ホープ
お久しぶりです。
少し違う雰囲気の番外編を書きました。
メイドだったレベッカの話です。
「レベッカ」
名前を呼ばれ、廊下の窓ふきをしていたレベッカは顔を上げた。いつの間にか目の前にはメイド長が立っている。メイド長は見るからに不機嫌そうな顔をして腕を組んでいた。
「……どうされました?」
レベッカがそう問いかけると、メイド長は手を頬を当てて言葉を返してきた。
「あの子、見なかった?」
「あの子……?」
レベッカは誰を指しているのか分からず首をかしげる。
「新人の子よ。休憩の時間がもうすぐ終わるの。仕事を頼みたいのに、どこにもいなくて」
メイド長のその言葉にようやくピンときて声をあげた。
「ホープのことですか?」
メイド長はうんざりしたような顔で頷いた。レベッカは苦笑しながら言葉を続ける。
「探してきますよ」
「そう?悪いわね。お願いするわ。もう、若い子はすぐに怠けるんだから……」
ブツブツと文句を言うメイド長から逃げるように、レベッカはその場から足を踏み出した。掃除道具を元の場所に戻し、まっすぐに裏庭へと向かう。
新人のメイドは、そこにいるはずだ。
レベッカが裏庭へと向かうと、思った通り1人のメイドの姿が見えた。屋敷の扉の前にある階段に座っている。
「ホープ」
そう名前を呼ぶと、新人のメイドはこちらへと視線を向けた。
「あー……、こんにちはぁ、レベッカさん」
ホープは手に持った煙草を隠そうともせずに、ふにゃりと笑った。
「何をやっているの、もう……、メイド長が探していたわ。それにここは禁煙よ」
レベッカがそう言うとホープは「あー」と言いながら、軽く首をかしげた。
「少し気晴らししたくて……。禁煙なのは屋敷の中でしょ?ここは外ですよ。それにまだ休憩時間は終わってないし」
そう言いながら、悪びれることもなく煙草を口先に咥える。レベッカは思わず大きなため息を吐きそうになるのを、必死に堪えた。
このホープというメイドは、少し前にこの屋敷で働き始めた新人だ。
『ホープ・ヴィルマーです。よろしくお願いしまぁす』
最初に使用人達の前で挨拶をした時、屋敷で働く男性達のほとんどが色めき立った。それもそのはず、このメイドはかなりの美人なのだ。
ミルクティー色の波打つような豊かな髪に、大きな瞳はやや垂れていて愛らしい。全体的に甘い顔立ちをしており、その可愛らしい容姿に男性のほとんどが見惚れた。小柄で華奢だが、豊満な胸部を持っている。
その美貌から、屋敷で働く男性達の間で人気が高く、頻繁に彼女を巡って喧嘩している。その事が他の女性使用人から反感を買っているらしく、仲のいい人間はいないようだ。
しかし、本人は特にその事を気にしている様子はなく、特定の男性と付き合うこともない。いつも1人でヘラヘラと笑っている。マイペースというか、自由でつかみどころがなく、何を考えているのか分からない不思議な女性だ。指示された仕事は一応きちんとこなすのだが、仕事の合間に、こうして裏庭に赴いては煙草を楽しんでいる。
「……煙草は体に悪いわよ」
レベッカがそう言うと、ホープは首をかしげながら答えた。
「やめられないんですよねぇ……頑張ったんですけど、どうしても我慢できなくて」
笑みと共に煙を吐き出す。小さな白い煙が空へと伸びていく。それを見つめるホープの瞳は、どこか寂しげに見えた。
「こんなところでずっと煙草を吸っていたの?昼食は?」
「あー……」
ホープは苦笑いしながら視線をそらした。
「なんかぁ、私の分の食事はないみたいで……」
レベッカは思わず頭を抱えた。
男性から注目の的となっているホープは、女性の使用人達から軽い嫌がらせを受けているらしい。恐らく、この屋敷内でこうしてホープと普通に会話をしている使用人はレベッカくらいだろう。昼食がなかったのも他のメイドか使用人からの嫌がらせの1つに違いない。
「仕方ないわね……」
レベッカは顔をしかめながらポケットを探ると、包みを取り出した。
「はい、これ」
ホープに向かって差し出すと、彼女は首をかしげながら受け取ってくれた。
「少ないけど何も食べないよりはマシでしょ」
ホープが包み紙を開くとそこには小さなクッキーが数個入っていた。
「レベッカさんのおやつですかぁ?」
「顔見知りのコックから、新作の味見をしてくれって言われてね」
レベッカが肩をすくめると、ホープはクスクスと笑った。
「レベッカさんは甘いものが好きなんですねぇ」
そのままホープはクッキーを1つ口に放り込む。そのままモグモグと食べると大きく頭を下げた。
