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迷宮探索者の日常  作者: 飼育員B
第四章 メイド少女アリサ
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第50話  ”遺跡”探索

 岩陰に隠すように掘られていた穴の中から突如として現れた(さそり)型のモンスターは、頭から尻尾の先まで1メートル近くはあるという巨大さであり、全身が周囲の環境に適応した茶色の(から)に覆われていた。

 その触肢に備わった巨大な鋏で素早く獲物(アリサ)の左の足首を挟み、間髪を入れず尻尾を振るって獲物の身体に鋭く尖った毒針を突き立てる。

 全く淀みなく完遂されたその行動は、本能に刻まれた必勝の戦術だったのだろう。


 しかし、今回に限ってはまだそいつの勝利は確定していなかった。

「アリサ!」

「いたっ! ……このおっ!」

 腹部に毒針を突き立てられたアリサは痛みによってか数瞬だけ硬直したがすぐに立ち直り、両手で巨大蠍の尻尾の先を掴んで自分の身体から遠ざけた。

 針の先端から飛び散る毒液に臆することなく、彼女は尻尾を掴んだままの両手を地面に押し付けて固定する。

 巨大蠍が逃れようとして滅茶苦茶に暴れるが、単純な力比べはアリサに軍配が上がっているようだった。

「そのまま抑えてろ!」

 ケンは状況を考えて主武器の鎚矛(メイス)ではなく、副武器の小型剣(ショート・ソード)を抜く。出番は少ないが手入れを怠ったことはない。

 アリサの拘束から逃れようとでたらめに跳ねまわる尻尾の根元を強く踏みつけて固定し、ショート・ソードの切っ先を尻尾の節と節の間を狙って突き下ろした。

 意外と柔らかい殻しか持っていなかった巨大蠍の尻尾はケンの攻撃に耐え切れず、傷口から体液を飛び散らせる。2度、3度と突かれる度にどんどんと傷を大きくしていき、最後はアリサの腕力によってぶちぶちと音を立てながら引き千切られた。

 最大の武器と共に身体の一部を喪った巨大蠍は、たまらずアリサの足首から鋏を離して地面の上をのたうち回る。


 ケンは素早く周囲を見回して他のモンスターの姿が無いことを確認しながら、目の前の敵に止めを刺すためショート・ソードからメイスに武器を持ち替える。

 よたよたと巣穴に逃げ帰ろうとする巨大蠍の行く手を阻むように立ち、牽制で振られる鋏を難なく躱しながらメイスの攻撃を叩き込む。巨大蠍の動きはどんどんと鈍くなっていき、やがて完全に動きを止めた。

 少しの間を置いて、巨大蠍の死体から淡く発光する粒子が立ち上り始める。確実にモンスターが死んだと判断できてから、ケンは地面にうずくまるアリサに駆け寄った。



「アリサ、まずはこの場を離れる。立てるか?」

 今のところ周囲にモンスターの影は見当たらないが、今いる場所にはそこそこ大きな岩が複数転がっていて見通しが悪い。傷の治療をする前に安全を確保しておきたい。

「……はい、旦那様。申し訳ありません、足が……」

「肩に掴まれ」

 痛みに顔を顰めてはいるが、意識がはっきりしている様子のアリサにひとまず安堵しつつ、肩を貸して立ち上がらせる。ついさっき進んできた道を数十メートル分戻った。


「傷を見せてみろ」

 見通しのいい場所でアリサを地面に座らせてから、治療の準備をする。

 背嚢の中から<治療>を初めとする魔法薬(マジック・ポーション)や消毒用のアルコール、治療用の器具を取り出す。残念ながらモンスターが使う毒に対する解毒剤は用意していない。

 少しだけ迷ったが<持続光>の魔道具を取り出し、なるべく光が漏れないように注意しながらアリサの身体を照らす。明るさによって虫やモンスターを引き寄せてしまう危険はあるのだが、<暗視>ゴーグル越しでは細かい部分が判らないので仕方が無い。

「あっ、旦那様、お腹の方は大丈夫です。鎧は抜けちゃいましたけど、メイド服で何とか止まりましたから」

「良いから見せてみろ」

 まずはより危険だと思われる胴体の傷から確認する。

 確かに、アリサの言う通りメイド服の上に付けていた鎧下(クロース・アーマー)には直径2、3センチメートルの穴が空いていたが、そこから覗くメイド服には傷ひとつ付いていなかった。

