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迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第五章 胡蝶の夢
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第55話 追加依頼

 ケンが夜光蝶についての情報収集を依頼した数日後。無事に書き上げられた調査資料をダニエルから受け取り、秩序神教会の神殿まで届ける日となった。

 事前に手紙で「夜光蝶が既に絶滅しているのではないか」というダニエルの予測を伝えると共に、資料を渡しに行く日についても連絡してある。

 後はエセルバートに資料を届け、受け取った報酬をダニエルの元に届ければ依頼は完了するはずである。



 秩序神教会が誇る白亜の神殿に辿り着いたケンが向かったのは、礼拝を行う一般の信徒が出入りしている表口ではなく建物の裏手にあるはずの通用口である。

 神殿の外壁沿いに歩けば通用口はすぐに見つかる。そこには金属で補強された頑丈そうな扉があり、扉の前には腰に剣を佩いた白い鎧姿の男が警備のために立っていた。

 鎧の胸甲部分には所属を示す紋章が描かれているが、その紋章が間違いなくエセルバート麾下部隊のものである事を確認してから、ケンはわざと足音を殺さずにゆっくりと近付いていく。


「何者か」

 通用口にある程度の距離まで近づくと、警備の男から誰何を受けた。

 ケンはひとまずそこで立ち止まり、何も持っていない掌を見せて敵意の無いことを示す。

「ここは外部の者が立ち入るような場所ではない。用件がないのであれば即刻引き返されるがよかろう」

 警備の男からの警告の声には答えず、代わりに細い鎖を付けてペンダントのようにしてある秩序神の聖印を男に見せることで応えた。

 通常の物とは微妙に形状が違っているこの聖印は、エセルバートから彼の協力者であることを証明する手段として渡されていた物である。

 その聖印が間違いなく本物であることを確認し、警備の男がわずかに頷く。

「本日、閣下(エセルバート)は聖務を果たすために外出なさっておられる」

「承知しております。そのような場合には、補佐のノーマン殿からのご指示に従うように命じられております」

「ならば通って構わん。ノーマン殿はご自身の執務室におられるはずだが、場所は知っているか?」

「いいえ、存じません」

「そうか。執務室まで行くには―――」



 丁寧に道順を教えてくれた警備の男に礼を言ってから、通用門を通って神殿の中に入る。

 秩序神神殿の内部は、真っ白な外壁と同じように白が基調になっていた。石造りの床は長年人が往来した結果として幾分かすり減っているが、その部分も白いままであるところを見ると建材として使われた石そのものが白いのではないだろうか。

 今だけそうなのか、それとも普段からなのかは分からないがまっすぐ伸びる廊下の上に人影はなく、両側に幾つかある扉の向こう側からも人の気配は感じられない。

 結局、神殿の中に入ってからは誰とも出会うことのないままに、警備の男から教えられたノーマンの執務室前まで到着した。


「はい、どなたさまでしょうか」

 連続して3回、1秒の間を置いて1回、そしてもう1回。事前に指定されていた通りのリズムで部屋の扉をノックすると、部屋の中から若い女の声で応答があった。

「ケンイチロウです。ノーマン殿にご依頼の品をお届けに参りました」

「少々お待ちくださいませ」

 ややあって部屋の中から扉が開かれ、神官衣を着た女が顔を出した。女の肩越しに見える室内には大きな机が置かれ、その向こう側には椅子に座ったノーマンの姿がある。

「お待ちしておりました。どうぞお入りください」

「失礼します」

 ケンが中に入ると、それまでずっと何かの書類に目を通していたノーマンがケンに視線を向けた。

「ご苦労様です、ケンイチロウ殿」

「お疲れ様です。例の調査資料が完成したので早速お届けに上がりました。結論としては以前にお伝えしたものと変わらないとのことですが、内容を確認の上で今後の対応をご検討ください」

 そう言ってケンが報告資料を収めた紙袋を手渡すと、ノーマンは中に入った資料を取り出して最初のページに書かれた題字と作成者のサインを確認してから、元通り袋の中に入れた。

