「龍の巣」
龍の伝説は多い。或いは神聖なものとして、或いは悪魔的なものとして、或いは人に仇なす存在として、様々な形で伝承されるソレは、いずれにせよ人知の及ばぬ超常的で強大なものとして伝わっている。
その龍が――目の前で静かに眠っているのだから、永久達の動揺たるや尋常ではないだろう。どちらかというと犬が眠っている時の姿勢に近いが、その体躯と威圧感は犬のソレとは遥かにかけ離れている。その強靭な鱗は、鋭い爪は、折りたたまれた巨大な翼は、創作物等でよく描かれる典型的なドラゴンの特徴と合致していた。
体長は大体十五メートルくらいだろうか、あまりにも規格外なそのサイズは、それだけで永久達を震え上がらせる。英輔のいた世界で戦った不完全体のルシファーもかなりのサイズだったが、恐らくこの龍のサイズには及ばないだろう。周囲は草木に満ちており、そのありふれた情景とあり得ない程に強大なこの龍の姿はよくマッチしており、一目見ただけなら龍の存在がまるで当たり前であるかのような錯覚さえ覚える。
あの化け物達を一掃した火炎が、この龍の口から放たれたのであれば、あの威力にも頷ける。鏡子はこの存在を「どちらかというとアンリミテッドに近い」と表現したが、どうしても今の永久には、この龍の方がアンリミテッドよりもよっぽど強大であるように感じられた。
英輔も由愛も、その規格外の存在に竦んでしまっているのか言葉を発さない。道中では鏡子の仇とでも言わんばかりに敵意を見せていた英輔も、あまりの強大さに言葉を失ってしまっている。
「道を開いたのは……お前か、鏡子」
低くしわがれた、老人のような声だった。どこか気だるそうに口を開いた龍に対して、鏡子はええ、とだけ短く答える。
「そしてそこの生娘……いや、それは姿だけか」
永久へ視線を向け、龍は何か危険なものでも見るかのように眉間にしわを寄せた。
「限り無き者よ。何を望んでここを訪れた」
「……知りたいの。アンリミテッドのことを」
真っ直ぐに龍の目を見据えて永久がそう答えると、龍はどういうわけか口を大きく開けて笑い始める。
「何を言うかアンリミテッド! 自分のことを私に聞くなどえらく滑稽だな! 遠路はるばる境界の果てまで私をからかいにでも来たのか……ん?」
ずい、と龍が永久へ顔を寄せる。笑ってはいたが、先程よりも威圧的な様子で龍は永久の顔を覗き込んだ。
「私には昔の記憶がない。だからアンリミテッドのことは……ほとんどわからない」
「知ってどうする? その不完全なコアを修復し、再びアンリミテッドクイーンとして君臨するつもりか?」
「……俺達はアンリミテッドと戦わなくちゃいけねえんだ。敵を知りたい」
永久と龍の会話に割って入るようにしてそう言ったのは、英輔だった。決して龍を恐れていないわけではなく、やはりどこか怯えているようにも見えるが、出来る限り強がって、睨むような目を龍へ向けている。
「戦う……アンリミテッドとか!」
言うやいなや、龍は再び大声を上げて笑い始める。この少年が、アンリミテッドと戦おうなどとのたまったのがたまらなくおかしかったらしく、豪快に笑い声を上げて周囲の草木を揺らせた。
「小僧それは本気か! この私ですら手に余るアンリミテッドと……そこの不完全なクイーンの数倍の戦力を誇るアンリミテッドと! 戦おうというのかそのちんけな力で!」
「だったらテメエを……この場でぶっ飛ばして証明するまでだッ!」
全身に雷を迸らせ、敵意を剥き出しにして身構えた英輔を、龍は小蝿か何かでも見るかのようにつまらなさそうな表情を見せた後、小さく息を吐いて見せた。
「行き急ぐな。震えた足では羽虫にも勝てぬ」
言われて初めて、英輔は自身の震えに気がつく。それは武者震いでも何でもない、ただ強大過ぎる何かを前にした時の恐ろしさからくる震えだ。英輔はこの龍を……心底から恐れていた。
「それでも私は、刹那を止めなくっちゃいけない。他のアンリミテッドだって、放ってなんておけないよ」
真っ直ぐに龍を見据え、永久は静かにそう言う。龍はしばらく考え込むような様子を見せていたが、いいだろう、と小さく答えた。
「だが私とて全てを知っているわけではない。誰よりもお前の記憶が、アンリミテッドのことを一番知っているということを忘れるなよ」
龍の言葉に、永久が小さく頷いたのを確認すると、再び龍は口を開く。
「最初に言っておく。クイーンを除く全てのアンリミテッドは……元は人の子だ」
「――っ!?」
その場にいた全員が、龍のその言葉に驚愕を隠せない。特に永久は、誰よりも動揺しているように見えた。
「ど、どういうことよ……どうしてクイーンだけ……!?」
「知らぬ。ただ一つ言えるのは、そこにいるクイーンからは人間の気配をほとんど感じぬということだけだ」
由愛の問いににべもなくそう答え、龍は更に語を継いだ。
「コアはそもそも私のように超常の存在が持っていたものだ。何がどうなって人の手に渡ったかは知らぬが、クイーン以外のアンリミテッドは人がコアを取り込み、また偶然適合しただけに過ぎん」
アンリミテッドが元々人間、それだけでもかなりの衝撃だったが、その中でもクイーンのみが人ではなかった……その事実が、永久だけでなく由愛や英輔、鏡子の胸にも重くのしかかる。
「もし本当にお前達がアンリミテッドを倒すつもりであるなら、アンリミテッドの核であるコアは、私やそこのクイーンのような超常の力でなければ破壊は不可能に等しい、ということだけは覚えておけ」
