ウェンディの夢
ガチャン、ガチャンと金属音が鳴り響く。
ウェンディは静かな部屋でタイプライターを打っていた。少し伸びてきた髪は後ろで1つに束ね、視線は自分が紡ぎ出す文章をまっすぐに見つめている。
しばらく指を動かしていたが、やがてピタリと止まった。少し考えるように目を閉じるが、すぐに開いて目の前のタイプライターを睨む。
「うーん……」
思い悩むように、ウェンディは声を出す。現在、執筆している小説の展開について大いに迷っていた。
今書いているのは、10代の少年・少女向けのファンタジー小説であり、シリーズ物の続編でもある。元々は一作で終了するはずだった作品だったが想像以上に人気となってしまい、読者と出版社から望まれてシリーズ化することとなった。壮大なスケールの世界観での物語であり、ウェンディが得意とする冒険物だ。
「……」
ウェンディは無言で自分の書いた作品を見つめ小さく息を吐いた。物語の展開は決めていて、あとは文章として表現するだけ、のはずだった。
──だが、
「……これ、面白いのかしら?」
そんなことを思い浮かべ、声に出した。小説家として成功をおさめ、何冊もの作品を世に発表してきた。だが、何度書いても、そんな疑問が頭に浮かんでしまう。
「……」
考えていても仕方ない。少し休憩しよう。
ウェンディは立ち上がると、私室の扉を開け、声をあげた。
「ベッカぁ」
一緒に暮らしている恋人の名前を呼ぶ。
いつもなら呼べばすぐに来るはずの彼女は、来なかった。
なぜ来ないのだろう?と首をかしげたが、
「……あ」
すぐに思い出す。
今日、レベッカは不在だった。午後から家政婦のドロシーの家に遊びに行ってしまった。ドロシーの夫が所有している畑で、大量の芋が収穫できるらしい。ドロシーに誘われたレベッカは、昼食の後に嬉しそうに笑いながら、
「今夜はお芋パーティーですよっ。楽しみにしていてくださいね」
そう言って、ワクワクした様子で家を出た。恐らく今頃は嬉々として芋掘りをしているのだろう。ウェンディは額を手で抑え軽くため息を落とす。仕方なく部屋を出ると、自らキッチンへと向かった。食料品が詰まっている戸棚をあさると、クラッカーを発見したのでそのまま取り出す。お茶を入れるか一瞬迷い、結局ワインとグラスを用意した。昼間だが、少しくらいいいだろう。
ソファに腰を下ろすと、ワインを開けてグラスに注いだ。1口飲んでから、クラッカーを囓る。スパイスとチーズの香りが口に広がる。濃厚な味が、ワインに合っていて美味しい。このクラッカーはどこで買ったんだろう、と頭の中で呟いたそのすぐ後でレベッカの言葉を思い出した。
『リーシーが買ってきてくれたんですよ。好きな時に食べてくださいね。お酒にも合うそうですよ』
その時のレベッカの笑顔を思い出して、ウェンディは思わず苦々しい顔をした。
ウェンディは、レベッカがリースエラゴと仲がいいのがとにかく気に入らない。自分の一番はレベッカだし、レベッカの一番は自分じゃないと我慢できない。勿論レベッカが自分のことを愛してくれているのは分かっている。でも恐らくレベッカの中の、“一番仲のいい友人”はリースエラゴだ。
ウェンディはしかめっ面をしたままワインを一気に飲み干した。
「……チッ」
レベッカには絶対に見せられない表情をしながら、髪をかきあげ、舌打ちをする。
レベッカが自分以外の人間と親しいということが嫌で嫌でたまらない。だからといってリースエラゴの来訪を拒否することはできない。そんなことをすればレベッカはとても悲しむだろう。それは絶対に駄目だ。リースエラゴのことは気に入らないが、レベッカの悲しい顔を見るくらいなら、自分が我慢する方がマシだ。
モヤモヤした思いを抱えたまま、ワインを飲み続ける。