「確かに受け取りました。報酬については希望された額を用意しましたので、帰る前にそこの彼女から受け取ってください」

「間違いなく届けさせていただきます」


「と、その前に。ケンイチロウ殿に聞きたいことがあるので、今から時間を作ってもらえませんか?」

 用事を済ませたケンがさっさと帰ろうとするが、踵を返した彼をノーマンが呼び止めた。

夕の鐘(午後6時)の前までであれば時間は取れますが、どのようなご用件でしょうか」

「内容についてはまた後ほど。話は向こうにある会議室でするので先に向かってください。なあに、ケンイチロウ殿にとっては特に難しい話でもないと思いますよ」

「はあ……」

 詳細についてはぐらかされたまま承諾させられ、ケンは神官衣の女に案内されて会議室に向かった。




 ケンが連れて行かれた部屋は、会議室と呼ぶにはいささか豪華過ぎるものだった。

 床には毛足の長い絨毯が敷かれ、椅子ではなく上等なソファーが置かれている。天井ではシャンデリアが煌き、壁には大きな絵画がかけられている室内は、会議室ではなく地位のある賓客を出迎えるための場所に見えた。 ノーマンがケンを「お客様」扱いするはずはなく、執務室からここに場所を移したことには何か意味があるはずだと思うが、さっぱり意図が読めない。

 ならばノーマンに直接聞いてみるしかないのだが、彼はさっぱり姿を現さなかった。


 複数の意味で落ち着かない状態のまま待つこと十数分。遂に会議室の扉がノックされた。

「はい、どうぞ」

「お邪魔します」

 扉を開けて入ってきたのはがっしりとした体格の壮年(ノーマン)ではなく、褐色の肌と栗色の髪を持つ人懐っこそうな少年だった。

 少年の背はあまり高くなく、もこもこと着膨れているためにはっきりとは分からないが、あまり身体を鍛えているようには見えない。中性的な顔立ちであり、まだ変声期を迎える前なのか綺麗なボーイ・ソプラノのままでもあるので、一見しただけでは少女のようにも見える。

 そして、部屋に入ってきたのは少年1人だけではなかった。少年のすぐ後には褐色の肌と銀髪を持つ少女の姿があり、そのまた後ろには褐色の肌で黒髪の壮年男が立っている。

 3人のうちの誰一人として、ケンには見覚えがない。

 この辺りで褐色の肌を持った猿人族はかなり珍しい存在なので、過去に一度でも会ったことがあるならば忘れようがないので、少なくともこの6年で会ったことは無いはずだ。



「もしかして部屋をお間違えではありませんか?」

「いいえ? 言われたのはこの部屋で間違いないと思いますし、それに貴方は迷宮探索者のケンイチロウさんなのですよね?」

「……ええ、その通りですが」

「ボクたちはケンイチロウさんと会うために来たので、やっぱりこの部屋で間違いありませんね。いやあ、昨日の今日なのにすぐに会うことができて良かった」

 ケン側は目の前でニコニコと笑う少年について何も知らないのに、少年側はケンの正体についてある程度の情報を持っているようだった。

 神殿の奥にまで入り込んでいる彼らが秩序神教会と全く無関係とは思えない。この場に居ることも合わせて考えると、少年たちもエセルバートかノーマンの関係者なのだろう。

「失礼ですが、貴方たちはどなた様でしょうか」

「初対面だというのに名乗りもせずに申し訳ありません。ボクはカシムと言います。後ろに立っている彼女がファティマで、その隣がナルセフです」


「……ファティマ」

 ぶっきらぼうに自分の名前のみを口にした彼女は、明るい褐色の肌に銀髪というごく珍しい組み合わせを持っていた。

 着ているのは何故か男物の服で全く着飾っていないのに、それでも十分に女らしい魅力が感じられる。まだまだ子供といった雰囲気だが、数年後には間違いなく美女として称えられるほどの逸材である。

 彼女は腰の両側に一本ずつ小振りな半月刀(シャムシール)を下げ、一見何気ない立ち姿には全く隙がない。ケンに対して全く興味なさげな態度をとっているが、其の実はかなり警戒しているようだ。


「お初にお目にかかります。(それがし)はナルセフと申す者です。お忙しい中時間を割いていただいたことに感謝いたします」

 暗褐色の肌に黒い髪をしたナルセフの身長はケンよりも頭1つ分は高かった。その身長に見合うだけの肩幅と身体の厚みも備えた彼の印象は、一言で言えば"岩"である。

 よく見れば顔にはいくつもの傷跡があり、彼が過去に乗り越えてきた戦いの激しさを窺わせる。今は武器を持っていないが、生半な相手なら彼の両拳だけで粉砕されてしまうに違いない。



