World13-10「その騎士道」
その時の感情を一言で俗的に表すならば、それは正しく“恋”であった。
まるで舞うように剣を振るい、美しい黒髪を宙に広げながら戦う彼女の姿に、敵でありながら彼は見惚れていた。
彼女は彼にとっては敵で、殺さなければならない相手だ。しかし彼は彼女との戦いの中だというのに、自身の使命を忘れてしまう程彼女のことだけを見つめていた。
美しい彼女はどこか操り人形のように戦う。けれどその顔は決して無表情などではない。必死に押し殺した感情が薄っすらと滲みでたその表情に、彼はひどく心を痛めた。
かつてこれ程に寂しげに戦う者がいただろうか。恐怖、怒り、怯え、憎悪、様々な感情を戦場で見てきた彼だからこそ、見たこともないような顔で戦う彼女の姿は脳裏へ焼き付いた。
彼女に寄り添いたい。出来ることなら、ほんの少しでも彼女の孤独を埋めたい。最早それは理屈とは関係なく湧き上がる感情だ。誰が敵で誰が味方だとかそんなことは既にどうでも良く、ただ彼は彼女へ焦がれた。
彼女の名は女王。彼の名は騎士。遠過ぎるその距離は、彼の想いが届くことを許しはしなかった。
ギロリと。キングの眼光がナイトを射抜く。対するナイトは、それに動じる様子はなく、剣でキングの腕を受け止めたまま黙していた。
「ナイト……どうして!?」
永久の問いには答えないまま、ナイトは剣に力を込める。しかしキングの腕はそう安々とは弾き返せない。
「後五秒やろう。言い訳があるなら聞いてやるぞナイト」
キングのその言葉を、ナイトは鼻で笑った後勢い良くキングの腕を剣で弾き飛ばす。その不意の勢いに、キングは少しだけ押し負けてナイトから数歩退いた。
「その必要はない。私は、私の心に従っただけだ」
「どういう意味だ」
「空洞の王よ。あなたにはわかるまい」
次の瞬間、キングの顔つきから余裕が消える。憤懣やるかたないとでも言わんばかりに表情を歪めたキングは、右腕を更に歪な形状へ変質させる。それはもう腕でも武器でもない、まるでヘドロだった。
そのヘドロは流動的に変質しながら、やがて花弁のように開くとその縁に鋭い牙をのぞかせた。
「言いたいことはそれだけかナイトよ……ッ! 王に歯向かった愚かな騎士がどうなるか、その身体に教えこんでやる必要が――――」
来る、とナイトが判断した時には既にキングはナイトへ接近を始めていた。
「あるッ!」
ガバリと開いた右腕の花弁――否、これは口だ。その口はナイトを噛み砕かんとして牙を向ける。ナイトはそれを、後退して避けるどころかキングへと前進すると、転がるようにしてキングの右腕をかわしてキングの眼前へ迫る。
「私の仕えるべき主君は、貴様でも、刹那様でもなかったッ! それだけだッ!」
キングの胸元目掛けて剣を突き出すナイトだったが、キングはその腕を左手一本で止めると、そのまま力任せにナイトを左へ放り投げる。キングの腕力によって強引に吹っ飛ばされ、周囲を囲んでいた怪人達に激突するナイトだったが、すぐに態勢を立て直すと今度は永久の方へと駈け出した。
「お逃げ下さい永久様! ここは私が……!」
「ちょっと待ってよ! 何が何だか全然……!」
状況が把握出来ないのは永久だけではない。由愛や英輔、美奈子も困惑した様子でナイトとキングを凝視していた。
「言ったハズです。私でよければ、いつでもどこでも……助けになると」
「……だけどっ!」
ナイトはそもそもアンリミテッド側だ。元々キング直属の部下である彼が、こうして裏切るような真似をしていること自体不可思議だった。
「永久様、すぐに」
気がつけば永久達の背後には空間の歪みが発生しており、バックリと裂けて黒い空洞を作りつつあった。
