World4-1「紺の悪魔を見たか」
「あッ……あぁ……ッ!」
嗚咽混じりの少年の声は、乾いた大地へと染み込んでいく。そんな様子を恍惚とした表情で見つめながら、紺のセーラー服の少女は――――刹那はクスリと笑みをこぼした。
「待て! 消えるな! おいッ!」
少年の腕の中で、その少年そっくりなもう一人の少年が薄く笑みを見せながら徐々に景色と同化していく。少年の胸には刺された後があり、そこからは止めどなく血が流れていたが、その血もまた、少年の身体と共に消えていこうとしている。その傷口の辺りはどういうわけか小さく光っており、少年が消えていくにつれてその光は強さを増していっていた。
「羅門ッ!」
少年がそう叫んだのと、羅門と呼ばれた少年が完全にその場から消え去ったのはほぼ同時だった。
そして羅門の代わりと言わんばかりに、少年の傍には薄く光を放つビー玉の破片のような欠片だけが残る。刹那はそれを素早く拾い上げて握りしめると、少年へ視線を向けて嗜虐的な笑みを浮かべた。
「貴方の持っているもう一つの欠片……残しておいてあげるわ」
「テメエは……テメエだけはッ!」
少年に背を向け、立ち去ろうとする刹那へ怒号を飛ばすと、少年はすぐさま刹那へと後ろから跳びかかる――が、刹那はそれに一瞥もくれないままひらりとかわした後、少年の腹部目がけてひじ打ちを叩き込んだ。
「がッ……」
呻き声を上げてその場へ崩れる少年の方を振り向かぬまま、刹那は薄らと笑みを浮かべてその場から静かに立ち去っていった。
刹那が立ち去ってからしばらくして、目を覚ました少年は顎を砕かんばかりに歯噛みした後、地面を力強く殴りつける。
「許さねぇ……アイツだけは……アイツだけはァァァッ!!」
少年の怒りに満ちた雄叫びは、ただひたすらに暗い空の中に染み込んでいくばかりだった。
「温泉って超サイコー!」
満足気な表情でそんなことを言いながら、永久は畳の上に座った状態でのびをして見せる。今はいつものセーラー服を身に着けておらず、涼しげな青い浴衣を身に着けており、それは傍に寝転がっている由愛も同様であった。
「温泉って初めて入ったけど、中々良いものね」
生乾きの髪が気になるのか右手でつつきながら由愛がそう言うと、永久はだね、と屈託なく由愛へ微笑んだ。
永久達がこの世界を訪れた時には、既に夕刻を過ぎていた。いつもならすぐに欠片を探すために活動を開始するのだが、一見平凡なこの町で夜更けに欠片探しを行うのはあまり得策ではないし、警察に補導されでもしたら非常に厄介だ。全員で話し合った結果、客室で既にしっかり休んだ後ではあるが、とりあえず今日は近くの旅館に泊まって翌日から活動を開始しよう、ということに決まり、現在に至る。
永久達の泊まっている旅館、白凪旅館は、あまり大きな旅館ではないのだが温泉があり、それなりに部屋も広い上それ程料金も高くない。ちなみに宿泊費は鏡子持ちである。
「……そういえばさっきから見ないけど、英輔は?」
長い黒髪を櫛で丁寧に解きながら永久がそう言うと、備え付けの机の上に座っていたプチ鏡子が英輔なら……とドアの方を指差した。
「別の部屋に泊まってるわよ」
そう言ったプチ鏡子に、永久はつまらなさそうに口を尖らせる。
「ふぅん……同じ部屋に泊まれば良いのに」
「いや、まずいでしょ色々」
そんな永久に冷静に由愛がツッコミを入れた後、そういえば……とプチ鏡子が永久へ話を切り出した。
「永久貴女、この間また別の姿に変わったわね……」
「ああ、アレ……」
前の世界でプリセラと戦った時、永久は日本刀を扱う時の姿とはまた別の姿に変化し、ショーテル状の双剣を使ってプリセラを撃破した……その時の格好がどういうわけか、RPGでいう「ビキニアーマー」と呼ばれる非常に露出の多い格好で、永久はそのことを思い出して薄らと頬を赤らめた。
あの格好はちょっと……というのが永久の正直な感想ではある。
「武器が変わるのはまだわかるんだけど、格好まで変わるのは何でなんだろうね……」
「……これは私の仮説なのだけど、もしかすると貴女のイメージが関係してるんじゃないかしら?」
「私の……イメージ?」
プチ鏡子の言葉を繰り返す永久に、プチ鏡子はコクリと頷いた。
「例えば、刀の時はイメージ的に袴って感じじゃない?」
「うん、剣道! って感じで」
「それでこの間のはスピード重視って感じだから……」
ゲームの中の、速さを生かした女性キャラクターがよく身に着けているビキニアーマー、ということなのだろうか。
「動きが速そうなイメージのビキニアーマーってことなのかな……。確かにそういうキャラの出るゲーム前にやってたけど……」
