World5-8「決意」
「こッ……のォッ!」
もう何体目ともわからない悪霊を雷の剣で切り伏せて、英輔は額の汗を急いで拭った。
倒しても倒しても次々に悪霊が襲いかかってくるこの光景は、正に地獄絵図と言った様相を呈しており、英輔の傍では流石の由愛も普段の気丈な態度が少しも感じられない程に消耗しているように見える。
気づけば、二人共が悪霊に囲まれていた。
「おい由愛、大丈夫かよお前!」
英輔がそう言っている間にも、由愛の出現させた黒弾は悪霊の頭を穿つ。
「誰に聞いてるのよ……アンタこそへばるんじゃないわよ……!」
「減らず口が叩けるってことはッ!」
英輔の眼前まで迫っていた悪霊に一太刀浴びせ、英輔はニヤリと笑みを浮かべた。
「大丈夫ってことだな」
「当然」
知らず知らずの内に背中合わせの態勢になっていた二人は、これまた知らず知らずの内に同じタイミングで笑みを作っていた。
「アンタ、約束覚えてる?」
「……約束?」
問い返した英輔に、由愛は呆れた、と小さく呟いた後、そのまま言葉を続ける。
「何でも一つ言うこと聞くっていう、アレよ」
「ああ、アレね……」
由愛に背を向けたまま、苦虫を噛み潰したかのような表情を、英輔が見せていることを察してか察せずか、由愛は小さく笑みをこぼした。
「今から私の背中を、しっかり守りなさい。それでチャラにしてあげるわ」
由愛のその言葉に、英輔はニッと口角を釣り上げると同時に、迫ってきていた悪霊を雷の剣で切り伏せた。
「了解。お安い御用だ」
「ちゃんと……やりなさいよっ!」
そう言って黒弾で由愛が正面の悪霊を撃破したその瞬間、すぐ傍で不意にガシャリと、鉄と鉄とがこすれる音がする。
「「――――!?」」
二人が同時に音のした方向へ視線を移すと、そこにいたのは重厚な西洋甲冑を身にまとった、永久の姿があった。
「永久っ!」
「由愛……それに英輔も!」
思わぬタイミングでの再会を喜んでいる暇もなく、三人へ悪霊が雪崩れ込むようにして襲いかかる。永久はキッとそれを睨みつけると、大剣を勢い良く正面へと薙いだ。
「おおおおおおっ!」
掛け声と共に、大剣から放たれた衝撃波が凄まじい勢いで走り、永久の正面にいた悪霊達を殲滅する。
「ごめん説明は後で! 私行かなきゃ!」
悪霊が消えたことによって出来た道を、永久は一度由愛達の方を振り返ってそう言い残すと、ガシャガシャと音を立てながら時計塔に向かって駆けていった。
そんな永久の様子を見つめた後、英輔はニッと笑って見せると再び身構える。
「っつーことは……」
「後はここで」
英輔の語を継ぐようにして由愛がそう言った時には既に、二人の息はピッタリと合っていた。
「食い止めるだけね」
本当はもっとすぐに、行こうと思えば霊化してあの時計塔の傍で気がついた時すぐに会いに行けたハズだった。
それをしなかったのは、ただ亮太が恐れていただけで、会いに行くだけならばそれ程難しい話ではなかった。
拒絶されるのが、怖い。
霊を憎む月乃の前に、霊になってしまった自分が行けば、きっと彼女は自分を拒絶するだろう。恐れ憎み、そして滅する、これまで彼女が屠ってきた悪霊達と同じように。それがたまらなく恐ろしくて、亮太は彼女の前に姿を現すことが出来ずにいた。
月乃の消耗は目に見えてわかる。風のように振っていた刀は速度を落とし、一太刀で仕留められるハズの悪霊に対して、今は二振り、三振りと何度も刀を振り下ろさなければ滅せられなくなっている程に、月乃は消耗していた。
助けるべきだと思っているのに、亮太の足は月乃の元へ駆け出そうとはしてくれなかった。
「月乃……!」
震える唇がその名を紡いでも、やはり亮太の足は動かない。そんな自分に怒りを覚えて、亮太が強く拳を握りしめた――その時だった。
突然、後ろにいた大量の悪霊達の気配が、一瞬にして半分以下に消えるのを感じ、亮太は驚いてすぐに後ろを振り返る。
「な……! アイツはッ!?」
振り返った先にいたのは、西洋風の甲冑を身にまとった永久だった。
「亮太!」
ガシャガシャと駆け寄ってくると、永久は亮太を見て無事で良かった、と安堵の溜息を吐いた。
「私は時計塔の中に行って、中で欠片の力を使ってる人、止めてくる! 亮太は――」
どうする? と問おうとして、永久は亮太が何かに怯えたような表情を見せていることに気がついて言葉を止めた。