「道は開きました。後は永久様のお力でお好きな場所へ……!」
そう告げるナイトへとキングは容赦なく迫り来る。それを目で確認しながらも、ナイトは素早く永久へ手を伸ばす。思わずナイトの手を取った永久は、その手の中に握られたものが何だったのか理解し、困惑の声を漏らす。
「えっ……?」
ナイトはそのまま手の中を押し付けるようにして永久から手を放し、再びキングとの戦いへ身を投じる。
「……っ……っ!」
しばらく永久は逡巡するような様子を見せたが、怪人達も棒立ちで待っていてくれるわけではない。既に彼らも永久達が逃げるのを防がんとして迫り始めていた。
「……皆、中にっ!」
「ちょ、ちょっと待って! あいつ、信用して――」
言いかけ、由愛は永久の目を見てハッとなったように唇を結ぶ。由愛や英輔、美奈子にとってナイトは敵だ。この裂け目が罠であると考えるのが妥当だったが、今はその裂け目に飛び込む以外に方法がない。その上永久が何かを決心したかのような目をしているとくれば、由愛としてはもうナイトごと永久を信じるしかなかった。
「……行くわよ」
由愛に促され、美奈子は由愛と共に裂け目の中へ入っていく。
「アイツ……!」
キングと戦うナイトの背中を見、英輔はギリリと歯を軋ませる。ナイトの背中は、まるで死を覚悟した殿兵のような背中だった。
「おいテメエ! 俺との決着はどうなンだ!」
叫ぶ英輔をチラリと見、ナイトは微笑すると再びキングへ視線を向ける。そして英輔に背中を向けたまま、ナイトは声を張り上げた。
「許せッ! もう君と騎士道を交えることは出来ない! だが――――」
キングと戦いながら少し間を置いて、ナイトはそのまま言葉を続ける。
「君の勝ちだ! 永久様の心を動かしたのは私ではなく、君なのだから!」
ナイトのその言葉に、英輔はまだ何か言いたそうに表情を歪めていたが、由愛に手を惹かれて裂け目の中に引きこまれていく。
「どいっつもこいつもォォォォォォォっ!」
そんな中、激情のままに叫びながら永久の元へ向かってくるのは刹那だった。刹那は黒い翼をはためかせ、怪人達を飛び越えて永久へとショートソードの刃先を向けた。
「お願い……無限破七刀……っ!」
それに応じるため、永久は右腕の腕輪を巨大な七支刀――――無限破七刀へと変化させる。永久は迫り来る怪人達を無限破七刀で一閃した後、急降下してくる刹那のショートソードを受け止めた。
「アンタはここで終わんのよっ! 永久ぁっ!」
「終わらない! ナイトが繋いでくれたチャンスを、私は無駄になんかしないっ!」
『Charge one.』
刹那のショートソードを受け止めたまま、永久が無限破七刀の柄についたレバーを操作すると無限破七刀から電子音声が鳴り響き、刀身を白い光のラインが走って一つ目の刃へと向かう。そのまま永久は無限破七刀を振り抜いて刹那を弾くと、素早くレバーを二回操作した。一回程度のチャージでは、恐らく刹那の大剣による衝撃波によってそのほとんどを相殺されかねないくらいの出力しか出せないだろう。しかし今は、一瞬でも隙を作らなければならない。
『First burst!』
「無限破――――」
永久の次の行動を察した刹那は、永久から一度距離を取ると舌打ちしながら武器を大剣に切り替える。
「七刀ァァァァァァッ!」
無限破七刀から放たれた衝撃波が、刹那の放った黒い衝撃波とぶつかり合う。永久の予想以上に強大な刹那の衝撃波は、無限破七刀の衝撃波を完全に飲み込んで永久へ向かっていったものの、その頃には既に永久はその場から掻き消えていた。
「まんまと逃げられたってわけね……永久……!」
永久のいた場所を睨みつけ、吐き捨てるようにそう言うと、刹那は静かに背を向けた。