「ありがとうございますっ。これでお仕事頑張れますぅ」
「……頑張るのはいいけど本当に煙草はやめなさいよ」
その言葉にホープは笑ったまま何も答えずに足早に去っていった。
数日後、レベッカがゴミを捨てるために裏庭に向かうと、
「……ホープ、何してるの?」
再び階段に座り込んでいるホープを見つけた。煙草を手にぼんやりとしている。
「ああ、どうも~。また会いましたねぇ」
ホープはレベッカと目が合うと軽く手を上げた。
「確か、あなたはメイド長から廊下の掃除を頼まれていたでしょ?なんでここに──」
レベッカの言葉が止まる。ホープのすぐそばにある白い布切れに視線が止まった。
「あはは。午後の休憩の時に脱いで……目を離したら、いつの間にかこうなっちゃってたんですよねぇ」
白い布切れの正体は、破れてボロボロになったエプロンだった。
「誰が──」
そう言いかけて、口を閉じる。恐らくはホープを嫌っているメイドの仕業だろう。相変わらず嫌がらせは続いているらしい。思わずため息をつくと、ホープは無言で曖昧に微笑みながら煙草を口に咥えた。
「ホープ、こんな所で煙草なんか吸っていないで、早くメイド長か執事の所に行きなさい。エプロンくらいなら、予備があるだろうしすぐ用意できるはずよ」
レベッカがそう言うとホープは煙草を口から離し、首をかしげた。
「いやぁ……実は、少し前にも制服のワンピースがダメになっちゃったんですよ。新しい制服はもらえたんですけど……。流石に、メイド長には言いにくくて……」
そのダメになったというワンピースも他のメイドの仕業だろうということは容易に想像できた。
「……メイド長に事情を話せば」
レベッカがそう言うと、ホープは肩をすくめた。
「話しても、多分私が怒られるだけでしょうから。もしくは今度こそ減給になるかなぁ」
「……」
レベッカは顔をしかめたが何も言い返せなかった。メイド長は事なかれ主義だ。悪い人間ではないのだが、トラブルや争い事を嫌っているため、人間関係の不和には介入してはくれないだろう。
レベッカの様子に構わず、ホープは呟くように言葉をこぼした。
「エプロンどうしようかなぁ……」
そう言いながらも、ホープはあまり困ったようには見えない。煙草をそっと唇にくわえ、煙を吐き出す。
レベッカは再び大きなため息を1つ落とすと、口を開いた。
「一緒に来なさい」
「へ?」
ホープは一瞬不思議そうな顔をしたが、レベッカは廊下を示しながら手招きすると、きょとんとしながらも手早く煙草の処理をした後、素直に付いてきた。
ホープを連れてレベッカは自室に向かう。部屋に設置されている小さなクローゼットを開けると中を探った。やがて、クローゼットの隅っこから目的の物を発見すると、それを取り出した。
「これを使いなさい」
それは、古いエプロンだった。かなり古い物で、長い間クローゼットに眠っていたから少し変な匂いはするが、十分使えるだろう。
「私のお古で申し訳ないけど……」
そう言いながら、ホープに差し出す。あまりにも古いエプロンだから、もしかしたら嫌がられるかもしれないなと思ったが、ホープは嬉しそうに笑った。
「えっ、いいんですかぁ?」
ホープはそれを受け取るとすぐに装着する。思ったよりもサイズは少し大きいようだ。だが、ホープは特に気にする様子はなく、無邪気に笑いながら頭を下げてきた。
「レベッカさん、ありがとうございます!本当に助かりましたぁ」
レベッカはホッとして頷いた。
「どういたしまして。でも、これからは気を付けなさい。服だけじゃなくて、私物はきちんと管理するようにしなさい」
レベッカの言葉にホープは何度も頷く。レベッカはそんなホープを見つめながら少し考えた後、言い聞かせるように言葉を重ねた。
「他の人に……メイド達から酷いことをされてるでしょう?上の人に相談しましょう。あなたが言いにくいのなら、私から──」
レベッカの言葉を遮るようにホープは手をヒラヒラと振った。
「いえっ、たいしたことないし……大丈夫ですっ。私、あまり気にしてないので」
「いや、でも……」
「本当に、大丈夫ですっ」
ホープは大きく頭を下げると、
「そろそろ仕事に戻ります。本当にありがとうございましたぁ」
そう言って足早に去っていった。
レベッカはそんな彼女の後ろ姿を見送りながら、本日3回目のため息を落とした。
ホープにお古のエプロンを上げてから1週間ほど経った。
その日は仕事が忙しく、夕食を取るのが遅くなってしまった。