「俺……怖いんだ……。会いたかったハズなのに、アイツに会うのが怖いんだ……」
チラリと亮太が視線を向けた先には、必死に悪霊と戦う白髪の少女――月乃の姿があった。
「怖くて動かねぇんだ、足……。すぐにでも助けたいってのに……。笑えるよな、霊の俺には足もクソもねえのに、まるで足があるみたいに動かねえんだよ……」
自嘲するかのように亮太が笑みをこぼすと、永久はスッとその顔を時計塔へ向ける。
「私もね」
そこで少しだけ間を置いて、永久は再び言葉を続ける。
「私も、怖くて迷ってたよ。だけど、鏡子さんのおかげで気がついたんだ……私に、出来ること」
「出来る……こと……?」
言葉を繰り返す亮太へ応えるように、永久はその場で小さく頷いた。
「自分が何者かなんて関係ない、迷ってる暇なんてない。目の前に助けたい、助けるべき人達がいる、だから私は――動くんだ」
亮太の方を向いていないその瞳を、亮太は見ることが出来なかった。しかしそれでも、その瞳に映る色が決意の色だということは、永久の言葉や態度からは察するに余りあるとさえ思えた。
出来る、こと。
「今の俺に……出来ること」
永久はきっと、気づいた上であえて月乃を助けに行こうとしないのだろう。それに気がついた頃には、既に亮太の決意は固まりつつあった。
――――迷ってる暇なんて、ない。
握られた拳が、よりいっそう強く握りしめられていて、気が付けば動かなかった足が強く大地を踏みしめようとしていた。
「道は私が――っ」
次の瞬間、一閃。
「作るからっ!」
永久の振った大剣から衝撃波が発生し、月乃と亮太を阻んでいた悪霊達が一瞬にして姿を消す。
「永久……ありがとな」
そう一言言い残して、亮太は月乃の元へ全速力で駆け抜けた。
視界が霞む。
足がふらつく。
たった一人で戦うということが、こんなにも厳しいものだとは思っていなかった。
強くなることと、気を張り続けることは違う。ずっと前からわかっていたハズだったのに、月乃は気を張り続けることでしか、今にも崩れ落ちてしまいそうな心を保つことが出来ないでいた。
空いた穴は大き過ぎて、きっと何を持ってしてもその穴を埋めることは出来ないんだと思えば思う程、穴から吹き抜ける風は冷たく感じてならなかった。
――――素直に泣ければ、良かったな……。
足からその場へ崩れると同時に、月乃はそんなことを心の内で呟く。
喪ったことを認められなかった。泣けば認めることになってしまうような気がして、ずっと無理矢理に押し留めていた。
そんなことしたって何にもならないということに、もっと早く気付けていればきっと違っていたのかも知れない。
膝が地面につく。目の前では、腕を斧のように変質させた悪霊が、その腕を月乃へと振り上げていた。
「もう……いっか」
小さく弱音を吐いた時に、それは聞こえた。
「月乃ォォォォッ!」
聞こえるハズのなかった声に驚いて、目を見開いた月乃の目に映ったのは、月乃へ腕を振り下ろそうとした悪霊を突き飛ばす、黒沢亮太の姿があった。
「え……やだ、嘘……?」
「悪い月乃! 遅くなった!」
両手を合わせてすまん、と謝罪の言葉を告げて、亮太はやりにくそうに月乃から視線を逸らした。
亮太が霊だということは、月乃には一目でわかった。両親を殺し、亮太を殺した悪霊と同類だということはわかっていたけれど、沸き上がってきたのは嫌悪感などではなかった。
両目を流れた一筋の線は、止まることなく滴り落ちる。
「馬鹿……遅過ぎよ……っ」
そう言って微笑んだ月乃に、亮太は正面から微笑み返した。
「月乃……俺も一緒に、戦わせてくれ」
「で、でもどうやって……?」
悪霊化していない霊には、戦う術はほとんどない。素手で戦うことも可能ではあるが、悪霊を滅するための「強い霊力の込められた」決定打を放つ術が、悪霊化していない霊には存在しない。
月乃が不思議そうに小首を傾げていると、亮太はニヤリと悪戯っぽく笑って見せた。
「こうすンだよ」
「え、ちょっと……!?」
月乃の中に入り込むようにして重ねられた亮太の身体が、ゆっくりと月乃の中へ溶け込んでいく。二人の感覚が、視界が、リンクしていく不可思議な感触を覚えながら、亮太と月乃はそのままの意味で交わっていく。
「行くぜ月乃……最初で最後の、一心同体だッ!」
力強く月乃は立ち上がり、右手に握っていた刀で身構えた。




