World13-2「Bad world」
どこか緩慢にも見える動作で近寄る永久の威圧感に、英輔は思わず圧倒される。かつて刹那と戦った時も同じような感覚があったのをハッキリと覚えている。
額から吹き出した汗を拭い、雷の剣を握りしめて英輔は身構える。いつもなら先手必勝とでも言わんばかりに自分から向かって行く英輔だが、どれだけ強がっていても永久と戦うなんて現状は信じたくない。
「ちょ、ちょっと英輔……やめなさいよ! 冗談に決まってるじゃない、きっとそうよ! 永久はきっと刹那達を騙してるんだわ! 何か考えがあるのよ!」
上ずった声で必死にそう叫ぶ由愛の言葉も、この場ではもう滑稽でしかない。永久は止まらないし、ここにいる誰もが由愛の言葉を肯定しなかった。
「ねえ、ねえそうでしょ、永久……!?」
すがるような由愛の言葉に、永久は目を伏せて首を左右に振る。それは僅かな所作ではあったが、完全な否定だった。
瞬間、その場で由愛が泣き崩れる。いつもの虚勢もプレイドも削げ落ちて、見た目相応の子供らしくすすり泣く由愛を見た途端、英輔の全身が熱くなる。
「ッでだよ……」
どうして由愛が泣かなくちゃいけないのか、英輔にはわからない。彼女はただ逢いたくて、自分の心を救ってくれた恩人に、大好きな人に逢いたくて、ただそれだけだった。ずっと心配して心配して、誰よりも永久のことを気にかけて。
何でその由愛が悲しまなくちゃいけないのか、英輔には全くわからない。
だから熱くなる。それが許せなくて全身の血液が煮えたぎり、怒りで頭が沸騰しそうになる。こんなことが、あって良いハズがない。
「なんッでだよ……永久ァァァッ!」
その言葉をゴング代わりに、永久が凄まじい速度で英輔へ接近する。それへ応戦するように、英輔も雷の剣を構えて駈け出した。
「なんで由愛が泣いてンだ……答えろッ! 永久ァッ!」
剣と剣がぶつかり合う。その衝撃で、英輔の剣から雷の魔力が周囲で弾けた。
「自分で考えてよ、そんなこと。私が知るわけない」
「それが本気ならッ……本気だってンならなァッ!」
「――――っ!?」
英輔の魔力が一気に増幅される。それに気づいた永久が眉をピクリと動かした時には既に、英輔の振りぬいた剣が永久のショートソードを弾いていた。
「今ッここでッ! テメエをぶっ飛ばして目ェ覚まさせてやるッ!」
全身から電流を迸らせる英輔から数歩退き、永久は退屈そうに息をつく。
「……やってみせてよ。出来るの? ねえ、殺せるなら殺してよ、私のこと」
「坂崎永久、あなたは本当に坂崎永久ですか? 私には信じられない、一体何があったというのです……!」
静かに、それでも確かな怒りを伴いながら美奈子が問う。
「別に、何もないよ。ただ、知っただけ」
「あなた記憶が……!?」
英輔のポケットから顔を覗かせたプチ鏡子の言葉に、永久は小さく頷く。
「ねえ英輔。殺してみてよ、私のこと。出来るならもう私――――消えたいの」
「永久……!?」
「どこにももう、居場所なんてないから」
永久がそう呟いた瞬間、すすり泣いていた由愛が耳を塞いで絶叫する。ぼろぼろと涙をこぼしながら叫ぶその姿は最早赤ん坊と変わりない。
「嫌っ……いやあああああやめて! やめてよぉぉぉぉぉっ!」
「由愛さんっ!」
傍にいた美奈子が駆け寄ったところで由愛の絶叫は止まらない。絶望が鼓膜で反響し、それが伝播して英輔の目からも涙がこぼれた。
何がどうしてこんなことになったのか、推測すら満足に出来ない。ただただ許せなくて、けれど何が許せないのかすらもうわからなかった。
「永ォォォォ久ァァァァァッッ!」
広げた右腕に、英輔の魔力が集中する。全身全霊、全力全開の魔力をもってして一匹の虎が形成される。
それが無駄なことは知っている。永久の手には既に、魔力の類を完全に相殺するあのフランベルジュが握られている。
それでも、それでもぶつけずにはいられなかった。言葉でわからないなら、せめて力で英輔の、由愛の想いを、皆の想いを知って欲しかった。例え魔力は消されるとしても、想いは消されない。渾身の力で伝えたかった。
「知ってるよね、無駄なの。がっかりだよ、私」
「これが俺の全力だ……これしかねえッ! これだけなんだよォォォォォッ!」
大きく振りかぶられた右腕に伴い、電流の虎が雄叫びを上げながら永久へと向かって行く。その様子を見てクスリと笑みをこぼしたのは、永久ではなく後ろで見ている刹那だった。
「ほんと、馬鹿な子」
「ごめんね、英輔」
その言葉と同時に、英輔の魔力はフランベルジュによって完全に相殺される。しかし英輔は怯むどころか放った虎の陰に隠れて永久へと接近し始めていたのだ。
