誕生日
魔法学園が長期休暇に入り、クリストファーが屋敷へ戻ってきた。クリストファーが帰ってくる日は、屋敷中が出迎えの準備に追われ、朝からずっと忙しかった。相変わらず伯爵夫妻は姿を見せなかったが、使用人達はどこか落ち着きなく、特に若い女性のメイド達は色めき立ったようにソワソワしていた。
ウェンディもまた、兄が帰ってくるのが待ち遠しいらしく、朝から落ち着きなく部屋の中をウロウロしていた。何度も窓の外や時計へチラチラと視線を向ける。
「まだ、かな?」
「きっともうすぐですよ」
レベッカはウェンディの部屋にて、一緒にクリストファーを待つことになった。
「クリストファー様と会うのも久しぶりですね」
「うんっ。うれしい」
「こちらへ来られたらお茶をお入れしますね」
「おかしもつけてね。おにいさま、あまいもの、すき」
「かしこまりました」
レベッカが笑って答えたその時、ノックの音が聞こえた。その瞬間、ウェンディの顔が輝く。
「かえってきた!」
大きな声でそう言いながら、扉へと駆け寄り、勢いよく開いた。
「おにいさま!」
「ただいま、ウェンディ」
扉を開けた瞬間、クリストファーが姿を現し、ウェンディが飛び付く。クリストファーも笑顔でウェンディを受け止めた。
「まちくたびれたわ」
「ごめんごめん。ウェンディに会えて嬉しいよ」
「うん!」
仲のいい兄妹の姿に微笑ましくなりながら、レベッカも深く頭を下げ、クリストファーに挨拶をした。
「お帰りなさいませ、クリストファー様」
「うん。ただいま、レベッカ」
軽く挨拶を交わし、レベッカはお茶を入れるために準備を始めた。
「がっこうは、たのしかった?」
「うん。でも、ウェンディに会えなくて寂しかったよ」
会話を聞きながら、香りのいいお茶と、キッチンから持ってきた焼き菓子をテーブルへと運び、二人の前に並べる。
「ああ、美味しそうだな」
お茶と焼き菓子を見たクリストファーが嬉しそうな顔をした。
「ベッカがおにいさまのために、よういしてくれたのよ」
「そうか、ありがとう、レベッカ」
お礼を言われ、レベッカは静かに頭を下げた。
ソファに座った2人はお茶を飲みながら、仲良くおしゃべりを始めた。ウェンディが楽しそうに兄へと話しかける。
「あのね、このあいだ、おにいさまがおくってくれた、ほん、とてもおもしろかったの。ベッカもおもしろいといってたわ」
「それはよかった。二人が気に入ってくれて僕も嬉しいよ」
クリストファーも笑顔でウェンディの頭を撫でつつ、優しく答える。レベッカは二人の邪魔にならないよう、後ろで静かに控え、見守っていた。
本当に仲のいい兄妹だなぁ、とぼんやり考えていると、不意にクリストファーがこちらへ顔を向けた。
「レベッカは、普段どんな本を読むんだい?」
「え……」
突然クリストファーから話をふられ、戸惑いながらも答えた。
「えっと、そうですね……、なんでも好きですが……、ミステリーや純文学とか……あとは恋愛ものとかも、好きです……」
それを聞いたクリストファーが嬉しそうに声を出した。
「それはいい。僕もミステリーは好きなんだ。今度ゆっくり話をしよう」
「はあ……」
レベッカが曖昧に返事をしたその時、ウェンディがなぜかムッとしたような顔をして口を開いた。
「わたくしも!わたくしも、ベッカがすきなほんをよみたいわ!」
「ええ……?それはちょっと……」
8歳の女の子が読むには少し難しいジャンルだ。レベッカが困ったような顔をすると、ウェンディがますます憤慨したような声を出した。
「おにいさまだけずるい!わたくしも、ベッカとほんのおはなしするの!」
「お嬢様とは、ほぼ毎日してるじゃないですか……」
レベッカの言葉に、クリストファーが噴き出した。そのままクスクスと笑い出す。
