呪い
ウェンディの10歳の誕生日がとうとうやって来た。
レベッカは朝早くから朝食を手に、ウェンディの部屋を訪れた。
「お嬢様、失礼いたします」
ノックをして扉を開けると、ウェンディは既に起きており、ベッドの上に座っていた。ぼんやりとレベッカに視線を向けてくる。
「おはようございます。朝食をお持ちしました」
挨拶をしながら、朝食をテーブルにセッティングする。ウェンディはフラフラとテーブルへ近づいてきた。
「朝食を済ませたら、本日は私が身支度をお手伝いいたしますね」
ウェンディは無言で頷きながら、椅子へと腰を下ろし、スプーンを手に取った。
「……何時に行くの?」
ウェンディが朝食を食べながら、ボソボソと声をかけてきた。
「えーと、午前中、早めに終わらせるそうですよ。お着がえが終わったら、クリストファー様をお呼びしますね」
レベッカの答えに、ウェンディが顔をしかめた。
魔力測定が控えているため、緊張しているのか不安そうな表情のままだ。食欲もない様子で、大量の食物を皿に残したまま、すぐに食事は終了した。
そのまま沈んだ様子で、鏡の前に座る。
「ベッカ。髪、お願い……リボン、結んで」
レベッカはすぐに頷いて、櫛を片手にウェンディの髪を整え始めた。その間も励ますように声をかけ続ける。
「お嬢様、魔力測定が終わったら、誕生日のお祝いをしましょう。きっと楽しいですよ。クリストファー様がプレゼントを用意しているみたいですし、とっても美味しそうなケーキもありますからね」
「……ん」
ウェンディは短く言葉を返してくれたが、やはりその顔は強張っていた。
レベッカはどう励ませばいいのか考えながら、髪を整え、レースのリボンを結んだ。そのまま今日のために用意された服を取り出す。クリストファーが準備したらしいその服は、上品な藍色のドレスだ。
「お嬢様、見てください。とても可愛いドレスです。きっと、お似合いですよ」
「……」
ウェンディはチラリと視線を向けて、すぐにそらし口を開いた。
「ベッカ、ローブも用意して。顔を隠せるフードが付いているのが、棚に入ってるから」
「えっ……」
レベッカが戸惑って声をあげると、ウェンディが顔をしかめながら言葉を続けた。
「……できるだけ、人前で顔を晒したくないの。だから、お願い」
ウェンディの言葉に、レベッカは少し肩を落とし、返事をした。
「……承知しました」
鏡の前でウェンディの着がえを手伝う。ウェンディがネグリジェを脱いだ時、また身体の痣が広がっているのが見えて、大きく動揺してしまった。思わず目をそらしそうになる。腕の痣は首にまで、足の痣は腹部にまで広がっていた。
「……このドレス、きっとクリストファー様が一生懸命選んだのでしょうね……本当にお嬢様にお似合いです」
動揺を隠すようにドレスを着せながらそう言ったが、ウェンディは何も答えなかった。ドレスに着がえ終わると、最後にウェンディはローブを羽織った。せっかくのドレスがローブで見えなくて、ちょっともったいないな、と思いながらレベッカはその場にしゃがみこみ、ウェンディと視線を合わせた。
「……お嬢様」
「なに?」
ウェンディの瞳を真っ直ぐに見つめながら、レベッカはエプロンのポケットから、準備していた物を取り出した。
「こちらを、どうぞ」
「……なに、これ?」
眉をひそめるウェンディに微笑みながら、レベッカは言葉を重ねた。
「プレゼントです」
「……え」
「お嬢様にとっては、とても憂鬱な日だとは思いますが、……私にとっては、このうえなく嬉しい日なんですよ。なんせ、大切な方がこの世に生まれてきたことを、お祝いできるんですから」
「……た、たいせつ……」
ウェンディの顔がほんのりと赤くなった。その顔がとても可愛らしくて、レベッカは微笑みながらプレゼントを差し出した。
「お嬢様、10歳のお誕生日、おめでとうございます」
それは、可愛らしい花のブローチだった。ウェンディが呆けたような顔でそれを見つめ、口を開く。
「かわいい……キラキラしてる……」
「お気に召しましたか?」
「うん!今、付けてくれる?」
ウェンディが大きく頷きながらそう言ったため、レベッカはすぐにそのブローチをローブへと装着した。
「手作りなので、壊れやすいから気をつけてくださいね」