「ハァッ……ハァッ……!」
悠然と佇むキングの前で、ナイトは肩で息をしながらその場に膝をついていた。傷だらけのナイトとは対照的に、キングはほぼ無傷の状態でナイトを見下ろしている。キングが圧倒的優位に立っていることは火を見るよりも明らかだった。
しかしキングの表情はあまり明るくない。満身創痍、と言った様子のナイトを、やや訝しげな表情で見つめていた。
「……つまらん。後は好きにしろ」
しばらくナイトを見つめた後、キングは退屈そうにナイトへ背を向けて立ち去る。そしてキングの命令を受けた怪人達は、すぐにナイトへと向かっていった。
「くッ……おおおッ!」
叫ぶことで己を鼓舞し、立ち上がったナイトは迫り来る怪人達を一体、また一体と切り伏せていく。まるで手負いの獣とでも言わんばかりの形相と勢いで剣を振るいながら、ナイトは少しずつ立ち去っていくキングへと進んでいく。
怪人を切り伏せながらも、ナイトはクイーンへ、永久へ思いを馳せる。もう既にこの世界に彼女の気配はない。恐らくナイトの開いた裂け目から無事に逃げおおせたのだろう。
それを理解して、ナイトは少しだけ表情を緩めながらも怪人と戦い続ける。一度仕えた主に最後まで忠誠を尽くすこと、それこそが騎士道だとナイトは信じていた。主のために生き、主のために命を賭すのが騎士の道だと。事実それを体現したアンリミテッドルークを心底尊敬していたし、昔からルークはナイトにとって尊敬すべき存在だった。
しかし心のどこかで、傍若無人に振る舞うキングへ従うことが正しいことなのか、ナイトは疑問を抱き続けていた。
そしてアンリミテッドクイーン、坂崎刹那によって封印を解かれ、刹那やキングと行動を共にすることでその疑問は更に大きくなっていく。
世界を壊したがる刹那、壊した後の世界に自分だけの国を作り上げるつもりでいるキング。自分の目的のために平気で他者を踏みにじる二人へ忠誠を誓い続けることは、ナイトにとって苦痛でしかなかった。
そんな中だ、彼が坂崎永久に出会ったのは。
守りたい、助けたい、寄り添いたい。かつてナイトがそう感じたクイーンは、怒りと憎悪、狂気に飲み込まれた刹那ではない。父親のために、愛されないとわかっていながらも必死に戦い続けた、あの独りぼっちの少女だ。ナイトにとって、坂崎永久はあの少女の延長線上にあるように感じられた。
「ぐッ……!」
眼前の怪人を切り伏せた直後、背後から掴みかかられる。なんとかもがいて背後の怪人を振り払うと、ナイトは振り向き様にその怪人を袈裟懸けに切り裂いた。
――――騎士道は、私の騎士道とは……。
キングや刹那のために戦い続けても得られなかった答えは、永久と共にある。
「私の……騎士道、はッ……!」
次々と迫り来る怪人を切り払い、ナイトはその前方にあるキングの背中へ真っ直ぐに視線を向ける。
「私の道はッ……!」
そして目の前にいる怪人の腹部に剣を突き刺し、払いのけた先に王は――――キングはそこにいた。
「私の……私の心に、忠実に歩くことだッ……!」
「ほう……?」
気がつけばそこら中にいた蝿の怪人は、全てナイトによって切り捨てられていた。
これにはキングも驚いたようで、興味深げに傷だらけのナイトを見つめている。ビショップの方はかなり狼狽した様子で、その隣では刹那がギロリとナイトを睨みつけていた。
「ここまで来たことは褒めてやらんでもない。今なら謝罪次第で許してやっても良いぞ」
満足気に笑みを浮かべるキングだったが、ナイトは睨みつけることでその提案を拒絶する。
「ならば散るが良いナイトよ。この俺に直接引導を渡してもらえることを、精々感謝してから死ね」
「アンリミテッド……キングゥゥゥゥッ!」
