World4-2「刹那の足跡」
永久のショートソードを握る手が、無自覚なままに緩くなる。力強くこちらへ押し込んでくる少年の爪を、永久は既にその切っ先を眼前まで迫らせてしまっていた。
「私が……貴方の弟を……?」
困惑する永久の言葉に、少年は答えない。ただただ憎悪と激情だけが映り込んだ瞳で、永久の顔を睨みつけるばかりだった。
彼の弟を殺した覚えなど、無論永久にはない。そもそもこの少年が誰なのかもわからないし、彼が羅門と呼んだ彼の弟のことだって、永久は少しも知らない。
――――知らない……ホントに……?
寒気が、背を走る。
知っているも知らないも何も、永久の記憶は抜けている。坂崎神社で暮らしていた時より前の記憶は、今の永久にはほとんどないと言っても過言ではない。そんな永久が、過去にやってしまったかも知れないことを、やっていないと断言出来る保証はない。
「永久っ!」
困惑したまま、少年の爪を弾き返そうとしない永久の様子を見かねた由愛が、少年に対して黒弾を飛ばそうとした――その時だった。
「やめて、羅生!」
不意に聞こえたのは、少女の声だった。
「――ッ!?」
声のした方向へ視線を向け、羅生と呼ばれた少年が隙を見せた瞬間、永久はハッと我に返ったかのように羅生へ目の焦点を合わせ、羅生の爪を弾くようにしてショートソードを振り抜いた。
「チッ」
弾かれた羅生は、舌打ちしながらその場からバックステップで後退し、永久から距離を取る。すると、すかさずその間に入ってきたのは、羅生へ声をかけた声の主だった。
永久から羅生を庇うようにして両手を広げ、夜風に長い黒髪を舞わせながら泣き出しそうな表情で永久を見つめている。
「貴女は……?」
永久の問いには答えず、少女は永久が構えをといたことを確認すると、すぐさま羅生の方を振り返った。
「お願い羅生……もう、こんなことしないで……!」
「引っ込んでろ! そいつは……そいつだけはッ!」
それまで少女へ向けられていた視線は、途端に永久へと再び向けられる。
「やっと見つけたんだ……羅門の仇……ッッ!」
「羅生……」
悲しそうな、潤んだ瞳。それを見ても羅生は、憎悪に埋め尽くされた表情を変えることはなかった。
「詩織! 頼むからそこをどいてくれ! お前まで傷つけたくない!」
「ダメ……誰も傷つけないで……!」
詩織、と呼ばれたその少女の言葉に、羅生はやっとのことで躊躇いを見せる。
「そんな羅生……嫌だよ……」
嗚咽混じりのその声に、羅生は目を詩織と永久からそむけると、不意に苦しそうに呻き声を上げ始めた。
「羅生!?」
「くッ……うッ」
ひとしきり苦しんだ後、羅生はその場から全速力で逃走し始めた。慌てて追いかけようと永久や詩織が手を伸ばすが、欠片の力のせいか羅生はとても簡単には追いつけそうにない速度で走り出してしまっていた。
永久は追いかけようとしたが、その場で泣き崩れた詩織を放っておく気にもなれず、羅生は追いかけずに詩織の傍へと歩み寄った。
「良かったら訳、聞かせてもらえないかな……」
場所は、白凪旅館の永久達の宿泊している部屋へと移る。正体を丸々話す訳にもいかず、とりあえず永久達のことは旅行客、という風に説明し、プチ鏡子には姿を隠してもらった。
永久、由愛、英輔、詩織の四人で机を囲み、備え付けのお茶を飲みながら、詩織に事情を話してもらうことになった。
互いに自己紹介をすませ、志村詩織、と名乗ったその少女はゆっくりとお茶を飲んだ後、永久へ真っ直ぐに視線を向けて口を開く。
「その前に、一つ聞かせて下さい。貴女達は、本当に羅門のこととは関係ないんですね……?」
「ああ、関係ないハズだぜ」
答えにくそうに下唇を噛んだ永久の代わりに詩織へ答えたのは、英輔だった。
「そもそも聞いたことのない名前よ」
そう言って、由愛がねえ永久、と同意を求めると、永久は小さく首を縦に振った。
「さっき坂崎さんに襲い掛かっていたアイツ……神宮羅生っていうんですけど……羅生の言ってた羅門って、羅生の双子の弟のことなんです」
――――お前が、俺の弟を――羅門を殺したんだッ!