「え、えっ、……ベッカの手作りなの?」
「はい……あ、駄目でしたか?」
手作りのアクセサリーを付けるのは好きではないのかな、と思いながらウェンディの顔を覗き込むように見る。しかし、ウェンディは首を横に振り、嬉しそうにブローチへと視線を向けたため、ホッとした。
「私はおそばにいることはできませんが……せめて、私の代わりにこれを持っていてください」
レベッカがそう言うと、ウェンディは、
「うん!」
と大きく頷いてようやく微笑んだ。
◆◆◆
「それじゃあ、出発しよう」
準備が終わると、レベッカとウェンディはすぐにクリストファーが用意したらしい馬車へと乗り込んだ。レベッカがウェンディの隣に腰を下ろすと、そのすぐ後にクリストファーが続き、最後にリードも馬車へと入ってきて、向かい合って座った。
「行ってらっしゃいませ」
多くの使用人が頭を下げて挨拶をした。その中にはキャリーもいて、レベッカと目が合うと、声には出さずに唇を「頑張って」と動かした。レベッカも微笑んで小さく頷いた。
「行ってくるね」
クリストファーが軽くそう言った瞬間、馬車がゆっくりと動き出した。
先程まで、嬉しそうにブローチを見つめていたウェンディは、馬車が動き出した瞬間、また怯えたように顔を歪めた。馬車にも乗るのが初めてらしいウェンディはそのまま全身を硬直させ、レベッカの手を強く握ると、そのまま下を向いた。
「ウェンディ、そんなに緊張しないで。すぐに終わるよ」
「お嬢様、帰ったら、みんなでパーティーをしましょう!たっくさん、美味しい料理を食べて、ゲームをしたら、きっと楽しいですよ!」
クリストファーとレベッカが声をかけても、やはりウェンディは何も答えずに顔を伏せたままだった。
魔力測定の会場になっているらしい教会は、屋敷からそれほど遠くない場所に建っていた。馬車が止まった瞬間、ウェンディの肩がビクリと揺れた。
「さあ、行こう、ウェンディ」
クリストファーがウェンディに手を差し出す。ウェンディは今にも泣きそうな顔でレベッカへ視線を向けてきた。
レベッカは何も言わずに、自身の胸を指差す。ウェンディはハッとした顔で、胸につけられたブローチへと視線を向けた。そして、もう一度レベッカへ顔を向け、コクリと頷く。レベッカも微笑んで、小さく頷いた。
ウェンディは覚悟を決めたように、レベッカから手を離す。そして、顔を隠すようにローブを深く被ると、クリストファーの手を取った。
「大丈夫だよ、ウェンディ。頑張ろうね」
クリストファーはそう言いながら、ウェンディを導くように優しく手を握り、立ち上がる。そして、2人はゆっくりと馬車から降りた。
「私達は入り口で待っていましょう」
リードにそう言われ、レベッカも頷きながら立ち上がる。リードの後から続くように馬車から降りた。
教会の入り口は閑散としており、ほとんど人がいなかったため、レベッカはホッとした。教会の職員やその関係者らしき人物しかいないようだ。数少ない人々は、クリストファーとウェンディの姿を見て、ハッとしたような顔をすると、目をそらした。その様子を無視するように、クリストファーはしっかりとウェンディの手を握ると、足を進めた。ウェンディはチラチラとレベッカを振り向きながら、クリストファーと共に教会へと入っていった。レベッカは無言でその姿を見送った。
「ウェンディ様の事が心配ですか?」
突然リードに話しかけられ、レベッカは頷いた。
「それはもちろん……とても、心配です」
ソワソワしながらそう答えると、珍しくリードが少し笑った。レベッカがびっくりしてリードをまじまじと見つめると、リードが少し気まずそうな顔で教会へと視線を移した。
「失礼。……まるで、数年前の私を見ているようで……」
「……?数年前?」
「坊っちゃんの魔力測定で、付き添いでここに来た私は、今のレベッカさんのように、落ち着きなくソワソワとしながらここで坊っちゃんを待っていました」
その言葉にレベッカは目を見開きながら声を出した。
「なんだか想像できないですね。ソワソワしているリードさんも、10歳のクリストファー様も」
「坊っちゃんも昔はもっと可愛げがあったんですけどね……」
レベッカはその言葉に少しだけ笑ったが、すぐに表情を曇らせて、教会の扉を見つめた。