「原則として、アンリミテッドはアンリミテッドでなければ殺せない……ということね」
苦虫を噛み潰したかのような表情でそう言った鏡子に、龍はコクリと頷いた。
「そしてクイーン。今のお前ではアンリミテッドを完全に倒すことは絶対に出来ん」
「…………わかってる。今のままじゃ、きっと……」
刹那も、ポーンも、ビショップも、今の永久の力では手に負えない。ポーンはどうにか由愛の力を借りて撃退出来たものの、あんな不意打ち気味の戦術はもう通用しないだろうし、ビショップだってどちらかというと撃退したというよりはこちらを見逃してくれたと言った方が正しい。そして刹那に至っては、全員の力を総動員して撃退するのがやっとだったレベルだ。
今もどこかで刹那が、あの時のような表情で破壊と殺戮を繰り返している……そう考えただけで焦燥感が募る。どうしようもない感覚が永久をいてもたってもいられなくさせる。しかし走り出したとて刹那の元になど辿り着けないし、辿り着けたとしても永久の力だけではかなわない。気づけば永久は、右手を強く握りしめていた。
「どういうわけかは知らぬが、アンリミテッドクイーンは他のアンリミテッドを狩っていた」
「――っ!?」
瞬間、永久の顔つきが変わる。
「狩っていた……? 他のアンリミテッドを……どうして!?」
普段の永久からは想像もつかない程声を荒らげて、永久は龍に問いかける。アンリミテッドを殺さなければならない、そう思い込んではいたが、何故自分がアンリミテッドを殺さなければならないのか……それに関する部分はすっぽりと永久の中で抜け落ちてしまっていたのだ。それがわかれば、何か大切なことを思い出せるような気がして、永久は龍ににじり寄るが、龍はかぶりを振るだけだった。
「理由はわからぬ。だがクイーン……お前が他のアンリミテッドを人の手で封じれるレベルまで破壊したことだけは確かだ」
クイーンが他のアンリミテッドを狩る……。今の永久達からしてみれば明らかに仲間割れだが、記憶がないとは言え永久もポーンやビショップと過去に仲間だったようにはほんの少しも感じられなかった。
「クイーンが封じられる際、クイーンの持っていた『アンリミテッドを破壊するための武器』はクイーンとは別の場所に封じられた。お前はまず、それを手に入れる必要がある」
「アンリミテッドを破壊するための……武器……?」
「そうだ。クイーンによって生み出されたそれが封じられた世界……。私が直接門を開いておいてやろう」
「……えらく協力的ね。どういう風の吹き回しなのかしら」
不可解そうな表情で会話に割って入ってきたのは、鏡子だった。どこか龍を疑うような目で見つめる鏡子に、龍は仕方ないなとでも言わんばかりの表情を見せる。
「先程は大きな口をきいたが、私とてアンリミテッドと戦いたくはない。クイーン、お前が私に危害を加えぬと約束するのであれば門を開こう……こう言えば違和感はあるまい」
「……わかった、約束する……。それともう一つ」
チラリと英輔と鏡子を見た後、永久は再び龍へ視線を据える。
「鏡子さんのこと、この境界から解放してほしい」
「な……ッ! おい永久! 何でお前が――」
「鏡子さんにも英輔にも沢山助けられたし……ね?」
そう言って微笑んだ永久に、英輔はしばらく動揺した様子のままだったが、すぐにかなわねえな、と呟いた後息を小さく吐いた。
「……それはお前達がアンリミテッドを破壊し、世界のバランスを戻した後の話だ。死した魂を呼び戻した対価は、それで良しということにしておいてやる」
その言葉に最も驚いたのは、他でもない鏡子だった。
「そ、それ……本当に……!?」
「二言はない。アンリミテッドの破壊は百年の管理と同等かそれ以上の対価として扱える、それだけのことだ」
喜びからか、その場で鏡子が泣き崩れる。彼女を縛り付けていた数十年がどれ程孤独で、どれ程の苦痛だったか……。永遠とも感じられる時の中、あの路地裏で境界を管理し続けてきた鏡子にとって、境界からの解放は何よりも望んでいたことだった。
「……アンタ、本当は優しいんじゃねーか?」
泣き崩れた鏡子の肩に手を置きつつ、ややおどけた様子で英輔はそう言ったが、龍は面白くなさそうに目をそむける。
「アンリミテッドを倒そうなどとのたまうお前らのことを、少し見ていたくなったのでな……」
その後、永久達は龍の力によって直接路地裏へと戻された。既に門は龍によって開かれており、次の世界へ向かうための裂け目が路地裏には出現している。
永久達は一晩客室で休息を取った後、すぐに次の世界へ向かうことを決めた。
「……微かだけど感じられるわ。欠片よりももっと大きな力……アンリミテッドに近いわ」
恐らくそれが龍の言う「アンリミテッドを倒すための武器」なのだろう。裂け目の向こうには神社の鳥居らしきものが見えており、どこか見たことのあるような風景に、永久は複雑な感覚を覚える。
――――私達はアンリミテッドクイーン……コアによって生まれた無限の存在。
月光に照らされ、血に染まった剣を恍惚とした表情で見る刹那の姿。神社という場所は、あの光景を思い出さずにはいられなかった。
「……行こう」
自身の決意を固めるかのように呟いた永久に、由愛と英輔は強く頷く。
ゆっくりと踏み出した一歩に、迷いはなかった。