決死の覚悟で駈け出すナイトに対して、キングの所作は必要最低限だった。ナイトの剣を避ける素振りも見せず、ただ刃へと変質した右腕を伸ばす……ただそれだけだった。
「かッ……は…………ッ」
深く突き刺さった刃から血が滴ると同時に、ナイトの口から大量の鮮血が吐き出される。ゆらりとナイトの身体がふらつくと同時に、キングは表情をしかめた。
「貴様ッ……!」
キングが右腕を引き抜くと、ナイトの身体が音を立てて地面へ倒れ伏す。倒れたナイトの身体から弾き出されたのは、ほんの小さな欠片だけだった。
「この男……既にコアのほとんどを失っていたというのですか!」
ビショップはキングの元へ駆け寄ると、地面へ落ちている欠片を……ナイトのコアの欠片を見て驚愕の声を上げる。
「ほんの欠片しかないコアであの軍勢を打ち破り、この俺に向かってくるとはな……。消えるには惜しい男だ、アンリミテッドナイトよ……」
そう言ったキングからは、今までの傲慢な態度は感じられない。どこか寂しげに、そして本当に口惜しげに、倒れているナイトを見つめている。ほんの少しではあるものの、キングがナイトの覚悟に、戦いぶりに敬意を表し、認めている証拠だった。
ナイトの作った裂け目から、どうにか永久の力で客室へと逃げ込んだ永久達は、各々の部屋で休息を取っていた。由愛や美奈子はともかく、英輔は客室に着いた途端すぐにその場へ倒れ伏してしまう程の疲労とダメージだったのだ。
永久は個室の中、一人ナイトから受け取ったソレを……ナイトのコアを握りしめる。これを握りしめている間は、どれだけ離れた世界にいようと微かにナイトの存在を感じることが出来る。しかしどれだけ握りしめても、数秒ごとにナイトの存在が感じられなくなっていく。少しずつ、少しずつナイトが消えて行く感覚が永久の両手の中にはあった。
「ナイトっ……!」
永久が涙まじりにそう呟いた時には、もう既にそのコアからナイトは感じられなくなってしまっていた。
ナイトが、消えた。当然だ。あんなコアの状態で、キングを含むあの軍勢と戦って無事でいられるハズがない。最後まで永久を想い、永久を助けるために散っていったナイトのことを思うとどうしようもなく辛かった。
「ありがとう……ナイト……っ」
永久の涙が、ナイトのコアの上を滑り落ちていった。
ナイトが消えたことがわかってから数分後、永久の部屋に鏡子、由愛、美奈子の三人が訪れる。英輔はしばらく休ませる必要があったし、それ以前に起き上がって良いような状態ではなかったため、永久の部屋に来たのはこの三人だけだった。
プチ鏡子の状態で強制的にリンクを切られたため、鏡子の方もかなり疲労している様子だったが、永久は鏡子に促されるままにこれまでの全てと、自分の過去を語った。
三人はしばらく黙って聞いていたが、話を聞き終えた後、鏡子は静かに永久へ歩み寄る。
「鏡子さん……?」
「ごめんなさい」
一言だけそう告げると、鏡子は勢い良く永久の頬に平手打ちを叩き込む。
「ちょっと鏡子!?」
驚く由愛と美奈子をよそに、鏡子は真っ直ぐに永久の目を見つめた。
「……英輔の母親として、あなたが英輔にしたことを簡単に許す気にはなれない。でもね、それ以上に由愛も、美奈子も、勿論私だって……」
そこで言葉を区切って、鏡子は突如ギュッと永久を抱きしめる。鏡子のその行為に、永久はしばらく目を丸くしていたが、やがて歳相応の少女のように鏡子の肩へ顔を埋めた。
「心配したのよ……永久」
「うん……ごめん、ごめんなさい……」
「おかえりなさい、永久」
「…………ただいま……!」
嗚咽混じりにそう告げて、永久はそのまま泣きじゃくった。
帰る場所がここにある、それがどうしようもなく嬉しくて。




