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事件



視点がコロコロ変わります。








クリストファーが学園に戻った二日後、事件は起きた。

朝早く、メイド服に着がえ、髪を整えていると、突然部屋の扉が強くノックされる音がした。

「レベッカ、レベッカ!ここを開けて!早く!」

キャリーの叫ぶような声が聞こえる。驚きながら、扉を開けると、キャリーが飛び込むように入ってきた。

「キャリーさん?おはようございます。どうされました?」

「大変よ!伯爵の指輪が盗まれたんですって!」

「え?」

キョトンとするレベッカにキャリーが慌ただしく、一から説明してくれた。

朝早く、伯爵の私室の掃除担当となっているメイドが、掃除のために部屋に入ったところ、部屋が酷く荒らされているのを発見したらしい。急いで人を呼び、部屋を確認したところ、伯爵の指輪が盗まれていたそうだ。

「それは……大変ですね。泥棒だなんて……」

レベッカがポカンとしながらそうこぼすと、キャリーが顔を真っ青にさせながら口を開いた。

「大変なのは、そこじゃないの!!」

「はい?」

「あなたがその犯人だって言われてるのよ!!」

「……え、え?……えー!!」

一瞬キャリーの言葉の意味が分からなかったが、理解した瞬間、大声で叫んだ。

「な、なぜ!?どういうことですか!?」

「ペネロープよ!あの子が、真夜中にあなたが屋敷をうろついているのを見たって!だから、あなたが泥棒に間違いないって、そう言ってるの!!」

「そ、そんなわけないじゃないですか!」

レベッカは動揺しながら大きな声を出した。

「私は盗んでなんかいませんよ!!昨日仕事を終わらせて、それからはずっとこの部屋にいて……あ!!」

レベッカは昨夜の事を思い出し、頭を抱えた。

ちがう。ずっと部屋にいたわけではなかった。昨夜はウェンディに呼ばれて、いつも通りミルクを入れるために部屋を出た。そして、蜂蜜を切らしていたことに気づき、夜中に一人でキッチンへと向かったのを思い出した。

「……キ、キッチンに一度行きました。蜂蜜をもらいに……でも、伯爵様の部屋には行っていませんよ!!」

「それ、誰か証明してくれる人はいる?」

キャリーの言葉に、弱々しく首を横に振った。無理だ。一人で行動したのだから、証明してくれる人などいない。

レベッカの顔が真っ青になったその時、バタバタと足音がして、メイド長を先頭に何人かの使用人達が駆けつけてきた。

「レベッカ」

メイド長に名前を呼ばれて、小さく返事をする。

「……はい」

「ちょっと話を聞きたいの。こちらに来てちょうだい」

厳しい顔をしているメイド長に向かって、レベッカは叫ぶように声を出した。

「わ、私、盗んでません!!指輪なんて、知りません!!」

動揺で声が震えるのが分かった。とにかく、自分の無実を証明するために、言葉を重ねようとする。しかし、

「嘘よ!私、見たもの!!レベッカが真夜中に、伯爵様の部屋の近くを歩いていたわ!!」

メイド長の後ろにいたペネロープが大声を出す。周囲の使用人達が鋭い視線をレベッカに向けた。

「ち、ちがいます。私は、キッチンに行っただけで……!伯爵様の部屋には、入ってなんか……」

声がどんどん小さくなる。身体がガクガクと震えるのを感じた。

「レベッカ、とにかく、こちらへ来て。話を聞くだけだから」

メイド長が冷静にレベッカに声をかけた。レベッカは身体を震わせたまま、真っ青な顔で下を向き、メイド長や使用人についていった。

残されたキャリーは、ペネロープが勝ち誇ったようにニヤニヤと笑うのが見えて、怒りのあまり唇を強く噛んだ。










◆◆◆











一方、ウェンディは朝食を食べながら、物思いに耽っていた。

今日はレベッカの姿を一度も見ていない。それが不思議だった。

レベッカが世話係になった当初は、ウェンディの部屋の扉横のテーブルに朝食を置いていた。しかし、最近は声をかけながら部屋に入り、朝食のセッティングまでしてくれるようになったのに、今日は来てくれなかった。朝早く、扉をノックされただけで、外には誰もいなかった。朝食は扉横にポツンと置いてあっただけだった。