レベッカの願いを、ウェンディは何でも叶えてあげたい。そもそも、静かなこの島に移住してきたのはウェンディのワガママだ。レベッカはウェンディのために安定した暮らしを捨てて、ここまでついてきてくれた。ウェンディはこの島での穏やかな暮らしをとても気に入っているが、住んでいると少なからず不便な事はある。きっと自分の知らない所でレベッカも苦労しているだろう。それでもレベッカは文句や愚痴ひとつ言わずにこの島での暮らしを続けてくれている。そんな彼女に心から感謝している。だからこそ、ウェンディはできる限りレベッカの望みを叶えてあげたい、と思っている。
──思ってはいるのだが。
「……あの人、次はいつ来るのかしら」
それでも気に入らないものは気に入らない。忌々しいことに、リースエラゴは頻繁にここを訪れる。どうやらレベッカのことを心配しているらしく、この屋敷を尋ねてきてはレベッカの様子を確認しているらしい。ここに来る度に、珍しい食べ物や小物をお土産として持ってくる。今、ウェンディの手にあるクラッカーもその1つだ。それは感謝しているが、できればここに来るのは控えてほしいというのが本音である。
ウェンディはグラスに注いだワインを飲み干すと、ソファに横たわった。クッションを抱き締めながら、瞳を閉じる。
レベッカにはずっとウェンディのことだけを考えていてほしい。目を逸らさないで、こちらだけを見つめていてほしい。いや、できればずっとこの腕に抱いて、可愛がりたい。ウェンディ以外を見ないようにこの屋敷に閉じ込めて──
「……」
真っ黒で暗い感情に心が支配される。硬くて歪な思いを抱く自分に気付き、思わずフッと笑った。そのままゆっくりと瞳を開く。レベッカは想像もしていないだろう。ウェンディがこんな思いを抱いていることを。
ウェンディの重い執着心は昔から変わらない。こんな思いを抱いていることをレベッカに知られたら、流石に多少引かれるかもしれない。それは悲しいので、できる限り感情を外に出さないようにしなくては。
自制心について考えているうちに、眠気の波がゆるゆると押し寄せる。そのままウェンディは微睡みの中へと落ちていった。
◆◆◆
『ウェンディ』
──兄の声が聞こえる。
『ウェンディ、大丈夫だよ』
雲の上にいるみたいにフワフワする。頭が虚ろになったように妙な不快感がある。すぐに、意識の奥底で悟った。
これは夢だ。
『ウェンディ』
兄の声が優しく言い聞かせるように頭の中に響いた。
『レベッカのことなら大丈夫。頑張って探しているんだ。きっとすぐに見つかるからね』
──ああ、懐かしい。
レベッカが実の家族に誘拐されてから、何度も兄から言われた言葉だ。
あの数年間は正直思い出したくない。レベッカがいないあの日々。毎日苦しくて寂しくて死んでしまいそうだった。
レベッカが失踪してから、ウェンディは夜になると、窓辺に座り月明かりの下でレベッカを待っていた。レベッカがそばにいないだけでつらくて悲しくて、毎日泣いていた。胸が空っぽになり、心が孤独で沈む。悲しみで気が狂いそうだった。それでもレベッカを信じて、ずっとずっと、待ち続けた。彼女は、必ず自分の元に帰ってくると信じていた。
そんなウェンディを支えて寄り添ってくれたのは大好きな兄だった。
兄のクリストファーはできる限りの事をしてくれた。レベッカの行方を探して調査を重ねて、時には捜索隊を直接指揮してくれた。必死にレベッカを探してくれたのだ。
──最初の数年は。
『ウェンディ。たまには一緒に外に出てみないか?』
兄がそんな事を言うようになったのはウェンディが学園に入学してからしばらく経った頃だった。
『パーティーがあるんだ。僕と一緒に出席してみよう』
それまでのウェンディは社交界を避けてきた。兄とレベッカ以外の人間が好きではなかったし、根本的に華やかな社交の場に興味がなかったからだ。兄の顔を立てて、絶対に出席が必要なパーティーやお茶会等は渋々出向いていたが、それもほとんどは最初に少し顔を出すだけで、すぐに帰る。入学した学園でも全く友人を作らずに、日常のほとんどを勉強か読書、小説を書くことに費やしていた。それを悲しいと思ったことはない。ウェンディは社交も人間も嫌いで、友人をほしいとも思ったことはなかった。