使用人専用の食堂に行くと、想像通りほとんど人はいない。レベッカは1人で設置された椅子に座り、料理人から受け取った夕食をテーブルに乗せた。パンをスープに浸して食べようとしたその時だった。
「ここ、いいですかぁ?」
声をかけられ、顔を上げると、食事のトレイを手にしたホープが立っていた。レベッカの返事を待たずに向かい側の椅子に腰を下ろす。
「あなたもこれから食事?」
「はい。レベッカさんと同じ時間になるなんて珍しいですねぇ」
ホープはそう言いながらスプーンを手に取り、スープを口にする。
レベッカはパンを食べながら、ホープを正面から見つめた。
──本当に綺麗な子だわ。
近くで見ると、改めてそう感じる。信じられないほど細くて、小さい。愛くるしく、あどけない顔立ちで、まるで小鳥のような女性だなとレベッカは思った。特に美しいのは、とろんとしている青い瞳だろう。海というよりは空に近い色で、キラキラと輝いている。今着ているメイド服を脱いで綺麗なドレスを身に付ければ、貴族の令嬢に見えるに違いない。あまりにも可憐な容姿に、眩しさえ感じる。彼女ほど美しい女性は今まで見たことない。
──嫉妬するメイド達の気持ちがよく分かるわ。
心の中でそう呟いたレベッカは一瞬躊躇った後、ホープに言葉をかけた。
「ホープ、最近は……その、どうなの?」
「どうって、何がですかぁ?」
「その……他の使用人達から……」
レベッカが言いにくそうにしながらもそう言うと、ホープは苦笑した。
「ん~、相変わらずですよぉ」
あまりにも軽くそう返してきたため、レベッカの顔は強張った。
「前にも言ったけど、上の人に言った方がいいわ」
「う~ん、でも言ってもきっと私の態度が悪いからとか言われて叱られるだけで、何も変わらないと思うんですよねぇ。むしろ、もっと悪化する可能性もあるし」
レベッカは思わず食事をする手を止め、ホープの顔を正面から見つめた。ホープは首をかしげながら、またふにゃりと笑った。
「大丈夫ですよぉ。私、我慢強いのが取り柄なんで」
ホープはパクパクと肉を食べながら、言葉を重ねた。
「子どもの頃から、我慢するのが得意で、痛みには強いんですよぉ」
そう語るホープの姿をレベッカはしばらく無言で見つめる。目の前のこの女性の子ども時代というのが全然想像できない。
「そういえばあなたってどこの出身?王都ではないわよね?それに、ここに来るまではどこで働いていたの?」
レベッカが直接そう尋ねると、
「えーと、ここから少し離れた小さな街です……まあ、いろいろあって街を出ちゃいましたけど」
ホープは食事を食べながら身の上話をしてくれた。
ホープは街の中心部から少し離れた場所で生まれ、小さな家で両親と3人で暮らしていたらしい。ホープが生まれた頃は、平凡でどこにでもある普通の家庭だった。しかし──
「私が小さい頃に、父が難病にかかってしまったんです。それで、その治療や薬にかなりお金が必要になっちゃって……生活はかなり厳しくなりましたねぇ」
ホープはほとんど表情を変えずに淡々と語った。
3人の生活は母親が1人で働き、必死にやりくりをしていたようだ。ホープが生まれ育った家庭が、経済的にも精神的にもかなり苦しい生活だったという事は、語られなくてもすぐに察することができた。
「それは大変だったわね……」
レベッカがそう言うと、ホープは微かに瞳を揺らせた。
「ん~、そうでもないですよぉ。よくある話じゃないですか。世の中には私よりももっと大変な人がいるし」
それから寂しそうに笑った。
「父も母も、いつも優しくて、頑張っていて……いい両親でしたよ。ただ……病気のせいで父は寝たきりになっちゃって、家の中では、常に父の体調が最優先になりました。母はいつも忙しく働いててほとんど家にはいなくて……だから、両親とゆっくりお話ししたり、遊んだりはできなかったので、少し残念でした。でも父の体調が一番大切だったから仕方ないですよねぇ……」
それを聞いて、なんとなくホープが人一倍我慢強い理由が分かった気がした。幼少期からそのような生活環境だったために、我慢することが当然となり、自分自身を後回しにする癖がついてしまったのだろう。
「それで、父は頑張ったんですけど、私が15歳の時に亡くなって……その後を追うように母も風邪をこじらせて肺炎になって亡くなったんです」
両親を亡くしたホープは、しばらくは叔母の家に居候させてもらうことになった。だが、叔母とホープの両親はあまり仲が良くなかったらしく、そこは居心地のいい場所とは言えなかったらしい。そのため、ホープは早々に職を決めて働くことにしたそうだ。
