流れた時間
「リーシー!!」
レベッカが大声をあげると、リースエラゴはビクリと肩を震わせ、そっぽを向いた。
「なんですかこれは!!」
再び叫ぶように問いかけると、リースエラゴはモゴモゴと言葉を返した。
「あー、えーと……ちょっといろいろ失敗して」
「し、失敗って……」
「身体そのものの時間をなんとか戻そうとして……やり過ぎたんだ……」
「ええぇぇ……?」
レベッカは声を震わせながら、再び鏡に視線を向けた。鏡の中の自分はあどけない顔をしていた。どう見ても完全に幼女だ。よく見ると、魔法で黒に変えていた瞳の色も元の青色に戻っている。
呆然としながら鏡の中の変わり果てた自分と見つめ合い、先ほどの違和感を思い出した。今の自分の手が、記憶の中の手よりも小さかったからだ、と気づいて頭を抱えた。
「……信じられない……なにこれぇ……」
頭痛がしてきて、レベッカは呻く。そのままリースエラゴに問いかけた。
「これ、元に戻すことは?」
「……」
リースエラゴは顔をしかめながら、自分の手をチラリと見る。指を折り曲げ、開いてから言葉を返した。
「恐らく無理だ……。お前の治療に魔力を使い過ぎて……複雑で大きな魔法を使うのは自信がない。それに、上手く説明できないんだが……お前の身体を治療するために、私の魔力を注いだんだ。今は身体の中で、お前の魔力と私の魔力が融合してる状態だから……それを崩すと、危険だ。お前の身体がどうなるか分からない」
「ええぇー……」
「あの、なんというか、その……本当にすまない」
リースエラゴはその場で深く頭を下げた。
「……完璧に治せる、と思ったんだ、本当に……。言い訳をするつもりはないんだが……例の呪いが解けてから、魔力が完全に回復していなくて……魔法がうまく調整できなかったんだ……本当にすまない」
気まずそうに謝るリーシーの姿をチラリと見て、レベッカは渋い顔のまま口を開いた。
「……もう、いいです」
本来なら、リースエラゴが治療をしてくれなければ死んでいたかもしれない。怪我が治っただけでも幸運だし、有難いと思うべきだ。これ以上リースエラゴを責めるのは止めよう。レベッカはそう思いながら、申し訳なさそうにしているリーシーを安心させるように無理矢理笑顔を作った。
「……無理して、治療をしてくれたんですね。こちらこそ、責めるような事を言って、ごめんなさい。そして、ありがとうございます」
そう言うと、リースエラゴは安心したようにホッと息をついた。
「……しばらくここで休め。今まで本当に大変だったのだから」
リースエラゴはそう言ったが、
「いえ、そんなわけにはいきません」
レベッカはゆっくりと足を動かした。
「私、帰ります」
フラフラしながらも立ち上がろうとするが、やはり上手くいかない。すぐにバランスを崩して、再び座りこんでしまった。その姿を見ながら、リースエラゴは顔を強張らせる。
「そんなすぐに動かなくても……」
「いえ」
レベッカは首を横に振る。
「私を、待ってる人がいるんです。だから、帰らないと」
これ以上、この世界で過ごしたらますます時間のズレができてしまう。そう思いながら、リースエラゴに問いかけた。
「教えてください。出口はどこですか?」
リースエラゴは大きなため息をついた。
「……案内する」
リースエラゴはそう言いながら腕を動かした。次の瞬間、
「わっ」
突然、引き寄せられて、浮遊感を感じた。気がついたら、レベッカはリースエラゴの腕の中に納まっていた。
「リ、リーシー!何してるんですか!?」
「お前、まだ歩くのもきついだろう。身体が慣れるまではこうやって移動すればいい」
「で、でも……重いですから……」
「重くない。いいから、おとなしく抱かれていろ」
そう言われて、レベッカは口を閉じた。
リースエラゴに抱えられたまま、外へと通じる穴から出る。
「……あ」
レベッカは今まで自分がいた穴を見て、声をあげた。てっきり洞窟だと思っていたが、どうやら木のうろだったらしい。巨大な樹木がこちらを見下ろすように立っていた。