 鎧下に空いた穴の周囲は毒液で濡れていたが、メイド服は撥水性があるのでアリサの身体には触れてもいないだろう。

「……念の為に聞いておくが、毒の影響と思われる症状は無いんだな?」

「はい、大丈夫です」

 アリサの顔色は少し青白かったが意識の混濁はなく、異常な発汗や麻痺もなかったので、彼女自身の言う通り毒の影響は無いだろうと思われた。まずは一安心だ。


 左足首の方も骨折はしていたが、それだけで済んだ。

 巨大蠍の鋏が対象の切断を目的としたものではなく、獲物を押さえつけて逃がさないようにするための物だったからだろう。頑丈に作られたブーツの上からだったのも幸いだったのではないだろうか。

 アリサの足首に<部位再生>薬をタップリとかけ、しばらく様子を見る。




 小一時間ほど休憩した後で(おもむろ)にアリサが立ち上がり、左足首を地面に押し付けてぐりぐりと回して調子を確かめ始めた。

「もう大丈夫なのか?」

「はい、旦那様。もう元に戻りました!」

「……早いな」

 <部位再生>の下位である<部位修復>を使った場合、骨折が全快するまでに数時間から数日かかるという話を聞いたことがある。

 1時間足らずで歩けるまでに回復したのは、<部位再生>薬という完全に喪われた部位すらまた生えてくるという最高級の魔法薬を大盤振る舞いしたおかげだろうか。

 何にせよ、ここで休んでいる間にモンスターから襲撃を受ける危険を考えるなら、早く動けるようになったのは有難い限りだ。


「私なんかのせいで旦那様をお待たせしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。では、早速出発いたしましょう」

「いや、治ったと言っても怪我をしたばかりなんだから無理はすべきじゃない。今回はこれで休みにして、また夜明け頃になってから出発しよう」

「いいえ! 今すぐ出発すべきです。おそらく"遺跡"まではあと1時間……2時間かからないくらいですので、休むのであれば"遺跡"に着いてからの方がよろしいのではないかと」

 今の時間は夕暮れから3時間、だいたい午後9時前後だった。アリサの言う通り2時間以内に"遺跡"が有るのであれば、気温が下がりきるまでには到着できるだろう。

「いや、最初よりはだいぶマシになってきたが、まだ顔色が戻ってない。ここまでは順調に進んできたおかげでまだ物資に余裕があるんだから―――」

「いいえ、今すぐに出発するべきです!」

 ケンの決定にアリサがここまで強硬に反対するのは珍しかった。

 普段なら嫌がったり反対意見を言うことはあっても、それでケンが考えを変えなければアリサの方はあっさりと折れるのだが、今回は全く引くつもりがないのだという決意を表情で示していた。

「……分かった。すぐに出発しよう」

 アリサの説得は不可能であると悟ったケンは無駄な口論で時間と体力を浪費する愚を犯さず、手早く荷物を片付けて移動を再開する。



 先ほどの二の舞にならないように細心の注意を払い、少しでも怪しそうだと感じる場所は全て迂回したので進行速度は落ちてしまっただろうが、それでもアリサの言う通り2時間ほどで目的地の近くまで到着した。

