不安と勇気と幸せ
ミルバーサ島からコードウェル邸へ戻り、日常が戻ってきた。
「ねぇ、ベッカぁ、お願いっ!」
掃除をしているレベッカに、ウェンディが甘えるように抱きつく。
「嫌です」
レベッカはそれを軽く躱して、箒を動かし続けた。
その素っ気ない返事に、ウェンディは頬を膨らませて、言葉を続けた。
「だからっ、お風呂に一緒に入ってほしいのっ!ちょっとだけだから!」
「拒否します」
「うーっ……、なんでよ?そんなに嫌!?」
「だって、一緒にお風呂に入ったら、多分、お嬢様は変なことをするじゃないですか」
「そんなこと……し、しないわよ!」
ウェンディが少し言い淀み、目をそらした。レベッカは掃除をする手を止め、ウェンディに顔を向けた。
「私の目を、真っ直ぐに見て、もう一度言ってください。“絶対に変なことをしない”、と」
「……」
ウェンディが無言になる。
何か変なことをするつもりはあったらしい。レベッカは呆れたようにため息をついて、掃除を再開した。
「やっぱり拒否します」
ウェンディがムッとしたように再び頬を膨らませる。その時、レベッカの首に目を止めて、眉をひそめながら声を出した。
「あら……ベッカ、なあに、それ?」
「え?」
「その首……何かアクセサリーをしているの?」
「ああ……」
レベッカは微笑みながら、それを服の中から取り出した。
それは、青い石のついたペンダントだった。リースエラゴから贈られた石だ。自分で簡単にペンダントに加工して、身に付けることにした。仕事中は目立つため、服の中へと隠している。
「……綺麗な石ね。ベッカがこんなの付けるなんて珍しい……」
しげしげとペンダントを見つめたウェンディは、やがてハッとしたようにレベッカへと視線を向けた。
「ひょっとして、誰かからのプレゼント!?」
「えっ」
「誰から!?まさか、男の人じゃないでしょうね!?」
「ち、違いますよ!!」
レベッカは慌てて首を横に振った。
「男性から貰った物ではありません!」
贈り物というのは事実だが、男性からではない。というか人間ではない。しかし、それをうまく説明できないレベッカは苦笑しながら言葉を続けた。
「えーと、綺麗な石を拾ったので……自分で、作ったんですよ」
「ふーん……」
ウェンディは疑わしそうにそのペンダントとレベッカを交互に見つめる。
レベッカは誤魔化すようにウェンディから離れた。
「お、お嬢様、そろそろ家庭教師の先生が来ますよ。準備をしてくださいね!私は台所の仕事に行きます!」
バタバタと逃げるように出ていくレベッカを、ウェンディは不思議そうに見つめていた。
それから1ヶ月程経ち、とうとうクリストファーが婚約するという話が発表された。クリストファーに想いを寄せていたらしいメイドや若い女性の使用人の悲鳴や嘆き声で、屋敷全体が騒がしくなった。
昼休み、セイディーやジャンヌと共に、レベッカは昼食を囲んだ。モグモグと昼食のパンを食べながら、セイディーがレベッカに話しかけてきた。
「クリストファー様、婚約するんですね……相手はどんな方なんですかね?」
「さあ……私も会ったことないから分からないわ」
正確には顔は見たことがあるが、それを言うといろいろとうるさくなりそうだったため、レベッカは曖昧に微笑んだ。
すると、今度はジャンヌが口を開いた。
「式はいつ頃になるんでしょうか?」
「うーん、どうなんだろう……よく分からないけど、結婚式はいろいろと準備が必要だろうし、……きっとまだまだ先になるでしょうね」
レベッカは首をかしげながらそう答える。
そんなレベッカを、セイディーがじっと食い入るように見つめていた。
「……?セイディー、何?」
レベッカがその視線に戸惑いながら、声をかけると、セイディーが慌てたように目を伏せ、ポツリと呟いた。
「ボク……勘違いしてたみたいで」
「勘違い?」
レベッカがキョトンとしながら聞き返すと、セイディーは気まずそうな表情で言葉を続けた。
「ボク……その……レベッカさんがクリストファー様の恋人なんじゃないかって思ってたんです」
「は、はあ?」
その言葉に、レベッカはギョッとする。一方、ジャンヌも食事の手を止めて困ったような顔をしながらセイディーへと視線を向けた。
「だって、あの、クリストファー様と一番距離が近いのってレベッカさんだし、クリストファー様もレベッカさんのことをすごく信頼してるみたいだし、もしかしたら隠れて付き合っているのかなって!!」
「お、おう……」
レベッカは思わず変な声をあげた。
「だから、2人のこと、影から応援しなきゃって思っててっ、身分違いの恋だけど、きっとレベッカさんなら乗り越えられるから……っ!」
「ちょっと止まって、セイディー……」
何やら一人で盛り上がってるセイディーを止めながら、レベッカは唇を引きつらせる。