もしかして、ウェンディがワガママを言い過ぎて、呆れてしまったのだろうか。

「……すごく、おこった、のかしら?わたくしのこと、きらいに、なった?」

ウェンディは不安を感じて、思わず小さく声を出す。レベッカに嫌われたのかもしれない。もしかしたら、自分と顔を合わせたくないのかも――

ウェンディはブンブンと勢いよく首を横に振った。

「――あやまる」

そうだ。レベッカは優しいから、ウェンディのワガママに困ったような顔をするけど、決して怒ったりはしない。きっと、心から謝れば、許してくれる。きちんと、謝罪しよう。

ウェンディはそう決心して、大きく頷き、朝食を食べ終えた。

朝食が終わって、しばらくしてから、扉がノックされた。待ち望んでいた音だ。ウェンディは勢いよく、扉へ駆け寄る。

「ベッカ!」

しかし、部屋に入ってきたのは知らないメイドだった。ウェンディと目が合うと、泣きそうな顔でビクリと震える。ウェンディは見知らぬメイドの顔を見て、慌ててベッドに逃げた。素早くシーツで身体全体を覆う。

「お、お、お掃除を、いたします……」

メイドが怯えたような声でそう言ったのが聞こえた。掃除をしているらしき音が聞こえるが、ウェンディの思考は乱れてグチャグチャになっていた。

どうしてレベッカはここに来ない?今日は休み?いや、ちがう。休む日は、前日に必ずウェンディに知らせてくれていた。だから、休みではない。

もしかして、本当にウェンディの事を嫌いになったの――?

ウェンディの身体が小さく震え始めた。レベッカの事を、掃除をしているメイドに聞こうと思ったが、ウェンディに怯えているのかベッド周辺に近づいてこない。それに、ウェンディも見知らぬ人間に話しかけるのは怖い。

ウェンディは結局言葉を出せないまま、掃除が終わるまでシーツの中で震えるしかなかった。











◆◆◆











メイド長に連れていかれてのは、今まで入ったことのない小さな部屋だった。メイド長と向かい合って、小さな椅子に座った。その周りでレベッカを睨むように、何人かの使用人が控えている。

メイド長が冷静な視線を向けながら、口を開いた。

「――昨日、伯爵様の指輪が盗まれたの」

「……はい」

小さく返事をした。手が震えるのを必死に抑える。

「――ペネロープが、真夜中にあなたを伯爵様の部屋の近くで目撃したと言っているわ」

「違います!」

レベッカは大声を上げた。

「私は、確かに、真夜中、キッチンへ蜂蜜を取りに行きました……でも、伯爵様の部屋には入っていません!指輪なんて、盗んでいません!!」

メイド長を真っ直ぐに見つめながら、大きな声で否定する。メイド長はしばらくレベッカを見つめていたが、やがて頭を抱えてため息を吐いた。

「とにかく、こちらでも調査をするわ。レベッカ、あなたは、しばらくこちらが用意した部屋にいてちょうだい。外に出ないように」

「そ、そんな……、それでは、仕事は――」

「泥棒の疑いがあるのだから、屋敷で働かせることは出来ないわ」

泥棒、とはっきり言われて、レベッカは泣きそうになった。メイド長は厳しい視線を向けながら、またため息をついて、言葉を続けた。

「――あなたは、最有力の容疑者なの。分かってちょうだい」

「メ、メイド長――」

「連れていって」

メイド長の言葉と共に、後ろで控えていた使用人がレベッカの腕を掴み、強引に立たせる。

「ま、待ってください!せめて、お嬢様に――」

伝えなければ、と言いかけたが、そんなレベッカの様子には構わず、使用人達は無理矢理腕を引っ張り連行していった。












使用人達に連れていかれたのは、倉庫のような小さな部屋だった。初めて入る部屋だ。みすぼらしくて、埃臭い所だ。

「全く、こんな泥棒が屋敷にいたとは」

「覚悟しておけ。お前が犯人だと確定したら、すぐに衛兵に突き出してやる」

使用人達にそう言われながら、部屋に放り込まれる。レベッカが部屋に入った瞬間、バタンと扉が締まり、鍵のかかる音がした。

慌てて扉に駆け寄る。使用人達はもう立ち去った後だった。

「ど、どうしよう――」

こんな事になるとは。間違いなくペネロープの策略にちがいない。でも、それを証明する術はない。このままだと、本当に泥棒にされてしまう。そうなったら、確実にこの屋敷から追い出されるにちがいないし、自警団に引き渡されるか、最悪レベッカの身元がバレて実家に強制送還されるかもしれない。