 進んでいく間に、<暗視>ゴーグル越しでも分かるくらいにアリサの顔色はどんどんと青白さを増していく。

 だが、彼女の鬼気に押されてケンは制止することができなかった。

「旦那様、到着しました。このすぐ先に入口があるはずです」

「そうか……最後のひと踏ん張りだ。油断せずに行こう」

「はい、承知しました」

 アリサが示した場所には、マッケイブの一般的な民家よりも大きな岩がいくつもそびえ立っていた。

 今のところ何かが潜んでいるような気配は全く感じないが、巨大蠍のように人間とは全く異質で気配が捉えづらいモンスターがいないとも限らない。


「えっと……ここの岩を……違う、今はこっちの方向から入って来たんだから……」

 朧げな記憶の中から入口の場所を拾い上げようとしてぶつぶつと呟いているアリサに行き先の選択を全て任せ、ケンは周囲の警戒だけに専念する。

 しばらくの間一定の範囲をぐるぐる回っていたが、やがてアリサが一つの岩の前で立ち止まった。

「ここです!」

「ここ? 何も無いように見えるが」

 アリサの前にある岩は周囲にある岩と見分けがつかないくらいに何の変哲もない物で、ケンの目には入口に相当するものなど何一つ見当たらなかった。

「はい。何も無いように見えますが、実はここに隠し通路があるのです」

 そう言ってアリサが手を前に突き出すと、アリサの腕がどんどんと岩の中に飲み込まれていく。

「これは<幻影>か何かで隠されてるのか……」

「よく分からないですけど、多分そんな感じです」

「作られてからどれだけ経っているかは分からないが、まだ機能が生きているなんて信じられない程の技術力だな」


 <幻影>で隠蔽された入口の先は、明らかに人の手が加わった通路になっていた。

 壁も床も天井もは滑らかな平面になるように岩が削られていて、今は動作していないが天井には蛍光灯のような細長い円筒が、一定の間隔を置いて取り付けられている。

 通路の途中にはいくつかの短い下り階段があり、その隣には傾斜路(スロープ)がある。途中からは完全に地下に潜っていった通路を警戒を緩めずに進んでいくと、その終着点には一つの扉が在った。

 扉とその周辺は金属で造られていて、頑丈そうな扉の表面には装飾ではない細かな線が縦横無尽に刻まれていた。この雰囲気には魔術師ギルドのギルド長室前で覚えがある。

「旦那様、ここにお持ちになっている―――」

 皆まで言わせずにケンはアリサと主従契約を交わすために用いたブローチを懐から取り出し、扉の表面に近づけた。近づけるのは無論、胸の高さにあった読み取り機らしき場所だ。

 すると扉に刻まれた模様の中を光が行き交い、やがて金属同士がこすれる不快な音を立てながらゆっくりと扉が横に開いていく。



「念の為に警戒は怠らないようにな」

「はい」

 扉の先には幅3メートルの廊下が正面と左右に伸びていた。正面の廊下の両脇にはいくつもの扉が等間隔で並んでいて、左右の廊下には途中にいくつかの分かれ道が見える。

 <暗視>ゴーグル越しにケンが見る限りでは、壁にも扉にも大きな破損はない。つまり、ここで何らかの争いが起こった結果として無人の廃墟となったわけでは無さそうだった。

「……アリサはここで休む準備をしておいてくれ。その間に、俺は少し奥の方を見てくる」

「はい、旦那様。お気をつけて」

 背嚢を地面に下ろし、中から調査用の魔道具を全て取り出して動作を確かめる。まずは手近な場所を確認して異常がない事を確認してから正面の通路に踏み込んだ。


 ケンが歩く床の上には文字通り何も無い。虫の死骸どころか埃の一つさえも落ちていないのは少々不自然だったが、原因の追求は後回しにする。

 廊下を数十メートル進んでも計器に何の反応もなく、ケンの警戒網に引っかかるものもなかった。

 通路の突き当りまで辿り着くと、そこには建物の入口と同じような両開きの扉が在った。ただし、ブローチを読み取り機に近付けても何一つ反応がない。

 ここは入口の扉とは違った開け方をする必要があるのか、それとも扉に動力が供給されていないから反応が無いのだろうか。もしかしたら読み取り機や扉が故障している可能性もある。


 ひとまず建物の奥へと続く扉は後回しにして、通路の両隣に並んでいる扉の中を調べることにした。

 手近な扉の一つに計測器を向けるが、数値に変化はない。聞き耳を立てて内部を探ろうとするが、物音一つ聞こえてはこないし、何の気配も感じなかった。

 <透視>の魔道具を使って覗こうとしたのだが、扉にも壁にも<透視>を遮る何かが埋め込まれているようで部屋の中は見通せなかった。

 恐怖(ホラー)映画の登場人物にでもなった気分で戦々恐々としながら、扉を引き開けてすぐさま退避する。

 緊張して見守るケンの目の前に、部屋の中から正体不明の怪物が飛び出してくる―――などということもなく、扉を開けた時の空気の動きにつられて埃が舞っただけだった。


 埃がある程度収まるのを待ってから、扉の正面には立たないように注意して部屋の中を見る。

 そこにはそれほど大きくないベッドらしきものの残骸と、朽ちかけた木製の小さな机と、いくつかの棚が存在するだけの狭苦しい空間だった。

 部屋の中にあった埃は、ベッドの上に敷かれていた布団と思われる物が発生源のようである。

 ケンは何となく、前の世界(日本)でしばらく暮らしていた(軟禁されていた)山の上にある工場の(タコ部屋)を思い出していた。今、目の前にある部屋はそれよりもずっとマシだったが。

