World8-5「彼のことを想わずにはいられなかった」
高速で繰り出される男の短剣と、ほぼ同じ速度で繰り出されるショーテルがぶつかり合い、甲高い金属音を鳴らし続けていた。男も少女も一歩も引かず、互いに一瞬の隙を狙いながら己の武器を最速で相手へ叩き込まんと振り続けている。少女は、ただ淡々と、男は快楽に浸るかのような表情で。
「悲しいよなァ~……テメエはよォ~~ッ!?」
下卑た笑みを浮かべながら男はそう言ったが、少女は答えない。まるで今の言葉が自分に向けられたものではなかったかのように、ほんの少しも反応を見せなかった。
「テメエはずーーーーっとそうやって生きてくんだなァ~……」
それでも男は、少女に対して言葉を続けた。
「まるでテメエは人形だ……それも糸の切れた――主人さえ持たない人形……そうは思わねェかァ……? なァ? おい、聞いてるかァーッ!?」
瞬間、少女の繰り出すショーテルの速度が速まる。咄嗟のことに対応し切れなかったのか、男は少女のショーテルに弾かれるようにしてバックステップで距離を取った後、再び笑みを浮かべた。
「イイネその顔……超イイネ! そうやってテメエは俺達を憎しみで殺すんだァ……」
「黙れ、貴様と話すことは何もない」
「そうかい、つれないね」
ピシャリと言い放つ少女に、男は肩をすくめながらおどけた様子でそう答える。
少女の瞳に映る確かな怒りが自分へ向けられていることが、男はたまらなく心地良かった。本当に人形のように、淡々と戦っていた彼女が、自分に対して感情を……それも人の感情の中でも負の側面の強い部類に入る「怒り」や「憎しみ」を向けている……それがたまらなく心地良くて、男は更に少女を怒らせてやりたいとさえ思う。
人の負の感情を見るのが心地良い。我ながら特殊な部類に入る性癖を持ったものだと思いながらも、そういう風に生まれついてしまった以上は仕方がない。男はそれを抑えず、享受し、謳歌することを選んだ。
「なァ、テメエは誰のために戦ってンだ」
「黙れ」
俯いた少女の口から、小さく怒気が漏れる。
「俺達を殺してテメエは何を得る?」
「黙れ……っ」
男は、口を閉ざさない。少女が語気を荒らげるのを楽しむようにして、再び口を開く。
「俺達を殺せば、テメエは愛してもらえるのか?」
瞬間、激情に呑まれた少女のショーテルが男の身体を袈裟懸けに切り裂いた。
「あァ~~~~~~~~~ッ!」
表情を一変させたのは、男ではなく少女の方だった。血を噴き出しながら男は、苦痛に悶えるどころか心地良さそうな顔で身悶えるような声を上げ始めており、まるで苦痛を愉しんでいるかのようなその表情が、声音が、少女を困惑させていた。
「イイネイイネイイネイイネイイネイイネイイネイイネェーッ! 今のは最高だよォ~~~ッ!」
「貴様、一体……?」
困惑する少女の表情さえも、男は愉しんでいるかのような表情を浮かべている。それを少女が不愉快に感じた時には既に、男の短剣が少女の腹部へ突き刺さっていた。
「っ……っ……!?」
「油断し過ぎだぜ、アンリミテッドクイーン」
そこで、永久は勢い良く両目を開く。すぐさま右手を腹部にやったが、昨日の戦闘で負った傷以外の外傷はない。その傷でさえも既にほぼ治っているような状態なのだから、アンリミテッドの異常さには驚きを隠せなかった。
先程までの出来事が夢だったことに気づくまでに数秒かけた後、永久は自分がホテルのベッドで眠っていたことに気がついて安堵の溜め息を吐く。隣のベッドでは由愛が小さな寝息を立てながら静かに眠っていた。
「今のは……私の……」
まだ少しボンヤリしたままの頭をどうにか働かせ、夢に見た男の顔を思い返す。昨日戦った男の顔とよく似ている、というよりはほぼ同一人物と言っても差し支えない。あの喋り方や下卑た笑み、そしてあの短剣を振るうスピード……やはり同一人物なのだろう。
永久は、あの男を知っている。否、知っていた。
そしてあの男は、永久の過去を知っている。
ブルリと。身体が小さく震えた。押し込めておきたい過去が身体の底からせり上がってくるかのような感覚が、まるで食べたものが逆流しているかのように感じて不愉快だった。
ハッキリとは思い出せなかったが、一つだけわかっていることがある。
「アイツは、殺さなきゃ」
淡々とした調子で、永久は静かにそう呟いた。
先日英輔と詩帆が待ち合わせしていた図書館で、由愛は一人新聞のバックナンバーに目を通していた。翔の言う通り二ヶ月前に事故があったのであれば、新聞に何かしら情報が残っているだろうと判断してのことだったが、正直な話翔にもう一度会って話を聞く方が遥かに早い。由愛がそれをしないのは、単純に人に頼るのがあまり好きではなかったからで、そもそも人に頼み事をする、というのが由愛はあまり好きではない。
それに、由愛は今の永久とは少しだけ別行動を取っていたかった。
――――いつものって、何? 私にだっていつもの私なんかはっきりとはわからないのに、由愛にはわかるの?
