暗闇
目の前に、どこまでも闇が広がっている。
ここは、どこだろう。
なんだか、とても嫌な場所だ。
闇の中で、泣き声が聞こえた。
とても悲しい声だ。
誰かが泣いているの?
そちらに視線を向けて、目を見開く。
白銀の髪を持つ女が、誰かを強く抱き締めて泣いていた。
その表情は絶望に染まっている。
彼女は、一体誰だろう?
『ポーレ、ポーレっ……』
必死な顔で、涙を流している。
『なぜ、あなたがこんなことを……っ、ポーレ!!』
ポーレとは誰なのだろう。
『大丈夫だからね、ポーレ……』
白銀の女性は、何かを決心したように強い瞳で言葉を続けた。
『ひとりぼっちじゃないわ。姉さんが、一緒だからね、ポーレ』
そして、彼女は鋭い瞳をこちらに向けた。
『お前が殺したんだ、この子を』
『絶対に許さない。必ず地獄に落としてやる』
『お前だけは許さない――』
◆◆◆
「お嬢様……」
レベッカが目を覚まして、隣に視線を向けると予想通りそこにはウェンディが眠っていた。思わず大きなため息をつく。レベッカは顔をしかめながら、ウェンディを軽く揺すった。
「お嬢様、お嬢様、起きてください」
「うぅん、ベッカぁ、……まだ眠い」
「寝るなら自分の部屋で寝てくださいよ……」
レベッカは呆れながら、またため息をついた。
最近、ウェンディは夜中になるとレベッカの部屋に忍び込むのがすっかり習慣となってしまった。レベッカが気がつかないうちに、こっそりとベッドにもぐり込む。そして、レベッカにくっつくように眠るのだ。
レベッカがどんなに厳しく叱っても、無駄だった。何を言っても、聞こえないフリをして絶対にレベッカのベッドへとやって来るのだ。
これにはいつも能天気なレベッカも困惑して頭を抱えた。今のところは、幸運なことにメイド長やその他の使用人にはバレてはいないようだが、バレたら非常にまずい。それに、何よりも、ウェンディが隣に来ると変な夢を見ることが増えたのだ。
『ベッカ』
夢の中のウェンディの甘い声を思い出すと、身体が震える。柔らかな唇の感触が甦り、ザワザワと心が揺れるのを感じた。
慌てて首をブンブンと横に振り、頭の中に浮かんだ夢の映像を追い払った。赤い顔を誤魔化すように、腰に手を当てて、思い切り眉を吊り上げる。そして、少し厳しい顔で、ウェンディに声をかけた。
「お嬢様!本当にいい加減にしてください!寝るなら自分のベッドで寝てください!寂しいからと言って、ここに来てはいけません!」
レベッカがそう言うと、ウェンディはチラリとこちらへ視線を向けて、シーツの中に顔を埋めた。
「だって……イヤなんだもの」
「はい?」
レベッカが首をかしげると、ウェンディは顔を上げる。その顔は今にも泣き出しそうで、レベッカは戸惑った。
「変な夢を、見るのがイヤなの……女の人が、こっちをずっと見てくる夢……私を、絶対に許さないって……地獄に落としてやるって……っ」
ウェンディの怯えたような声を聞いて、レベッカはオロオロしながら、ウェンディの肩へ手を置いた。
また例の怖い夢を見て、ウェンディは怯えきっているらしい。最近のウェンディは、頻繁に怖い夢を見るせいで、心が不安定になってきている。レベッカのベッドにもぐり込んでくるのも、それが原因のようだ。
レベッカは困惑しながらも、ゆっくりとウェンディの肩を優しく抱き締めた。
「お嬢様、それは夢です。ただの夢なんです……」
そう言い聞かせながらも、その夢が普通の夢ではないという事は、流石に気づいていた。一体なぜそんな夢を見るのだろう、と疑問が止まらない。
しかし、とりあえずは怯えるウェンディを落ち着かせるのが最優先だ。
「お嬢様、そんな怖い人はどこにもいませんよ」
ゆっくりとウェンディを包み込むように抱き締める。頭や背中を何度も撫でながら声をかけ続けた。
「私が必ずお嬢様をお守りいたします。だから、安心してください。絶対に大丈夫ですから……」
ウェンディもレベッカの背中へ腕を回す。そのままウェンディが落ち着くまでレベッカは抱き締め続けた。
◆◆◆
ウェンディの精神状態が不安定のまま、日々は過ぎてゆく。そして、魔法学園が長期休暇に入り、クリストファーが帰ってきた。
「ただいま、ウェンディ」
「お兄様」
久しぶりに再会した兄妹が抱き合うのを、レベッカはそばで見守っていた。クリストファーの近くにはリードが控えており、目が合ったレベッカは小さく頭を下げる。リードも軽く頷いて挨拶を返してくれた。
「レベッカも、久しぶりだね。元気だったかい?」
「はい」
クリストファーもいつも通り爽やかな笑顔でレベッカに声をかけてくれた。レベッカも穏やかに微笑み、頭を下げた。
「学校はどうだった?」
「うん。面白い後輩がいてね……とても優秀だけど、少し変わった子なんだ――」
