ここで終わりだ
閂のかけ忘れだろうか。不用心なと思わないこともないが、後宮と違い、太子園にいる人間など限られているし、かけずとも問題ないのかもしれない。
夜半に皇城を抜け出したことのある小琳でも、さすがに他人の宮への夜半の侵入ははじめてで、眼前にある扉の隙間を見て、思わず固唾をのんでしまう。
しかし、ここで引き返す選択肢などない。
「多分、正殿に証拠品を残すなんてことはしないから、あるとしたら内侍官達がいる側殿で……個人の部屋はやっぱりまずいし……」
ブツブツと、入った後の行動を確認しながら、扉を押して内側に身体を潜り込ませたのだが。
「――っな!」
扉の内側に、黒い影があった。
「あっ!?」
否、黒い官服をまとった内侍官だった。驚きのあまり動きを止めた小琳の一瞬の隙を狙い、内侍官は素早く腕を伸ばして、小琳を地面へと押し倒した。
「な、何やら外をこそこそ嗅ぎ回ってるなと思ってたが、まさか本当に中まで入ってこようとする命知らずだな……は、ははっ」
胴体の上に跨がり首を掴まれ、小琳は身動きができない。
「カハッ」と息苦しさに咳込む。
しかし、声を出そうと思えば出せる程度の力で締め付けられているのは、声を出せば小琳のほうが不利になると、この内侍官は理解しているからだろう。もしくは、そこまでの度胸がないかだが、月明かりだけの薄闇の中でもわかる汗ばんだ青白い顔を見れば、後者なのかもしれない。
「お前、どうせ呆子殿下を助けようとか思ってたんだろ。そんなことされちゃ、俺の首が危なくなるん――」
唐突に気付いたように言葉を切った内侍官は、怪訝に眉をひそめた。
「――って、お前、慈于じゃないな……誰だ?」
ぐぐっと顔を近づけられる。
まじまじと見下ろしてくる内侍官の顔に、小琳は見覚えがあった。外庭で薬草や鼠の死骸を燃やしていた、慈于の同僚内侍官である。名は立越と言ったか。
すると、立越はニヘラと口角を引きつらせて、不細工な笑みを作った。
「へへっ……まあ誰だっていいさ。むしろ知人じゃないほうがやりやすい」
(やり、やすい……?)
ドッ、と心臓が跳ねた。暴れ馬でも胸の内で飼っているかのように、胸が暴れて苦しくなる。
立越は己の懐から、小指の先ほどの包みを取り出した。
中に何か入っているようで、頭をねじって結んである。
包みを解くために、立越がやっと喉から手が離した。
小琳は空気を思い切り吸いこみ、ぜぇぜぇと荒々しい呼吸を繰り返す。冬の到来を思わせるヒヤリと冷たい空気は、動揺と緊張に昂ぶった小琳を内側から冷ましてくれ、幾分か跳ね馬のような心臓も落ち着かせてくれたのだが、今度は冷えた頭が高速でまわりだす。
自分は、ここで口封じに殺されるのだ。
立越が包みから取り出したのは丸薬のようなもので、卑しい笑みを浮かべながら小琳の口元へと近づけてくる。
本能で口に入れては駄目だとわかった。
小琳は口を強く引き結ぶ。
「安心しな。西山宮内で死なれちゃ面倒だから、すぐに死なすようなことはしないさ。最後に会いたい奴くらいには会えるかもな」
(もしかしてそれって……!)
バタバタとどうにか自由になる手足を力の限り動かし、上に乗った立越を振り落とそうと試みる。が、やはり宦官でも男の力は残っているのか、逃げることができない。
顎を掴まれ、強制的に正面を向かされる。
「改良加えて、ちゃんと次は死ねるようにしたからよ。喜べ、今度はちゃぁんと人間様に効く分量だぞ。誰だか知らねえが、お前もあんな落ちこぼれの太子なんかほっとけば、こんなことにはならなかったのになあ」
立越は興奮しているのか、ハァハァと息を荒げたニヤけ顔と一緒に、指を小琳の唇まで近づけた。
そして、引き結んだ小琳の唇に、ひやりとした丸薬が触れた。
(もうだめ――っ)
そう思い、小琳が瞼をギュッと閉ざした時だった。
「あ゛あっ!」
立越が汚い濁声を上げて、小琳の上から転がり落ちた。