いや、ちがう。自分のことは、どうでもいい。レベッカの脳裏に浮かぶのは、小さな金髪の少女だった。お嬢様の事が心配でたまらない。きっと寂しがっているにちがいない。せめて、しばらく世話をできない、という事を伝えたい。

魔法でこの部屋を出るのは、正直容易い。しかし、そうなったらますます疑われるのは明白だ。

どうしよう、と扉の前で考え込んでいると、突然声がかけられた。

「――いい気味ね」

ハッとして、扉の隙間から外を覗く。そこにはペネロープが立っていた。

「あなた――!」

「目障りだったのよ、ずっと。クリストファー様に、色目なんか使って、本当に図々しい。あの化け物みたいなお嬢様にまで取り入って近づいて」

「なっ――」

自分の事よりも、ウェンディを化け物と呼んだ事に対して、怒りが湧いた。

レベッカが声を出す前に、ペネロープが言葉を続けた。

「誰もあんたの事なんて信じないわよ。じゃあね、泥棒さん」

クスクスと笑いながら、ペネロープは素早くその場から立ち去っていく。

レベッカはなす術もなく、扉に額をつけて、瞳を閉じた。











ペネロープが立ち去ってから、使用人の一人がパンと水という簡素な食事を持ってきてくれた以外は、誰もここに来なかった。もう外は暗くなっている。今夜はここで寝ることになりそうだ。

レベッカが本気で部屋から逃げ出すことを検討したその時だった。

「レベッカ」

扉の外から小さな声が聞こえた。

「キャリーさん!」

「シーっ!静かに」

キャリーの声が聞こえて、慌てて扉に近づいた。

「大丈夫?」

「今のところは。それよりも、事件はどうなったんです?」

少しの沈黙のあと、キャリーの重い声が響いた。

「――あなたが、犯人ってことになりそう」

その言葉に、レベッカの顔がまた青くなった。

どうやら、指輪はすぐに街の質屋で発見されたらしい。指輪はレベッカの名前で質入れされたらしく、しかも、質屋の主人は黒髪の女性が指輪を持ってきた、と証言しているそうだ。

「そ、そんな……堂々と本名で質入れするわけないじゃないですか!」

「うん、私もそう思う。でも状況は不利よ」

まだ調査は続いているが、ペネロープと質屋の主人の証言、そしてレベッカの普段の勤務態度が悪いというデタラメの噂まで追加され、レベッカが犯人だとほぼ確定されているらしい。

「メイド長は多分庇ってくれていると思う。でも、あなたはこの屋敷で働き始めてまだ日が浅いし、あまり人と関わっていないでしょう?あなたを疑う人が多すぎて……」

「うう……」

思わず呻く。この屋敷に来てから、身元や本当の年齢がバレるのが嫌で、ルームメイトのキャリー以外の人間とあまり関わらなかったのが裏目に出た。

「ペネロープの証言が大きいわ。少なくとも、あの子はこの屋敷では古株で、仲間も多い。いろんな人から信頼されているし……」

「――もう、打つ手はない、ですか」

レベッカが小さく呟くと、キャリーが慌てたように声をかけてきた。

「諦めないで!絶対になんとかなるから!」

「なんとかって……」

「伯爵様と連絡が取れないみたいで、あなたの処遇はまだ決まっていないの。指輪は戻ってきたから、衛兵に任せるか、このまま追い出すかって話になってるみたいだけど――、でも、どうにかするから!」

必死なキャリーの声に、レベッカは呟くようにまた声を出した。

「キャリーさん、もういいですよ」

「レ、レベッカ、もういいって……」

「このままだと、キャリーさんの立場も悪くなるのでしょう?これ以上迷惑をかけるわけにはいきません」

「私の事は気にしなくていいから!レベッカ――、」

「いいえ」

レベッカはゆるゆると首を横に振った。

「もう、いいです。私、ここを辞めます」

「や、辞めるって――」

「衛兵に突き出されるかもしれませんが、このままだと、キャリーさんだけではなく、いろんな人に迷惑をかけてしまうので。自分から出ていきます」

衛兵に連れていかれて、身元がバレるのだけは避けたい。その前に逃げ出そう。

「メイド長に伝えてもらえませんか?明日、ここを出ていくということを」

「レ、レベッカ――」

キャリーが泣きそうな声を出した。レベッカはキャリーに感謝しながら、扉に額を当てた。

「ありがとうございます。キャリーさん。あなたに、心からの感謝を」

そして、ゆっくりと目を閉じて、言葉を続けた。

「それと、お嬢様にも伝えてください――」











◆◆◆













「―――レベッカが、メイドを辞めることになりました」

扉の外から聞こえてきた言葉に、ウェンディは衝撃を受けて、崩れ落ちる。

なんで、どうして――?