ウェンディのそんな性格を、兄は一番に理解していたはずなのに。
『綺麗なドレスを用意しよう。アクセサリーや靴も、何でもウェンディが気に入った物を買えばいい』
顔をしかめたウェンディに対して、クリストファーは何かを誤魔化すかのように曖昧に微笑みながら、説得してきた。
『きっと楽しいよ。美味しい料理がいっぱいあるし、ウェンディと同年代の子も来るんだ。きっと友達がたくさんできるよ』
──そんなの、少しも興味がない。全然欲しくない。
華やかなドレスも、綺麗なアクセサリーも、煌びやかなパーティーも、美味しい料理も、同じくらいの年齢の友達も。
──全く欲しいとは思わない。
ウェンディが求めるのは、誰よりも呑気だけど誰よりも優しいあのメイドだけなのに。
どうして、こんなことを兄は言うのだろう。
『ウェンディ、少しずつでいいんだ。もう少し外に目を向けてみよう。君と関わりを持って親しくなりたいと思う人はたくさんいるよ』
それが何になるというのだろう。ウェンディは少しも他人に興味なんてないし、友人を必要としたことはないのに。
兄に説得されて渋々出席したパーティーは、想像通り居心地が悪かったし苦痛だった。パーティーの間はずっと兄がそばにいてフォローをしてくれたが、率直に言ってずっと不快で気持ち悪かった。楽しくもないのに笑うことを強制され、興味のない人間と話さなければならない。あまりにも不愉快で吐き気がする。
──ああ、なんて最悪。忌まわしい。
ウェンディは自分が貴族に向いていないことを強く自覚した。
屋敷に戻り窮屈なドレスを脱ぐと、すぐにウェンディは兄の書斎へと向かった。これ以上はパーティーなどの社交の場に出たくないこと、学園から卒業後は自分を伯爵家から除籍してほしいことを話すと、流石に兄は動揺したようだった。
『除籍って意味が分かっているのか?そんなことはできない!無理に決まっているだろう!?何を考えているんだ!!』
珍しく怒りを露にした兄は、書斎の机に強く手を打ち付ける。ドンと大きな音がしたが、ウェンディは少しも怯まなかった。
兄とこんなにも大喧嘩をするのは生まれて初めてだった。できるだけ冷静にと思ってはいたが、話を続けるうちにウェンディも兄も感情的になってくる。
『ウェンディ、頼むから、もう少し人との関わりを持ってくれ。外の世界に目を向けてくれ。君が父のせいであんな呪いに苦しめられたのは申し訳ないと思っている。だけど、もうずっと前に終わったことだろう?君も大人になったんだ。そろそろ、現実を受け入れてほしい。レベッカのことも、もう諦めて……』
最後の言葉に耳を疑った。
『……レベッカの捜索は打ち切ることにする』
目の前が真っ暗になる。頭を殴られたようなショックで、全身の体温が一気に低下したような気がした。
『捜索は費用もかかるし人員も割く。そして、2年以上探しているのに何の手がかりもない。もうそろそろ諦めるべきだ』
口がカラカラに乾いて何も言えない。意識がバラバラになって壊れてしまいそうだ。目の前の兄の姿が何か異様な物に見える。
『これだけ探しても見つからないんだ。普通に考えると、レベッカの意思で姿を消してどこかに行ったか、もしくは……もう亡くな──』
その言葉が終わる前に、ウェンディは兄に掴みかかった。
動揺と衝撃のあまり、自分が兄に向かって何を言ったのかは覚えていない。泣き叫びながら兄の胸を何度も叩いていた所に、兄の妻が入ってきて力ずくで止められた。
結局のところ、その後、リゼッテに説得されて兄はレベッカ捜索は続けてくれた。しかし、捜索そのものは小規模なものに切り替えられることになった。
それからのウェンディは本当の意味でひとりぼっちになった。もう兄を信じることは出来ない。これまではレベッカを除いて兄は唯一の大切な存在だった。だけど、レベッカを諦めた事はウェンディへの裏切りだ。
