愛を伝えて
翌日。
朝の光が世界を照らす前に、レベッカは目覚めていた。
「リーシー、起きてっ、起きてっ!」
隣のベッドで眠っているリースエラゴの身体を揺らす。
「ううぅ……?レベッカ、まだ早いだろ……」
「早く出発したいの!」
「もうちょっと寝ていたい……」
「リーシー!!」
「分かった……分かったから、ちょっと待て……」
寝起きの悪いリースエラゴを叩き起こし、レベッカはニッコリ笑った。
「さあ、行きましょう!まずは馬車ですよ!」
「……まだ人間どころか鳥も目覚めていないぞ。それにまずは朝食だろう」
リースエラゴは呆れたようにブツブツ呟きながら身体を起こした。
食堂で簡単に朝食を済ませ、レベッカはすぐに荷物を手に取ると、
「それじゃあ、出発しましょう!」
宿を飛び出した。
「レベッカ、1人で飛び出すな!」
リースエラゴがすぐにレベッカの首根っこを捕まえて引き留める。
「だって、早く行かなきゃ遅れます!!」
「遅れるわけないだろう。まだかなり早い時間なんだから。とにかく、危険だから1人で歩くな」
そう言うと、リースエラゴはレベッカの手を取るとギュッと握った。
「気持ちは分かるが焦るな。落ち着け。な?」
諭すようにそう言われて、レベッカは渋々頷く。リースエラゴは苦笑しながら、レベッカの頭を軽く撫でる。
そして、
「さあ、行こう。焦らず、ゆっくりとだ」
そう言って、レベッカと手を繋いだまま足を踏み出した。
地図を見ながら、2人並んで歩き続け、すぐに馬車の停留所に到着した。ここで乗合馬車に乗り、近くの港のある街へと向かわなければならない。到着してすぐに出発時間を確認した。どうやら、あと1時間ほどで出発らしい。
「リーシー、あの……お金は大丈夫ですか?」
乗車券売場を前に、レベッカがおずおずと尋ねると、リースエラゴは微笑んだ。
「言っただろう?金の心配はするなって。問題ないよ」
そう言って、速やかに勘定を済ませた。
「あの、ありがとうございます。いつになるか分からないけど、きちんとお返ししますので……」
レベッカがそう言いながら頭を下げる。そんなレベッカの頭をリースエラゴはぺしっと軽く叩いた。
「だから、そんな事を気にするな。金なんて、どうせ持っていても使わないんだから、私は」
リースエラゴの言葉に頷きながらも、レベッカは、後から絶対に返そうと思いながらコクリと頷いた。
出発する時間が近づき、2人は共に大きな馬車に乗り込んだ。思いの外、馬車は込み合っていた。商人らしき男性達や老夫婦が座っており、子どもはレベッカ1人だけだ。
--いや、私は子どもじゃないけど。
レベッカは心の中で呟きながら、空いた席を探した。満員でリースエラゴと並んで座れなかったため、仕方なく向かい合うように2人は腰を下ろした。
「意外と広いですね」
レベッカがそう言うと、リースエラゴは緊張しているような固い表情で頷く。再びレベッカが話しかけようとしたその時、ガタガタという音をたてて馬車が動き出した。出発したようだ。
レベッカはすぐに外へと視線を向けた。流れていく景色を見つめる。
--きっと、もうすぐ会える
レベッカはウェンディの顔を思い浮かべながら、口元を緩めた。
--お嬢様は17歳。どんなふうに成長したんだろう。
--会ったら、すぐに謝罪をしたい。それで、たくさんお話したい。
--なんとかもう一度コードウェル家で働けるようクリストファー様に頼んでみよう。
レベッカがいろいろと考え込んでいたその時、隣に座っていた高齢の女性が話しかけてきた。
「お嬢ちゃん、お母さんとお出かけ?」
「あ、は、はい」
思わず頷いてしまったレベッカは、リースエラゴの強い視線を感じて慌てて首を横に振った。