「それで、最初は商売をしている大きなお家で下働きをしていたんです。掃除をしたり雑用をしたり……」
そこで真面目に働いていたホープは、職人の1人と恋仲になった。
「あら……」
思わずレベッカは声を出した。いろんな男性に言い寄られても、ホープはのらりくらりとかわしている印象なので、1人の男性を選んだという事実に純粋に驚いたのだ。
「どんな人だったの?」
興味を持ったレベッカが少し前のめりになってそう尋ねると、ホープは苦笑しながら答えてくれた。
「おおらかで、優しくて……それに、すごく年上の人でした。私、いつもそうなんですよね……年の離れた男性に魅力を感じて、好きになっちゃうんです」
順調に付き合いを続けていたが、ある時突然、男はホープに金を貸してくれないかと頼んできたらしい。驚いたホープがわけを尋ねると、男は悲痛な面持ちで事情を話してくれた。どうやら、男の母親が病気になって莫大な金が必要だとのことだった。
それを聞いたレベッカはとても嫌な予感がした。
「それで、それはすごく大変だろうなと思って、今まで貯めていたお金を渡したんです。そうしたら、次の日から連絡が取れなくなっちゃって……」
予想通りの話に頭を抱えそうになった。
「職場もいつの間にか辞めていて、家を訪ねても誰もいなくて……それで、その事を叔母に話したらものすごく怒られちゃって……」
そう語るホープは遠い目をしていたが、不思議なことにあまり悲しそうな顔をしていなかった。
「職場でも、なぜか私に関していろいろとよくない噂が流れちゃってて……まあほとんどデタラメだったんですけど。それで、なんかもう、いろいろと嫌になっちゃって……仕事を辞めてしまいました。この時から煙草を吸うのがクセになって、手放せなくなっちゃいましたねぇ」
恐らく、身体も心も疲れきっていたのだろうな、とレベッカは思った。
「両親のことも、お金のことも、……彼のことも、全部忘れたくて。それで、遠くに行こうと思ったんです。叔母も賛成してくれて……ここを紹介してくれたんです。なんでも、叔母の友人の知り合い?がここのメイド長で。メイドとして働くのは初めてだけど、なんとかなるかな~って」
「あなた、お気楽というか、本当にのんきねぇ」
レベッカの言葉に、ホープはキョトンとした後、ふにゃりと笑った。
「もうね、いろいろ考えるのがめんどくさいんですよぉ。私、元からこんな性格だから……どうせ誰もお話してくれないし、嫌われるし。変わりたくても、変わる気力もないですし」
ホープは呟くようにそう言った後、ふとレベッカの方へまっすぐに視線を向けた。
「レベッカさんだけですね……私とこうやって正面から話してくれるのは。どうして私に構ってくれるんですか?」
「それは……」
「あと、困っている時にも手助けしてくれますよね。どうしてですか?」
「どうしてって……」
そう問いかけられて、レベッカはどう答えればいいか分からず、言葉に詰まる。
自分でも、なぜこの女性に関わってしまうのか分からない。とても厄介で性格的にも難のあるこの同僚を、なんとなく放っておけないと思ってしまう。自分でもなぜこんな風に接しているのかよく分からない。
「……別に。特に、意味はないわよ」
結局レベッカは迷いながらもそう答えるしかなかった。
「あなたがとても困っていたから、声をかけたの。それだけだわ……」
「そうですかぁ」
ホープは首をかしげながらそう呟く。特にそれ以上何も言わなかった。
2人揃って黙り込む。なんだか少し変な空気になってしまった。レベッカが気まずげに視線をそらそうとしたその時、
「あ、そういえば……」
ホープが何かを思い出したように声をあげた。
「噂で聞いたんですけど、もうすぐお祭り?みたいなのがあるそうですねぇ」
ホープにそう話しかけられて、レベッカはハッとして慌てて頷いた。
「え、ええ……近くの街でね」
「レベッカさんは行ったことありますかぁ?」
レベッカはキョトンとしながら首を横に振った。
「いいえ……私は、あまり騒がしい所は苦手だから……。一緒に行く人もいないし」
そう言うとホープは微笑みながら言葉を続けた。
「私、行ってみようかと思って。ちょうど仕事もお休みだし」
「え?誰と?」
思わずレベッカがそう尋ねると、ホープは悪戯っぽく笑った。
「ひみつでーす」
孤立しているホープは、この屋敷内で親しい人間はいない。外でできた友人か、もしくは恋人と行くのだろうか。
