し、信じられない……」
その言葉に、レベッカは顔を上げる。クリストファーは口元を手で覆うと、首を横に振った。
「……確かに、よく見ると顔はレベッカだ……だが、その姿は……?なぜ、子どもに……?」
混乱したような様子のクリストファーに、どう説明しようかレベッカが迷っていると、
「それは私から説明しようか」
部屋の隅っこからリースエラゴが声をかけた。
リースエラゴの存在にたった今気づいたように、クリストファーが視線を向ける。
「あなたは……?」
リースエラゴが一歩前に進み、淡々と言葉を重ねた。
「レベッカの現在の保護者で……医師だ」
「えっ」
レベッカは思わず小さく声をあげたが、リースエラゴが黙ってろとでも言うように視線をチラリと向けたため、そのまま口を閉じた。
クリストファーはますます困惑したような顔をしたが、
「それじゃあ、お話を……えーと……」
「我が名はリースエラゴだ」
リースエラゴが名乗ったその時、コンコンとノックの音が響き、扉が開いた。
「失礼いたします」
ジャンヌがお茶やお菓子を乗せたカートと共に部屋に入ってきた。クリストファーが息を吐いて、リースエラゴに声をかけた。
「とにかくお掛けください、リースエラゴさん……」
その言葉に、リースエラゴは小さく頷くとソファに近づき静かに腰を下ろした。




