World6-7「磔の悪魔」
全身に力が溢れているのがわかる。今までの戦いによる疲労が吹き飛んだわけではなかったが、欠片の塊を取り込んだことで今までの数倍以上の力を得たのだということが実感出来た。
「終わり……? 私が……?」
口元の血を拭いつつ、刹那は笑みをこぼす。表情こそ余裕ぶって見せてはいるものの、その姿からはこれまでの悠然とした態度を感じ取ることは出来なかった。
「笑わせないで! そんな姿になっただけでハッタリかまそうなんて……随分なめられたものねぇ……この私もっ!」
瞬間、刹那の左手に大剣が握られる。
「ぶっ壊れよォっ!」
凶悪な笑みを顔中に広げながら、刹那は空中の永久目掛けて思い切り大剣を薙ぐ。すると、大剣から発せられた黒い衝撃波が永久へと凄まじい勢いで飛来していく。
「刹那……っ!」
しかし、その衝撃波は永久へ直撃する寸前で、電流の弾けるような音と共に消えてしまう。その光景に、永久を除くその場にいた全員が表情を驚愕に染め上げた。
「これで……終わらせるっ!」
刹那の衝撃波を消滅させた途端、全身の疲労感がどっと増したような感触を覚えた。どうやら大剣による衝撃波以上に今の「相殺する」力は消耗するらしい。もう一度刹那の衝撃波クラスの攻撃を打ち消すとなると、もう飛んでいることさえ出来なくなるだろう。そうでないにしても永久の消耗は激しく、今戦いを続けていること自体無茶をしているようなものだった。
――――次で……決めなきゃ!
「はぁぁぁ……っ!」
ショートソードを持った右腕を水平に伸ばし、右腕へ集中するとショートソードを白いオーラが包み始める。まるでショートソードそのものが輝いているかのようなその光景に、由愛や英輔、そして美奈子までもが目を奪われていた。
「どこまでも……どこまでもどこまでも小賢しいのよアンタ達はぁぁぁっ!」
刹那が金切り声のような甲高い、どこか悲鳴のような声を上げると、今度は刹那の身体を真っ黒なオーラが包み込む。
「朽ちろ永久っ!」
「終われ刹那っ!」
その言葉をゴングに、永久は輝くショートソードを構えて刹那へ急降下を始める。対する刹那は、黒いオーラを大剣へ集中させて構えると、急降下する永久目掛けて勢い良く跳ねた。
突き出した永久のショートソードと、振り抜かれた大剣が空中でかち合う。しばらく二つの剣は力が拮抗しているかのようにその態勢のまま鍔迫り合いをしていたが、やがて刹那の持つ大剣がピシリと音を立て、小さなヒビが入る。
「――っ!?」
「終わッ……りだぁぁぁぁっ!!」
永久の叫びを合図に、刹那の大剣が砕け始める。まるでそれに呼応するかのように、刹那の表情もまた絶望へと砕け散り始めた。
「う……そ……っ! 私がっ……!」
音を立てて大剣が砕け散っていた時には、既に刹那の胸に白いオーラを纏ったショートソードが突き刺さっていた。
「あ、嫌……イヤ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
甲高い絶叫を上げる刹那を突き刺したまま、永久の身体は急降下を続ける。やがて刹那の身体をショートソードで地面へ縛り付けるかのように、ショートソードはコンクリートを深く抉って地面へと突き立てられた。
「か……はっ……」
呻き声と共に刹那が口から血を吐き出す。それと同時に永久はショートソードから手を離し、ゆっくりと翼を動かしながらその場へ舞い降りた。
「はぁっ……はぁっ……」
瞬間、永久の身体がその場へ崩れるようにして倒れ、彼女の身体を眩い光が包む。
「永久!」
三人が倒れた永久の元へ駆けつけた時には既に、永久の姿はいつものセーラー服へと戻っていた。
「ごめ……ん、大丈夫、だから……」
これまでに感じたことのないような疲労を全身に感じながらも、永久は無理矢理身体を起こすが、もうそれすらままならないのかすぐに永久の上半身はアスファルトの上へ倒れ込もうとする。それを素早く抱き止めて、美奈子は小さく息を吐く。
「無理をしてはいけません。貴女は今、疲れている」
美奈子の言葉に答える余裕さえないのか、永久はそのまま美奈子の腕の中で目を閉じた。
「……見て!」
不意に声を上げた由愛の視線の先を見ると、そこにはアスファルトから引き抜かれたショートソードと、刹那の血の痕だけが残されていた。
「あれだけ喰らってもまだ生きてたってのかよ……」
想像を絶する刹那の生命力に驚きを隠せない英輔だったが、その表情にはどこか安堵の色が伺える。
「……とにかく今は、無事撃退出来たことを喜びましょう」
美奈子のその言葉に、由愛と英輔は同意を示して頷いた後、小さく安堵の溜息を吐いた。
これで終わったわけではない。必ず刹那は再び姿を現し、永久達へ牙を剥くだろう。だが今は、この束の間の安堵を噛み締めていたかった。
戦いを終えた後、客室で永久は三日三晩眠り続けた。刹那との戦いの中で永久が消耗した力は相当なものだったらしく、永久が目を覚ました四日目の朝でさえ、永久はどこか疲れたような表情を浮かべていた。