レベッカがそう考えている間にも、ホープは楽しそうに話し続けた。
「聞いた所によると、たくさん出店が出て、花火とかもあるって。楽しみだなぁ」
うきうきとした表情のホープに、レベッカは無言で曖昧な笑みを返した。
そんな会話を交わした、数週間後。
夜遅くに仕事が終わり、自室に戻ったレベッカが寝る準備をしていると、扉がコンコンと音を立てた。
「こんにちはぁ」
扉の外に立っていたのはホープだった。突然の来訪に戸惑うレベッカに、ホープは軽く頭を下げて挨拶をする。すぐに大きな包みをレベッカに差し出してきた。
「これ、どうぞー」
「何これ?」
レベッカが戸惑いながらそう返すと、ホープは笑いながら答えた。
「今日、街のお祭りがあって、ちょっと行ってきたんですよぉ」
「ああ……そういえばそんな事を言ってたわね」
「はい。それで、レベッカさんにお土産?というか、プレゼントですぅ」
「ええ?」
レベッカは戸惑いながら、ホープの手にある包みを見つめた。
「私に?なんで?」
「それは、ほら、いつもお世話になってるし……あと、エプロンのお返しに……」
「ああ」
レベッカは思わず笑った。
「気にしなくてもいいのに……あれは古着よ?」
「でもすごく助かりましたからぁ」
ホープが包みを前に出してきたため、レベッカはそれを受け取った。
「ええと、もしよければぜひ使ってください!」
ホープはペコリと軽く頭を下げると、パタパタと足早に去ってしまった。
それを見送り、扉を閉めたレベッカは包みを開ける。
「あら……」
中に入っていたのは、明るい色合いで手触りのいい膝掛けだった。今の季節にピッタリだ。
しげしげとそれを見つめたレベッカはフッと軽く笑う。
「意外と義理堅いのね、あの子」
椅子に座るとゆっくりとそれを広げ、膝の上にかけた。膝掛けの感触を楽しみながら、先程のホープの様子に思いを巡らせる。いつもの何かを誤魔化すような笑みは見えず、心からの幸せに満ちあふれた笑顔だった。きっと、祭りがとても楽しかったのだろう。
「ホープって、あんな風に笑えるのね……」
ポツリとそう呟く。そんなレベッカの姿を、夜空の月だけが見つめていた。
それから数ヶ月後。
ここ最近、屋敷内の雰囲気が変わった気がした。なんとなくだが、ピリピリとした空気が漂っている。
「どうしたんですか?」
険しい顔をしているメイド長や執事に尋ねるが、誰も何も話してくれない。困惑しながらも、レベッカはいつも通り仕事をこなした。
「レベッカ、ホープを知らない?」
ある日の夕方、なぜかイライラしているメイド長にそう聞かれたレベッカは首をかしげた。
「あの子、今日はお休みだったはずでは?」
ホープは最近体調不良が続き、青い顔をしていることが多い。なぜか煙草を吸うのも止めたようだ。フラフラしながらなんとか働いていたが、とうとう今日は休んでしまった。
メイド長が舌打ちをして言葉を返す。
「部屋で寝ていると思ったんだけど、いないのよ。悪いけど探してきてくれる?」
「何か仕事が残っているなら私がしますよ。あの子は休ませてあげてください」
レベッカがそう言うが、難しい顔をしたメイド長はキッパリと言い放った。
「あの子を探して、連れてきてちょうだい」
「でも、メイド長……」
「いいから、連れてきて!」
鋭い声に、それ以上言い返すのを諦めて、レベッカはホープを探すために足を動かした。
多分、いつもの所にいるだろう。
裏庭に足を向けると、思った通りホープは階段に座っていた。煙草を吸うこともなく、ぼんやりと空を眺めている。
「ホープ」
レベッカが名前を呼ぶが、ホープは気づかない様子でその場から動かない。
「ホープ、何をしているの?」
少し大きな声でそう言うと、ホープはようやく気づいたようで、ノロノロとレベッカの方へ顔を向けてきた。
その顔を正面から見たレベッカは思わずギョッとする。ホープの両頬は赤く腫れあがっていた。
「どうしたの、ホープ!?」
慌ててホープに駆け寄り、その肩を掴みながら改めて顔を確認する。明らかに誰かに殴られた跡だ。ホープの事を気に入らない誰かの仕業だろうか。軽い嫌がらせどころの話ではない。直接的な暴力をふるうとは信じられない。
「あー、これは……ちょっと……」
ホープはとても複雑そうな顔をして言葉を詰まらせる。レベッカはそんな彼女の手を引いた。
「とにかく、顔を冷やしましょう。キッチンに行って、氷を貰えば……」
レベッカがそう言うが、ホープはゆるゆると首を横に振った。
