World4-3「歪む憎悪」
「ど、どうかな……変じゃない?」
心配そうにそう言いつつ、頬を赤らめる永久に、詩織は屈託のない笑顔を浮かべながらそんなことないですよ、と答えた。
「へぇ、似合うじゃない」
そんな感嘆の声を漏らした由愛の横では、英輔がやや恥ずかしそうに顔をそむけている。英輔のそんな様子を見て、永久は不安そうにやっぱり変? と問うたが、それに対して英輔は中々答えない。
永久はいつものカチューシャを外し、紺のセーラー服ではなく、詩織から借りた年頃の女の子の私服姿、と言った出で立ちで、その上眼鏡をかけていつもはそのままにしている長い黒髪をポニーテールにまとめているのだから、最早別人とも言える変わりようである。
そんな見慣れない永久の姿に、英輔は動揺を隠せないままただただ顔をそむけるばかりだった。
「英輔……?」
「いやその……もうちょいスカート丈短い方が良かったかなって」
それから数秒間、思わず本音を漏らした英輔が、永久達に若干引いた表情でしばらく見つめられ続けたのは言うまでもなかった。
ちなみに永久が借りたのはロングスカートである。
まずは羅門について知らなければならない。神宮羅生に、本当に羅門という弟がいたのかどうかを確かめるため、永久達はもう一度白凪旅館を訪れた詩織にそのことについて尋ねたのだが、詩織は昨晩語った以上のことは知らなかった。しかし、詩織の知り合いに羅生の古くからの幼馴染みがいるらしく、その幼馴染みなら羅生の詳しい家庭事情も知っているかも知れない、ということで永久達は詩織と共にその幼馴染みの元へ訪ねることになった。
しかし羅生が永久を刹那だと勘違いしている以上、今まで通りの格好でいればいつまた羅生に襲い掛かられるかわかったものではないし、羅生が「白いカチューシャで黒髪で紺のセーラー服の女」を見つけ次第連絡してくれ、という風に周囲に頼んでいたりすれば、羅門に関する話を聞くどころではなくなってしまう。無理に永久が同行しなくても良いんじゃないか、という意見もあったが永久の「全部自分の目で確かめたい」という強い要望から、永久が変装して同行する、という形になった。
「ホントにこれ似合ってるかな……」
「大丈夫です! 似合ってると思いますよ!」
羅生の幼馴染み……岸田と言うらしい少年の家へ向かいながら、永久はやや不安そうに自分の服装を気にしていた。
「なら良いんだけど……。それよりさ、私達あんまり年も変わらないみたいだし、敬語やめにしない?」
永久のその提案に、詩織はそれもそうですね、と思わず敬語で答えてしまった後、口元を手で押さえながら永久と一緒に笑い合った。
「あ、俺もタメで良いよ」
スッと詩織の隣へ行き、英輔がそんなことをのたまうが、詩織が見せたのは数十分前に見せた「ちょっと引いた時の顔」と全く同じものだった。
「……そうですね」
「まだ引いてんの!?」
「冗談よ。桧山君は生足が好きなの?」
それに対して英輔がうん、まあと正直に答えてしまった所、もう一度詩織に同じ顔をされてしまい、しばらく英輔は肩を落としていた。
しばらくして永久達が詩織に連れられて辿り着いたのは「岸田」と表札に書かれた、住宅街の中にある民家だった。
詩織はすぐに庭の中に入っていき、インターフォンのボタンを押す。すると、数秒としない内にドアが開き、中から一人の男が顔を覗かせた。
前髪をヘアバンドで止めており、全体的に髪は長めに見えるその少年が、恐らく詩織の言っていた羅生の幼馴染み、岸田なのだろう。
「志村か。メールで要件はわかってるから、とりあえず上がれよ。えーっと……後ろの奴らも……?」
「うん、お願い岸田」
そんな詩織の言葉に、少年――岸田は少しだけ逡巡して見せたが、やがてしょうがねぇな、と詩織と、そして永久達の四人を家の中に通した。
「ちょっと狭いかも知んないけど、まあ適当に座ってくれや」
床に散らかっているCDや漫画を机の上へ適当に片づけつつ、岸田は永久達へ座るように促した。
床に散らかっていたもの以外はある程度整頓されている部屋で、棚や机に埃の類は見受けられない。壁にはロックバンドらしきメンバーの映ったポスターが張られており、部屋の隅に置かれたギターやアンプから察するに、この岸田という少年は音楽が好きなのだろう。
「ちょっと待ってろ、ジュースかなんか持ってくるわ」
「あ、良いよ良いよ気にしなくても」
「そういう訳にもいかんだろ」
そう言って微笑むと、すぐに岸田は部屋の外へ出て行った。
「……良い人だね」
「うん。羅生もよく『アイツは何だかんだで良い奴だ』なんて言ってたし……」
懐かしそうに目を伏せる詩織に、永久は少しだけ笑みをこぼす。
