特別な想い
お嬢様視点です。
女が囁く
『これは、呪いだ』
『一生嘆き、苦しめ』
『私の幸せを奪った報いを、その身で受けろ』
この人は、誰だろう
『お 前 だ け は 許 さ な い』
◆◆◆
ウェンディ・ティア・コードウェルの人生は、つまるところ最初から孤独が多く、寂しさに満ちたものだった。
ウェンディの手足には、生まれた時から、奇妙な赤い痣が刻まれている。ウェンディから見ても、不気味で気持ちの悪い痣だ。年齢と共に少しずつ広がっていくこの痣は“呪い”なのだ、と周囲の大人達は言っていた。“呪い”とは何なのか、ウェンディはよく分からない。説明してくれる人間はいなかった。
ウェンディの“呪い”は忌み嫌われ、恐れられた。物心ついた時から、ウェンディの周りには兄以外誰もいなかった。伯爵令嬢だというのに、屋敷の使用人でさえ必要以上に近づこうとはしなかった。
『ごめんね、ウェンディ』
たった一人、最愛の兄だけは、ウェンディのそばにいてくれた。
『本当にごめんね、ウェンディ』
ウェンディの頭を撫でながら、兄は何度も謝った。その顔は深い悲しみに包まれている。なぜ兄が謝っているのか、ウェンディはよく分からなかった。
小さい頃は、部屋の外で兄と過ごすこともあったが、ウェンディが部屋を出た瞬間、使用人達が“呪い”を恐れて一斉にソワソワし始め、緊張したように体を固くする。その視線が体を刺してくるような感覚がして、居心地が悪く、つらく、悲しかった。やがて自分から部屋を出ることはなくなった。一人、部屋に籠り、大好きな本を読んで静かに過ごす。そのうち、着がえや入浴など、自分のことは、ある程度自分で出来るようになった。
兄は部屋に籠りきりのウェンディを見て、つらそうに顔を歪めていた。それでも、ウェンディは部屋から出ようとしなかった。部屋の外の世界に興味はない。兄さえそばにいてくれればそれでよかった。例え、実の親に嫌われていても。
ウェンディは自分の両親の顔を、もうよく覚えていない。幼い頃、何度か対面した父はウェンディと目を合わせようともせず、見て見ぬふりをしていた。話しかけてもこなかった。
母についての記憶はもっとひどい。母と顔を会わせたのは、一度だけだ。その時、ウェンディの母は、ウェンディを見ると、嫌なものを見たとでも言うように顔を背けた。
『近づかないでちょうだい』
その声には嫌悪が宿っていた。
『ああ、なんて汚らわしい。気持ちの悪い子』
ウェンディの隣にいた兄が、その言葉に激怒して何かを言っていたが、ウェンディは体を固くしたまま、何の反応もできなかった。
だから、ウェンディは実の両親の事が苦手だ。母は、ほとんど屋敷に戻ってこないし、自分と関わろうともしない。顔も覚えていないし、もはやどうでもいい。父は時々屋敷に帰ってくるが、そんな日はなんとなく屋敷中がゾワゾワしていて居心地が悪くて、嫌いだった。
兄さえいれば、どうでもよかった。ただ一人、ウェンディに優しくしてくれて、慈しんでくれる兄がいれば、ウェンディは他の事など、どうでもよかった。
よかったのに。
『ごめんね、ウェンディ』
また、兄が謝る。兄は魔法学園に入学することになり、屋敷を出て学園の寮に入ることになった。
『休みになったら帰ってくるよ。手紙も出すからね』
寂しさのあまり泣きじゃくるウェンディに、兄は優しく宥めるようにそう言った。
『それにね、ウェンディ。学園で魔法を学べば、呪いが解ける方法だって分かるかもしれない』
兄はウェンディとまっすぐに視線を合わせて、真剣な表情で言葉を重ねた。
『約束するよ、ウェンディ。僕が、必ず君の呪いを解いてあげる。きっと、部屋から出て、のびのび生きられるようになるから』
そして、強くウェンディを抱き締めた。
『だから、待っててくれ』
その言葉を最後に、兄は魔法学園へと旅立った。
ウェンディはひとりぼっちになった。
兄がいなくなって、今度こそ周囲には誰もいなくなった。ウェンディの“呪い”を恐れて、部屋にはほとんど誰も入ってこない。入ってくるのは、兄に頼まれてウェンディの様子を見に来るメイド長と、部屋の掃除を頼まれた若いメイドだけだ。メイド長は古くから伯爵家に仕えているため、あからさまにウェンディを怖がる様子はない。でもその視線は、ウェンディの痣を明らかに恐れていた。
年若いメイドはもっとひどい。担当が何度も変わった。メイド達は呪いを恐れるあまり、ウェンディと一緒の空間にいるのに耐えられず、どんどん辞めていく。ウェンディの世話を嫌々行っているのは明白だ。ウェンディに近づくのも嫌がり、目を合わせるのさえ避けているため、メイドが掃除をしている間、ウェンディは部屋の隅で背中を向けて座り込んでいるしかなかった。