もしかして、本当に、ウェンディの事が嫌いになったの――?

クラクラして、気持ち悪い。手がガクガクと震える。呼吸が乱れて胸が痛い。もう何もかもが分からない。頭の中で、どうして?を繰り返す。

離れないと、言ってくれた。寂しい時は、手を握ってくれた。

いつでも、どんな時でも、抱き締めてくれる。そう約束したのに――

その時、扉の外から、また声がかけられた。

「レベッカからの伝言です。ごめんなさい、そして、ありがとうございました、と。それから――」

ゆっくりとウェンディは顔を上げる。

「短い間でしたが、あなたと過ごせて幸せでした、と」

その言葉が聞こえて、強く手を握る。

「あなたの幸せを祈っております。お嬢様の事が、大好きです、心から、と」

なぜか、瞳が熱い。一瞬のあと、泣いているという事に気づいた。

『お嬢様』

レベッカの声が頭の中で響く。

幸せだった、と感じてくれた。他人から、怖がられ嫌われる自分と過ごしたことを、レベッカは幸せだと思っていてくれた。




雷の音


冒険小説


温かいミルク


蜂蜜の匂い


かわいいお花


レースのリボン


音痴な歌


優しい眼差し





そして、いつでも、どんな時でも抱き締めてくれるぬくもり






全部、全部、ウェンディの宝物だ。絶対に、離したくない、ウェンディだけの思い出だ。

人生に希望はない。この薄暗い部屋の中で、光り輝く物はない。

でも、それでも。

ウェンディ・ティア・コードウェルには、唯一手離したくない物が、ある。





ベッカ



わたくしだって、しあわせだったのよ



あなたがいてくれたから






ウェンディはゴシゴシと服の袖で涙を拭った。そして、扉を鋭く睨む。

怖がっている暇はない。怯えている時間もない。

自分は、今すぐ行動を起こすべきだ。

行かなければ。

勇気を出して、立ち上がろう。

進め、進め。

大好きな冒険小説の、主人公達のように。





躊躇わずに立ち上がって、扉へと近づいた。そのまま、勢いよく扉を開く。

そして、ウェンディは数年ぶりに、外の世界へと飛び出した。

「えっ、……えっ?」

扉の外では、見たことのないメイドが目を白黒させながら立ち尽くしていた。そのメイドに向かって叫ぶ。

「いますぐ、あんないして」

「は、はい?」

「ベッカのところ、いく!あんないして!!」

メイドを睨みながら命じる。メイドは呆然としながらも、弱々しく頷いた。










◆◆◆











少ない荷物をまとめて、伯爵家の大きな扉の前で、レベッカは最後の挨拶をした。

「お世話に、なりました」

メイド長に深く頭を下げる。周囲では、レベッカを泥棒だと決めつけているらしい使用人達がこちらを睨んでいた。

「本当に、申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけして――」

レベッカが頭を下げながらそう言うと、周囲の使用人が数人声をあげた。

「やっぱり、追い出すだけなんて――」

「衛兵に突き出すべきよ」

「この泥棒娘!」

顔を上げると、使用人達に混じって、ペネロープとその仲間のメイド達がニヤニヤと笑っているのが見えて、レベッカは目をそらした。

「静かに。指輪は戻ってきたのだから。これ以上騒ぐのはやめなさい」

メイド長の言葉に、使用人達は不満そうな顔をしながらも口を閉じる。レベッカはメイド長に感謝しながら、また口を開いた。

「――どうか、お元気で」

メイド長が無言でレベッカに手を差し出す。レベッカが軽くその手を握ると、メイド長がこっそりと小さな声で囁いた。

「――申し訳ない、と思ってるわ」

その言葉に苦笑する。きっとこの人は、薄々と真実に気づいているのだろう。レベッカを庇ってくれたと聞いた。でも、レベッカの無実を証明することができず、使用人達の目もあり、庇いきれなかったのだろう、と推測できた。