あのアンリミテッドの男に出会ってから、永久の雰囲気は変わってしまった。今朝も、由愛より早く起きて行動を開始しており、メモ帳に伝言だけを残してプチ鏡子と共にアンリミテッドを探しに町へ出てしまっていたのだ。
永久が、由愛にはわからない。あんな人形みたいな顔をした少女が、由愛には永久だと思えなかった。
殺さなきゃだなんて、そんなのは永久の言葉であって欲しくなかった。何かを殺すために戦う永久なんてのは想像出来ないし、仮にそうだとすれば、一体永久は何のためにアンリミテッドを殺さないといけないのだろうか。
アンリミテッドを倒さなければならないのはわかる。恐らく、アンリミテッドを倒せるのはアンリミテッドである永久だけだ。けれどあの目は……あの目は、違う。アンリミテッドが危険だからとか、何かを守ろうとしているだとか、そういう目ではなかった。まるでそれが使命であって、そうしなければ存在意義がなくなってしまうかのような……。どちらかと言えば、下美奈子に近いものがある。彼女がアンリミテッドである永久を殺そうとした時のような、そんな目だ。それが由愛には、怖かった。今までの永久と違いすぎるその表情が、態度が、恐ろしかった。まるでいつの間にか全然知らない誰かにすり替わってしまったかのようで、永久がどこか遠くへ行ってしまって、由愛の手の届かない場所にいるかのようで。
いや、もしかしたら元々遠い場所にいたのかも知れない。ただ、傍にいてくれるような錯覚があっただけなのだろうか。自分が寂しいだけなのだと気づいた辺りで、由愛は小さく溜め息を吐いた。
「しっかりしなきゃ……」
誰に言うでもなくそう呟いて、由愛は再び新聞に目を通す。今から二ヶ月前、交通事故に関する記事を流し読みしながらも一つ一つチェックしていく。
「あっ……」
蘿蔔峠ガードレール整備不良。その記事には、先日病室で翔が語った通りのことが記されており、そこからそれ以上の情報は得られない。まあ当たり前か、と小さく呟いて、由愛はもう一度溜め息を吐いた。
多分調べ物なんて建て前で、落ち着いて考えたかっただけなのかも知れない。
永久が何に縛られているのかわからないし、どうしてアンリミテッドを殺さなくてはならないのかなんて少しもわからないけど、やっぱり由愛は、永久にあんな顔でいて欲しくなかった。
あんな、あんな一人で戦ってるみたいな顔は、もうさせたくない。
由愛も、英輔も、鏡子もいるんだってことを、もう一度思い出して欲しい。そう思い始めた頃には、由愛の表情はほんの少しだけ明るくなっていた。
「あ、おい由愛!」
不意に後ろから由愛に声をかけたのは、英輔だった。
「……何よ」
「この辺で、その……西原見なかったか?」
ただでさえ英輔を見た途端不機嫌そうになっていた由愛が、その言葉を聞いてさらに不愉快そうに眉をひそめる。
「知らないわよ。つーかアンタこのヤバイ時に女の子とデートの予定? 呆れて怒る気も失せるわ」
「あのな、確かに昨日のアンリミテッドの話はやべぇけど、だからってあの子をほったらかしになんか出来るか!」
「あーはいはいわかりましたわかりました。そんなに好きならいっそこの世界に留まってあの子と添い遂げたら?」
肩をすくめておどけたような様子を見せる由愛に、英輔は小さく溜め息を吐く。
「お前今日は一段と態度悪いのな……」
「まあいいわ、その子と欠片、何か関係あるみたいだし?」
少し真剣な表情で由愛がそう言うと、英輔は小さく頷いてみせる。
「ああ。でも西原が欠片を持ってるってわけじゃないんだろ? でもああやって身体を離れて幽霊みたいな状態で縛り付けられてるってのは、なんか欠片が関係してるんじゃないかとは思うんだけどなぁ……」
「じゃあ、コイツかしら」
そう言って由愛が指さしたのは、先程由愛が見つけた蘿蔔峠での事件の記事だった。由愛が指さした部分には「男性一名が死亡」と書かれており、それが何を意味するのか英輔が理解するまでに、それ程時間はかからなかった。
「一緒に事故った男の方に原因があるってことか?」
「多分、ね。それ以外に何か手がかりがあるなら違うかも知れないけど、そこんとこどうなの?」
「いや、ないな……。俺、柚原って奴に聞いてみる!」
そういうやいなや、英輔はすぐに駈け出し、図書館を後にした。止める間もないまま走りだした英輔の背中を少しだけ目で追いかけた後、由愛は静かに新聞を片付ける。