 現在、ケンがいる場所はおそらくこの"遺跡"で働いていた人間たちの寮なのだろう。

 それならば過剰に罠を警戒する必要もないだろう。機密区画でもないただの居住区にいちいち侵入者撃退用の罠などを仕掛けていては生活するのに不便過ぎる。

 中に入り、机の引き出しや棚を漁ったが目ぼしい物は殆ど無い。この部屋ではケンが解読できない文字が書かれた数枚の紙が見つかったのみだった。



 部屋から出たケンは、いったん来た方に戻る。

 居住区もそれはそれで調査しておくべきだろうが、やはり気になるのは廊下の突き当りにある扉の奥だ。アリサが開ける方法を知っていればそれで良いが、知らないのであれば色々と試してみるしかなくなるだろう。

 入口の扉の前で休憩および宿泊の準備を終えていたアリサは、今はお茶の準備をしていたようだった。こちらに背を向けて座りながら、今は鍋で湯を沸かしている。

「おーいアリサ。向こうに扉があったんだが俺じゃ開け方が分からない。一休みした後で良いから奥の方に……アリサ?」

 普段なら打てば響くように返事をするというメイドの鑑のような少女が、今は返事をするどころか背を向けたまま振り返ることすらしなかった。

「アリサ」

 ケンがアリサのすぐ後ろに立って呼びかけてみても、彼女は微動だにしない。静寂の中、鍋の中のお湯が沸騰するぐつぐつという音だけが空虚に響いた。

 ケンが正面に回りこみ、軽く肩を揺すっても、頬を叩いても彫像のように固まったアリサの身体が揺れるだけだ。



「……最悪の状況だな」

 ずっと恐れていた事態だった。

 モーズレイが予想していたよりもずっと早くこの時が来てしまった。

 アリサの活動は完全に停止し、暖かかった彼女の身体からは熱は完全に失われている。


「いや、待て、落ち着け。そうじゃない、最悪の状況は避けられているはずだ」

 深呼吸を数度。

 混乱と焦りは生存の可能性を狭めるだけだ。一刻も早く落ち着きを取り戻し、これからの行動について吟味しなければならない。


 最悪の状況とは何だろうか。

 それは、アリサの存在が永久に喪われることだ。

 モンスターに襲われてバラバラにされてしまうことだ。永久に目の前から去ってしまうことだ。再び目覚める希望の無いままに眠りに就き、やがて朽ち果ててしまうことだ。

 今はアリサの身体は形を保ったままケンの前に在る。ケンが今いる場所はアリサが生き続ける事が可能となる情報が眠っているかもしれない"遺跡"の中だ。

 数十分前まではアリサだけしかそこに辿り着く事ができない場所だったが、今はケンが知っている。ここに再び訪れるための手立てもちゃんと考えている。

 緊迫した状況下で突然停止したわけではなく、周囲は安全でじっくりと考える時間も準備する時間もある。


 まだ希望はあるのだ。



 背嚢の中から受信機の魔道具を取り出す。砂漠地帯の入口に設置してきた発信機と(セット)になっている方だ。

 魔道具を起動してみるが、発信機の場所を感知できない。

 混乱状態に陥りそうになったがなんとか堪え、入口の扉から外に出る。そうすると無事に砂漠地帯の入口の方向が感知できるようになった。

 もう1セットの方の発信機を取り出し、扉の外に設置して起動する。無事、発信機側からの信号を受信機側で感知できるようになった。

 これで、また誰かが"遺跡"に来るための条件は整った。


 それから、居住区の全ての部屋を見て回る。

 ほとんどの部屋には荷物が残されていなかったが、中には家財道具が残されたままの部屋もあった。

 そういう所はたいてい火事か地震にでも遭って慌てて逃げ出していったかのように、家財道具がぐちゃぐちゃに乱れているのが常だった。そういった部屋には重要な物が残されていると期待して念入りに調べる。