「いいですよぉ。放っておいてください。そのうち治ります」
「でもかなり腫れてるわ」
「大丈夫ですって。見た目ほど痛くないし……これくらい慣れてますからぁ」
ホープはふにゃりと笑う。そんなホープの様子になぜか怒りを覚えたレベッカは、
「ホープ、いい加減になさい!」
大声を出す。ホープは目を丸くしてをして固まった。レベッカは大声を出した自分自身にびっくりしたが、そのまま言葉を重ねた。
「いい加減に、自分を放置するのをやめなさい。あなたは、傷ついている。身体だけじゃなく、心も。本当はつらくて苦しいのに、気づかないふりをしているだけなんでしょう?自分の傷を軽く見ないで。自分を蔑ろにしないで」
レベッカは言葉を続けながら、手を伸ばす。
「お願いだから、痛みを無視しないで。……自分自身を見捨てないで。このままでは、あなたの心が壊れてしまうわ」
その手を、優しく握った。
「限界まで我慢なんてしなくていいのよ、ホープ」
「……何ですか、それ。馬鹿みたい」
レベッカから視線をそらすようにホープは顔を伏せる。そして、ボソボソと呟いた。
「私は、こんな生き方しか知らないのに、そんなことできない。変わることなんて、できないんです。私の事を、何もかも分かっているような、見透かしたような事、言わないでください……」
「それじゃあ、教えてちょうだい」
レベッカがそう言うと、ホープは驚いたように顔を上げる。
「あなたのこと、教えて。あなたが思っていること、考えていることを、話してほしいの」
レベッカはまっすぐにホープの青い瞳を見つめた。
「私は、あなたのことを、知りたい」
レベッカを見返しながら、ホープは息を呑んだ。その後、いつものようにふにゃりと微笑む。
「……そんなこと、初めて言われました」
ホープは瞳を潤ませながら、頭を抑える。そして呟く。
「悔しいなぁ……」
「え?」
ホープの言葉の意味が分からず、レベッカは首をかしげた。
「本当に、悔しいなぁ……もっと早く、レベッカさんと話しておけばよかった……私のこと、止めてくれたかもしれないのに」
その時、誰かがこちらへと歩いてくる音が聞こえた。レベッカとホープがそちらへ顔を向ける前に、メイド長の鋭い声が飛んでくる。
「ホープ!!やっと見つけた!」
レベッカに目もくれず、メイド長はズンズンと近づいてくると、ホープの手を取り強引に立たせる。
「こちらへ来なさい!!」
その剣幕に驚きながら、レベッカは思わず口を挟んだ。
「メイド長、ちょっと──」
レベッカがメイド長に向かって言葉を続けようとしたその時、ホープが口を開いた。
「大丈夫です。すぐに行きます。その前に……少しだけ」
ホープはメイド長に手を掴まれたまま、レベッカに向かってペコリと頭を下げた。
「レベッカさん、いろいろとありがとうございました。私、……ここに来てよかったと思っています。だって……レベッカさんに出会えたから」
「え?」
レベッカは困惑しながら声を出す。そんなレベッカを見つめながら、ホープは微笑んだ。それはいつもの誤魔化すような笑みではなくて、どこか晴れやかな表情に見えた。
「私、前の職場でもすぐ嫌われて、全然親しい人ができなくて……近づいてくるのは男の人ばかりで。少し、寂しかったんです。ここでも、どうせ1人だろうな、と思ってました。でも、レベッカさんがよく話しかけてくれるから……少しだけ、楽しかったです」
どう応えればいいのか分からず、無言でホープを見返す。
「私と正面から向き合ってお話してくれて、嬉しかったです。私を、見てくれて……見捨てないでくれて、ありがとうございました」
ホープは再び小さく頭を下げると、そのままメイド長に引き連れられて去っていった。
それが、レベッカが見たホープの最後の姿となった。
その翌日、メイド長から、ホープが辞職したことを告げられた。
なぜ突然メイドを辞めたのか、どこに行ってしまったのか。使用人達の間でも話題になったが、下級メイドは誰も何も知らず、そしてレベッカも事情を知る術はなかった。メイド長や執事は知っているようだが、ホープの事を問いかけると全員が口を閉ざしてしまう。レベッカの知らない所で、ホープは何か大きな失敗をしてしまったのだろうか。
──だけど、結局のところレベッカには無関係で、何もできることはない。
ホープが屋敷からいなくなっても、レベッカの周りは、ほとんど何も変わらない。与えられた仕事をこなしていく。大変だけど、そんな日々は嫌いじゃない。ずっとこうやって生きてきたのだから。だけど──