「こッのォォォォォォッ!」
身体に残った魔力をかき集め、再び右腕に集中される。電流を伴った拳が、力強く永久へ突き出された。
しかし永久はその拳を拒絶する。受け止めようともせずに身をかわすと、すぐさま英輔の首を右手で掴んだ。
「がァッ……!」
「ごめん、ごめんね」
悲しげにそう言って、永久は乱暴に英輔の身体を放り投げる。そのまま大木に打ち付けられて悶える英輔に、永久は容赦なく接近する。
その身体は既に黒いオーラが纏われており、動くたびに黒い残滓が発生していた。
「やめなさい! 永久っ!」
プチ鏡子の制止などもう意味はない。永久は英輔の顔面に拳を叩き込み、英輔の身体を大木にめり込ませる。それから数秒と経たない内に、英輔の後ろで大木が音を立てて折れ始めた。
「かはッ……ッ……ッッ!」
「坂崎永久っ!」
瞬間、永久の想定していない方向から弾丸が放たれる。右肩に命中した弾丸は、身体にめり込んだ瞬間、異常な速度で苦痛が全身へと広がっていく。うまく立っていられず、永久がふらついている隙に、美奈子は英輔へ駆け寄っていく。
「美奈っ子っ……さんっ……!?」
「アンチ・インフィニティ……時間稼ぎは出来ます、今の内にっ!」
「陛下に何をッ!」
永久の異変に気づき、激昂したナイトが美奈子へと接近する。しかしナイトの剣が振り下ろされるよりも、美奈子の次元歪曲システムが空間移動する方が早い。美奈子はすぐに次元の裂け目へ英輔を連れて飛び込むと、そのままその場から掻き消えてしまう。
「くっ……うぅっ……!」
「陛下!」
既に美奈子は由愛も避難させていたようで、そこにはもう永久を含む三人のアンリミテッドしかいない。右肩を抑えてうずくまる永久に駆け寄り、ナイトは不安そうにその様子を伺う。
「ああ……永久!」
そんな様子を見て、刹那は芝居がかったような仕草で永久へ背後から抱きつく。
「大丈夫? 痛いでしょそれ? 私も前に受けたからわかるわ。あなたの辛さ、痛みが」
「刹那……」
「辛かったでしょう? だってあの子達、友達だったものねえ」
刹那の言葉に、永久は小さく頷く。寄り添う、というよりはベッタリと張り付くかのように永久を抱きしめ、刹那は悲しげに目を伏せる。
「ねえ永久、消えたいだなんてダメよ。私達、もうずっと一緒でしょう?」
「うん、うん……そう、だよね……ごめんね」
アンチ・インフィニティの効力もかなり落ち着いてきたのか、永久の様子も少しずつ落ち着いていく。
「心配しないで。私がいる、だからあなたも、私の傍にいて頂戴ね」
優しい言葉は、まるで獲物を絡めとる蜘蛛の糸だ。気づいてか気づかずか、永久はその糸にしっかりと絡まりつつあった。
なんとか無事に逃げ込んだ後、英輔、由愛、美奈子、鏡子の四人は客室の一室に集まっていた。
英輔の傷はそれ程深くはなく、命に別状はないものの無事とは言い難い。ベッドに横たわる英輔に寄り添うようにして、由愛は未だにすすり泣いていた。
誰も言葉を発さない。重苦しい沈黙と由愛の泣く声だけが部屋のなかに充満していく。それに耐え切れなくなったのか、最初に口を開いたのは美奈子だった。
「坂崎永久は、本気で英輔さんを殺そうとしていたのでしょうか」
「……それはない、と思うわ」
どこか曖昧な言い回しだったが、鏡子は美奈子の言葉を否定する。
「意識していたかはわからないけど多分、加減はしていたハズよ」
鏡子のその言葉に、英輔は横たわったまま頷いた。
「ああ……。あいつは殺そうと思えばすぐに俺を殺せたハズなんだ……それをアイツッ……!」
加減されたことに安堵しているというよりは、どこか舐められていたことに憤っている、といった様子だ。英輔は憤懣やるかたないとでも言わんばかりに拳を握りしめている。
「永久がっ……永久がぁ……!」
ベッドを涙で濡らす由愛に、誰もうまく言葉をかけられない。それ程までに由愛のショックは深く見えた。
「永久がっ……永久が言ったの……私に、私に消えないでって言ってくれた永久がっ……」
――――どこにももう、居場所なんてないから。
「”消えたい”って……っ……居場所がないって……! ねえ、私どうしたら良いの……どうしたらっ……!」
誰にも否定されたくなかった、永久の示した由愛の道標。居場所はある、探せばきっと見つかる。それを今否定したのは、他の誰でもない永久だった。
「クソッ……クソォッ! 何も出来なかった……何もッ……俺はッ……!」
どうしたら良いかなんて、誰にもわからない。ただ聞こえるのは、由愛の嗚咽と、やり場のない怒りに震える英輔の声だけだった。