昔、他のメイドからクリストファーとの仲を疑われて嫌がらせをされたことや泥棒事件を思い出した。頭痛がしてきた気がして、レベッカは頭を抱えながら口を開く。
「……違うから。クリストファー様のことは尊敬してるけど、そんな感情は一切ないから」
「ええっ、あんなにカッコいいのに!?」
大声をあげてレベッカの方へ身を乗り出したセイディーを、今度はジャンヌが咎めるように制止させた。
「ちょっと、セイディー」
「あ、すみません……」
セイディーが慌てて小さく頭を下げた。
レベッカは困ったように首をかしげると、ゆっくりと口を開いた。
「……えーと、何というか……クリストファー様のことは……とても素敵で、いい人だと思うけど……そんな目で見たことはない、かな」
「そうなんですか?」
「うん」
ハッキリと頷いたレベッカに、セイディーはなぜか残念そうな表情をした。
「それじゃあ、本当にボクの勘違いですね……」
気落ちしたようなセイディーに、ジャンヌが声をかけた。
「だから言ったじゃない。セイディーの妄想だって。暴走しすぎなのよ」
「うぅ~、だってだって~、2人が恋人ならすごく素敵だと思ったから~」
「だから、いい加減にそんな妄想するのは止めなさい」
ジャンヌが軽くセイディーの額を指で弾くと、セイディーは泣きそうな顔で額を手で抑えた。
その顔に思わず笑いながら、レベッカはセイディーの声をかけた。
「恋人といえば、……セイディー、あなたはどうなの?お付き合いは順調?」
セイディーに恋人がいるらしいということは以前本人の口から聞いたことがあった。その恋人は学生で、遠方の学校に通っているらしく、滅多に会えないらしい。現在は手紙を交わすことで、仲を育んでいるようだ。
レベッカの問いかけに、セイディーはパッと顔を輝かせて大きく頷いた。
「はい!今度久しぶりに会えることになったんです!やっと長期の休みが始まって、こっちに遊びに来れるらしくって」
「それはよかったわねぇ」
「えへへ、2人でどこに行こうかすっごく悩んでて、今から楽しみで--」
幸せそうに頬を赤く染めながらそう話すセイディーに、レベッカも微笑む。
ふと、セイディーの横を見ると、ジャンヌがぼんやりとセイディーを見つめていた。レベッカの視線に気づくと、ジャンヌは慌てたようにセイディーから視線を離す。そして、どこか寂しげな表情で目を伏せると食事を再開した。
それから3日後、レベッカは夜遅くにウェンディの部屋へと呼ばれた。いつものことなので、ミルクや蜂蜜を用意して足早にウェンディの部屋へと向かう。
そして、そこで聞かされた話に、レベッカは大きく目を見開いた。
「え……パーティー、ですか?」
「うん」
ウェンディがソファに座りながら、短く返事をする。
ウェンディの話によると、次のウェンディの誕生日にクリストファーがこの屋敷で大きなパーティーを開くことを提案したらしい。
「……いろんな人を招待して、ダンスパーティーをするのはどうかって」
「それは……」
レベッカは言い淀み、無理矢理笑顔を作ると、ウェンディに言葉を返した。
「それは、素敵なお話ですね」
「……」
ウェンディは、この世の終わりと言わんばかりの顔をレベッカに向けてきた。
「やっぱり嫌ですか?」
「当たり前じゃない……」
ソファの上でウェンディは頭を抱える。
「たくさんの人に囲まれて、しかもダンスだなんて!!」
「……うーん」
レベッカは少し困ったようにミルクをテーブルに置くと、ウェンディの手を取った。
「私から、クリストファー様にお話しましょうか?お嬢様がどうしても無理なら、きっと--」
「……ううん」
ウェンディは顔を上げて、囁くような声を出した。
「……いつかは、出なきゃいけないから。分かってるの。お兄様が私のために、してくれているんだって」
レベッカは苦笑した。ウェンディの言う通りだ。
ウェンディは幼少期の呪いのせいで、伯爵家の令嬢だというのにずっと引きこもりの生活を続けている。元々ウェンディは人と関わるのが根本的に苦手なのだ。しかし、今後は貴族として多くの様々な人と交流していかなければならない。華やかな社交界に足を踏み入れなくてはならない時期が来たのだ。
それは義務であり、絶対的で、避けられない事だ。クリストファーはウェンディを少しでも社交界に慣れさせようとして、自邸でパーティーを開くことを提案したのだろう。
「……本当に、大丈夫ですか?」
レベッカがウェンディの手を撫でながら問いかけると、ウェンディはレベッカの顔を上目遣いで見てきた。
「……ベッカが、膝枕してくれたらがんばれる……かも」
その言葉にレベッカはクスリと笑い、頷いた。ベッドへと向かい、腰を下ろす。
「はい、どうぞ」
ポンポンと膝を軽く叩きながらそう言うと、ウェンディは嬉しそうに駆け寄ってきた。
「んふふ」
小さく笑いながら、ベッドに乗ると、そのまま横になりレベッカの膝に頭を乗せる。