 部屋の中で見つけた本や書類を片っ端から持ち出し、入口の大きな扉の脇に積み上げていく。まずは集めるだけ集めておいて、選別は後からすれば良い。

 居住区を周るうちに認証が必要な別の扉も発見したが、残念ながら全て開かずの扉だった。居住区の中で入れる場所を全て探しまわっても鍵となる物が発見できなかったので、今回は諦める。

 <爆裂火球>の巻物(スクロール)でも使って強引に壊そうかとも考えたが、それで壊れるかどうかが判らないし、勢い余って扉の奥にある重要なものまで壊れてしまっても困る。

 何より、細い通路の中で爆発させたら何がどうなるか解らない。



 調査が終わった後は動かないアリサの傍で休憩を取りながら、持ち帰るべき荷物の選別を行う。

 ケン1人では持ち帰ることができる荷物の量に限りがあるし、また砂漠という過酷な環境を抜けていかなければならないのだからここで間違いは犯せない。


 まず、運ぶべき荷物の中で最も重量があるのがアリサの身体だ。

 効率だけを考えるならばアリサの身体はこの場に残し、少しでも多く資料になりうる物を持ち帰るべきなのかもしれない。だが、彼女をこんな場所で何週間、何ヶ月、もしかしたら何年も一人きりで放って置くのは忍びなかった。


 アリサの身体をどうやって運べば良いだろうか。

 彼女がケンよりは多少身長が低くて比較的細身であると言っても、メイド服も合わせれば50キログラムにはなる。彼女だけ肩に担いで行くのならば何とでもなるだろうが、3日分以上の水と食料や他の物資も持っていかなければならない。

 ふと、ケンの目に魔法の鞄(マジック・バッグ)が止まった。

 このバッグの中身は重量が5分の1になる。内部容積も1メートル四方近くあるから、アリサ1人ぐらいならば余裕で入るのではないだろうか。

 これを借りた時、モーズレイは「中に生物を入れた場合にどうなるか分からない」と言っていたが背に腹は変えられない。


 少しでも重量を減らすために、アリサが付けている防具は全て外す。

 苦労して脱がせていると、手にぬるりとした感触を感じた。しかし、自分の掌を見ても何も付いていない。

 眠っている少女の身体に悪戯をしているようで後ろめたさを感じたが、原因を探るべくアリサの身体を確認していくと、腹部に触れた時に違和感があった。

 メイド服の表面にはなにもなかったので恐らくは内側だろう。エプロンをめくり上げ、ドレスのボタンをいくつか外してアリサの腹を確認する。


 そこには直径数センチの、人間の身体に空くには大きすぎる穴が開いていた。


 ケンの頭の中で、何かがすとんと嵌ったように理解する。

 やはり、巨大蠍の鋏が彼女の足首を砕いたように、針は鎧もメイド服も貫いてアリサの身体に痛撃を与えていたのだ。

 その一撃が自分の活動を遠からず停止させる致命的な一撃であると理解していたアリサは、傷の修復は行わずにメイド服の破れた部分だけを修復して傷を隠した。それは、ケンに気付かせないためだったのだろう。

 足首の骨折が短時間で治ったのも<部位再生>薬が効いたのではなく、アリサ自身に備わった修復機能に拠るものだったのだろう。

 それが彼女自身の寿命を縮めるものだと分かっていなかったはずがない。

 骨折が治癒した直後に強硬に先に進むことを主張したのも、自分の限界が迫っていることを知っていたからだ。


 ケンは絶対にここから生きて帰ることを誓う。アリサがこんな場所で朽ち果ててしまって良いはずがない。

「一緒に帰ろうな、アリサ」




 夜明けと共に出発したケンは、行きに2日半かけた道のりを2日で踏破した。

 無理が祟ってケンの身体はボロボロになっていたが、最後まで集中力を切らせることはなく、無事に<転移>門まで戻ることができた。

 5日も経てば構造改変で砂漠地帯の入口から<転移>門までの道が変わっている可能性もあったが、ケンにはなぜかそうなっていない確信があったし、事実、来た時のままだった。