リースエラゴはレベッカの様子に構わずにスタスタと歩き、鮮やかな緑が光る森の中を迷いなく進んでいく。リースエラゴの顔を見つめながら、レベッカは声をかけた。
「出口はこの先ですか?」
「ああ」
「出来るだけ早くお願いします!」
レベッカの言葉にリースエラゴは苦笑した。
「分かった分かった。--ほら、もうすぐだから」
リースエラゴが立ち止まる。レベッカが正面に顔を向けると、そこには大きな池があった。
「よし、しっかりつかまっておけ。あと目は閉じておいた方がいいぞ」
「え?」
レベッカが言葉を返す前に、リースエラゴは勢いよく目の前の池に飛び込んだ。
「うひゃぁっ」
レベッカは思わず悲鳴をあげ、目をギュッと強く閉じる。全身が一気に冷たくなる。一瞬、世界が凍結した、と感じた。不思議なことに水の中に飛び込んだというのに、濡れたような感覚はなかった。耳元でザワザワとした水の音がする。
何が起きたか把握する前に、リースエラゴの囁くような声が聞こえた。
「よし、着いたぞ」
リースエラゴの声がして、瞳を開ける。
「え?」
レベッカは声をあげた。
そこは、見知らぬ場所だった。広くて、高級そうな家具がある立派な部屋だ。後ろに目を向けると、大きな鏡がある。
レベッカは周囲を見回しながら口を開いた。
「……ここはどこですか?」
「さあ?」
「さ、さあって……」
てっきりミルバーサ島のダニエルの別荘に行くのだろうと想像していたレベッカは唖然とした。
リースエラゴは肩をすくめながら、声を出した。
「お前が早く出たがっていたから、適当に繋がりやすい鏡を見つけて、出口を作ったんだ」
「ええ!?それって……」
その時、部屋の外から足音が聞こえた。レベッカはギクリとして扉の方を見る。
「ま、まずいですよ。誰か来ちゃう。私達、不法侵入ですよね……」
「はいはい」
慌てるレベッカとは逆にリースエラゴは落ち着いた様子で、足を踏み出した。部屋の窓に近づき、音もなく窓を開ける。
「え、リーシー……」
レベッカが声をあげるが、リースエラゴはそれを無視して、レベッカを抱えたまま窓から飛び出した。
「うえぇっ」
どうやら、1階ではなかったらしく、飛び出した先に地面はなかった。ギョッとして悲鳴をあげるレベッカに、
「うるさい」
リースエラゴは言葉を返しながら、簡単にフワリと着地し足を踏み出す。
そのまま素早くその場から立ち去った。
どうやら、コードウェル邸ほどではないが、大きな家だったらしい。リースエラゴは誰にも姿を見られることなく、その家から素早く脱出することに成功した。
家から外に出て、レベッカは空を仰ぐ。柔らかい太陽の光が見えた。落ち着いた色合いの建物が立ち並んでいる。周囲を見渡す前に、リースエラゴはレベッカを抱えてスルリと物陰に入った。
「リーシー、どこに行くんですか?」
リースエラゴは小声で言葉を返してきた。
「その髪は目立つだろう?だから、ちょっと変えていくぞ」
そう言って、リースエラゴはレベッカを一度地面へと下ろすと、頭を軽く撫でた。
「あっ」
すると、レベッカの髪色は黒に変化した。
「よし、これなら目立たないだろう」
レベッカはリースエラゴに視線を向けて、目を丸くする。いつの間にか、リースエラゴの髪色もまた黒に染まっていた。
「魔法、使えないんじゃ……」
「複雑で大きな魔法は、な。だが、これくらい簡単な魔法なら余裕だ」
リースエラゴは苦笑した。
「……取りあえずは、ここがどこなのか知りたいんですけど」
「分かった分かった。街で地図を探そう」
リースエラゴは再びレベッカを抱えた。レベッカは慌ててリースエラゴに声をかけた。
「リーシー、私、もう歩けますよ」
「お前を歩かせるより、多分、こっちの方が早い」
「むー」
レベッカは頬を膨らませた。
リースエラゴと共にようやく太陽の下を歩き始める。