「ウェンディからの手紙で知ってはいたけど、君達、本当に仲良しだね。ちょっと妬けるよ」
「……」
お嬢様の手紙には一体何が書かれていたのだろう、とレベッカが思ったその時、クリストファーが再び視線を向けてきた。
「今度、またウェンディや君が気に入りそうな本を探しておくよ。楽しみにしててくれ」
「……はい」
その言葉に感謝して頭を下げる。ウェンディはまだムッとした顔をしていた。
クリストファーが帰ってきた次の日、見知らぬ客が屋敷を訪れた。眼鏡をかけて、立派な髭をもつ壮年の男性だ。
クリストファーが真剣な顔をして、その客を出迎える。そして、その客はウェンディの部屋へと入っていった。
「……?」
今のは、誰なのだろう?そう思ったその時、メイド長から声をかけられた。
「レベッカ、しばらくお嬢様の部屋には入らない方がいいわ」
「あ……はい」
そう言われ、反射的に頷く。その後、迷いつつも、思い切って、メイド長に尋ねた。
「今、お嬢様のお部屋に入ったのは、どなたなのでしょうか?」
メイド長は顔を曇らせ、一瞬目を泳がせたが、すぐに口を開いた。
「……あなたは知っておいた方がいいわね」
メイド長は顔を曇らせたまま少し小さな声で言葉を重ねた。
「高名な魔術師の方よ。……お嬢様の、呪いを解くために、クリストファー様が依頼したの」
その言葉に大きく目を見開いた。
「な、治るんですか?痣が?」
メイド長は難しい顔をした。
「分からないわ。今までも、何度か有名な医者や魔術師の方をお招きして、痣を見てもらったのだけど……全然ダメだったの。でも、もしかしたら……、今度こそは……」
メイド長の言葉に期待が高まる。その後は仕事をしても、どこか上の空だった。ウェンディのことが心配で、何度か部屋の前へ行き、ウロウロする。
やがて、ウェンディの部屋からクリストファーと魔術師の男性が出てきた。
「あ……」
慌てて物陰に隠れる。クリストファーは落胆したような顔をしており、魔術師も申し訳なさそうに頭を下げていた。その様子で結果を察して、レベッカも肩を落とした。
魔術師はすぐにその場から立ち去り、あとには暗い表情のクリストファーが残された。レベッカはその背中に、おずおずと声をかけた。
「……あの」
クリストファーが振り返り、レベッカの姿を見て一瞬戸惑ったような顔をする。その後、無理矢理笑顔を作って口を開いた。
「……やあ、レベッカ」
「あの、お嬢様は……」
レベッカの言葉に、クリストファーが顔を強張らせた。
「……少し、話そうか。庭に出よう」
クリストファーにそう言われ、レベッカは戸惑いながらも頷く。そして庭へ向かって歩き始めたクリストファーの後ろから、静かに付いていった。
外に出ると、雲一つない澄んだ青空が広がっていた。柔らかい日差しが降り注いでいる。穏やかで、気持ちのいい日だ。
広大な庭園にてクリストファーが立ち止まった。その顔は、深い失望を宿している。しばらく沈黙していたが、やがて暗い表情のまま頭を抱え、口を開いた。
「……今、来ていたのは、有名な魔術師の方なんだ。ウェンディの痣を、見てもらった」
「……はい」
レベッカは短く返事をして、クリストファーを見つめる。クリストファーが苦しそうな顔をして、大きなため息をついた。
「――ダメだった」
拳を強く握りながら、レベッカから顔をそらし、下を向く。クリストファーは震えながら、声を出した。
「今度こそは、と思っていたのに。解けない、と言われた」
「……」
「妹の、呪いは……解けないんだ。どうしても。このままでは、あの子は……一生、あの醜い痣を刻まれたまま、……ひとりぼっちだ。……部屋から出ることを、諦めて……この、太陽の下を歩くこともできない……」
「……クリストファー様」
思わず声をかけると、クリストファーがようやく顔を上げた。再び無理矢理笑みを作る。