それでいい、とウェンディは思う。兄以外の人間に恐れられ、嫌われるのには慣れた。とにかく、兄が帰ってくるまで、静かにひっそりと暮らすだけ。何も言わず、何も行動を起こさなければ、時間はすぐに過ぎて、兄は帰ってくる。だから、待てばいい。
そう思っていたのに。
『メイドのレベッカ・リオンと申します』
ある日突然、そのメイドはウェンディの世界に飛び込んできた。
こんなに不思議なメイドは見たことがない。見た目は普通の女性だ。いや、まだ少女といってもいい年頃だろう。髪と目の色は夜空のような深い黒、身長は高くスラリとしているが、その表情はどこか幼い。
特別なところなんか何もない、ただの普通のメイドだ。
でも、そのメイドは、
『お嬢様』
呑気で、優しい、そのメイドは、
『お掃除に来ましたよ、お嬢様』
ウェンディにとって、兄以外の、初めての“大好きな人”になった。
「ベッカ」
その名前を口にすると、幸せになる。
ウェンディだけが呼ぶ、特別な名前。
「ベッカ!ベッカ!」
何度も呼ぶと、彼女は振り返って、絶対に微笑んでくれるのだ。
『はい、お嬢様』
最初は変なメイドだと思った。ウェンディの呪いの事を知っているはずなのに、簡単にウェンディに近づいて、触れてくる。今まで、兄以外そんな人間はいなかった。
『お嬢様、ミルクですよ』
夜遅く、呼び鈴を鳴らすと、蜂蜜の入った温かいミルクを入れてくれた。甘くて優しくて、幸せな味がした。こんなに美味しい物がこの世に存在するなんて知らなかった。
『お嬢様が貸してくださった本、とても面白かったです』
ウェンディとまっすぐに視線を合わせて、話をしてくれた。
『お嬢様、さあ、もうおやすみになってください』
眠れぬ夜に、そばで手を握ってくれた。
『お嬢様、ほら見てください!庭に咲いていたお花、もらってきたんです。可愛いでしょう?』
知らない感情が、生まれる。
世界が、少しずつ光っていく。
『お嬢様』
だから、もう、寂しくないの。
『ウェンディ様』
ベッカ、あなたがそばにいてくれるから
ああ、自分が、こんなにも幸福を感じるなんて
こんな想いは、初めて
この想いは大切で特別で、絶対に手離したくない
『ウェンディ様』
名前を呼ばれると、心が温かくなる。
もっと近づきたい。
もっと触れたい。
わたくしは、あなたがいれば、もう何もいらないから。
だから、ずっとそばにいて。
『はい、お嬢様』
ねえ、ベッカ
あなたは、わたくしのものよ
ウェンディは目の前で眠っているレベッカの顔を見つめる。ここで寝るように誘ったらレベッカは強く拒否した。しかし、よっぽど疲れていたのか、再びウェンディのベッドで眠ってしまった。
「――ベッカ」
名前を呼ぶ。レベッカは一瞬ピクリと動いたが、覚醒することはなかった。
「ベッカ」
また名前を呼ぶ。今度は動かない。ぐっすりと眠り込んでいる。
そっとレベッカの頬に触れる。フワフワとしていて、温くて、柔らかい。
頬に触れても、やはり目を覚ますことなく、赤ん坊のようにすやすやと眠っていた。
「……かわいい」
思わず呟いたが、レベッカはやはり起きなかった。
それをいいことに、その体に抱きつく。柔らかい胸に顔を埋める。レベッカは眠っているのに、すぐに抱き締め返してくれた。温かくて、心地いい。
ウェンディはレベッカの胸の中で思わず笑った。レベッカから、優しい匂いがした。
蜂蜜の香りだ。
「んふふ」
少しだけ笑って目を閉じる。
このうえなく、幸福だった。
「ベッカ」
ウェンディにとって、レベッカの存在は特別だった。
好きで、好きで、たまらなくて、
大好きで、特別なメイド
「ベッカ」
このメイドは、ウェンディだけのものだ。
そばにいてくれれば、もう何もいらない。
ウェンディの想いは、徐々に強くなっていく。
あふれていく。
止まらない。
それでいい、と思う。
だって、レベッカはずっとウェンディと一緒にいてくれるから。
どんな事があっても、この呑気なメイドはずっと自分のそばにいてくれる。
そう思っていたのに。
「―――レベッカが、メイドを辞めることになりました」
ある日、扉の外から聞こえたその言葉に、ウェンディは崩れ落ちる。あまりの絶望に、胸が痛くて、呼吸が苦しい。
そして、目の前が真っ暗になった。
急展開を迎えました。
不定期更新となりますが、気長にお待ちください。