そこは、知らない街並みだった。小さな家がたくさん並んでいて、大きな建物はほとんどない。多くの人が行き交っているのが見えた。にぎやかな街だ。
レベッカはキョロキョロと周囲を見ながら、口を開いた。
「えーと……どこに行けばいいのかな……」
「全然知らない土地か?」
リースエラゴの問いかけに首を横に振る。
「はい。見覚えはありませんね……リーシーは?」
「知らない。この世界に私が来れるようになったのは最近だし、土地に関してはほとんど分からない」
「ああ、そうですよね……あっ」
ある看板が目に入り、レベッカは声をあげた。そこには、“この先、観光案内所”と書いてあった。
「ここ!ここに行ってみましょう、リーシー!地図がありそうですよ!」
リースエラゴはレベッカの言葉に頷いた。
「確かにそうだな。行ってみよう」
看板の示した方向へと足を進めると、案内所らしき建物があった。
「ここ、ですかね?」
「多分……」
リースエラゴと共に躊躇いながらも、案内所へと入った。
中には1人の職員らしき女性が暇そうな顔で受付に座っていた。他に人はいないようだ。女性職員は、リースエラゴとレベッカが入ってきたのを見て、慌てて笑顔を作り、声をかけてきた。
「何かご用でしょうか?」
「あの、地図はありませんか?できればこの街と周囲の土地の地図も見たいんですが……」
レベッカがそう尋ねると、職員は快く数枚の地図を出してきた。
「こちらでよろしいですか?」
「あ、はい……」
その時、レベッカは金を持っていないということに今更気づいて顔を青くした。これでは地図を購入できない。どうしよう、と思った瞬間、リースエラゴが服の中からコインを数枚出し、職員に差し出した。
「これで足りるか?」
「あ、はい。大丈夫ですよ。では、お釣を……」
その姿にレベッカはギョッとしたが、女性職員の目があるため言葉を無理矢理飲み込んだ。
なんでリースエラゴは金を持っているのだろう、と考えながら地図を手にする。リースエラゴに抱えられたまま、案内所を出ようとしたところで、すぐそばの壁に貼られていたある紙に気づいた。それを見て、慌ててリースエラゴの肩を叩く。
「ちょ、ちょっと待って!!」
「あ?」
リースエラゴが不思議そうに立ち止まる。
レベッカはその紙をじっくりと見て、呆然と口を開いた。
震える声で、職員に声をかける。
「す、すみません」
「はーい」
女性職員がすぐさま返事をした。
「こ、これって、今年の、ですよね?」
恐る恐る問いかけると、女性職員はニッコリと笑って大きく頷いた。
「ええ、もちろん!」
その答えに、レベッカの頭の中が真っ白になった。
「……嘘でしょ」
頭を抱えながら、ボソッと呟く。女性職員とリースエラゴはレベッカを不思議そうな表情で見てきた。
壁に飾られていたのは暦だった。
暦は、レベッカが兄姉に拉致されてから、約4年以上の月日が流れている事を示していた。
「ううぅ……こんな姿なのに、21歳だなんて……お嬢様は、……17歳?……ウソでしょ……」
観光案内所を出てから、レベッカはブツブツと呟く。それを気まずそうに見ながら、リースエラゴが声をかけてきた。
「……取りあえず地図を見よう、レベッカ」
そう言いながら、近くの大きな広場らしき場所へと行き、そこに設置されている長椅子へと腰を下ろした。
「ほら、レベッカ。お前はどこに行きたいんだ?」
リースエラゴがそう言いながら、レベッカを長椅子へと座らせ、地図を広げる。
レベッカはメソメソしながらも、地図へと視線を向けた。じっくりとそれを眺める。やがて、ガックリと肩を落とした。
「と、遠い……」
どうやら、ここはハルードハという小さな街らしい。この街から、コードウェル家の屋敷までかなり距離があるということを地図が示していた。
「ええと、馬車にのって、船に乗って……それから、歩いて、また馬車?かな……」
長い。とてつもなく長くて、遠い。考えるだけでうんざりした。
「リーシー、“転送”の魔法使えません?」