 地上に戻った時、疲労の極みにあったケンを見て係官は驚き、パーティを組んでいたアリサの行方についてそれとなく尋ねられたが、ケンが黙って首を横に振るとそれ以上は追求されなかった。

 上層と違って中層では極端に死亡率が下がるが、迷宮の中で誰かが死ぬのはそう珍しくない。

 窓口で魔石の買取をしてもらうのをジリジリとしながら待ち、そのまま倒れこんで眠ってしまいたいという肉体からの欲求を黙殺する。

 迷宮管理局の建物を出た時は深夜だったが、気にせずにそのままモーズレイの屋敷に直行する。



 研究者は宵っ張りと相場が決まっているもので、真っ暗闇の中で門を叩いたケンは驚かれたが、すぐにモーズレイと面会することができた。

「急なことだね、ケンイチロウくん……その様子だと何かあった様子だが」

 深夜に見るモーズレイの顔は、気の弱い人間ならば心臓が休暇を取ってしまいそうな程に恐ろしかったが、今のケンにとっては何ということはない。

「"遺跡"に辿り着くことが出来ました」

「ほう! それは素晴らしい!」

「そこでアリサは無理が祟り、活動を停止しました」

「それは……」

 自分のことのように悲しげな表情を浮かべるモーズレイの目の前に、アリサが入ったマジック・バッグを差し出した。

「ここに、アリサと"遺跡"で手に入れた書類が入っていますが……重要そうな区画には残念ながら立ち入ることができませんでした。再度、パーティを組んで遺跡に行き、調査をする必要があると思われます」

「預かっておこう。詳しい話を聞かせて貰いたいが……それは一晩休んでからにしよう。部屋を用意させるからうちで休んでいきなさい」

「では、お言葉に甘えさせていただきます」


 ケンは食事も取らず身体も洗わずにベッドに倒れ込み、泥のように眠った。

 昼前になってやっと目覚めたケンは、モーズレイと食事を摂りながら事の顛末を説明する。

「ケンイチロウくんが持ち帰ってきてくれた書付けを少しだけ見たのだが、魔法帝国時代に使われている文字だったよ。やはり魔法帝国時代の遺跡で間違いないようだ。内容の解読はこれからだが、アリサくんのためにも全力を尽くそう」

「有難うございます、モーズレイ導師。遺跡の再探索については……」

「まずは資料を分析して、本当に"遺跡"の中に求める情報が眠っているのかどうかを確認してから、各所と相談の上で実行することになるだろう。その時にはケンイチロウくんにも協力してもらうことになるだろうね」

「はい、その時は是非とも参加させて頂きます」

 次が何時、どれだけの規模になるかは判らないが、少しでも成功率を上げるためには経験者が含まれているに越したことはない。


「アリサくんの身柄は私が責任を持って預かろう。いつでも逢えるようにしておくから、たまには訪ねてきてくれたまえ」

「何かなら何まで有難うございます」

 ケンは深々と頭を下げ、モーズレイの屋敷を辞する。



 そうして1人の迷宮探索者と、彼が迷宮の中で出逢ったメイド少女の物語はいったん幕を閉じた。










 ここからは後日談となる。


 しばらく後、ケンはモーズレイから研究成果のお披露目の名目で屋敷へと招かれていた。

「私の研究の進展に大きなきっかけを与えてくれたのは、何と言ってもケンイチロウくんだからね。ぜひ、君に最初に披露したかったのだよ」

 随分と大きな成功を収めたようで、モーズレイは常に無く浮かれているようだった。屋敷の主が自ら出迎えに現れ、しかもケンの案内をしていたのも一刻も早く自慢したかったからだろう。


 準備があるからと言ってまずは応接室に案内され、そこで苦労話を聞かされながらしばらく待った。

「おお、準備が整ったようだな。さあ、入ってきたまえ」

「はい!」

 モーズレイがケンの背後にあった扉の先に呼びかけると、小気味良い返事とともに扉が開かれた。

 どこか聞き覚えのある声、そしてどこか懐かしい覚えのある気配。


 ケンが恐る恐る振り向くと、そこには―――

これで第四章は終わりです。

次章は12月中に投稿できるようになんとか頑張りたいと思いますので、しばらくお待ち下さい。

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