くすぐり
クリストファーからウェンディの“呪い”の経緯を聞いてから、レベッカは一人で物思いに耽ることが多くなった。
「ベッカ、ベッカ!」
「はい?」
名前を呼ばれてそちらへ視線を向けると、ウェンディが怒ったような顔をしてレベッカを見上げていた。
「またぼーっとしてたわね!何を考えていたの?」
「あ、……えーと、何でもありませんよ」
レベッカは無理矢理笑顔を作ってそう答えるが、ウェンディは納得していない様子で頬を膨らませた。
「うそ!最近、ずーっと、何か悩んでる!」
その言葉に思わず目をそらす。
「――いいえ?全然悩んではいません」
そして、レベッカは慌てた様子で誤魔化すように、
「私、廊下の掃除をしてきますね」
そう言って、ウェンディの部屋から出ていった。ウェンディは眉をひそめてその姿を見送った。
「レベッカ、最近どうかしたの?」
「え?」
その夜、台所で食器を洗っていると、キャリーに話しかけられて、レベッカはキョトンとした。
「何がです?」
「なんだか、ぼーっとしていることが増えたじゃない。何かあった?」
その言葉に、レベッカは気まずく思いながら視線をそらした。
「――すみません。ちょっと、疲れてるみたいで。何でもないですから」
キャリーは少し困惑したようにレベッカの顔を覗き込んだが、やがて、
「……何か悩みがあるなら、いつでも力になるから」
そう言って離れていった。レベッカはホッとして皿洗いを続けた。
キャリーは、過去の事件やウェンディの“呪い”の詳細を知らないらしい。レベッカの事を心配してくれているようだが、クリストファーから口止めをされているため、キャリーに話すことができない。
心の中でひっそりとキャリーに謝罪しながら、台所仕事を終えた。
◆◆◆
その数日後、久しぶりに仕事が休みになったレベッカは街へと来ていた。コードウェル邸から少し離れた場所にある、大きな街だ。目的はただ一つ、この街にある古い図書館を訪れるためだ。
ウェンディの“呪い”の話を聞いて、自分でも調べてみようと考え、馬車を使ってわざわざこの街へとやって来た。いつも買い物をする街にも図書館はあったが、小さい図書館で資料は少なかった。
「うぅーん」
大きな図書館を歩き回りながら、呪術に関する本や資料に片っ端から目を通す。しかし、どの資料にも、痣が出る呪いに関する記述はなかった。
「簡単にはいかないか……」
何年も呪いを調べ、研究しているクリストファーが見つけられていないのだから、簡単には分からないだろうな、と予想はしていた。レベッカはため息をつきながら、資料を探すのを諦め、図書館の出口へと向かった。
「――せめて、何かお土産を買って帰ろうかな。何がいいかな……」
そう呟きながら、図書館から出て、考えながら歩きだしたその時だった。
レベッカのすぐ近くを、小さな馬車が通り過ぎた。昨日、雨が降ったためか、そこにはたまたま水溜まりがあった。馬車がその水溜まりの上を走った瞬間、同時に水が跳ねて、レベッカが着ていたスカートに水がかかった。
「あっ」
驚いて声をあげるのと同時に、小さな馬車が急停止した。
「――申し訳ありませんっ」
馬車から降りてきたのは、小柄な女性だった。赤みがかったブロンドの長い髪、水色の瞳を持つ妖精のような可愛らしい女性だ。大きな眼鏡をかけている。慌てた様子でレベッカへ近寄ってきた。
「本当に申し訳ありません。服を濡らしてしまって――」
申し訳なさそうに頭を下げて謝罪する女性に、レベッカは微笑んで首を振った。
「気にしないでください。少し濡れただけですから……」
レベッカがそう言った時、眼鏡の女性がその場に腰を下ろした。レベッカのスカートへと手を当てる。
「――あの?」
戸惑うレベッカに構わず、女性が目を閉じる。次の瞬間、不思議な魔力を感じて、レベッカは目を見開いた。気がついた時には、スカートは完全に乾いていた。
女性はホッと息を吐いて、レベッカを見上げて微笑んだ。
「これで大丈夫だとは思いますが……気になるようでしたらクリーニングを」
「え?あっ、大丈夫です!本当に」
レベッカは慌てて首を振る。そして、チラリと女性の顔を見た。
――多分、この人、すごく魔法が上手い人だ
何故か、そう感じた。
女性はまだ恐縮したような様子で、再び頭を下げると、ポケットから小さな紙とペンを取り出しサラサラと何かを書いた。
「本当に申し訳ありませんでした。もし、汚れが気になるようでしたら、こちらへ連絡をください。きちんと対処させていただきますので――」
そう言って、女性が何か小さな紙を押し付けてくる。
「それでは、私はこれで」
またそう頭を下げると、女性は足早に馬車へと乗り込み、そこから去っていった。
女性が渡してくれた紙に視線を向け、レベッカは声に出してそこに書かれた文字を読んだ。
「えーと、……『魔術研究所 研究員見習い トゥルー・ベル』……」
名前の下には連絡先が記載されていた。
「……なんか綺麗な人だったなぁ」
レベッカはそう呟きながら、再び店が立ち並ぶ区域へと足を向ける。
しばらく経つと、その女性のことはすっかり忘れてしまった。
◆◆◆