「なんとなく……」
寂しいな、と思ってしまうのは、きっと気のせいに違いない。
レベッカは心の中で自分自身に言い聞かせながら、目の前の仕事に集中した。
そんな日々が終わったのは、ホープが消えて数ヶ月経った日のことだった。
突然、レベッカはメイド長に呼び出された。何か粗相をしたのだろうか、と最近の自分の行動を思い返しながらメイド長の部屋へと向かう。何も心当たりを見つけられないまま、扉をノックした。
「入って」
そう声が聞こえたため、すぐに扉を開ける。
「失礼します……」
メイド長の部屋へ足を踏み入れる。そして、ある存在にすぐに気づいた。目に飛び込んできたそれを、一瞬認識できずに絶句して硬直する。
メイド長は、赤ん坊を抱いていた。
「……どこの子ですか、それ」
レベッカは扉の前で立ち止まったまま声を出す。メイド長の腕の中にいる子どもはどう見ても乳児で、スヤスヤと眠っていた。
メイド長は青白い顔で、大きなため息をついた。
「とにかく、座って。レベッカ」
そう言われて、困惑しながら設置されたソファに腰を下ろす。その間も、赤ん坊に視線が釘付けになっていた。メイド長は暗い顔をしたままレベッカと向き合うように座ると、そのまま言葉を重ねた。
「突然悪いんだけど、あなたに新しい仕事を頼みたいの、レベッカ──年寄りのあなたに頼むのは本当に申し訳ないんだけど」
そう言われて、レベッカは思わず自分の手にチラリと目を向ける。
──ああ、この手も随分とシワシワになったものだ。
歳を重ねるごとに、シワが増えてきた。髪は白くなり、腰も曲がって、視力や聴力も衰えつつある。そんな自分に新しい仕事を任せるなんて、何を考えているのだろうかこの人は。
「メイド長、新しい仕事とは……」
メイド長はしかめっ面のまま赤ん坊をチラリと見た。
「この子の面倒を見てほしいのよ……」
「はあ?なぜ私に……?そもそもその子は一体どこの──」
その時、レベッカの声に反応したように赤ん坊が目を覚ました。泣くこともせず、きょとんととしながらレベッカの方へと顔を向ける。その瞳を見て、レベッカは息を呑んだ。
──青い瞳だった。まるで、空のような。
「メ、メイド長……この子……」
レベッカが恐る恐る問いかけると、メイド長はまた1つ大きなため息をついて答えた。
「ホープと旦那様の……リオンフォール子爵の子どもよ」
その言葉に、レベッカは絶句した。
「そんなまさか……どうして……」
レベッカが震えながらそう声を出すと、メイド長は眉を寄せながらポツポツと事情を明かしてくれた。
この屋敷の主人であるリオンフォール子爵とホープは、密かな恋愛関係だった。リオンフォール子爵は当然のごとく既婚者であり、子どももいる。それも7人も。妻や子どもはもちろん、使用人にも知られないように、2人はこっそりと屋敷内で逢瀬を重ねていたらしい。
なぜ2人が深い関係になったのかは分からない。恐らく、ホープの美貌にリオンフォール子爵が惹かれて、口説いたのだろうと想像はつくが。
「お忍びで旦那様はホープを街のお祭りに連れ出したりしていたみたい」
そう説明されて、以前ホープが楽しそうにお祭りのことを話していた姿を思い出した。
子爵とホープは、他の使用人にもバレないよう相当用心して会っていたようだが、そんな関係が長続きするはずはない。最初に、子爵の身近で仕事をすることが多い執事やメイド長が、2人の関係に気づいてしまった。執事とメイド長は驚愕し、慌てて子爵と別れるようホープを説得しようとした。しかし、説き伏せる前に子爵夫人にもバレてしまったらしい。それを聞いて、思わずレベッカは口を挟む。
「……あの、最後にホープと会った時、あの子の頬が真っ赤だったんですが……それってまさか……」
「奥様が殴ったのよ……当たり前だけどかなり怒ったから……」
メイド長の言葉にレベッカは頭を抱えた。
子爵夫人から、ホープはかなり激しく詰められたらしい。怒り狂った夫人によって、ホープは解雇された。
リオンフォール子爵はホープを庇わなかった。妻の機嫌を取り、怒りを鎮めるのに必死で、ホープの事は完全に無視して屋敷から追い出される時も何も言わなかったらしい。
──だが、子爵夫妻はホープが妊娠していることには気づかなかった。
屋敷を追い出されたホープは叔母の家へと身を寄せたが、そこで赤ん坊を産み落とした。
「それが、この子ですか……」