「いいんです。ありがとうございました」

そう言って、また頭を下げる。

そして、背中を向けて、重い扉を開く。

ああ、お嬢様に挨拶出来なかった。そのことだけが、悲しい。きっと、怒ってるだろうな。

そう思いながら、屋敷の外へと出ようとしたその時だった。




「――カ、ベッカ」




声が聞こえた。


可愛い声だ。




「ベッカ、………ベッカぁ……」




使用人達がザワザワと揺れる。皆が怯えたように、声の方へと視線を向けた。レベッカも後ろを振り向く。

使用人達が、何かを恐れるようにさっと道を空けた。

「――あ、」

レベッカが思わず声をあげた。

「まさか、そんな――」

メイド長が呆然と声を出した。

レベッカを呼びながら、フラフラと歩いてきたのは、ウェンディだった。ネグリジェのまま、不安そうな顔で、人混みの中を歩いてくる。その後ろから、キャリーが戸惑ったような顔で付いてきた。

「――ベッカ」

レベッカの顔を見たウェンディがピタリと足を止める。レベッカはポカンと口を明けて、その姿を見つめた。ウェンディは一瞬、息苦しそうに顔を歪める。

その場の全員が、無言でウェンディを見つめていた。

ウェンディは、目をギュッと強く閉じる。そして、声を出した。

「――だれが、やめていいと、いったの」

レベッカは凍りついたように、その場で固まった。

「お、お嬢様――」

声が震える。ウェンディが、瞳を開いて、今度は大きな声を出した。

「わたくしのそばをはなれるきょかは、だしていないわ!!はやく、そうじをして!!そして、かみをむすびなさい!!わたくしに、ミルクをもってきなさい!!それから、それから――」

ウェンディは言葉を止める。

そして、今にも泣きそうな顔でレベッカを見て、今度は囁くような声を出した。



「――いますぐ、わたくしを、だきしめて」



その言葉に、レベッカも泣きそうになる。ウェンディは大きな雫を瞳からこぼして、言葉を重ねた。

「いかない、で。ここにいて。もう、これから、ワガママはいわない、から。……だから、……っ、おねがい、ベッカ」

レベッカの手から荷物が落ちる。そして、荷物を放り出したまま、レベッカはウェンディに駆け寄った。

「お嬢様!!」

ウェンディも走りながら、こちらへ向かってくる。そして、2人は強く抱き合った。

「ベッカ、ベッカぁ……」

「申し訳ありません、……申し訳ありませんっ……」

ウェンディを強く抱き締めながら、何度も謝る。

きっと、自分の部屋から出るのは、恐ろしかっただろう。何年も部屋に籠っていたウェンディにとって、外の世界へと足を踏み出すのは怖かっただろう。

それでも、追いかけてきてくれたのだ。レベッカのために。

ウェンディの気持ちを想像しただけて、胸がいっぱいになる。心が苦しくて、仕方ない。

「ごめんなさい……っ」

また、謝罪の言葉を口にする。レベッカの瞳からも涙が流れた。

その時、知っている声がその場に響いた。

「――盛り上がっているところ、申し訳ないんだけど、ただいま」

その声に、レベッカはウェンディを抱き締めながら顔を上げて、ポカンと口を開いた。

使用人達も戸惑ったように揺れる。メイド長もまた、呆然と口を開いた。

「ク、クリストファー様!?」

そこにいたのは、魔法学園にいるはずのクリストファーだった。魔法学園の制服らしき物を身につけ、困ったように屋敷の中へと入ってくる。

クリストファーの後ろから、見たことのない男性が付いてきた。クリストファーと同じ服を着ており、背が高く、ニコニコと楽しそうな表情を浮かべている。フワフワの茶色の髪に、金色の瞳を持つ、クリストファーに負けないくらい美しい青年だった。

「な、なぜ、ここに!?」

メイド長が叫ぶようにそう言うと、クリストファーが肩をすくめた。

「今日、指輪の盗難についての手紙を受け取ってね。慌ててここに戻ってきたんだ」

「も、戻ってきたって……っ、学園からここまで、馬車で何時間もかかるのに」

その言葉に、クリストファーがチラリと後ろの青年を振り返った。

「僕の友人で、瞬間移動――いわゆる“転送”の魔法が得意でね。彼に頼んだ」

クリストファーの友人らしき茶髪の青年は、レベッカと目が合うと、楽しそうに素早くそばに近づいてきた。そして、戸惑うレベッカの手を取ると、その手に軽くキスをして、爽やかな微笑みを浮かべて口を開いた。