「あっ、ち、違います。えーと、お母さんじゃくて、姉なんです……」
「あらあら、そうなの」
高齢の女性はニッコリと笑いながら、リースエラゴに会釈する。リースエラゴも無言で頭を下げた。
「よかったら、これ食べる?お菓子なんだけど」
女性は鞄から小さな袋に入ったクッキーらしきお菓子を差し出してくる。
「よろしいんですか?」
レベッカが驚いて聞き返すと、女性は微笑んで頷いた。
「ありがとうございます!」
レベッカは元気よく礼を述べながら、袋を受け取り、すぐに開けた。クッキーを手に取り、大きな口を開けて頬張る。甘い味が口の中に広がって、自然とレベッカの頬は緩んだ。
「おいしいっ」
その姿を見ていたらしい近くに座っていた商売人らしき男性達も声をかけてきた。
「嬢ちゃん、これもやるよ。貰い物なんだが、俺は飲まないから」
「飴もあるぞ。食うか?」
そう言って小さな瓶に入ったジュースや飴やらを差し出してくる。レベッカはパッと顔を輝かせた。
「わあ、こんなにたくさん、ありがとうございます!」
レベッカがそう言うと、商売人の男性は朗らかに笑った。
お菓子やらジュースやらを楽しそうに食べるレベッカを乗客達は微笑ましそうに見つめる。リースエラゴだけは、
「……相変わらず呑気だな。本当に子どもみたいじゃないか」
と呟いたが、幸運なことにレベッカの耳には届いていなかった。
数時間かけて、馬車は予定通り目的地である街にたどり着いた。
これから船に乗って、次はファリーシュカという大きな街を目指すことになる。
レベッカとリースエラゴは乗り合わせた人々に別れの挨拶をすると、馬車から降り、共に港へと向かった。
港へはすぐに到着した。海を目の前に、レベッカは思わず小さく息を吐き出した。
「久しぶりだ……」
海を目にするのは、ウェンディとの旅行以来だ。青い海を見る事を期待していたのに、残念ながら空は曇っており海もまたどこか濁っているような気がした。空を見上げて、レベッカは嫌な予感がした。雨が降ってきそうだ。
「ええっ、乗れない!?」
乗船券売場にて、レベッカは愕然とした。職員の話によると、ファリーシュカへと向かう船は、乗船する客が多く既に券は売り切れてしまったらしい。
レベッカはガクリと肩を落とした。そんなレベッカをリースエラゴが慰めるように頭を撫でる。
「そんなに落ち込むな。明日の朝一番の船には乗れるんだから」
「そうですけど……」
「今日はこの辺で宿を取って、旨いものでも食べよう」
リースエラゴの言葉にため息をつきながら、頷いた。
「この近くに宿ってありますかね」
「そりゃあるだろう。案内所を探して尋ねれば……」
その時だった。ザバン、という水の音と共に、
「キャーッ」
と、すぐ近くで大きな悲鳴が聞こえた。レベッカとリースエラゴは驚いて声の方へと顔を向ける。
「子どもが、娘が海に……っ!!」
年若い女性が慌てふためきながら、海に向かって腕を伸ばしている。どうやら、子どもが岸壁から海に転落してしまったらしい。
それを見て、誰よりも早くその場から動き出したのはリースエラゴだった。
風のように素早く駆け寄ると、躊躇うことなく海へと飛び込む。
「リ、リーシー!」
レベッカは驚いて声をあげた。慌てて駆け寄ると、周囲の人々も集まってきた。リースエラゴは溺れていた小さな女の子を腕に抱き、海から上がる。どうやら2人とも無事のようだ。母親らしき女性にリースエラゴが女の子を渡すと、女性は泣きながら女の子を抱きしめ、リースエラゴに向かって何度も頭を下げた。
「ありがとうございます、ありがとうございますっ!」
ずぶ濡れになったリースエラゴはそれに無言で頷くと、逃げるようにその場から立ち去る。レベッカも慌てて後を追った。