ウェンディとクリストファーはソファに腰を下ろしてお互い楽しそうに話し始める。レベッカとリードは2人でお茶やお菓子の準備を開始した。
お茶をテーブルに置くと、クリストファーは少し真剣な顔をして、ウェンディをまっすぐに向き合った。
「――ウェンディ。改めて話があるんだ」
ウェンディも姿勢を正して、クリストファーを見返した。
「――はい、お兄様」
クリストファーは少し笑って言葉を続けた。
「……本当に大きくなったね、ウェンディ。ごめんね、ずっと寂しい思いをさせて」
「寂しくないわ。ベッカがいるもの」
ね?とウェンディがこちらへと視線を向け、レベッカも微笑み返した。クリストファーは笑みを消して、言葉を重ねた。
「ウェンディ。3日後、君は10歳になる」
「――はい」
「意味は分かるね?君は魔力測定をしなければならない……外へと出なければならないんだ」
ウェンディは怯えるように身体を震わせたが、それでもクリストファーから目をそらそうとはしなかった。
「……測定は、どこであるの?」
「この地方では、街の教会が会場になっているんだ。誕生日に、そこに行くんだよ」
ウェンディは拳をギュッと握り、クリストファーを見つめながら再び問いかけた。
「それは、お兄様も行く?」
「もちろん。家族は付いていけるようになってるからね」
ウェンディはチラリとレベッカへ視線を向けて、また口を開いた。
「じゃ、じゃあ、ベッカは?」
「いえ、それは――」
レベッカは思わず口を挟もうとしたが、それよりも先にクリストファーは首を横に振った。
「駄目だ」
「どうして?」
「魔力測定は家族だけがその場にいることを許されている。普通は両親が――」
クリストファーはハッとしたように一瞬口をつぐんだが、すぐにニッコリと微笑んだ。
「とにかく、レベッカは会場にはいけない。でも、会場の入り口までは一緒に行けるよ。会場では、ぼくがずっと一緒にいるからね。だから、今回は頑張ってほしいんだ、ウェンディ」
「……」
ウェンディは困惑したようにまたチラリとレベッカを見てきた。レベッカは安心させるように微笑み、小さく頷く。ウェンディは大きく深呼吸すると、再びクリストファーへと視線を戻し、大きく頷いた。
「はい、お兄様」
クリストファーがホッとしたように笑い、レベッカもこっそりと息を吐く。レベッカの隣では、リードも無言で安心したような顔をしていた。
「すまなかったね、レベッカ」
レベッカがウェンディの部屋から出ると、クリストファーがすぐに声をかけてきた。
「はい?」
レベッカが首をかしげると、クリストファーは気まずそうな顔をして言葉を続けた。
「いや、勝手に会場まで付いていくことを決めてしまって……」
「あ、いえ。それは構いません。全然。あの、それより、クリストファー様」
「うん?」
「ご相談したいことがありまして……」
レベッカの言葉にクリストファーの顔が瞬時に強張った。
「もしかして、また嫌がらせを受けている?」
「え?あ、違います!それはないです、本当に!」
レベッカは慌てて首を横に振った。クリストファーがホッとしたような顔をする。
「よかった。僕が知らない間に、また厄介なことが起きているかと……」
「あ、えっと、私ではなくて、ですね……」
レベッカは小さな声で、コソコソと言葉を続けた。
「あの、お嬢様が、最近ずっと怖い夢を見ているみたいで……私、すごく心配で……」
その瞬間、クリストファーの顔色がサッと青くなった。後ろに控えていたリードと顔を合わせ、頷き合う。
「あの……?」
レベッカがその反応に戸惑っていると、クリストファーはレベッカから顔をそらして口を開いた。
「――それはウェンディからの手紙で知ってるよ。恐ろしい女性が出てくる夢だろう?」
「あ、ご存知でしたか」
考えてみれば、ウェンディとクリストファーは頻繁に手紙を送り合っているのだから、知ってて当然だ。自分の考えの至らなさに、レベッカは苦笑した。
クリストファーの方は顔を伏せ、何か思い悩むような顔をしていた。やがて、ゆっくりと顔を上げる。クリストファーは、何かを決心したように強い瞳でレベッカを見つめてきた。
「レベッカ」
「はい?」
「ウェンディの魔力測定の後、少し話をしよう。夜、備品庫の隣の部屋に来てくれる?」
「え?」
レベッカはキョトンとした顔でクリストファーを見返した。
「えっと、お嬢様の、話、ですよね?」
「ああ」
クリストファーは短く返事をして頷いた。
「承知しました。必ず参ります」
レベッカがそう答えると、クリストファーは、
「それじゃあ、よろしく頼む」
そう言って、リードを従えてその場から立ち去った。
少し短いですが、今日はここまで。
呪いに関する話へと展開していきます。