 会議室に来た3人の名前は判ったが、それでもまだ彼らがここに来た目的が解っていない。

「あまり事情が飲み込めていないのですが、結局どういう事なのでしょうか?」

「すいません、忘れていました。ノーマンさんからケンイチロウさんにこれをお渡しするように、と言われていたのでした」

 カシムが差し出したのは四つ折りにされた1枚の紙である。それがノーマンから渡されたものであることにそこはかとない不安を抱きながら受け取り、開く。

 その手紙には力強い角ばった文字でこう書かれていた。

『目の前に居られるのはとある事情から探索者になろうとしている方々です。迷宮についての知識を得るのに協力して欲しいという要請があり、講師としてケンイチロウ殿をご指名でしたので今回の場を設けさせていただきました。カシム殿ご一行は我々にとって決して粗略に扱ってはいけない立場にある方々ですので、ケンイチロウ殿もご留意ください』

 ―――嵌められた。


 これから何をするかをケンに伝えずに会議室に送り込んだのは、事前に伝えると面倒がったケンが逃げるとでも考えたからだろう。

 粗略な扱いができない立場というのがどれほどのものかは判らないが、それであればこれだけ豪華な内装の部屋を使う理由も理解できる。

「……事情については理解しました。私ごときがどれほど皆さんのお役に立てるかは分かりませんが、せめて微力を尽くしましょう」

「ありがとうございます」

 ノーマンの朴訥そうな外見に騙されて全く無警戒だったが、彼もやはりエセルバートの一味だったということだ。警戒度をエセルバートの半分くらいまで引き上げ、今回だけは騙されておく。

 カシムたちが騙した訳ではないし、ノーマンが言っていたように面倒ではあっても難しい話ではない。


 カシムがケンの正面に座り、その向かって右側にナルセスが座った。この部屋に置かれているソファーはかなり上等なようで、ナルセスの巨体を受け止めても軋み一つ上げなかった。

 ファティマだけは座らず、カシムの斜め後ろに立って周囲を警戒する様子を見せている。

 

 ケンにはカシムを害する考えなど微塵もないし、秩序神神殿の中で彼らを襲撃できる者など居るとは思えない。カシムやナルセスが武装していない中で彼女だけが武器を持っている事もそうだが、随分と彼女は心配症のようだ。

「さて、迷宮の事についての話をすると言っても、何からお話すれば良いのやら……」

「それなら最初はボクたちがこの町まで来た理由と、ケンイチロウさんに会うことになるまでの経緯を説明しましょうか」

「そうですか、ではお聞かせください」



「ボクたちがこの町に来て迷宮に潜ることになった理由は、簡単に言えば家の継承権争いのためです」

 ケンが思わず眉を顰める。初っ端から随分と面倒くさくなりそうな爆弾が落とされたせいで、早くも安請け合いしたことに後悔し始めた。

「まだまだ祖父は健在なのですが、しばらく前に隠居を宣言した後に父が当主の座に就きました。それに伴って次代の継承者を決めておかねばという話になったのですが……」

「出生順に自動的に決まるという方式が一般的だと思いますが、そうではないのですか?」

「ええ、直系血族の生まれた順に継承順位を付けていくのか慣例ですが、ボクの家では当主が自由に決めて良いことになっています。それで、父は少し……と言うよりだいぶ変わった方でして……古い家訓に『最も武勇に優れた者を長とすべし』なんてものがあるのを見て、それに従って継承順位を決めるなんて言い出したものだからさあ大変!」

 思い付きで周囲を混乱させる奴はどこにでも居るが、そういう奴が権力を持っていると碌な事にはならないという好例である。


「継承順位の決定については当主が絶対ですし、家訓に従うという面だけを見れば何一つ問題がないので誰も止められません。それならそれで剣の試合でもして決めてしまえば良かったのですが、一族の中から『武勇とは個人の腕前だけで決まるものではないのではないか』なんて事を言い出す人が現れました」

 剣の腕前に自信がある者であればともかく、そうではない者が注文を付けたくなる気持ちは理解できる。せっかく次期当主の座を手に入れる機会が巡ってきたのだから、そう簡単に諦められないだろう。