「……本当に、心配です。クリストファー様が付いているから、きっと大丈夫だって、分かってるんですけど……」
リードは、不安そうな表情を浮かべたレベッカを静かに見つめると、やがて口を開いた。
「――坊っちゃんも、不安なんです」
「はい?」
「坊っちゃんも、……両親の代わりに、ウェンディ様に付き添うことを、とても不安に思っています」
レベッカが首をかしげると、リードは言葉を重ねた。
「魔力測定では、保護者の付き添いが許可されていますよね?」
「え、あ、はい……」
レベッカは戸惑いながら、頷く。リードの言う通りだ。レベッカの魔力測定の時も、父親が付き添っていた。
「大抵は親が付き添います。しかし、ウェンディ様の付き添いは……兄であるクリストファー様しかいません」
「……」
「伯爵様が、ウェンディ様の父親としてここに来ることは絶対にありません。恐らくは、今日がウェンディ様の10歳の誕生日であることさえ忘れているでしょう。――あのクソ……失礼、伯爵様は、自分さえよければどうでも、いいのです。女遊びと金の事しか興味ありません」
レベッカが何と答えればいいか迷っていると、リードの言葉は続いた。
「クリストファー様の10歳の誕生日、魔力測定には伯爵様が付き添われました。伯爵様は終始面倒くさそうな様子でしたが、……クリストファー様は跡継ぎですし、さすがに体裁を気にされたようで。しかし、……レベッカさんもご存知だとは思いますが、……坊っちゃんの魔力はかなり低かったのです。それを知った伯爵様は激昂して坊っちゃんを殴りました。“この無能が!ゴミのような魔力で親に恥をかかせやがって!”と大声で叫んで」
「……」
レベッカが呆然とリードを見返すと、リードは肩をすくめた。
「そういう方なのです、伯爵様は。そのせいで坊っちゃんも魔力測定には嫌な記憶しかなく、ウェンディ様と同じくらい緊張して、不安に思っています。気丈に振る舞ってはいますが、昨日はほとんど眠れなかったようですしね」
「――大丈夫なんでしょうか?」
レベッカが恐る恐る尋ねると、リードは少しだけ微笑んだ。
「坊っちゃんは可愛げはありませんが……誰よりも強いですから。きっと、すぐに帰ってきますよ」
レベッカはその言葉に、教会の扉へと再び視線を移した。
リードの言う通りだった。クリストファーとウェンディはそれから少しして、教会の扉から出てきた。
クリストファーはリードとレベッカを見ると、小さく声を出した。
「帰ろう」
そして、すぐに馬車へと乗り込む。レベッカとリードもそれに続いた。ウェンディはローブを顔を隠すように着ており、どんな表情をしているか分からなかった。
馬車が出発して、すぐにウェンディはローブから顔を出した。
「お嬢様、だい――」
大丈夫でしたか?と続ける前に、ウェンディはレベッカの膝に乗り込み、抱きついてきた。
「わっ、お嬢様?」
レベッカが戸惑って声を出す。クリストファーがその姿を見て苦笑する。それに構わずリードが口を開いた。
「――どうでしたか?」
その問いかけに、クリストファーはすぐに言葉を返した。
「……人が少ない時間を狙って来たから、すぐに終わったよ。予想通り、ほとんど人もいなかったし」
クリストファーは安心したように微笑んだ。
「ウェンディの魔力は平均的な数値だった。安心したよ。僕よりはずっと高い」
クリストファーの声を聞きながら、レベッカはウェンディの頭を撫でた。
「お嬢様、大丈夫ですか?身体の調子が悪いですか?」
「――ううん」
ようやく耳元で小さな声を出す。そして、ウェンディはゆっくりとため息をついた。
「――疲れた」
その言葉に、レベッカはウェンディの身体をギュッと強く抱き締めた。
「……お疲れ様でした。お辛かったでしょう。もう大丈夫ですからね……」
「……ん。……ねえ、ベッカ」
「はい?」
「あのね、あのね、……今日は、ずーっと、ギュッてしてて」
「あら、それでは、ケーキは食べなくてもよろしいですね?お嬢様の分まで私が食べちゃいますよ」
「それはダメっ」
レベッカがクスクスと笑うと、ウェンディはようやく身体の力を抜き、レベッカを見上げて微笑んだ。
