World12-2「父と、娘と」
痛い。痛い痛い痛い痛い。まるで頭の中を無数の白蟻が這いずり回っているかのようなチリチリとした感覚に悶えながら、永久は目を見開いて両手で頭を抑える。
あちこち食いつぶされているかのようでとにかく頭が痛い。それと同時に、決壊したダムから水が溢れ出すかのように無数の映像がフラッシュバックする。
「ねえお父さん! どういうことなの!? ちゃんと説明してよ!」
わけもわからず泣きじゃくりながら男にすがりつくアリエルを、半ば睨むように見つめながら永久は苦痛に耐え続ける。その男はアリエルの父ではない、自分の、永久の父だ。そう確信出来たが、当の父親はそれを認めない。まるで永久を怨敵であるかのように睨みつけたまま、銃口を未だに突きつけている。
「アリエル、離してくれ。お願いだ」
「嫌だよ! どんな事情があったって、いきなり人を撃つなんておかしいよ!」
「アレは人じゃない。人じゃ……ないんだ」
まるで自分に言い聞かせているかのような口ぶりだった。男の手はまだ震えている。
男の名は、父の名はヨハン。ボンヤリとそう思い出しながら、永久は助けを乞うようにヨハンへ視線を向ける。しかし返ってきたのは無言と、畏怖と、憎悪だ。
「違う、私は……」
私は、何だ。その先の言葉が見つからない。人間だとでも言いたかったのだろうか。頭を片手で抑えたまま立ち上がり、永久は勢い良くヨハンを突き飛ばすと飛び出すようにしてパン屋を出て逃げ出した。その背中に、まだ銃口が向けられていることは何となくわかったが、それでも構わず永久は走り続けた。
あれから必死で走って、どこまで行ったのか自分でもわからない。辿り着いたのは巨大なゴミの山だった。なるべく一人になりたかったが、ゴミ山の周囲にはゴミを拾っている人達が数人おり、一人きりというわけにはいかない。
地面もゴミも汚いのは承知していたが、それでも永久は休みたくてゴミ山に寄り掛かるようにしてその場へ座り込む。目を閉じればヨハンの顔ばかり思い出してしまうから、目を開けてジッと目の前のゴミを見つめた。
まだ少し頭がズキズキする。記憶が戻ったせいか色々と混乱してまるで宙に浮いているかのようだった。
すっかり町並みは変わってしまっているが、間違いなくこの町は永久の生まれた町で、ヨハンは永久の父親だ。いや、厳密に言えば彼が父親ではないのは永久にだってわかっていたが、それでもヨハンを父親だと思っていたかった。
例えそれが、娘に銃口を向ける父親だったとしても。
胸が痛む。まるでヨハンの娘であるかのように振舞っていたアリエルのことを思い出すと、まるで心が細い糸で締め付けられているかのような感覚さえ覚える。
「お母さん……」
ふと呟いて、もう会えない母を想う。母との思い出は数える程しかない、永久が生まれて間もない内に母は息を引き取ったのだから。
きっとヨハンは今も母を想い続けているのだろう。昔からそうだった。ヨハンの目に映っているのはいつだって永久ではなく母だった。
そう考えればヨハンが永久へ憎悪を向けるのはそれ程わからないことでもない。理屈でそうわかったところで、辛いのも悲しいのも、決して紛れはしなかったけれど。
母は、永久のせいで死んだ。
永久がパン屋を去ってから入れ違いに、一人の男がパン屋を訪れていた。
まだヨハンもアリエルも落ち着いてなどおらず、アリエルに至っては未だに状況を理解していない状態での新たな来客は更にアリエルの気持ちをかき乱した。
ヨハンは訪れた男を見るやいなや、永久を睨みつけていた時以上の憎悪を込めて男の名を呼ぶ。男の名は――
「アンリミテッドポーン……!」
「ご無沙汰」
ニヤリと笑うポーンに、ヨハンはすかさず銃口を向ける。アンリミテッドに対してただの弾丸が通用しないのは最初からわかっていたが、それでも向けずにはいられない。
「あァ~~~~何年ぶりだっけなァ~~~覚えてねェや」
「何をしに来た? 何が目的だ?」
「決まってンだろ、愛しい愛しいテメエの娘さんに会いに来たんだよ。で、どこよ? アンリミテッドクイーンは」
ポーンのその言葉に、ヨハンは静かに首を左右に振る。
「私の娘は――アリエルはここにいる。アレは私の娘ではない」
そう言ってアリエルを大切そうに片手で抱き寄せるヨハンを見て、ポーンは小さく笑みをこぼす。
「言うねえ」
「クイーンは……アレは私から全てを奪ったキングの娘――――貴様らアンリミテッドと同じ化物だ」
「まあ間違っちゃいねェ。でもかわいそうになァ……パパに愛されてもらえねえってのは」
