声に導かれて
次の日、レベッカはウェンディに誘われて島の散策に出掛けた。
「今日は、まだ行ってない所へ行ってみましょう!」
ウェンディは声を弾ませながら、レベッカの手を取った。レベッカはその様子を微笑ましげに見つめながら、
「はい、喜んで」
と言葉を返した。
ちなみにクリストファーはダニエルと共に屋敷でのんびりボードゲームを楽しむらしく、今日はウェンディと2人だけのお出かけだ。
「デートね、ベッカ!」
ウェンディが楽しそうにそう言って、レベッカもクスクス笑った。
2人で手を繋ぎながら、屋敷を出る。空を見上げると、透き通るような青が視界に飛び込んできた。
ミルバーサ島の美しい自然を眺めながら、ウェンディと共に歩く。柔らかい日差しの中、美しい緑が濃く光っている。時折畑仕事をしている島の住人を見かけた。ウェンディは2人で歩くという事が楽しいらしく、踊るような足取りでぴょんぴょんと歩いた。
「お嬢様、危ないですよ。転ばないように気をつけてください」
「だいじょうぶ!あっ、見て、ベッカ!」
突然ウェンディが足を止めて、声をあげた。レベッカもウェンディの視線を追う。
「あら、とても可愛いですね」
そこには、赤茶色の屋根が特徴的な、まるで童話に出てきそうな家が建っていた。あまりにも可愛らしい家だったため、レベッカは思わずまじまじと見つめた。広い庭には名前の知らない美しい花が咲いている。ダニエルの別荘ほどではないが大きな家だ。
「絵本に出てきそうなおうちですね」
「私も思った!」
ウェンディと言葉を交わしていたその時だった。
「お嬢さん」
誰かの声が聞こえた。レベッカとウェンディが驚いて辺りを見渡す。
「こちらですよ、可愛らしいお嬢さん方」
慌てて声の方へ顔を向けると、いつの間にか、可愛らしい家の庭に、上品な高齢の女性が立っていた。こちらをニコニコと笑いながら見つめている。
「こんにちは、お嬢さん方」
「あ、こ、こんにちは」
レベッカは戸惑いながら、頭を下げる。人見知りのウェンディはパッとレベッカの後ろに隠れてしまった。そんなウェンディに気を悪くした様子もなく、女性は穏やかに微笑みながら言葉を続けた。
「お嬢さん達は、ダニエル様のお客様でしょう?」
「は、はい……」
「ああ、やっぱり」
女性は、レベッカの方へと近づきながら言葉を続けた。
「もしよければ、お茶はいかがですか?可愛らしいお嬢さん方と、ぜひお話してみたいわ」
その言葉に、レベッカは困惑しながら目を泳がせた。そんなレベッカに構わず女性は言葉を続ける。
「おいしいお菓子もあるんですよ。さあ、遠慮しないで、どうぞ」
レベッカはウェンディとチラリと目を合わせた。断るのは難しそうだ。レベッカは躊躇いながらも、ウェンディと共に可愛らしい家へと入った。
女性の家は広々としていて、どこか甘い匂いがした。中にある家具や小物もとても上品で可愛らしい。女性はレベッカとウェンディを家の中へと案内しながら、アメリアだと自己紹介してくれた。
「あの、お一人で暮らしているんですか?」
レベッカの問いかけに、アメリアはお茶の準備をしながら答えた。
「ええ。夫が亡くなってからはずっと一人暮らしなんです。時々は家事のために人を雇いますがね」
そう話しながら、レベッカとウェンディの前に小さなケーキとお茶を置いた。
「さあ、どうぞ、お嬢さん方」
「ありがとうございます」
レベッカは礼を言いながら、カップを手に取りお茶を飲んだ。ウェンディもモジモジとしながらケーキを口に入れる。すぐに、
「おいしい!」
と大きな声を出した。言った後に、大声を出したのが恥ずかしかったのか少し顔を赤らめて下を向いた。
アメリアはそんな様子をクスクスと笑いながら見つめ、口を開いた。
「この島で採れるベリーを使ったケーキなんですよ。よかった、気に入っていただけて」
その優しげな声に、ウェンディも緊張が溶けたらしく、再びケーキを頬張った。
お茶とケーキを楽しみながら、アメリアと会話を続ける。アメリアは元は大きな街で夫と共に商売をしていたらしい。引退した後、商売を息子に譲り、夫婦でこのミルバーサ島へ移住したとの事だった。
「とてものんびりしていて、静かな所が気に入ったんです」
アメリアはニッコリと笑って言葉を重ねた。
「それに、なんと言っても、ここは神様がいる島ですからね」
その言葉に、レベッカとウェンディは首をかしげた。そういえば、ダニエルもそんなことをチラリと言っていたなと思い出した。
「神様って、なんですか?」
ウェンディが小さな声でアメリアに尋ねた。アメリアはお茶を一口飲んで、口を開いた。
「よくあるおとぎ話ですよ。この島には、神様が眠っているそうです。どこかに、神様の寝室に繋がる入り口があるそうですよ」
確かによくあるおとぎ話だな、とレベッカはこっそり心の中で呟いた。一方、ウェンディは興味深そうに話を聞いていた。
「もちろん、今まで神様を見た人は一人もいませんけどね。でも、とても素敵でしょう?神様が眠っている島なんて」
アメリアの言葉に、レベッカは微笑み、
「本当ですね」
と答えた。
「そういえば、お2人はこれからどこへ?」
アメリアの問いかけに、レベッカは考えながら答えた。