蝶上町で起きていた「異次元事件」は、刹那の撃退、という形で幕を閉じた。刹那を撃退してからの三日間、異世界から人が現れることも、どこかへ人が消え去ってしまうようなこともパタリと起きなくなっており、美奈子の話によると、刹那によって歪められていた世界と世界の境界が、刹那がこの世界からいなくなったことによって元に戻ったからだ、とのことだった。
ひきこさんの身元については事件後に発覚し、無事遺族の元へ遺体が届けられ、警察は現在既にこの世界にはいない犯人を捜し続けている。
美奈子の属する次元管理局による情報操作があったのか、あの住宅街で起きた惨劇についてはやや強引ながらも「局地的な地震」として処理されたようで、何人もの人々に爪痕こそ残ったものの、無事事件は解決した、と言っても良いだろう。
「ありがとう、この世界を、助けてくれて」
どこか淡々とした調子ではあったが、永久を真っ直ぐに見つめてシロはそう言った。
「うぅん、皆こそ、あの時はありがとう」
あの時弘人達がシロを通じて永久を助けようとしなければ、きっとあの時永久は刹那を撃退することなど出来なかっただろう。刹那を倒したのは永久だけでなく、永久達全員の力で倒したのだ。
「悪いな、俺達大したことが出来なくて」
申し訳なさそうにそう言った弘人に、そんなことないよ、と永久は微笑んで見せる。
「この町と、そして超会の代表として改めて例を言うわ。ありがとう」
そう言って差し出された鞘子の手を、永久はそっと握りしめた。
「それじゃあ、また」
名残惜しい気持ちはあったものの、永久達はそう別れを告げて超常現象解決委員会本部、蝶上町第三集会所を後にした。
永久達が超会のメンバー達へ別れを告げた後、鏡子の路地裏へ帰ろうとした三人(とプチ鏡子)の元へ姿を表したのは、意外にも戦いの後姿を消していた下美奈子だった。
「まさか今から永久を殺そうってんじゃねえだろうな……?」
警戒しつつ英輔がそう言うと、美奈子はいいえ、と静かに答えて首を左右に振った。
「坂崎永久、貴女を保護観察処分とします」
「保護観察……処分?」
キョトンとした表情で首を傾げる永久に、美奈子はコクリと頷いて見せる。
「現時点で貴女の危険性は証明出来ない。当面の問題は坂崎永久として動く貴女よりも、アンリミテッドクイーンとして動く坂崎刹那なる者に対する対策が必要と私は判断しました。これから局へ掛け合い、貴女を保護観察処分として認定する手続きを取ります」
「それって、つまり……」
何かを察したように永久が言いかけると、美奈子ははい、と肯定の意を示した。
「私に、貴女の命を狙う理由はなくなります」
美奈子がそう言った途端、永久の表情がみるみる内に明るくなっていき、やがては満面の笑みで美奈子を見つめていた。
「ありがとう、美奈子さん!」
「……不思議ですね、貴女は」
クスリと、初めて美奈子が笑みをこぼす。
「何故こうも毒気を抜かれてしまうのか。これからの観察で調べなければならない事柄の一つですね」
それだけ言い残すと、美奈子はポニーテールをなびかせながら永久達へ背を向ける。
「また会いましょう。出来れば貴女とは、もう二度と戦いたくありません」
「私もだよ、美奈子さん」
後ろから聞こえるそんな言葉に笑みを浮かべつつ、振り返りたくなる気持ちをどうにか抑えながら、下美奈子は空間歪曲システムを操作して空間の裂け目を出現させ、その中へと消えて行った。
もう一晩だけ休んでから次の世界へ移動することが決まり、永久達は客室の一室へ集まっていた。
「じゃああの時永久は、刹那が持ってた欠片の一部を奪い取ってあの力を使ったってことなの?」
由愛の問いに、永久はうん、と短く答える。
「多分、今まで私が使ってた力って、アンリミテッドとしてはおまけみたいなものなのかも知れない……。ホントは、あの時に使った力みたいなのをポンポン使っちゃう上に、どれだけ攻撃されても死なないような……そんな、化け物なんだと思う」
化け物、という言葉に込められた悲哀を感じ取ったのか、由愛も英輔も切なげに目を伏せる。
「でもね、私はその化け物の力で、まだ戦わなくちゃいけない。刹那だって、まだ完全に止められたわけじゃないしね」
坂崎刹那は、生きている。あの時気を失っていた永久には、刹那が逃げ去る現場など見ようがなかったが、コアの欠片で繋がっているのか彼女がまだ生きている、ということだけは確信出来た。
きっと今もどこかで、残りの欠片を集めて力を取り戻すことを画策しているに違いない。
「私、頑張るよ。刹那のこと、私が止めなきゃ」
「一人で頑張ろうとすんなよ。俺や由愛だって、あの美奈子さんだって、母さんだっているんだ。一緒に頑張ろうぜ」
「……うん」
そう答えた永久の目は、どこか遠くを見ているかのようだった。
客室で一晩過ごして明けた頃には、既に鏡子は次の世界へと旅立つ準備を終えていた。
既に路地裏には裂け目が……門が開いており、その向こうにある世界を映し出している。
「じゃ、行こっか」
永久の言葉に二人が頷き、永久を先頭にして三人は門の中へと歩いていく。
その先に見える世界は、小舟の漂着した砂浜だった。