「近々戦争が起きる予定でもあればそこでどれだけの戦果を挙げたかで決めることもできるでしょうが、幸い周辺国との関係は良好です。一族の主だった人がああでもないこうでもないと議論を重ねた結果、では迷宮の攻略でもさせようかという結論になりました」

 どういう話の流れを辿ったのかは知らないが、随分と突拍子もない結論が出たものだ。

 確かに、ある程度戦闘に長けていなければ迷宮の奥深くまで生き残ることはできないだろうし、迷宮へはパーティを組んで潜ることになるから組織の運営能力を試す事もできる。

 跡目争いのために戦争を始めるなんてことに比べればかなり穏当だが、それでもかなり危険な方法だ。最悪の場合、参加者全員が死亡して終わりという可能性もある。


「結局、継承権争いは『最低限の人材と資金のみを与えられた状態で迷宮攻略を開始し、一定期間後の状況を見て継承順位を決める』ということになりました。これが発表された時点で、参加する姿勢を見せていた人たちのほぼ全員が辞退しました」

 一定期間というのがどれだけの長さかについては明言されなかったようだが、数ヶ月程度では攻略はろくに進むまい。ある程度の結果が出るまでに数年は必要だろう。

 故郷から遠く離れた危険な場所で数年というのは、人を尻込みさせるには十分過ぎる厳しさだ。

「できればボクも辞退したかったんですけど、運悪く発表の直前に成人を迎えていたせいでそれも叶わず……最終的な参加者は全員が直系血族で、3人の兄とボクの4人だけ。ならばそれぞれ四大迷宮のどれかに行かせようという事になり、抽選の結果ボクはここの迷宮を担当することに決定しました」

 この世界の多くの地域では15歳で成人と見なされている。カシムはまだ12,3歳の未成人ではないかとケンは予想していたが、既に成人していたとは驚きである。



「カシムさんがどうしてこの町で探索者をやろうとしている理由については分かりました。では、そこからどういった経緯を辿って私のことをお知りになったのでしょうか」

「ボクには何の前情報も無しに迷宮に潜るなんて恐ろしい真似はできませんから、まずは現役の探索者に迷宮について教わることができないかと考えました」

「慎重なのは良いことです」

「そうは言っても右も左も分からない場所です。だからまずは唯一の伝手である秩序神教会を頼ることにして、色々と事情を話しました。それならば丁度いい人がいると言われて、秩序のロウフル・ブレードのメンバーと会うことになったんです」

「アルバートたちのパーティですか」

 パーティメンバーのクレアは秩序神教会の神官であり、アルバート本人も秩序神の信徒だったはずだ。

 探索者としてはかなり有名で実力が有り、教会からの依頼をいくつも受けていることで関係も深いので、探索者を紹介するとなった時に真っ先に名前が挙がったのは不思議でも何でもない。


「はい、ケンイチロウさんともお知り合いですよね? つい昨日、アルバートさん、クレアさん、ダーナさん、エミリアさんの4人と会って話を聞いたのですが……正直、ちょっと」

「彼らは天才ですからね。天才の真似ができるのは同じ天才だけです」

「お分かり頂けますか」

 アルバートは磨きあげた才能と生まれ持っての直感で大抵のことがどうにかできてしまう人間なので、恐らく彼自身も自分が何をどうしているのか理解できていないだろう。クレアとエミリアについても全く同じことが言える。

 唯一、ダーナだけはまだこちらに近い領域に居るが、他の3人について行けるというだけで十分に規格外だ。

「ダーナさんから昔話を聞いている時にケンイチロウさんの名前が挙がったので、どういう人か聞いてみた結果『この人だ』と感じ、ノーマンさんに話してみました。すると、ちょうど別の用事があって神殿に来るということで、この場を設けていただきました」

「なるほど……もっとマシな選択肢はいくつでもあったと思いますが、経緯は理解できました」

 アルバートたち程ではないが、ケンもソロ冒険者という特殊な立場なので教師役としてあまり適しているとは言えない。



「私から話をする前に、いくつか質問をしても宜しいでしょうか」

「ええ、ボクに答えられることであれば」

「継承権争いのために探索者になると仰っていましたが、元々辞退するつもりだったのであれば迷宮に入らずに適当に商売でもして生計を立てれば良いのではありませんか?」

「ボクもそう思っていたんですが、そこは先に釘を刺されてしまいました。『迷宮攻略に対する努力の跡が見られない場合、継承権を与えないだけではなく一族から追放する』だそうです。継承権は別にどうでもいいのですが、一族からの追放はどうしても避けたい理由がありますから……」