「やあ、可愛らしいお嬢さん。僕の名前はエヴァン。僕達、前にどこかで会ったことない?もしよければ、今からお茶でも一緒に――」

レベッカが戸惑って言葉を返せないうちに、クリストファーがエヴァンと名乗った青年の襟元を掴んでレベッカから引き離した。

「レベッカ、このナンパ男の事は無視していいから」

「は、はあ」

レベッカは呆然としたまま頷く。レベッカの腕の中のウェンディもポカンとしていた。

「それじゃあ、さっさとこの馬鹿な事件を終わらせよう。――リード」

クリストファーが名前を呼ぶと、すぐに

「はい」

どこからかリードの短い返事がした。使用人達を掻き分けるようにリードが衛兵を引き連れて、近づいてきた。リードの手は、

「ちょっと、離しなさいよ!!」

ペネロープの腕を掴んでいた。ペネロープはリードに抵抗して必死に叫んでいる。混乱する使用人達を前に、リードが仏頂面のまま口を開いた。

「ようやく尻尾をつかみましたよ。このメイドが犯人です」

「は、はあっ!?何を言って――!」

ペネロープが顔を真っ赤にさせながら、口を開く。それを遮るように、リードが言葉を重ねた。

「極秘で調査をしていました。レベッカさんに罪を被せて追い出そうと話していたと、目撃証言が取れましたよ」

「なっ――」

「それに、あなた、今まで気づかれないように、こっそり何度も横領や盗みを繰り返していましたね」

ペネロープの顔が大きく歪む。リードが淡々と言葉を続けた。

「なかなか巧妙に隠していたようで、こちらも調査に手間取りましたが、ようやくこれまでの証拠を掴みました。最近はレベッカさんを追い出そうと躍起になっていたらしく、隠蔽が疎かになっていたようですよ。少なくとも、これまでの盗みは、彼女や彼女の仲間が犯人で間違いないです。指輪の盗難に関しては、まだ証拠は不十分ですが……恐らく、そちらもすぐに解決するかと」

「うん。それじゃあ、その女を連れていって。そして、二度とここに来ないように、手配を」

クリストファーの言葉に、リードが無言で頷く。そして、ペネロープを後ろの衛兵へと引き渡した。ペネロープが顔を歪めながら、クリストファーに向かって叫ぶ。

「クリストファー様!クリストファー様!お願いです、信じてください!私は、そんなこと――」

その時、レベッカが大声で叫んだ。

「待ってください!」

その場の全員が、レベッカに視線を向けた。

「ベッカ?」

ウェンディが不安そうに声を出す。ウェンディの頭を少しだけ撫でて、レベッカは微笑む。そして、すぐに笑みを消すと、立ち上がった。

「レベッカ?」

キャリーが心配そうにレベッカを呼んだが、レベッカはそれに答えず、ズンズンとペネロープへ近づく。

そして、ペネロープを無言で見つめた。ペネロープが憎悪の瞳でレベッカを見つめ、口を開いた。

「なによ……っ、あんたが悪いのよ!!全部、全部、あんたが悪いんだから!!そうよ、あんたのせいで……っ!クリストファー様が、」

言葉を続けようとしたペネロープの襟首を、レベッカは強引に掴んだ。ペネロープが驚いたように言葉を止めて、そばにいたリードも眉をひそめる。周囲の人々の視線を感じながら、レベッカはゆっくりと口を開いた。