レベッカの問いかけに、リースエラゴは小さな声で言葉を返してきた。
「さっきも言ったが、魔力が回復していないんだ。小さい魔法を使うのが精一杯で……お前の言う“転送”は、一気に目的地へと行く魔法だろう?少し厳しいな……」
「やっぱり無理ですか?」
「ああ。お前はできないのか?」
レベッカは顔をしかめて、首を横に振った。
「無理です……元々、私はきちんと魔法を学んだことはほとんどないので……」
レベッカの魔力そのものは高いが、技術はかなり低い。魔法を学んだのはずっと昔、まだ子どもだった時の事で、忘れている事も多いのだ。そのため、リースエラゴと同じく複雑で大きな魔法を向かうのは厳しい。
それを聞いたリースエラゴは腕を組む。少し考えて口を開いた。
「あと数日経てば、少しは私の魔力が戻るから、それでよければ……」
レベッカは少し考え、首を横に振った。
「待てません。早く帰りたいので」
やはり地道に前に進むしかないようだ。
レベッカはため息をついて、地図を閉じた。
一人でどうやって帰ればいいのだろう。この姿のままで帰れるだろうか。そう考えながら、長椅子から立ち上がろうとしたその時、レベッカのお腹がグーグーと音をたてた。レベッカが顔を赤らめるのと同時に、リースエラゴが口を開いた。
「む、そうか。腹が減っているのか」
リースエラゴは再びレベッカを抱き上げて、立ち上がった。
「何か食べよう。店を探すぞ」
その言葉に、レベッカは慌てて口を開いた。
「そ、そうだ!リーシー、あなた、なんでお金を持っているんです!?」
「え?いや、それは……」
リースエラゴが目をそらす。その様子に、レベッカは目を鋭くさせた。
「まさか、まさかあなた、ぬす……」
「違う!」
リースエラゴは少し大きな声で叫び、モゴモゴと言葉を返してきた。
「……お前を助ける前……魔力の回復を待っていた時に、何度か自分の魔法を試すために、魔力を適当な石に注ぎ込んだんだ。結構上手くいって、石は魔石に変化した。ほら、お前に以前渡した石があるだろう?あれみたいに」
「それで?」
「作ったはいいものの、使い道はないから……お前が寝ている間に、この世界にこっそりと来て、大きな街でその石を売ったんだ。金が必要だったからな。お前のために水とか服とか欲しかったし……」
レベッカはハッとして自分の着ているワンピースへと視線を向けた。見覚えのない服だと思っていた。どうやら、リースエラゴが準備して、着せてくれたらしい。
「あ、ありがとうございます。すみません、疑って……」
レベッカの言葉に、リースエラゴが笑った。
「気にしていない」
首を横に振るリースエラゴに、レベッカは再び問いかけた。
「じゃあ、その石、売れたんですね」
「ああ。魔法具を扱う店に持っていって、その辺で見つけたと適当に誤魔化して売った。そうしたら、うるさい人間が大勢やって来て、“あり得ない新発見だ!”とか“本当にこの世の物なのか”とか言われたな。どこで発見したんだと何度も何度も尋ねられて、誤魔化すのが面倒くさくなったから、金をもらってさっさと逃げた」
「そ、それは……」
リースエラゴの言葉に、レベッカは苦笑しながらも唇を引きつらせた。
「だから、金のことなら心配するな」
リースエラゴの頼もしい一言に、レベッカはホッと息をついた。
「……ありがとう、ございます」
「食事をしたら、どうやって目的地へ行くのか話し合おう。船に乗るのなら、港を探して……いや、馬車を先に探すか」
レベッカは驚いて声をあげた。
「えっ!?あなたも来てくれるんですか!?」
リースエラゴが眉をひそめながら、レベッカに顔を向けた。
「当たり前だ。お前を1人にできない。そもそも、お前1人で帰るなんて無理だろう?」
「そ、それはそうなんですけど」
「こうなったのは、私の責任でもあるし、最後まで付き合う。だから、安心しろ」
リースエラゴが微笑む。
レベッカもその力強い言葉に安心して、リースエラゴに向かって微笑み返した。