「それじゃ、私は永久でも捜そうかな」
舐めるような視線が、今日も続いていた。西原詩帆が今のような状態になってから今日まで、ただの一度もこの視線が消えるようなことはなく、常に詩帆を監視するような視線を感じ続けていた。昨日、ほんの少しの間だけ視線が消えていて、やっと解放されたのかと安堵したが、夜になる頃には再び視線を感じ始めており、結局今まで通り視線による不快感に苛まれながら過ごす羽目になっていた。
幽霊のような状態になってから、もう随分と経ったように思う。眠ることも出来ず、誰にも見つけられることのないまま過ごした日々はあまりにも空虚だったし、気が狂いそうになる程一人きりで、その上不愉快な視線が常についてくるとなればその精神的苦痛は尋常ではない。それでも詩帆が今日までこうしていられたのは毎日病室にきてくれる翔や奏の存在があったからだった。眠っている詩帆を見舞いにきてくれる二人を見れば、いなくなったわけじゃないんだと、戻れる場所があるんだと、そう思えたから。それに今は、詩帆のことを見てくれる人がいて、一緒にいてくれた人がいる。だからこそ、あの人にはこれ以上迷惑をかけたくないし、あの気持ち悪い視線には負けたくない。
わかり切っていることだが、あの時英輔に自転車をぶつけようとした犯人は詩帆を見ている視線で間違いないだろう。そしてそれが誰なのかも、詩帆にはある程度見当がついていた。
「吉川さん……ですよね……」
小さく、震えたか細い声で詩帆はそう言った。
「やっと君から声をかけてくれたね」
返ってきた男の声に、詩帆は不快感を隠せなかった。
そう、この男だ。この男の身勝手に巻き込まれて、詩帆は事故でこんな目に遭っているのだ。今までは怖くて声をかけられなかったが、これ以上はそうも言っていられない。これ以上、詩帆を見つけてくれたあの少年に迷惑はかけたくない。
「珍しいよね、君から声をかけてくれるなんて。いつもビクビクするばかりで、ちっとも僕と話そうとしない君を見るのはいつだって腹立たしかったけど、今日はやっと声をかけてくれたね」
「そ、そんなことは……どうでも、良いの……。一体どうしてあなたがこんなことをしているのか、お……教え、て」
小刻みに震えていた詩帆の肩に、そっと生暖かい手が乗せられた。吐息が耳元まで近づいて、全身に鳥肌が立ったのがわかる。
「君と永遠になりたい。君はそう思わないのか?」
「永遠……?」
永遠、永遠と言ったか。こんな状態のまま、この気色の悪い男と永遠……考えただけで怖気がする。
「答えろ! そうは思わないかッ!」
気がつけば、既に男は……吉川誠也は詩帆の細い首を掴んでいた。
「かっ……はっ……!」
「今までは君の精神を肉体に戻さず縛り付けるので精一杯だったが、今はこんなことだって可能なんだ……ッ! 死ねない君の精神を傷めつけられたくなかったら、きちっと僕の質問に答えろこのクソカスがッ!」
ギョロリと見開かれた誠也の目は、完全に常軌を逸していた。整髪料でなでつけた頭は死んだ後も変わらないようで、やたら高そうなブランド物のアクセサリーも、未だに身体のあちこちを装飾している。
そんな装飾に何の意味があるのか、詩帆にはわからない。いくらブランド物で飾り付けた所で、この男の本性は隠せない。地味ではあるものの、何の飾り気もないが優しい英輔に比べると、この男はどれだけ飾っていても詩帆には醜く見える。
「いいか……君は僕に言う通りにしていれば良い。そうすれば君だって幸せになれる。あんな頭の悪そうなガキなんぞと戯れているんじゃあないッ!」
「英……輔っ……君、はっ……」
頭の悪そうなガキなんかじゃない。そう言いたいのに、締め付けられた喉はまともに言葉を発してはくれなかった。
「僕の名を呼べッ! 吉川さんではなく誠也さんと! 英輔君などと……他の男の名前を呼ぶなんてことは二度とするなッ!」
あまりにも不条理な要求。しかし、詩帆に抗う術はなかった。きっと逃れられない、このまま一生、この男の言いなりになって、この誰もいない世界でひっそりと何も感じなくなってしまうのだろうか。死んでも御免だと思いはしても、だからと言って逃れる術があるわけでもない。誰かに助けを求めることさえ出来ない現状に、ただ歯噛みすることしか出来なかった。
――――英輔君……!
頼るべきじゃない、巻き込むべきじゃない。そうわかってはいても、彼のことを想わずにはいられなかった。