言葉でこそポーンは永久を憐れんでいたものの、表情は驚く程邪悪に笑んでいた。心底楽しいとでも言わんばかりのその表情は、アリエルだけでなくヨハンさえも恐怖させる。
「それにしても若いな、お前は。ほんとにあれから百年近く経ってンのかねェ?」
「えっ……?」
そこで戸惑いの声を上げたのはアリエルだ。ヨハンは黙したままただ、ポーンを睨み続ける。
「生きてること自体不思議なモンだぜ、人間ってのはもっと短い寿命で生きてるモンだろォ? そのテメエの中にある”欠片”……何か関係があるんじゃねえの?」
「言いたいことはそれだけか。ここにクイーンはいない、用がすんだなら失せろ」
「冷てェな。久々に会ったんだからもっと昔話に花咲かせようぜ?」
次の瞬間、痺れを切らしたヨハンの右手が引き金を引く。放たれた弾丸はまっすぐにポーンの胸部へ向かったが、ポーンはそれを右手で受けてニヤリと笑う。
「こんなモンで殺せるワケねェ~~~~だろォがよォ~~~~~~ッ! バッカかテメエはァッ!」
ケタケタと笑いながらそう言うと、ポーンはヨハンへ接近してその首根っこを掴み上げる。そんなポーンにアリエルはヨハンを助けようとして掴みかかるが、アリエルにはあまり興味がないのかポーンは適当に蹴り飛ばす。
「きゃあっ!」
「アリエルッ!」
床に転がったアリエルに視線を向けるヨハンだったが、その首は強く握りしめられる。
「かッ……はッ……」
「とりあえずその欠片だけくれや。うちの大将が集めてるらしいんでね」
締めあげられながらも、ヨハンはなんとか服の中に隠し持っていたナイフを取り出してポーンの右腕に突き刺す。しかしポーンはそれを気にも留めず、ヨハンをドアの方へ片手で投げ飛ばす。
ドアをぶち破って店の外へ転がったヨハンの元へ接近し、ポーンは短剣を両手に一本ずつ出現させてヨハンへ切りかかる。
転がりながら回避し、ヨハンはなんとか立ち上がってポーンから距離を取って身構えた。
「ヒャハッ! 欠片があると人間でも回復が速くて良いなァおい! 不老長寿にステータスアップと至れり尽くせりじゃねえか!」
「黙れ……!」
「どうだい? テメエの死ぬほど嫌いなアンリミテッドの力で生きながらえる気分ってのは?」
「黙れェェェェェッ!」
激昂してナイフで切りかかるヨハンだったが、ポーンはそれを遊び半分であるかのように受け流す。ヨハンはまるで相手になっていないのだ。
「お、父さん……!」
ややふらつきながらパン屋から顔を出すアリエルだったが、その表情は困惑と不安に満ちている。アリエルは至って普通の少女だったし、アンリミテッドだの欠片だのとは縁のない生活を送ってきたのだから状況がすぐに飲み込めないのは至極当然のことだった。
「あの子が、あの子が来てから……なんだかおかしくなっちゃったよ……」
それは永久のことだったか。
「実の娘をほったらかして親子ごっことは中々やるじゃねえの? え?」
「ごっこではない、アリエルは私の娘だッ!」
ナイフを振るヨハンの手に更に力が込められる。しかしそれすらもポーンは簡単に受け止めながら笑い声を上げた。
「欲しかったよなァ!? まともな、人間の娘が! あんな娘と食卓を囲みたかったかァ? あの女と――」
「これ以上……喋るなァァッ!」
激昂の叫びと共に振られたナイフは、いともたやすく弾かれて宙を舞う。そうしてがら空きになったヨハンの身体に、すかさずポーンの短剣が突き刺された。
「マリアとッ!」
「かッ……!」
血反吐をぶちまけながら倒れ伏すヨハン。アリエルが甲高い悲鳴を上げると同時に騒ぎを聞きつけた町の住人達が、野次馬が如くヨハン達を取り囲んだ。
「さーてそろそろ助けに来てくれるんじゃねえの」
ゆっくりと倒れたヨハンににじり寄り、ポーンは短剣を振り上げる。
「アイツ大好きだもんなぁ、パパのこと」
ぐにゃりと笑うポーンが短剣を持つ手に力を込める。ダメージが大きいせいで既にヨハンには回避するような余裕はない。
そんな中、野次馬の中を駆け抜ける一筋の閃光があった。否、これは比喩だ。閃光と呼ぶには輝きがなかったが、それでも閃光が如き速度であることに違いはない。
その閃光は一気に野次馬の中を抜けると同時に、ポーンの身体へ一直線に向かっていく。
「お父さんっ!」
それは永久だった。
ツインテールに結われた黒髪を振り乱しながら、永久は二本のショーテルでポーンへ切りかかる。
「ほうら」
すかさずポーンがショーテルを短剣で受け止め、甲高い金属音が耳を劈いた。
「やァっぱりきてくれたぁ♥」