「すまないね。君にこんな愚痴を言ってしまって……」
「いえ」
慌てて首を横に振る。
再び沈黙が落ちた。レベッカがどう言葉をかけようか悩んでいたその時、クリストファーが何かを思い出したような顔をして、口を開いた。
「そうだ、レベッカに頼みがあるんだ」
「は、はい。何でしょうか」
「もうすぐ、ウェンディの誕生日なんだ。一週間後」
「えっ」
知らなかったため、思わず大きな声をあげた。
「普通なら盛大なパーティーを開くところなんだが……それは、難しくてね」
「はあ……」
そうだろうな、と心の中でこっそり頷く。伯爵家の令嬢なら、多くの友人を招いて誕生日パーティーを開くところだが、部屋に籠っているウェンディは盛大なパーティーは嫌がるだろうし、パーティーに招く友人はいないのだろう。
「もしよければ、今年は僕と君と、3人でウェンディの誕生日を祝いたいんだ。ウェンディもきっと喜ぶだろうし」
クリストファーの言葉に、ウェンディの笑顔を想像して、レベッカは頷いた。
「承知しました」
レベッカの答えに、クリストファーが顔を綻ばせた。
「よかった。楽しい誕生日になりそうだな」
「あの、何を準備すればよろしいですか?」
レベッカの問いかけに、クリストファーは笑いながら首を横に振った。
「何もいらないよ。僕と一緒に、ウェンディを祝ってくれるだけでいいんだ」
「はあ……」
「ケーキや食事なら僕が手配するから」
その言葉にコクリと頷いた。
ウェンディの誕生日を祝うことになって、レベッカは焦った。クリストファーからは何も準備はいらないと言われたが、やはりプレゼントは必須だろう。
「う~ん」
仕事が終わった後、久しぶりに街へと出向き、いろんな店を見て回る。ウェンディへのプレゼントに何を買えばいいのか、分からない。
「服……、玩具、ぬいぐるみとか……?」
9歳になる女の子、それも伯爵令嬢に何を送るべきか、全く見当がつかない。いろいろな店を見て回ったが、いまいちピンとこなかった。
よく考えてみれば、ウェンディが何が好きなのか、あまりよく知らないな、とレベッカは思った。
「本が好きなのは知ってるけど……」
無難に、ウェンディが気に入りそうな冒険ものの本を購入するかな、と考え、本屋へ足を向けようとしたその時だった。
「……あ」
装飾品の店の、ガラス張りの飾り棚にある商品が目に入った。
「……」
少し考えて、その店へと足を踏み入れた。
一週間後、メイド長から許可をもらい、お昼にウェンディの部屋へと向かった。
「失礼します」
扉をノックして部屋へ入ると、既にクリストファーは部屋の中で待っていた。
「やあ、レベッカ」
ウェンディもレベッカを見て声をあげる。
「ベッカ!おしょくじをもってきたの?」
レベッカは少し笑って首を横に振った。
「いいえ。今日は仕事ではありません」
「……?」
ウェンディがキョトンとする。レベッカはゆっくりとウェンディへ近づき、しゃがんでウェンディと目線を合わせた。
「――今日は、お祝いのためにここに参りました」
ウェンディが驚いたような顔をする。レベッカは微笑みながら、言葉を重ねた。
「9歳のお誕生日、おめでとうございます」
ウェンディが顔を赤くして、パッとクリストファーの方を振り返った。クリストファーも微笑みながら頷く。ウェンディは再びレベッカの方へと顔を向け、震えながら口を開いた。
「お、おいわい、してくれるの?ベッカも?」
レベッカは頷き、ウェンディの両手をそっと握った。
「はい、もちろん。――お嬢様がこの世界に生まれ、出会えた奇跡に感謝します」
レベッカの言葉に、ウェンディの顔が固まった。
一瞬の後、ポロポロと涙を流し始める。その涙を見て、レベッカは慌てて声を出した。
「お、お嬢様、どうされましたか?嫌でしたか?」
「ちがうよ、レベッカ。なあ、ウェンディ?」