「好きなんだね、羅生君のこと」
永久のその言葉に、詩織は突然耳まで真っ赤に染まってあたふたし始め、しどろもどろになりながら永久に何か弁明しようとしていたが、それは岸田が部屋のドアを開ける音によってかき消された。
「お待たせ」
トレイにジュースの入った人数分のコップを乗せて持ってきた岸田は、部屋の中央にある机の上へ丁寧にジュースを置いていく。全員にジュースが行き渡ったのを確認すると、岸田はベッドの上へ腰掛けた。
「で、羅生の弟だっけ?」
「うん。羅門って言うんだけど……」
詩織のその言葉を聞いて、岸田は途端に訝しげな表情を見せた。
「知らねぇぞ、そんな話。そもそもアイツはずっと前から一人っ子のハズだぞ」
詩織を含む全員が各々驚いた反応を見せたが、そのまま岸田は言葉を続ける。
「あんまりホイホイして良い話じゃねえけどな、アイツのお袋さん、何が理由だったか忘れちまったけど、子供産めないらしいんだ。羅生本人から聞いた話な」
「……じゃあ、羅生って……」
言いかける詩織に、岸田は少しだけ悲しそうに目を伏せた後、詩織の語を継ぐようにして口を開いた。
「アイツ、養子なんだよ」
その言葉に、一同が驚愕に表情を歪めた――その時だった。
「こ、これ……っ!」
唐突に頭を押さえながらうめき声を上げたのは、永久だった。
「まさか欠片……?」
由愛のその問いに、永久はコクリと頷いた。
公園のベンチに一人、少年は――神宮羅生は座り込んでいた。
その表情はうかなく、公園の中で楽しそうに駆け回る子供達とはあまりにも対照的で、少しその空間の中で浮いているようにも見える。
子供達の親なのか、何人か集まっている母親らしき人物達も、羅生を不審がっているのか彼を指さして何やらヒソヒソと話をしていたが、羅生はそれに気づいていない。ただジッと、一枚の写真を見つめるばかりだった。
その写真の中には、神宮羅生ただ一人しか写っていなかった。
そこに写っている羅生は随分と楽しそうで、今の羅生の表情からは想像も出来ない。写真の中の羅生の隣には人一人分のスペースが空いており、まるで元々そこには誰かが写っていて、いつの間にか消えてしまっているかのようにも見えた。
そんな写真をジッと見つめながら、羅生はその瞳を潤ませる。
「羅門……」
呟いたその名に答える者が、この世のどこにもいないことは、羅生自身がしっかりと自覚している。最初からそんな者はいないと、わかっていながらも羅生は思わず口にしてしまっていた。
「お前がいなきゃ……俺は……俺はまた……」
――――また、独りだ……。
そう、ポツリと呟いて、羅生はそっと顔を上げた。
見れば、ずっと一人で公園のベンチに座り込んだ挙句、独り言まで言い始めた羅生のことを不審に思った子供達の母親達の姿があり、もう少し近くに目線を動かすと羅生より数メートル離れた場所にある砂場で、二人組の男の子を中心に何人かの子供達が巨大な砂の山を作っていた。
中心にいる男の子は兄弟なのだろう、顔立ちがよく似ている。そう思った途端、羅生はゆっくりと立ち上がり、砂場へと歩み寄って行く。
子供達も母親達も何事か、と言った表情で羅生へ視線を向けたが、構わず羅生は砂場へと歩いて行き、兄弟らしき二人組のすぐ傍でピタリと止まった。
その頃には既に、二人組以外の子供達は蜘蛛の子を散らすように逃げており、母親達の元で羅生を指さして怯えている。
どうやら、この二人組の親は来ていないらしい。
ギロリと羅生が二人組を睨みつけた頃には、既に他の子供達は親と一緒にどこかへ去って行ってしまっていた。
「俺の前で……ッ」
蛇に睨まれた蛙のように竦み上がった二人は、その場で震え上がってしまって逃げようとしていない。
「楽しそうにしてんじゃねェ……ッ!」
次の瞬間には、羅生の身体を光が包み、光が収まると羅生の両腕は黒く、鋭い鉤爪のような腕に変貌を遂げていた。
「う……あぁ……っ」
最初に声を上げたのは、弟らしき男の子の方だった。
「アァァァァァァァッッ!」
雄叫びを上げ、羅生が右腕を振り上げると、兄らしき男の子が弟を庇うようにして両腕を広げる。小さな足を、手を、ブルブルと震わせ、涙で滲んだ両目を必死に見開いて羅生を射抜きながら、男の子は一歩も退かずに両手を広げている。
「……ッ……ッッ……!」
そんな様子に数瞬、羅生は戸惑いを見せたが、やがてその右腕を羅生が振り下ろした――その時だった。
響いたのは、金属音だった。
「――ッ!?」
「させない……っ!」
いつの間にか羅生の目の前にいたのは、二本のショーテルで羅生の鉤爪を防ぐ、ビキニアーマー姿の永久だった。