その日の午後から、改めてウェンディの誕生日パーティーが開かれた。ウェンディの部屋のテーブルに、たくさんの料理やケーキが並べられる。昨年と同じく、小さなパーティーだったが、ウェンディは肩の力が抜けたように、レベッカのそばで笑顔で楽しんでいた。その様子を見つめて、レベッカも安心しながら誕生日を祝った。
◆◆◆
皆が寝静まった夜、レベッカは静かに私室から出て、足を踏み出した。寝ている人間を起こさないように、静かに廊下を歩く。目的の部屋へ到着して、軽くノックをすると、すぐにリードが迎えてくれた。
「レベッカさん、こちらへ」
部屋に入って、レベッカは驚きで目を見開いた。見たことのない光景が広がっていた。部屋の床から階段が続いている。
「あの、これは……?」
「地下への入り口です。安心してください。中は明るいですよ」
リードの言葉に半信半疑で、階段を下りる。階段の先には、茶色の扉があって、ノックもせずにリードはそれを開いた。
「あ、……」
リードの言う通り、扉の先では明るい光が待ち受けていた。
「やあ、レベッカ。待っていたよ」
部屋の中ではクリストファーが待っていた。穏やかな顔で、真ん中に置かれたソファに座っている。
「――うわ」
レベッカは部屋の中を見回して、思わず声をあげた。部屋の中には今まで見たこともないほどの大量の本と本棚があった。本の他にも、よく分からない道具が転がっている。
「あの、ここは……?」
「僕の個人的な研究室。こっそり作らせたんだ。本当は自分の部屋で研究したいんだけど、あまり見られたくない資料があるから……驚いた?」
レベッカは本を見回しながらコクリと頷く。そして再び問いかけた。
「何の研究ですか?」
「――呪いの、研究だよ」
その答えに、レベッカがクリストファーへと、視線を移すと、クリストファーが穏やかに微笑みながら言葉を続けた。
「さあ、ここに座って」
そう言われて、大人しくソファへと腰を下ろす。すぐにリードかお茶を持ってきた。
「レベッカ。ここに来て何年になる?」
突然の質問に、レベッカは戸惑いながらもすぐに答えた。
「もうすぐ、2年になります……」
「――ウェンディの専属になって、1年以上経ったね」
無言で頷くと、クリストファーが腕を組みながら言葉を重ねた。
「ずっと、不思議に思っていただろう?ウェンディの痣について」
その言葉に、無意識に生唾を飲んだ。ゆっくりと頷くと、クリストファーが小さく笑った。
「ごめんね、ずっと何も話さないまま、ウェンディを任せて……」
「――あの」
レベッカは少し躊躇いながらも口を開いた。
「確かに、その、気になりますが……でも、あの、無理に話す必要は……」
「いや、そろそろ話しておこうと思ったんだ。君が気になっているであろう、“呪い”について」
クリストファーが少し目を伏せる。レベッカはその姿を見つめながら、問いかけた。
「では、あの、……お嬢様の“呪い”とは、何なのですか?」
クリストファーはレベッカを見つめ返し、ゆっくりと口を開いた。
「分からない」
「……は?」
その答えにポカンと口を開く。クリストファーは深く息を吐くと、首を横に振りながら言葉を続けた。
「分からないんだ。本当に。呪いの正体が、全然分からない。だからこそ、僕はここで研究をしている。妹を助けたくて――」
「あ、あの、分からないって……」
レベッカが戸惑ったように声をあげると、クリストファーは顔をしかめ、自分を落ち着かせるようにお茶を飲み、再び口を開いた。
「――そうだね。とにかく、初めから話そう。どこから、話せばいいか……」
◆◆◆
最初に言っておくが、決して気分のいい話ではないよ。外では絶対に話したくない、コードウェル家の恥であり、汚点とも言える過去の出来事だ。
……。
ああ、ごめんね。ちょっと迷ってしまって。どこから話せばいいか……。
レベッカは、この家の当主、コードウェル伯爵がどんな人間かもう知っているよね?
ここで働いていたら嫌でも耳に入ってくるだろう?
うん。はっきり言って、クズだよ。
醜悪にして下劣で好色、金と女の事しか頭にない、自尊心が高く、虚栄心が無駄に強い、最低最悪な人間だ。
昔から女遊びが大好きでね。顔がいいから、黙っていても女性にモテるんだ。今の結婚も3回目だ。ああ、それは知ってた?