その後、2人は港の近くで無事に宿を取ることが出来た。宿の部屋へと入ると、リースエラゴはずぶ濡れの服を脱いで、新しい服に着がえながら口を開いた。
「ちょっと早いけど夕食に行くか」
「この宿にも食堂があるみたいですよ」
「それじゃあ、そこに行こう」
2人は早速部屋を出ると宿の食堂へと向かった。適当に食事を注文すると、すぐに料理が運ばれてきた。港が近いからか、新鮮な魚料理が多い。リースエラゴは凄まじい勢いでそれを食べ始める。レベッカも少しずつサラダを食べながら、リースエラゴに声をかけた。
「意外でした」
「あ?」
リースエラゴが眉をひそめる。
「あなたは、人間が嫌いみたいだから……助けたのが意外だなって」
先ほどの出来事を思い返しながらレベッカは話す。魚を食べていたリースエラゴの手が一瞬止まった。すぐに食事を再開して、顔をしかめながら声を出す。
「別に、嫌いじゃない。ただ……」
「ただ?」
「……ただ、信じていないだけだ」
レベッカは静かにリースエラゴを見つめ返す。しばらく経って、問いかけた。
「--私のことも?」
リースエラゴの手が再びピタリと止まった。石のような固い表情のまま、押し黙る。長い沈黙のあと、リースエラゴは、
「……お前は、別だ。お前と、我が友セツナは……」
小さな声で返事をした。レベッカはそんな彼女を無言で見つめる。それからは、2人とも何も言わずに食事を続けた。
食事を終えて、宿の部屋へと戻ると、レベッカは窓を開いて夜景を眺めた。微かに潮の匂いがする。大きな月が海を照らし、柔らかな風が肌を撫でた。いつの間にか、空を覆っていた雲は消えていた。
明日は晴れそうだな、と思っていると、すぐそばのベッドに寝転がるリースエラゴから声をかけられた。
「なあ、レベッカ」
「はい?」
そちらへと視線を向けると、リースエラゴはベッドの上で地図を広げていた。
「お前が行きたいのはここだろ?」
リースエラゴは地図上のコードウェル領を指差して尋ねてきたため、レベッカは頷いた。
「え、ええ。そうですよ」
「--ここに、お前の家があるのか?」
その問いかけに、レベッカの顔は一瞬困ったように眉を寄せ、すぐに笑顔を作って首を横に振った。
「いいえ……私に家はありません」
リースエラゴは首をかしげた。
「それじゃあ、なんでここに行くんだ?帰るとか言っていたが……」
「--家族よりも、もっと大切な人が、そこにいるんですよ」
そういえばリースエラゴにお嬢様やコードウェル家の事は話していなかったな、と気づく。レベッカは手短に自分の事を話し始めた。
本当の家族のこと、家出したこと、コードウェル家でメイドをしていたこと、そしてお嬢様のこと--
リースエラゴは納得したように頷いた。
「なんだ、お前の雇用主の所へと行くのか」
雇用主、という言葉に複雑な気持ちになりながらレベッカは頷いた。
「はい……私にとっての大切な場所なので」
「ふーん……」
リースエラゴは再び地図に視線を向け、言葉を重ねた。
「そこで受け入れられなければどうするんだ?」
その問いかけに、一瞬レベッカの顔を凍りつく。だが、すぐに声を出した。
「--構いません」
情けないことに、声は震えていた。
「そうなったら……その時に考えます。た、ただ、私は……」
どんなに時が経とうとも、時間のズレができても、願いは一つだけだ。顔を伏せて、心の中の思いを声に出した。
「……私は、帰りたいんですよ、リーシー……」
レベッカは膝を抱えるようしながら、言葉を続けた。
「お嬢様に会いたい……一目でいいから……」
忘れられてしまったかもしれない。自分の存在を受け入れてもらえないかもしれない。だけど、それでも--