「いいんですよ、別に。泥棒だと、疑われたのは、あんまり、怒ってないです。いえ、まあ、少しは怒ってますけど。――でも、それよりも」

レベッカはペネロープの耳元に唇を近づける。そして、ウェンディに聞こえないように、小さく囁いた。

「――大切なお嬢様を、化け物呼ばわりしたのは、許せない」

そして、鋭い瞳で、ペネロープを睨む。ペネロープがその視線に怯えたような顔をした。

「しっかり、喰いしばっててくださいね」

歯を。

そう言うのと同時に、レベッカは渾身の力で、ペネロープの顔を強く殴る。パーンと乾いた音が響いた。

「連れていってください」

放心したようなペネロープを衛兵に引き渡す。衛兵達は戸惑ったような顔をしながら、ペネロープをどこかへと運んでいった。

「ベッカ!」

ウェンディが叫ぶようにして、またレベッカに抱きついてきた。レベッカはそれを受け止めながら、クリストファーへと視線を向けた。

「――ありがとう、ございました。クリストファー様」

リードが軽く頷き、クリストファーは穏やかに笑って首を横に振った。

「いいや。それよりも、遅くなってすまない。もっと早く来るべきだったね」

「いえ」

レベッカは軽く首を振り、今度はリードに顔を向けた。

「リードさんも、ありがとうございました」

「いいえ。こちらこそ、助けるのが遅くなって申し訳ありませんでした」

リードも軽く頭を下げる。ふと疑問を抱いたレベッカはリードに問いかけた。

「リードさんは、ずっとあのメイドの調査をしていたんですか?」

「ええ。あなたが嫌がらせを受けている、と手紙で相談を受けまして。それで2ヶ月前から、いろいろと極秘で調査を」

「相談?手紙?」

相談などした覚えはない。レベッカが首をかしげると、どこからか声があがった。

「あ、それ、私!」

声と共に手を上げたのはキャリーだった。

「レベッカはいいと言ったけど……、やっぱり心配で。この人に手紙を出して、相談をしていたの」

キャリーの言葉に、レベッカは不思議そうな顔で口を開いた。

「リードさんとキャリーさんは、お知り合いだったんですね」

「いや、お知り合いというか――」

リードは肩をすくめて、キャリーの隣に立った。

「私の妻です」

レベッカは呆気に取られて、大声を出した。

「え、え、えーーー!?」

リードがレベッカの声に眉をひそめて、キャリーへ顔を向けた。

「話していなかったのか?」

「いや、別に話すほどの事ではないかな、と思って」

キャリーがあっさりとそう言って、レベッカは混乱しながらまた声を出した。

「え!え?えー?ほ、本当に夫婦なんですか!?ウソ!」

「いや、ホント。結婚3年目」

「え、えー……?」

キャリーの言葉に、まだ現実を受け止めきれず、レベッカは弱々しく声を出す。その時、あることに気づいて、再び口を開いた。

「あ、あの、キャリーさんっておいくつなんです……?」

考えてみれば、キャリーの実年齢をレベッカは知らない。キャリーはどう見ても、レベッカより少し年上にしか見えない。それで結婚3年目ということは、一体何歳になるのだろう。

レベッカの質問に答えたのはリードだった。

「若く見えますけどね、これでも私より年う――」

その時、キャリーがリードの足を踏みつける。リードの言葉が止まった。

「レベッカ、細かいことは気にしないの」

キャリーの強い視線に気圧されて、レベッカは戸惑いながらも無言で頷いた。






「レベッカにはすまないと思ったけど、囮になってもらう形になった」

場所を移して、レベッカはクリストファーの私室でソファに座っていた。ウェンディは久しぶりに外に出て疲れたのか、レベッカの膝の上で気を失うように眠ってしまった。キャリーがお茶を入れてくれながら、チラチラとクリストファーを見ている。クリストファーの隣では、エヴァンが穏やかな顔でお茶を飲み、その後ろではリードが控えていた。

「キャリーからの相談をきっかけに、極秘で調査を始めて、あのメイドやその仲間が盗みや横領をしているのが分かった。でも、巧妙に隠れていたから、なかなか証拠は掴めなかったんだ」

クリストファーは顔をしかめ、言葉を続けた。

「あのメイドは昔から僕にしつこく絡んできてね……、今回の帰省で、僕が君に気があるような素振りをすれば、怒って、何か行動を起こすんじゃないか、と思ったんだ。それで、監視のためにリードを残した。けど、まさか、指輪の盗難事件を起こすとはね」

クリストファーはレベッカに深く頭を下げた。

「本当に、すまなかった。君を利用する形になってしまって」

「あ、えっと、いえ、そんな……」

レベッカがオロオロしていると、クリストファーは頭を上げて、真剣な表情で言葉を重ねた。

「今回の事件は早急に解決させるよ。あのペネロープというメイドの、仲間や協力者も既に確保した。その中の一人、レベッカと同じ黒髪のメイドがレベッカのふりをして指輪を質に入れた事を認めた。君の身の潔白もすぐに証明できる」