ゆっくりと時間は過ぎていく。相変わらず、レベッカはウェンディの事で思い悩み、モヤモヤしていた。
最近は、仕事中も呪いの事をずっと考えているせいで、失敗も多い。
「――申し訳ありませんでした」
「今度から気を付けなさい」
今日は、台所で皿を一枚落として割ってしまった。伯爵家の者が使う高価な皿ではなく、使用人用の皿だったため、メイド長から叱られるだけで済んだのは不幸中の幸いだった。
「……ああ、もう。何をしているんだろう、私」
ガックリと肩を落としながら、昼食をウェンディの部屋へと運ぶ。このままではいけない。とにかく今後は失敗しないように、仕事に集中しなければ。
「……失礼いたします、お嬢様」
ノックをしてウェンディの部屋に入ると、ウェンディはソファに座りタイプライターと向き合っていた。何やら難しい顔をしている。
「お嬢様、どうかされましたか?」
レベッカがテーブルに昼食を置きながらそう尋ねると、ウェンディはハッとしたように顔を上げて、慌ててタイプライターから手を離した。
「ううん、何でもないっ」
そして、レベッカの方へと視線を向けると、今度はウェンディの方が不思議そうな顔で首をかしげた。
「ベッカ、なんか元気ない……?」
「えっ」
「気分でも悪いの?」
そう聞かれて、慌てて首を横に振った。
「い、いえ!ちょっと、その、仕事で失敗してしまって……ちょっと疲れてるだけですから!」
そう誤魔化すように笑うと、ウェンディが少し考えるように顔を伏せる。そして、ゆっくりと立ち上がると、レベッカへと近づいてきた。
「お嬢様?どうかされましたか?」
「んふふ」
ウェンディは小さく笑うと、レベッカの前に立ち、両手を広げた。
「――ベッカ、おいで」
その言葉にレベッカはポカンと口を開けた。
「……はい?」
「ギュッてして、頭を撫でてあげる。そうしたら、ベッカは、とっても元気になる、でしょう?だから、おいで」
ウェンディが微笑みながらそう言って、レベッカは顔を赤らめた。
「い、いえ!あの、大丈夫です!!お嬢様にそんな事をさせるわけには……っ」
「ベッカ」
甘い声で名前を呼ばれて、身体が震えるのを感じた。
「はやく、しゃがんで」
ウェンディが命令するようにそう言って、緑色の瞳で真っ直ぐに見据えられる。
――ああ、またこの瞳だ。この瞳には逆らえない。強くて、獰猛なのに、どこか優しくて、目が離せない、獣みたいな眼光……
「ベッカ、さあ、おいで」
またそう声をかけられて、レベッカはとうとう屈した。ゆっくりと腰を下ろし、ウェンディと目線を合わせる。
ウェンディが満足そうに笑って、ゆっくりとレベッカの背中へと腕を回した。子どもらしい温かい体温に包まれる。髪から花のような香りがして、心臓が高鳴った。
ウェンディの小さな手がレベッカの頭をゆっくりと優しく撫でて、また身体が震えた。徐々に強張っていた全身から力が抜けていく。無意識に大きく息を吐き出して、瞳を閉じた。
その時、クスクスと笑う声が聞こえて、レベッカは目を開ける。ウェンディが楽しそうに声を出して笑っていた。
「――何ですか?お嬢様」
「ベッカ、私に、こうやって頭を撫でられるのだいすきなのね」
「……」
その言葉に何も答えられず、無言で目を泳がせる。ウェンディは悪戯っぽくレベッカの耳元で囁いた。
「ねえ、やっぱり首輪をつけたほうがいいのではなくて?」
「……はい?」
「だって、頭を撫でられて喜ぶなんて、ベッカったら犬みたいに可愛いんだもの」
ウェンディの言葉に、少しだけムッとする。レベッカはウェンディから身体を離し、真っ直ぐにウェンディを見て、口を開いた。
「お嬢様が、そんなにからかうのであれば、こちらにも考えがあります」
「え?」
レベッカはウェンディへと手を伸ばして、身体をくすぐり始めた。
「――へっ、あっ、ちょっと、ひゃあ!あはははっ、やめて、ベッカ!」
「あら、もう降参ですか?」
「ふひゃあっ、あっ、あははっ!!こうさん!こうさんするぅ!」
ウェンディが大声をあげながら笑い、レベッカも思わず噴き出した。
二人がじゃれついていると、
「……お邪魔だったかな?」
いつの間にか入ってきたらしいクリストファーが苦笑しながら声をかけてきた。
レベッカは慌てて手を止めて立ち上がり、頭を下げた。
「ク、クリストファー様!失礼いたしました!」
「いや、二人がとても楽しそうで何よりだ」
クリストファーがそう言ったその時、
「――んっ」
ウェンディが突然声を出して顔をしかめた。それに気づいたクリストファーが眉をひそめる。
「ウェンディ、どうかした?」
「う、うーん、なんだかね、今、ちょっと胸が苦しくて……」
その言葉にレベッカは狼狽し、慌ててウェンディへと声をかけた。
「だ、大丈夫ですか?くすぐりすぎましたか?」
「ううん、ちがうの。さいきんね、時々胸が苦しくなることがあって……」
ウェンディがそう答えると、クリストファーが神妙な顔をして口を開いた。
「念のため、医者に見せよう」
「大丈夫よ、お兄様……」
「いや、きちんと診察をした方がいい。レベッカ、医者を呼んで」
「は、はい!」
レベッカはすぐに返事をして、ウェンディの部屋から足早に飛び出した。