「私の、居場所は、そこなんです。誰が何と言おうとも……。私は、帰りたい……」
膝の中に顔を埋める。
「お嬢様に、ごめんなさいって言いたいんです。例え、受け入れられなくても……それでも……あなたの事が大好きで、大切だって事は伝えたい……」
--帰りたいのだ。あの温かい場所に
--お嬢様に会いたい
「……ごめんなさい、リーシー。付き合わせてしまって……あなたには、理解できないかもしれないけど、それでも……」
「いや、分かるさ」
突然、リースエラゴがレベッカを遮るようにそう言った。
「私は人あらざる者……人とは異なる時を生きる者だが……それでも多少は理解できる。きっと、お前にとってその人間は……私にとってのセツナと同じような存在なのだろう?」
その言葉に、レベッカは顔を上げる。リースエラゴはベッドの上に座り、窓から見える星空を見つめていた。
「--会いたいって気持ちは、分かるよ、レベッカ。だから、最後まで付き合うさ」
囁くようにそう言うリースエラゴの横顔をレベッカは静かに見つめる。
長い沈黙のあと、レベッカは口を開いた。
「リーシー、あなた、私にずっと嘘をついてますよね?」
「うん?」
リースエラゴがレベッカに顔を向ける。そして首をかしげた。
「嘘?なんの事だ?」
レベッカは迷ったように瞳を揺らしたが、すぐに言葉を続けた。
「セツナさんのこと」
「セツナのこと?」
「セツナさんを、友って言ってるけど……本当は--」
一瞬だけ躊躇ったが、レベッカはリースエラゴに問いかけた。
「本当は、恋人だったんじゃないですか?」
レベッカがそう言うと、リースエラゴは大きく目を見開いた。
そのまま再び沈黙が落ちる。やがて、リースエラゴは小さく噴き出した。
「なんだよ、それ……」
クククっと声に出して笑うリースエラゴをレベッカは見つめる。その視線に、リースエラゴは笑いをようやく止めると、気まずそうに視線をそらした。
「--恋人ではない」
「……本当に?」
「そんな関係ではない……だが」
リースエラゴは言葉を止めると、チラリとレベッカを見る。レベッカが真っ直ぐにリースエラゴの瞳を見つめ返すと、躊躇ったようにしながらも言葉を重ねた。
「--だが、少なくとも……私は、あの頃の私にとっては……セツナが全てだった。閉じられた私の世界に飛び込んできたセツナが……最初は煩わしかったのに、いつしかどうしようもないほど大切に思うようになって……共に同じ時を過ごせることが、嬉しくて、楽しくて……そして、幸せだった……」
その言葉を聞いたレベッカはポカンと口を開ける。やがて、クスクスと笑い出した。リースエラゴがムッとしたように声を出す。
「なんで笑う?」
「リーシー……それって、完全に恋じゃないですか」
リースエラゴは驚いたように目を見開いた。
「愛していたんですねぇ」
レベッカがそう言うと、リースエラゴはほんのりと顔を赤らめ、プイッと顔をそらした。
レベッカはリースエラゴのそんな姿に笑う。そして、ベッドに上がり、リースエラゴに近づきながら声をかけた。
「--いつか」
「あ?」
「いつか、また会えたらその時は--」
リースエラゴに後ろからギュッと抱きつく。そのまま優しく頭を撫でた。
「ちゃんと言葉に出して言った方がいいですよ。もう後悔しないように」
--セツナは、もうこの世にはいない。だから、二度と会えない。そんなの分かっている。
だけど、それでも。
リースエラゴならば、いつか大切な人と再び会える、そんな気がした。
「愛してるって伝えてくださいね」
リースエラゴはチラリとレベッカに視線を向ける。そして、
「……一応、心に留めておく」
そう言ってレベッカから身体を離すと、隠れるようにシーツの中へともぐり込んだ。