永久としては非常に恥ずかしいコスプレのような感じなので、出来れば勘弁してほしいところなのだが、もしプチ鏡子の仮説通りなら、永久の中でそういう風にイメージが関連付けされている以上は仕方のないことなのかも知れない。
「そういえば永久、この世界に来てから欠片の気配は感じたの?」
不意にそう問うてきた由愛に、永久は小さく首を左右に振った。
「まあ、この世界に欠片があるのはわかっているのだから……いずれ向こうから尻尾を出すでしょう」
永久達が部屋の中で会話をしている頃、英輔は旅館の外をうろついていた。
外の世界に来ている、という実感があまり沸かないため、外を歩いていれば何かしら自分の世界との違いがわかってもう少し実感が出てくるかとも思ったのだが、特にそんなことはなく、あまり英輔の元いた世界とこの世界は変わりがない。というよりは、一人だけ別部屋になってしまったため、暇で暇で仕方がなかったため、暇つぶしがてら散歩に出た、というのが本当の所である。
暇なら暇で永久達の部屋に遊びにでも行けば良いのだが、どうにも持ち前のヘタレ根性が邪魔して行けず仕舞いで、英輔は小さく溜め息を吐いた。
「俺情けねー……」
そう呟いて、そろそろ部屋に戻ろうと英輔が旅館の入り口付近へ戻った時だった。
「おい」
不意に、後ろから声をかけられ、英輔はゆっくりと振り返る。そこにいたのはやや目つきの悪い少年で、年齢は見た感じでは英輔と同じくらいだろうか。身長は英輔よりもやや高く、それに伴い体格もやや英輔より大きい。
「お前、この辺じゃ見ない顔だよな」
「ああ、ここにはさっき来たばっかだしな」
瞬間、射抜くような視線が英輔を突き刺した。
「黒い髪に白いカチューシャをした、紺のセーラー服の少女を知らないか」
「それって……!」
英輔の脳裏を過ったのは、永久の顔だった。
「知っているのか!」
「ちょっと待てよ! 何でお前が――」
「教えろ! そいつはどこにいる!?」
英輔が言葉を言い切るよりも前に、少年は英輔へと詰め寄りながら鬼気迫る表情でそう問う。
「誰だか知らないけど、落ち着けよお前!」
「答えろッッ!」
明らかに普通の様子ではない。尋常ならざる怒りと憎悪で歪められたその表情に、英輔は恐怖さえ覚える。
「答えないなら……ッ!」
次の瞬間、少年の身体を光が包み、英輔の視界を一瞬だけ奪う。英輔の視界が戻る頃には、両腕が黒い鉤爪のように変化した少年が英輔を睨んでいた。
「なッ……!?」
英輔がそれを永久の探している欠片の力である、と判断した頃には既に、少年の鉤爪は英輔へと振り下ろされていた。
しかし鉤爪が英輔の身体に触れる直前で、電流の弾けるような音が響くと同時に、少年の鉤爪は弾き返される。
「――――ッ!」
魔力障壁。自身の身体に魔力を纏わせ、敵の攻撃を防ぐ魔術の基礎である。英輔は、少年の鉤爪が来る、と判断した時咄嗟に魔力障壁を張ったのだ。
「ちょっと待てって!」
英輔がそう言った時、そこに少年はいなかった。
「しまっ――」
背後に少年がいることに気付いたのは、英輔の背中に少年の蹴りが直撃してからだった。
咄嗟のことに油断して魔力障壁を解除してしまった英輔の身体は、少年の蹴りを受けて旅館の敷地外へと飛ばされ、胸からその場へ英輔は倒れ伏した。
永久達が部屋の中で、取り留めもない雑談に花を咲かせていると、不意に永久が頭痛を訴え始めた。
「欠片の力ね……?」
プチ鏡子の問いに頷くと、すぐさま永久は立ち上がり、プチ鏡子を肩へ乗せて部屋の外へと飛び出して行く。すぐに由愛も、その後を追いかけるようにして部屋の外へと飛び出して行く。
旅館の外へ飛び出した永久を待っていたのは、黒い鉤爪のような両腕を持った謎の少年と、その鉤爪に応戦して雷の剣を振るう英輔の姿だった。
「永久、来るなッ!」
「えっ――」
英輔の言葉に永久が反応するよりも、少年が永久の存在に気付く方が早かったらしく、少年は視線を永久に向けた途端永久目がけて駆け出した。
それに対してすかさずショートソードを出現させて身構えた永久に、少年は構わず右の鉤爪を振るう。それを永久がショートソードで受けると同時に、金属音が周囲へ鳴り響いた。
「貴方は……っ!?」
「お前が……お前がッ……!!」
永久の言葉には答えず、少年は凄まじい形相で永久を睨みつける。まるで親の仇でも見るかのようなその表情に、永久はゾクリとした寒気を感じずにはいられなかった。
「お前が、俺の弟を――羅門を殺したんだッ!」
少年のその言葉が、永久の表情を驚愕で染め上げた。