怒りが激しく噴き上げ、全身が震えた。憎悪が神経を貫く。
幼い頃から敬愛していた兄を、心から軽蔑した。絶対に許せない。
どれほどの時を経ても、レベッカへの思いは風化することも色褪せることもなかった。身を焦がすほどの恋しさだけが蓄積され、強くなる。
きっと、自分は頭がおかしいのだろう。一介のメイドにこんなにも強い想いを抱き、執着するなんて。
だけど仕方ないじゃないか。幼い頃から彼女だけを愛していた。誰よりも何よりも。頭がおかしくなって気が狂いそうなほど彼女だけを求めている。
自分の思いは、ただ1つ。
ただ、あなたにもう一度会いたい。
それだけ。
──お金を貯めよう。
ウェンディは1つの決心をした。
もう誰も頼れない。自分でレベッカを探そう。少しずつ準備をして、学園を卒業したら家を出る。兄が止めようとも絶対に家を出るのだ。そして、旅をしながら、自分の手でレベッカを探そう。そのために、少しでもお金を稼ごう。
小説を書くのだ。誰もが面白いと思う小説を。傑作だと言われるような小説を。
『お嬢様』
大好きなメイドを探すために、書くのだ。自分にしか書けない作品を。
書いて、書いて、書いて、書き続けよう。
『お嬢様』
私は、諦めない。決して。あなたに再び会うためならば。
あなたは私にとっての光だった。だから、ずっとずっと探し続ける。
信じ続けるの。
──ベッカ、あなたに会いたいから。
◆◆◆
「──様!、ウェンディ様!」
悲しみの夢が一気に遠ざかり、ハッと目を開ける。いつの間にか帰宅していたらしいレベッカが、ウェンディを覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?すみません、起こしちゃって……なんだか苦しそうな顔をしていたので」
そう言われて、ようやく自分がソファで寝てしまい夢を見ていたことに気づく。
ノロノロと起き上がると、窓へと視線を向ける。既に外の世界は夕闇に染まっていた。まだ眠気が残っており、全身が痺れている。すこし頭痛もする。頭を抑えながら、レベッカの方へと目を向けた。
「ベッカ……」
レベッカは全身が土で汚れていた。背負っているリュックが重そうだ。きっと、たくさんの芋が入っているのだろう。
ウェンディがぼんやりとレベッカを見つめていると、レベッカはニパッと笑った。
「ウェンディ様、ただいま!」
その言葉にウェンディは一瞬呆然として、息を呑んだ。胸の奥底から温かいものが込み上げてきて、視界が滲む。そんなウェンディを見て、レベッカは驚いて目を丸くする。
「えっ、え?どうされました?どこか具合が悪いんですか!?」
レベッカはウェンディの様子に困惑しているようだった。そんなレベッカを見つめながら、ウェンディは涙を流してそのまま顔を手で覆う。その姿にレベッカはますます慌てふためき、戸惑ってオロオロする。
「ウェンディ様、ウェンディ様!?どうしたんですか?どこか痛いんですか!?」
「……ううん、違うの」
ウェンディは必死に涙を止めようとするが、感情が込み上げてきてうまくいかない。しばらく経ってから、ようやく落ち着きを取り戻すと、手を顔から離す。すぐに心配そうな顔をした愛する人の姿が視界に入ってくる。
緑の瞳から涙を流しながら、ウェンディは微笑んだ。
「おかえり、ベッカ」
本日、8月4日で『転生したメイドですが、大切なお嬢様の様子がちょっとおかしい』連載を開始して四周年を迎えました。
今回は四周年記念としてウェンディ視点の短編を書きました。本編を改めて読み返すと、ウェンディ視点ってかなり少ないので、書くことができて楽しかったです。今後も細々とですが番外編を更新していきます。読んでいただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。