何度も何度も女性関係で騒動を起こして、全然懲りない。
エヴァンの馬鹿も女たらしだが……少なくともあいつは女性は大切にするし、他人を故意に傷つけることは絶対にしない。馬鹿だけど。
失礼、話がそれた。
とにかく、コードウェル伯爵は、品性下劣で自己中心的な、クズなんだ。
女性関係にだらしないだけならまだしも、……自分の目的のために、他人の幸せを崩壊させる、横暴で卑劣で最悪の人間だ。
事の始まりは、数年前のこと。僕は何も知らない子どもで、コードウェル伯爵は3回目の結婚をしたばかりだった。そう、ウェンディの母親だよ。
その頃、数人の新しいメイドが雇われたんだ。その中に、一際目立つ綺麗なメイドがいた。
彼女は珍しい容姿の美しいメイドだった。顔も綺麗だったけど、とにかく目を引いたのは、珍しい白銀の髪だった。真っ直ぐで、キラキラしていて、月のように白く輝く綺麗な髪だったよ。
彼女の名前は、ポーレ。ポーレ・アネット。
彼女は元々、この屋敷から少し離れた場所の、小さな村の出身でね。大きな湖がある村だよ。そこで穏やかに暮らしていたんだ。両親と、双子の姉の四人暮らし。お父上は村で小さな商売をしていていた。ポーレの双子の姉は、その村の村長の息子との婚約が決まっていた。
ある時、ポーレのお母上が、少々厄介な病気になってしまったらしい。その薬代を稼ぐために、ポーレはこの屋敷で下級メイドとして働き始めたんだ。ポーレに、この屋敷の仕事を紹介したのは村長だった。当時、この屋敷で働く使用人の一人と村長が、古い知り合いだったらしくて、その関係でこの仕事を見つけたんだ。
メイドとして屋敷で働き始めたポーレは、とても純粋で優しい女性だった。
メイドの仕事を頑張っていたよ。頑張って働いて、絶対に、お母上の病気を治したいんだ、と言っていた。
穏やかで、争い事を好まない、朗らかな人だった。
それに目を付けたのが、他でもない、コードウェル伯爵だった。
ポーレの、珍しい白銀の髪と美しい顔を気に入ったあの男は、強引に迫ったんだ。
自分の愛妾になるようにと。
さっきも言った通り、伯爵はその頃、3回目の結婚をしたばかりだった。呆れて言葉も出ないだろう?
本当に頭が痛いよ。あんなのと血が繋がっているだなんて。ああ、もう、本当に吐き気がする……。
また話がそれたね。すまない。
慎み深く、堅実なポーレは、伯爵の下劣な誘いをキッパリ断った。
純粋で穏やかだけど、心の強い女性だったんだ。
伯爵はポーレに誘いを断られ、激昂した。呆れたことに、自分の誘いを断るわけがないと高を括っていたんだ。卑劣な誘いを、ポーレは簡単に受け入れる思っていたらしい。ところが、結果はあっさりとフラれてしまった。
下級のメイドに、誘いを断られた事に怒り狂った伯爵は、最低な報復をした。
裏で手を回して、屋敷中の多くの使用人達を使って、ポーレに嫌がらせを始めたんだ。
嫌がらせというよりは、もはや苛めだったらしい。
……。
ごめん。その苛めの内容に関してはあまり話したくないから、省略させてもらう。
とにかく、凄まじい苛めに心も体も傷つき、耐えきれなくなったポーレは流石にメイドを辞める事を決心して、村へと帰っていった。
ところが、またしても伯爵は裏で手を回していた。ポーレに誘いを断られた事や伯爵家での苛めの件を、外に広まるのを恐れたのだろう。先回りをするように、村中に、ポーレの悪い噂を広めた。
伯爵に迫って、フラれた、身持ちが悪く図々しいふしだらな娘だと。
村に帰ってきたポーレを迎えたのは、村人達の冷たい視線だった。
その村の村長は、伯爵から悪い噂を聞いてそれを全て信じてしまい、せっかく仕事を紹介したのに恥をかかされたとして、激怒した。ポーレの話を全く聞かず、すぐにポーレの姉と村長の息子の婚約は解消された。
村長から嫌われたポーレとその家族はあっというまに村八分になってしまった。
村中から無視され、差別されたポーレの一家はどんどん追い込まれていった。お父上がやっていた商売は傾き、食べるのにも困るようになるほど、生活が立ち行かなくなった。更に、悪いことに、その頃、ポーレのお母上の病が急激に進行していった。治療のために莫大なお金が必要になった。ポーレとその姉とお父上は必死になっていろんな人に助けを求めたけど、悪い噂を信じた人々は、誰も助けてはくれなかった。
