虹
すぐに医師が呼ばれ、ウェンディは診察を受けた。
「……ん?」
診察中、ウェンディの服の隙間から痣が見え、レベッカはある事に気付き、思わず首をかしげた。
幸い、誰もレベッカの様子を気にかけていなかったようて、診察は淡々と進み、医師から特に異常はないと診断を下された。
「ね?大丈夫だったでしょ?」
ウェンディが苦笑し、クリストファーもホッとしたように微笑んだ。
「でもウェンディ、体調が悪くなったらすぐに言うんだよ」
「はい、お兄様」
兄妹の会話を聞きながら、レベッカは安心したようにこっそり息を吐いた。
「――気づいたかい?」
ウェンディの部屋から出て、すぐにクリストファーから声をかけられる。レベッカは一瞬目を見開き、頷きながら口を開いた。
「痣の色が……」
ウェンディの身体に刻まれた不気味な痣が、微かにではあるが色が濃くなっていた。
「……あれは、あの痣は一体……」
「分からない」
クリストファーは顔をしかめながら首を横に振った。
「最近、ウェンディは恐ろしい夢を見ることが増えている。もしかしたら、それも関係しているかもしれない……」
「大丈夫なのでしょうか?」
レベッカが顔色を青くさせながらそう言うと、クリストファーは難しい顔をしながら下を向いた。
「大丈夫、だと信じたいが……今のところ、大きな異常はないみたいだし……」
そして、レベッカへ真剣な顔を向けた。
「レベッカ。僕はもう少ししたら長期休暇が終了する。もし、僕が不在の間、何か変わったことがあったらすぐに知らせてくれ。小さいことでもいいから」
そう言われ、レベッカも自分の手を強く握りながら、
「承知しました」
と答え、深く頭を下げた。
◆◆◆
クリストファーが学園へ戻る日がやって来た。
その日は、朝からじとじとと雨が降っており、空気がひんやりとしていた。そして、兄がいなくなるのが寂しいのか、ウェンディの顔も空と同じくらい暗かった。
「ウェンディ、すぐに試験休暇が来るよ。その時は必ず戻ってくるからね」
クリストファーはウェンディを抱き締めると、元気づけるようにそう言葉をかける。そして、レベッカに軽く頷くと、そのままリードと共に馬車へと乗り込んだ。そして、
「それじゃあ、またね」
大きく手を振って、旅立っていった。
ウェンディは沈んだ表情のまま、私室へと戻り、ソファに座ると、そのままぼんやりと窓から景色を眺めていた。
「お嬢様」
レベッカはウェンディに呼びかけた。
「……なあに?」
その声があまりにも、か細く、寂しげで、胸が詰まる。レベッカは、ゆっくりとウェンディへと近づき、言葉を続けた。
「そちらに座ってもよろしいですか?」
その言葉に、ウェンディがチラリとレベッカへ視線を向ける。そして、
「……好きにすれば」
そう答えたため、レベッカはすぐにウェンディの隣へと腰を下ろした。
「失礼します」
レベッカは、外の景色を見つめるウェンディの横顔を静かに見つめ、やがてゆっくりと声をかけた。
「――静かになりましたね」
「……うん」
ウェンディは小さく声を出した。
「あのね、ベッカ」
「はい?」
「……私ね、ベッカがそばにいてくれれば、もうだいじょうぶって思ってたの。……でもね、……やっぱり、お兄様が遠くにいくのは、……とってもさびしい」
ウェンディが今にも泣きそうな顔で顔を伏せる。
レベッカはその顔を見て、思わず口を開いた。
「――お嬢様」
「うん?」
「今日は特別です」
「え?」
「今日は私に何をしてもいいですよ」
その言葉に、ウェンディはポカンとした。
「え?」
レベッカは目を泳がせながら、言葉を重ねた。
「えーと、今日だけなら、どこを食べてもいいです。あ、それとも、ギュッとしましょうか?それともナデナデがいいですか?」
ウェンディが言葉を出せない様子で、呆然としている。その顔を見て我に返ったレベッカは思わず頭を抱えた。
――いやいや、何を言っているんだ!お嬢様が困っているじゃないか!
その時、クスクスという小さな声が聞こえた。ハッと顔を上げると、ウェンディが楽しそうに笑っていた。
「ずいぶんと思いきったのね」
「……え、えーと」
「そうねぇ。何をしようかしら……?」
ウェンディが先ほどの悲しみに満ちた顔から一転、目をキラキラと輝かせながらレベッカへと顔を向けてきた。レベッカは思わず息をゴクリと飲んだ。
「あ、あのー、あんまり、その、難しいことは……」
「あら、何をしてもいいんでしょ?」
ウェンディはニッコリと笑い、レベッカに抱きついてきた。
「んふふ」
そのままレベッカの身体を強く抱き締めてきた。
「ギュッてして」
「は、はい」
ウェンディに命じられて、レベッカは慌てて優しく抱き締め返す。
「……えーと、これでいいですか?これだけ、ですか?」
しばらく抱き合った後、レベッカが恐る恐る尋ねると、ウェンディが身体を離した。そして、レベッカに向かってまたニッコリと笑った。
「んふふ。まだ」
「はい?」
「何をしてもいいのなら、この機会を大切にしなくちゃね」
そして、レベッカに顔を近づけてきた。
「――え」
気がついた時には、こめかみに唇を押し当てられていた。可愛いリップ音がすぐそばで聞こえて、思わず大きな声をあげる。
「お、お嬢様!何して――」
「静かに。だれかがきちゃうわよ」
「え、あっ、ちょっ――」
左の耳元で、吐息を感じて、身体に電流が走ったような感覚がした。
「――お耳が、よわいのね」
ベッカ、と甘い声で名前を囁かれた。ゾクゾクと身体が震え、顔が熱くなる。もう一度、こめかみにキスをされた。思わず目をギュッと閉じる。
そして――、
「あっ」
不意に、ウェンディが声をあげた。レベッカはビクリと肩を揺らして、ウェンディの方へ顔を向ける。ウェンディは驚いたように、窓の向こうを凝視していた。
「ベッカ!ベッカ!あれ!!」
「はい?」
ウェンディが窓の外を指差して、レベッカもそちらへと視線を向ける。そこには、
「あ……」
いつの間にか、雨が止んで、空には美しい虹が架かっていた。
「すごい!あれ、すっごい!!あれって、にじ、でしょう!?初めて見た!!」
ウェンディがソファから飛び降りて、窓へ近づき興奮したように叫ぶ。その子どもらしい姿に、レベッカも思わず笑い、同じように立ち上がって窓へと近づいた。
「見事な虹ですねー」
「ほんで読んだことはあるけど、初めて見た!!きれい!きれい!」
ウェンディは、はしゃいだようにそう言って、顔を窓に押し付けるように空を見つめる。
レベッカもそんなウェンディの様子を微笑ましく見つめながら、頷いた。
「本当に綺麗ですねぇ」
ウェンディは楽しそうな様子で、空を見つめながらレベッカに抱きついた。
「ねえ、お兄様にも見えてるかなぁ……」
「きっと見ていますよ」
「そうだといいなぁ」
ウェンディがレベッカへ楽しそうに微笑む。レベッカも微笑み返して、ウェンディを優しく抱き締めた。
そのまま二人は寄り添いながら、美しく輝く虹を見つめ続けた。
少し短いですが、今回はここまで。