 カシムとファティマが刹那の間だけ視線を交わし合う。

 この部屋に入ってからの短い時間だけで2人の関係性を正確に推し量ることはできないが、単なる主従関係以上のものが感じられるやり取りだった。


「では次の質問ですが、迷宮に潜るのはカシムさんたち3人でなければいけないのですか? 本気で迷宮の奥に進むことを考えるのであれば、メンバーの増強は必須だと思いますが」

「良いとも悪いとも明言されてませんけど、部下を扱う能力も評価項目の1つだとは言われているので駄目ということはないでしょう」

「では、どこか別のパーティやギルドに入っても構わないと?」

「うーん、どうでしょう。ボクがお飾りではなく本当のリーダーならそれでも大丈夫だと思うんですけど、そうではないのなら駄目なんじゃないかって気がします」

「それもそうですね」

 ただ奥に進めれば勝ちというのであれば、何とかして有力ギルドに入って荷運び人(ポーター)として他のメンバーの後ろを付いていくだけでも良くなってしまう。

 指導者(リーダー)としての能力を測られているのだから、自分のパーティで成し遂げなければならないに決まっている。




「私も大した事は言えませんが、一応は探索者の先輩なのでいくつかお話させていただきましょう。技術的なことは聞いただけでどうにかなるものでもありませんので、探索者としての心構えや必ず抑えておくべき情報についてを話させていただきます」

「はい、そうしてもらえるととても助かります」

「まず、私が考える探索者が最も重視すべき事とは『生き残ること』です」

「生き残ること、ですか……なんだか当たり前すぎるような気がしますけど」

「ええ、当たり前の事です。ですが、新人探索者の多くはその当たり前の事ができていないのが現実です」

 誰かが正確な統計を取ったわけではないが、昔から新人探索者のうち3割から4割は1ヶ月以内に姿を消すと言われている。

 探索者に向いていない事を悟って引退する分も含んでいるので全員が死んでいる訳ではないが、それでもかなり高い死亡率だと言える。

「そして、生き残るために最も心がけるべきなのは無理をしないことです」

「それも当たり前の事ですね……」

 当たり前の事をするのがいつも簡単とは限らない。少しの油断や慢心で引き際を誤り、そのせいで命を落とした者は数知れなかった。


「迷宮の中はただでさえ死亡率が高い場所ですが、その中でも俗に"迷宮の餌"と呼ばれるいくつかのタイプが存在しています」

「"迷宮の餌"とは、どういう意味でしょうか」

「一部の探索者の間では『迷宮は人を喰う』と比喩的に言われています。迷宮が魔石や宝箱で内部へと人を誘い、モンスターを使って人を殺し、人の死体をどこかに消してしまうからです」

「確かにそれは、獲物を狩って食べる獣のようですね」

 迷宮が本当に人間を喰っているのか、本当のところは誰にも分からない。

 しかし、迷宮の中にある人の死体が、腐敗して消えるよりもずっと短い時間でいつの間にか跡形もなく消えてしまうのは間違いのない事実だ。

「ですから、迷宮に入るとすぐに死んでしまいそうな探索者を揶揄して『あんなんじゃ迷宮に喰われに行くようなもんだ』と言っていたものが、時間とともに変化して"迷宮の餌"と言われるようになったのです」

「その言葉を最初に使った人は、なかなかユーモアがありますね」

 口を歪めて嗤うカシムが本当に面白いと思ってそう言ったのか、皮肉で言っているのかは判然としない。

 人の生き死にを冗談の種にするのはあまり趣味が良いとは言えないが、長く生き残っている探索者の多くは人やモンスターの死に触れすぎたせいでどうしても感覚が麻痺してしまう。

 命というものに冷淡になってしまうのはある意味仕方がないことだ。



「それで"迷宮の餌"の内訳ですが、1つ目が"考え無し"、2つ目が"憧れた少年"、3つ目が"騎士様"と言われています」

「……解説をお願いします」

 1つ目については言葉通りの意味である。前にケンの目の前でモンスター部屋に突撃して全滅したパーティのように、自分の実力を考えもせずに行動する馬鹿は真っ先に命を落とす。