レベッカは頭を抑えながら、赤ん坊に視線を向ける。赤ん坊は泣きもせずにどこかぼんやりとした表情でレベッカを見返してきた。
「ここに子どもを連れてきたんですか、ホープは……」
「違うわ」
メイド長がレベッカの言葉をはっきりと否定する。
「ホープは……亡くなったの。出産時に」
「え……」
レベッカは呆然としながら、目を見開いた。
「出血がひどくて助からなかったそうよ。亡くなる前に、この子の父親がリオンフォール子爵だと言い残したらしいわ。それで、あの子の叔母が、屋敷にこの子を連れてきて、置いていったの。親なのだから、責任を取れって言ってね」
メイド長は赤ん坊を抱え直しながら言葉を重ねた。
「瞳はホープと同じだけど、顔は子爵様似のようね。旦那様は最初は嫌がって拒否したけど、結局外聞を気にして引き取る事を決めたみたい。いろいろと噂をたてられることを恐れたようね。奥様はカンカンよ。当たり前だけど。子ども達も……特にジュリエット様は奥様と一緒に怒鳴ってるわ」
それはそうだろうな、とレベッカは心の中で呟く。わがままで気性の激しいジュリエットの相手をするのが自分でなくて本当によかったと、心の片隅で考えてしまう。
「旦那様からこの子を育てるように命令されたわ。でも、それ以上はこの子に何かをするつもりはないようなの。乳母をつけるつもりもないみたい。……レベッカ、あなたも想像はついてると思うけど、この子はこの屋敷で今後もひどい扱いをされるわ。恐らく、旦那様から放置され、奥様と他のお子様からも憎まれながら育つでしょう」
メイド長は真剣な目をしながら赤ん坊を見つめ、言葉を続けた。
「あなたに、この子の面倒を見てほしいの、レベッカ」
「なぜ、私が……」
「あなたなら、きっとこの子にも優しく温かく接してくれると思ったから……ホープにも優しかったあなたなら。……これでも、後悔してるのよ。もっと早く気づいてあげていたら……ホープに対してもっと言葉をかけてあげていたら、そうしたら結果は違っていたかもしれないのに」
メイド長はレベッカへと赤ん坊を差し出す。レベッカは恐る恐る自分の手で受け止めた。小さくて、温かい小さな命の存在を感じて、知らず知らずのうちに胸が熱くなる。
「ホープの子よ。でも、旦那様はこの子の母親について二度と口に出さないよう命じると思う。家族にも、使用人にも……口止めをするでしょう。この子は母親を知らないまま育つことになる」
なぜか、その時ホープの姿が脳裏に浮かんだ。最後のふにゃりとした笑顔を思い出して、涙が出そうになるのを堪える。レベッカは小さく言葉を返した。
「でも、愛を知ることができます」
メイド長がレベッカの顔に視線を向ける。レベッカは微笑むと、軽く頭を下げた。
「承知しました。私が、この子を引き受けましょう。大切に育て、護ってみせます。私の身体がどこまでもつかは分かりませんが……限界まで頑張りましょう」
きっと、これが自分の人生最後の仕事になる。
そんな予感がした。
レベッカの声に反応したように赤ん坊が小さな手を伸ばす。赤ん坊の手がレベッカの顔に触れる。その小さな指を、レベッカは優しく握る。そんな2人を姿を見てメイド長は安心したような表情を浮かべた。
「この子の名前は?」
メイド長は微笑みながら答える。
「キャロルと名付けられたわ」
「キャロル・リオンフォール様」
綺麗な名前だ、と思いながらレベッカはその青い瞳を見つめる。本当に母親そっくりの空のような瞳だ。でも、メイド長も言うように、顔立ちはあまり似ていない気がする。
「お嬢様……キャロル様」
名前を呼ぶと、赤ん坊は小さく笑う。
ふにゃりとした笑顔だった。レベッカはハッとして目を瞬かせる。その表情の中に、もういない女性の面影を見つけたような気がした。
レベッカはゆっくりと笑みを浮かべる。
「お嬢様……」
もう一度そっと呼びかける。赤ん坊が声をあげて笑うのと同時に、レベッカの目から静かに涙がこぼれ落ちた。
裏設定
※ホープ・ヴィルマー
かつてリオンフォール家に仕えていたメイド。決して賢くはなく、真面目でもない女性だったが、とても純粋だった。出産時に、娘の幸せを願いながら死亡。
※レベッカ・メンゼル
リオンフォール家最年長のメイド。若い頃にいろいろと苦労したらしくどこか冷めたところがあるが、愛情深い女性。この後6年間、専属のメイドとして、そして親代わりとなってキャロルを育てた。腰を痛めメイドを引退するが、最後までキャロルの身を案じていた。その後、生まれ故郷にて風邪を拗らせ肺炎となり亡くなった。