脳裏を過る、羅生の表情と言葉。何かをした記憶はないが、何もしていないという記憶もない。言いようのない不安が、永久の胸に充満していく。
「二週間くらい前から羅生と羅門は一緒にいて、すごく仲が良くて……」
「二週間くらい前から……?」
訝しげに永久がそう問うと、詩織ははい、と頷いた。
と、なると永久の記憶にない期間とは時期が一致しない。それに気がついて永久はそっと胸をなでおろしたが、すぐにその眉をしかめる。
――――私のせいじゃなかったから良い、なんてこと、ないのに。
「じゃあ、それまでは一緒にいなかったってこと?」
確認するように由愛がそう言うと、詩織はコクリともう一度頷く。
「羅門が現れるまで、羅生のことは一人っ子だと思ってたんですけど……」
「妙だな……なんか複雑な家庭事情があった……とか?」
顎をさすりながら英輔がそう言ったが、詩織はわかりません、と首を振るだけだった。
「羅生の話だと、その羅門が、殺されたそうなんです」
「…………私、そっくりな人に?」
永久のその言葉に頷いた後、詩織はすぐにその口を開く。
「でもおかしいんです。人が一人殺されたっていうのに、新聞にも載らないし、葬式もあげられないし……羅生も、誰も羅門のことを気にかけないことが、まるで当たり前みたいにしてるんです……」
ただ、復讐心だけを残したまま。そう言葉を付け足して、詩織は悲しげに目を伏せた。
あれからもう少しだけ話をした後、時間も遅かったためとりあえず詩織には家へ帰ってもらった。
永久達もプチ鏡子と相談したかったし、詩織もまだ色々考えがまとまっていないようで、これ以上は話し続けていてもらちが明かない、という判断を詩織自身が下していた。
「その羅門って子、何かありそうね」
詩織が帰った後、やっとポケットの中から出してもらったプチ鏡子は、机に腰かけたまま考え込むような様子でそう呟いた。
「うん……多分欠片、関係してると思う」
「あの羅生って奴、欠片持ってたしな……」
そう言って英輔は、羅生に襲い掛かられた時の記憶を反芻する。
自分に対して向けられたものではない、とわかってはいても、羅生から発せられる殺気と憎悪は尋常ではなく、今思い出しても小さく身震いしてしまう程のものだ。
「そもそもその羅生って奴に、羅門って弟が本当にいたのか……って所は気になるわね」
「ええ、あの詩織って子の話が本当なら、その羅門って子の存在そのものが少し怪しいわね」
そんなことを話す由愛とプチ鏡子を見つめつつ、永久は羅生の言葉を反芻する。
――――やっと見つけたんだ……羅門の仇……ッッ!
「私が……仇……」
双子の弟を殺された。その怒りと憎しみが今の羅生を動かしている。
もし永久が刹那を誰かに殺されれば、永久もあんな風になって復讐しようとするのだろうか……?
「永久そっくりな女に殺された……ねぇ」
含みのあるプチ鏡子のその物言いに、永久は小さく首を縦に振った。
恐らくプチ鏡子も、永久と同じ推測をしているのだろう。
「それって……」
何かに気付いたように言葉を言いかける由愛へコクリと頷き、永久は小さくその名前を呟いた。
「刹那……」
脳裏を過る、あの夜の出来事。
孝明や十郎、今まで世話になってきた神社の人達の死体を足元に放置したまま、刹那が浮かべていた恍惚とした笑みを思い出すと、今でも少し身震いしてしまう。
自分と全く同じ顔が、邪悪に笑んでいるあの光景は、悪夢以外の何物にも思えない程に恐ろしかった。
「……俺は話で聞いただけだからわかんないんだけど、その刹那って奴は一体どんな奴なんだよ?」
「それは私も気になってたわ」
そう言った英輔と由愛に、永久は小さく首を左右に振る。
「……わかんない」
もっと知っていたハズだった。
刹那のことは、誰よりもわかっていたつもりだった。
けれど今は、永久には刹那のことが何もわからない。
「わかってたつもりなんだけど、もう全然わかんないよ……刹那のこと」
――――同じ、『私』なのに。
刹那はあの時、確かにそういった。
同じ、私だと。
「全然、わかんない。だから私もう一回……ううん、何度でも会わなきゃいけない」
――――刹那に、私に。
もし羅門を殺したのが刹那で、この世界を刹那が数日前に訪れていたのだとしたら――――
「もしかしたら私達、思ったより刹那に近づいてるのかも知れない」
そんな漠然とした予感を口にしながら、永久は静かに拳を握りしめた。