そして幸せそうに瞳を閉じた。
「こんな事でいいんですか?」
「いいの」
レベッカの問いかけに、ウェンディは笑って答える。そのまましばらく穏やかな顔でレベッカの膝の上で目を閉じていた。やがて、ゆっくりと目を開き、レベッカの方へと手を伸ばしてきた。
「ねえ、ベッカ」
「はい?」
「覚えておいて。私ね、本当は誕生日にケーキもプレゼントもいらないの」
ウェンディはレベッカの頬を撫でながら、言葉を重ねた。
「あなたに、おめでとうって言われるだけで、それだけでいいのよ。私にとって、それが一番幸せなの」
それを聞いたレベッカは驚いたような顔をした後、照れたようにはにかんだ。
「それは……光栄です」
ウェンディも微笑み返し、ゆっくりと身体を起こす。そして、今度はレベッカの膝に乗り込んできた。
「お嬢様?」
そのままウェンディはレベッカに抱きついた。目を閉じて、レベッカの胸に顔を埋める。
「はあ……落ち着く……」
至福を感じたようにそう呟くウェンディに、レベッカは困ったような顔をしながらもすぐに抱き締め返した。
「もう、仕方ないお嬢様ですねぇ」
そう言いながらも、ウェンディの頭を優しく撫でる。それを感じながら、ウェンディはレベッカの胸の中で、
「んふ、んふふ」
と笑う。
そして、顔を上げると、レベッカの髪を一房手に取った。
「お嬢様?」
「綺麗な髪ね……いい香り……私の好きな蜂蜜の香りだわ」
レベッカの声を無視するように、ウェンディはそう呟くと、レベッカの髪に口付けた。
「お、お嬢様」
レベッカが声をかけると、ウェンディが髪に口を触れさせたまま、レベッカを見上げてきた。その瞳を見たレベッカの心臓が大きな音をたてる。愛らしい丸い瞳が一変して、獣のような光を宿していた。
「……もう少し、ちょうだい」
「はい?」
ウェンディの言葉にレベッカが眉をひそめた次の瞬間、ウェンディがレベッカへと顔を近づけてきた。
そのままウェンディはレベッカの頬にキスをした。
「ひゃっ……ちょっ、お嬢様!くすぐったいですよ!」
レベッカが慌ててそう言いながら、ウェンディを押し返す。
「もう終わりですっ」
ウェンディはムッとしたようにレベッカを見た。
「足りないわ」
「は、はい?足りないって……」
「全然、足りないの。もっと欲しい」
その言葉と同時に、突然レベッカは身体を後ろへ押される。気がつくと、ウェンディによってベッドに押し倒されていた。
「お、お嬢様--」
レベッカが困惑しながら、声を出す。ウェンディはうっとりしながら、口を開いた。
「なんて、いい眺め……」
レベッカは唇を引きつらせた。
「あの、えっと、お嬢様……っ」
「ベッカ、もうちょっと食べさせてね」
「へっ……?」
レベッカの声に構わず、ウェンディは今度はレベッカの耳へと顔を近づける。そして、ベロリと耳を舐めた。
「ひあぁっ!?」
今度こそ悲鳴をあげたレベッカは慌ててウェンディの腕を振り払うように起き上がった。そのまま勢いよく下がると、ウェンディから距離を取る。
「な、何するんです!?」
「だから、ちょっと食べたの」
「……っ、お嬢様!!もう本当に怒りました!」
顔を真っ赤に染めたレベッカはベッドから降りて、逃げるようにドアへと向かった。
「帰ります!!」
部屋から出るためにドアを開けようとしたその時、後ろからウェンディの手が伸びてきて、レベッカの手を取った。
「待って」
小さな声でレベッカを引き留めたウェンディは、そのままレベッカに後ろから抱きついた。
「……ごめんなさい。変なことして」
珍しく、ウェンディが素直に謝ってきたため、レベッカは大きく目を見開き、後ろを振り返った。
ウェンディはレベッカの背中に額をくっつけ、言葉を続けた。
「……不安だっただけなの。あなたに、触れると、少しだけ勇気が出るから……」
その声に、レベッカは少しだけ天を仰ぐ。そして、大きく息を吐き出し、ウェンディに声をかけた。
「……また、こんなことしたら、本当の本当に怒りますからね。ホットミルクも、持ってくるのはやめます」
「……分かった」
自分がウェンディに対して甘いということは承知の上だ。それでもレベッカは、ウェンディから身体を離し、その場に腰を下ろしてかがみ込む。そして、ウェンディの両手を握ると、その緑の瞳を真っ直ぐに見つめながら微笑んだ。
「お嬢様」
「……」
「お嬢様の誕生日に、必ず時間を作ります。こっそりと、お祝いしましょう。2人きりで」
その言葉に、ウェンディがパッと顔を輝かせた。
「本当?」
「はい。2人だけの、秘密ですよ?」
レベッカがそう囁くと、ウェンディは大きく頷いた。
「……嬉しいっ。約束ね、ベッカ。絶対よ!」
「はい」
無邪気なウェンディの様子に、レベッカは微笑む。
ウェンディは再び幸せそうに、
「んふ、んふ」
と声を出して笑った。