 生き残れる可能性があるのはよほど運が良い奴だけである。


 2つ目は、探索者として活動できるだけの肉体的な素養を持っていないのに、迷宮や探索者という存在に憧れを抱いていたり、止むに止まれぬ事情から探索者になった少年―――つまりは年若い者の事を言っている。

 能力的な限界が来ていることを自分でも分かっていながら、それでも迷宮に潜ることをやめられない。

 限界を超えた代償は、最終的に彼ら自身の命によって支払われることになる。


 3つ目は元騎士や元傭兵のような、過去に戦うことを生業としていた者が探索者になった場合を指している。

 最も危険だと言われているのは、騎士が同僚や従卒を引き連れて探索者になった、もしくは傭兵部隊が丸ごと探索者に鞍替えしたパターンだ。

 パーティを組んだ時に探索者になる前の力関係がそのまま引き継がれることが多いが、戦場では有能なリーダーだったとしても迷宮で有能なリーダーであるとは限らない。戦場での危険と迷宮での危険は質が違っているので、豊富な経験が却って仇となる場合もあるだろう。

 マッケイブの迷宮上層は特にそうだが、戦闘が得意であればとりあえず迷宮の奥に進んでいくのはそう難しくない。

 迷宮では深い所に行けば行くほど実入りが良くなっていくこともあり、迷宮でのいろはを碌に身に付けないままにどんどんと奥に進んでしまい、気付けば生還不可能な場所まで来ていたといったこともありえる。



「私の個人的な解釈ですが、これらは全て『自らの能力の限界を超えるまで止まらなかった』結果、つまり無理をしてしまった事によって引き起こされていると言えるでしょう」

 勇敢さや不屈といったものはどんな状況でも美徳であるわけではない。死んだ勇者よりも生きている臆病者の方が何千倍も意味がある、それがケンの価値観だった。

「耳が痛いですね……つまりボクたち3人は全員が"迷宮の餌"であると、そう言っているんですね」

「お気に障ったのなら申し訳ありません。ですが、侮辱する意図が無いということはご理解ください」

「いいえ、怒ったりなんかしませんよ。ケンイチロウさんはボクの事を罵倒しているのではなく、経験からくる教訓を教えてくれたんですから」

 怒っていないという言葉を態度で示しているのか、カシムはニコニコと笑っている。隣に座るナルセフはただ感心したような表情で、ファティマに至っては全くの無関心だった。

 複数の国に跨って継承権争いをするような家の御曹司が、どこの馬の骨とも知れない相手から馬鹿にしたような事を言われているというのに随分と心が広い。


「ケンイチロウさんとして、やはりボクたちは探索者になるべきではないと?」

「ご自分の命をどう使おうと勝手ですから、止めはしません。しかし、せめて最初の数ヶ月は誰か迷宮探索の経験が深い人とパーティを組んで行動すべきでしょう」

「ええ、ボクもそう思います」

「ですが、組む相手を探すのは難しいかもしれませんね……ここで言葉を濁しても仕方が無いのではっきり言ってしまいますが、女子供とパーティを組みたがる探索者はいませんので」

 自分のことを自分で始末できない子供の居場所は迷宮の中にはない。ケンが見る限りカシムはもう子供ではないが、世の中の大多数はそうは思わないだろう。

 ファティマに限って言えば全く能力に不足はないが、男の集団の中に女を1人だけ入れるのは大きな不和を生む種となるので嫌われている。



「そうですか……困りましたね」

「1つだけ、カシムさんたちを受け入れてもらえるかもしれないギルドに心当たりがあります。ちょうど今日の夜に彼らと会う予定があるので、そこでご紹介しましょう」

 街中で見かけただけなら放っておいただろうが、知り合いになってしまったからには死なれるのも精神衛生上好ましくない。エセルバートやノーマンに恩を売っておくのも、今後のために有益だ。

「本当ですか?! ぜひ、紹介してください」

「では、私はこれから行かなければならない場所があるので、この場は一度解散しましょう。夕の鐘(午後6時)頃に迎えに来ますので―――」


 細々とした連絡を済ませ、予定外に時間がかかった秩序神神殿訪問は終了した。

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