極限にまで追い詰められたポーレは、意外な行動を起こした。お母上を助けるために、再びここへと戻ってきたんだ。藁にもすがる思いだったんだろう。伯爵に助けを求めて、取りすがったんだ。愛妾にでもなんでもなるから、お金を貸してくれ。母上を助けてくれと。
そんなポーレの願いを伯爵は鼻で笑って突っぱねた。
“今さら、なんて厚かましい。ふしだらな田舎娘などごめんだ。興味などないし、助ける理由はない。二度とここに来るな、尻軽”と言ってね。
そのまま伯爵は、泣きじゃくって何度も頭を下げるポーレを、無理矢理追い出した。
意気消沈したポーレが村へと帰ると、待っていたのはお父上の死だった。お母上を助けるために、必死に金を集めようとしていたお父上は、過労で亡くなったんだ。そのすぐ後に、元々病で体が弱っていたお母上が、夫の死にショックを受けたのか、後を追うように亡くなった。
両親が亡くなり、失意のどん底に落ちたポーレは、両親の葬儀を終えると、そのまま村の湖へと飛び込んだ。
発見したのは、ポーレの双子の姉だった。
彼女の名前はハイディ。ハイディ・アネット。
ポーレと同じく、白銀の髪を持つ美しい女性だった。
妹の亡骸を発見したハイディは、ポーレの冷たい身体を抱き締めながら、泣き叫んだ。何度も妹の名前を呼んでいたらしい。
全てを失ったハイディは、家族の崩壊の元凶となったコードウェル伯爵へと怒りを向けた。怒りで正気を失ったハイディは、そのまま村を飛び出し、この屋敷へと乗り込んできた。
運悪く、友人の屋敷を訪問するために、伯爵とその夫人と、僕は屋敷の門戸の近くにいた。そして、伯爵夫人はちょうどその頃、妊娠していた。
あの時の事は、今でも忘れられない。
突然、恐ろしい形相の女性が屋敷に乗り込んできて、本当に驚いた。彼女は汚れていて、ボロボロで、痩せ細っていた。衛兵が止めようとしたけど、無駄だった。凄まじい力で抵抗して、伯爵の目の前へとやってきたんだ。そして、伯爵に向かって叫んだんだ。
『お前が殺したんだ、あの子を、私の妹を!壊したんだ、私の家族を、未来を!!絶対に許さない。お前だけは許さない!!必ず地獄に落としてやる!』
抑えようとする衛兵や使用人たちを無視して叫び続けた。伯爵と夫人と僕は、彼女の姿に動揺して、その場から動けなかった。
そして、彼女は、妊娠してお腹が膨らんでいた夫人の姿を目に留めると、その腹を指差して叫んだんだ。
『お前の家族に呪いをかけてやる!その身体に、呪いを刻み込んでやる!!今度は、私がお前の家族を壊してやる!!お前の愛する者が、一生苦しむような呪いを、……私が!!』
その瞳からは、真っ赤な血が流れていた。
『これは、呪いだ。一生、嘆き、苦しめ』
そして、彼女は何かの呪文を唱えると、その場で崩れ落ち、息絶えた。
その場にいた多くの衛兵や使用人達がその光景を目撃していた。屋敷中が大騒ぎになった。流石に伯爵も真っ青になっていたよ。全身を震わせて、冷や汗をかいていた。
その後、この事件は闇に葬られた。伯爵はあらゆる手を使って、使用人達の口止めをして、事件を必死に揉み消した。
でも、この騒動がきっかけで、僕は知ってしまった。自分の父親がどんな人間で、何をやらかしたかを。
伯爵に怒りと憎しみを抱いたまま亡くなったハイディは、伯爵を苦しめるために、伯爵本人ではなく、その家族に呪いをかけた。全ては、自分の家族を壊した伯爵家を、破滅へと導くために。
彼女が何をしたのか、“身体に呪いを刻み込む”とは何なのか、誰もよく分からなかった。ひょっとしたら、ただの脅しだったのではないか、と思っていた。
ところが、事件から数週間後、伯爵夫人が子どもを出産した。その子どもを見た瞬間、多くの人間が衝撃を受けた。僕も、その身体を見て、ショックを受けた。
生まれてきた女の子の手足には、見たこともない不気味な痣が刻まれていたんだ。