「のんびりと散歩をしていただけです。この島のまだ行っていない場所へ行ってみようかと--」
「あら、じゃあ、あっちの丘へは行ったかしら?」
レベッカは首をかしげた。
「丘、ですか?」
「この家の近くにあるのだけどね、とってもいい場所だから、行ってみるといいわ」
そう言いながら、アメリアは簡単に場所を教えてくれた。
「じゃあ、そこに行ってみましょうか、お嬢様」
レベッカが声をかけると、ウェンディはコクリと小さく頷いた。
アメリアにお茶とケーキのお礼を言いつつ、可愛らしい家から出て、再びウェンディと手を繋ぎながら、歩き始める。
少し歩くと、アメリアの言った通り小さな丘が見えてきた。目を凝らすと、丘の上に大きな木が一本だけ立っているのが見える。それほど高い場所ではないが、少し距離がありそうだ。
「お嬢様、登れますか?」
レベッカの言葉に、ウェンディは拗ねたように唇を尖らせた。
「流石にこれくらいは登れるわよ。馬鹿みたいなダンスで足を鍛えているんだから」
「馬鹿みたいって……」
ウェンディの言葉に苦笑しつつ、丘を登るために足を踏み出した。
2人でゆっくりと歩き続け、思ったよりもすぐに丘の上に到着した。大きな木の下でウェンディと共に景色を眺める。
そこには、緑の世界が広がっていた。
「綺麗ね」
ウェンディが囁く。
「はい。とても、美しい景色ですね」
レベッカも微笑みながら答える。
心地のいい爽やかな風が吹いた。同時に周囲の草木がザワザワと揺れる。澄みきった青空が、すぐ近くにあるような気がした。
「本当に綺麗……来てよかったね、ベッカ」
「はい」
ウェンディの手を優しく握りしめる。ウェンディもレベッカの手を握り返した。そして、不意にこちらへと顔を向けた。
その時、一段と大きな風が吹いた。ウェンディの金髪がフワリと揺れる。レベッカを見つめながら、ウェンディは花のような笑顔を浮かべた。それを見たレベッカは目を見開いた。
「ねえ、今だけは、この景色、私とベッカの2人占めね」
その笑顔は、本当にこの世の物とは思えないほど美しくて、
「ベッカ……私ね、この景色を忘れないわ。きっと、一生」
まるで本当に天使みたいだ、とレベッカは思った。
その夜、レベッカは自分の部屋で荷物の整理をしていた。この島との別れの時間が近づいていた。明日の夕方、迎えに来る船に乗って帰ることになっている。
「楽しかったなぁ……」
そう呟きながら、クローゼットの扉を開けたその時だった。クローゼットの奥に押し込んだ、《アイリーディア》に目が留まった。
「うん?」
レベッカは眉をひそめる。《アイリーディア》の鍔の部分にある小さな水色の石が、小さく光っていた。
「あれ?なんだろう、これ……」
レベッカが剣を手に取ったその時だった。
『--い』
また、声が聞こえた。聞いたことのない、不思議な声だ。
レベッカは剣を手にしたまま、ハッと顔をあげた。
『--たい』
周囲を見渡す。自分以外、誰も見当たらない。
その時、《アイリーディア》の水色の石が強く光り始めた。
「う、うわ、なに!?どうしたの!?」
レベッカは混乱してオロオロしながら、立ち上がった。その時、
『--会いたい』
不思議な声が、部屋の外から聞こえた。今度ははっきりとした声だった。その声に導かれるように、レベッカは剣をその場に置いて、扉へと近づくと、恐る恐るそれを開けた。
その瞬間、《アイリーディア》がカタンと音をたてた。そのままフワリと浮かび上がる。
「ちょ、ちょっと!」
レベッカは慌てながら駆け寄り、剣を止めるように再び素早く手に取った。
剣を持ったまま、扉の方へと戻り、そっと廊下に顔を出す。そこには暗闇が広がっていた。夜遅いため、レベッカ以外全員寝ているらしく廊下は静まり返っている。その不気味な雰囲気に戸惑いながら、レベッカはゆっくりと外へ出た。
『戻ってきて』
今度は階段から声が聞こえた。暗闇に脅えながらも、レベッカはゆっくりと階段を降りる。今だけは、《アイリーディア》の変な光だけが頼りだ。
『会いたい』
レベッカは困惑しながら、踊り場へと足を踏み入れ、顔を上げた。明らかに、声は踊り場の鏡の方から聞こえた。
「……誰?」
小さく囁いたが、それに答える者はいなかった。震えながら、大きな鏡を見つめる。脅えた表情の自分が、こちらを見つめ返してきた。
ふと、鏡面が僅かに揺れたような気がした。レベッカは恐る恐る片手で鏡に触れる。その瞬間、鏡が光り輝いた。
「ひっ、なにこれ!?」
驚いて思わず悲鳴をあげ、慌てて手を引っ込めた。そのまま一歩後ろへ下がる。
レベッカはオドオドしながら、しばらく光輝く鏡を見つめていた。やがて再び光にそっと指で触れる。不思議なことに、何の抵抗もなく指は光る鏡の中へと吸い込まれた。その感覚が恐ろしくて、再び指を引っ込める。
一体何が起きているのか、全然分からない。
だけど、これだけは確かだ。誰かが、自分を呼んでいる。恐らくは、この鏡の中から。
レベッカは目を閉じて、大きく深呼吸をした。そして、瞳を開く。一瞬だけ躊躇った後、意を決して、レベッカは光の中へと飛び込んだ。
飛び込む瞬間、再び声が聞こえた。
『あなたに会いたい。--我が友よ』