そして、クリストファーは再び頭を深く下げた。

「だから、どうか、このままうちで働いてくれないだろうか」

クリストファーが絞り出すように声を出す。

「――ウェンディは、君の事を心から慕っている。君に辞めてほしくないんだ。君の待遇は、これまで以上に良くするよ。君が望むなら、何でも叶えよう。だから、どうか、これからもウェンディのそばに――」

クリストファーの声を聞きながら、レベッカは眠っているウェンディの頭を撫でた。

「――私からも、お願いしようと思っていました」

レベッカの言葉にクリストファーが頭を上げる。レベッカは少し笑って言葉を続けた。

「私の望みは、たった一つです。今後も、ぜひ、ウェンディ様のお世話を続けたいです。どうか、お願い致します」

レベッカの言葉に、クリストファーがホッとしたように笑う。そして、

「ああ。これからは、君をウェンディ専属のメイドとして、雇いたい。受け入れてくれるかな?」

レベッカはまた笑うと、ゆっくりと頭を深く下げた。

「謹んでお受けいたします。どうか、よろしくお願いいたします」

レベッカがそう言うと、後ろから泣き声が聞こえた。

「よ、よかった~。レベッカ、よかった~」

キャリーが安心したように泣いていた。レベッカはそっとウェンディの頭を膝から下ろすと、キャリーに駆け寄り、何度も頭を下げた。

「キャリーさん、ありがとうございました。キャリーさんのおかげです。本当に、本当にごめんなさい。ありがとうございました」

「ふぇーん、よかった~」

キャリーが泣きながらレベッカに抱きつく。レベッカはキャリーと抱き合って、そして、笑った。

「それじゃあ、話は終わりだよね?お嬢さん達、僕と食事でもどうだろうか。いいレストランを知っているんだ。きっと気に入るよ。この素晴らしい夜を、ぜひ君達のような美しい女性と過ごし――」

クリストファーの友人だという青年、エヴァンがレベッカとキャリーに話しかけてきたが、今度はそれをリードが止めた。

「――レベッカさんはともかく、人妻を誘うのはおやめください、殿下」

殿下、という敬称にレベッカとキャリーの身体が固まる。最初に口を開いたのはキャリーだった。

「ちょ、ちょっと待って。殿下って、この人――」

「あ、自己紹介がまだだったね。この国の第二王子、エヴァン・ティリエル・ジョーンズ・アルヴェルトです。どうぞ、よろしく」

エヴァンが楽しそうに自己紹介しながら、握手をしようと手を差し出してくる。レベッカとキャリーは呆然と固まったままだった。

その光景をクリストファーが呆れたようにため息をついて、立ち上がった。

「そろそろ、学園に戻ろう。外出許可を貰ったとはいえ、遅くなったらマズい。エヴァン、“転送”を頼む」

「はいはーい。悲しいけど、今日はお別れだ。またね、お嬢さん達」

そして、クリストファーとエヴァンはリードを従えて、部屋から出ていった。

レベッカとキャリーはあまりの衝撃に、しばらくその場で固まっていた。














ちょっと裏設定




※リード・ウィルソン

身寄りがなく、ホームレス同然の生活をしていたところをクリストファーに拾われた。それからは使用人を経て、クリストファーの専属執事を勤める。優秀で真面目な苦労人。

妻の事を心から愛している。しかし、クリストファーと学園で生活するため、離れて暮らすことになった。絶対に顔には出さないが、寂しさを感じている。

クリストファーと帰省する度に、時間を作ってキャリーとデートをしている。





※キャリエッタ・ウィルソン

愛称はキャリー。リードの妻。元は街のレストランにてウエイトレスをしていた。そのレストランに、クリストファーとリードが食事に来たのが出会いのきっかけ。若く見えるが、年齢不詳。実年齢はリード以外誰も知らない。破局と復縁を繰り返した果てに、3年前にようやく結婚。それをきっかけに、人手不足に喘ぐ伯爵家でメイドとして働き始めた。

リードと離れて暮らしているが、メイドとしての仕事がそこそこ楽しいので、夫ほど寂しさは感じていない。

実は若くして病気で亡くなった妹がいる。レベッカがその妹に似ているため、可愛がっている。






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― 新着の感想 ―
中々愉快なメンバーが揃ってきましたね
[良い点] お嬢様がレベッカちゃんのために勇気を出す描写が良すぎました!
[一言] 良かった良かったよう(´;Д;`)
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