クリストファーが笑いながら口を挟んできて、ウェンディが何度もコクコクと頷いた。
「ウェンディは嬉しくて泣いてるんだよ」
クリストファーの声を聞きながら、レベッカはオロオロとハンカチを取り出してウェンディの涙を拭った。
「――あ、りがとう、ベッカ」
ウェンディが震えながら声を出した。
「わ、たくしも、あなたと、であえて、うれしいわ」
そう言って、ようやく笑顔になった。レベッカも微笑み返す。
「さあ、そろそろ食事にしよう。もちろんケーキもあるよ」
クリストファーがそう言うと、ノックの音が聞こえ、数人の使用人達が入ってきた。瞬く間に、たくさんの料理とケーキが並べられる。
「ベッカ、いっしょにたべましょう」
ウェンディがレベッカの手を握り、引いた。レベッカも笑いながら頷き、ウェンディと共にテーブルへ向かった。
食事中、ウェンディはずっと上機嫌だった。はしゃいだ様子で無邪気に笑い声をあげながら、何度もクリストファーとレベッカに話しかけ、楽しそうにケーキを食べる。
レベッカも共に笑いながら、食事を楽しんだ。
食事が終了し、クリストファーが使用人を呼び出すために、立ち上がる。レベッカはソワソワとしながら、ウェンディに向かって口を開いた。
「あ、あの、お嬢様」
「なあに?」
レベッカは準備していたプレゼントの包みを取り出し、ウェンディへと差し出した。
「これ、プレゼント、です」
「えっ」
ウェンディがまた驚いたような顔をする。
「わ、わたくし、に?」
「えっと、その、あまり高級な物ではありませんし、もしかしたら、気に入らないかも、しれませんが……」
ウェンディはレベッカの言葉が耳に入らないような様子で、その包みを受け取り、すぐにそれを開いた。
「わぁ……」
包みに入っていたのは、レースのリボンだった。繊細な刺繍の、可愛らしいデザインだ。
「……」
ウェンディは呆けたように、言葉を出さずにそれを見つめる。レベッカはその反応に不安になって、何かを誤魔化すように口を開いた。
「あ、あの、お嬢様に、似合いそうだな、と思って……で、でも、気に入らなければ――」
「きにいらないわけ、ないでしょう」
ウェンディがムッとしたように言葉を返してくる。そして、顔を綻ばせて、リボンを包みごと優しく抱き締めた。
「ありがとう、ベッカ」
「は、はい」
レベッカは安心して、ホッと胸を撫で下ろす。ウェンディが笑顔のまま口を開いた。
「かみに、つけるね」
「あ、私がいたしましょうか?」
「えっ」
レベッカは軽く頷いて、ウェンディの後ろに回った。そして、また言葉をかける。
「もしよければ、私が髪を、お結びしますよ」
ウェンディは一瞬緊張したように体を固くしたが、すぐにレベッカにリボンを差し出してきた。
「じゃあ、おねがい」
「はい」
サラサラの長い金髪に触れ、丁寧に後ろで編み込む。最後に、自分が贈ったレースのリボンを結んだ。
「出来ました」
「かがみ、みせて」
「はい」
ウェンディの部屋にある手鏡を持ってくると、ウェンディは鏡を手に持ち、それをじっと見つめた。
「どうでしょうか?」
レベッカが声をかけると、ウェンディが顔を上げ、ニッコリと笑った。
「ベッカ」
「はい」
「しゃがんで」
そう命じられて、キョトンとしながらも、言われた通り、その場に腰を下ろす。しゃがんだ瞬間、ウェンディが正面からレベッカに抱きついた。驚きのあまり、レベッカは全身が硬直した。
「わたくし、こんなに、しわあせなおたんじょうび、はじめてよ」
耳元でウェンディが囁き、レベッカの心臓が高鳴った。
「ありがとう、ベッカ。だいすき」
その言葉に、レベッカは喜びを感じながら、ゆっくりとウェンディの背中へと腕を回す。
二人の抱き合う姿を、クリストファーは穏やかに微笑みながら、静かに見つめていた。




