この特技も役に立つものだ
やはり、彼が話してくれた内容を聞いても、彼が皇太子である柳史を毒殺しようとしたとは、小琳には思えなかった。柳史付きの内侍官達の目がある中での毒の混入は不可能に近いし、何より、柳史に応急処置をして典薬局へ運んでいる時点で、行動が矛盾している。
しかし、そこは考慮されず、柳史が倒れた時に一番近くにいたという理由だけで、こうして拘禁されてしまったのは、成嵐の日頃の行いと蔓延る悪評のせいだろう。
なんとも皮肉なものだ。
だからこそ、彼も声高に無実を叫べなくなっているとは。
「実は、ここを訪ねる前に典薬局に行ってきまして、峨楽殿に皇太子殿下になんの毒が使われたのか聞いたんです」
「それで……!」
ガタッと扉が揺れた。
「使用されたのは烏頭でした」
「烏頭……即効性の毒物か」
「名前を聞いただけで、どんな毒かわかるなんて凄いですね」
きっと、上級女官に聞いても、すぐに答えられる者など片手もいないだろう。
「まあ……そういった環境で育ってきたからな」と、答えた彼は、さも当然とばかりのつまらなそうな声だった。
そういえば、かつて慈于を池に蹴落としたのだとて、そういったことが理由だったか。きっと、応急処置の方法を知っていたのも、環境上身につけざるを得なかったのだろう。
「だが、烏頭のはずがないんだがな」
「そうですね。四殿下の証言からすると、茶に毒が混入される隙はなく、同じ茶壺から注がれた四殿下の茶は当然無毒でしたもんね。しかし、峨楽殿が烏頭と断じたので、そこは間違いないんですが……」
変な薬師だが、腕だけは確かだ。
だからこそ、皇族や后妃達の薬師でいられている。
「烏頭なあ……烏頭か……」
ぼそぼそと「烏頭」と呟く声を背中で聞きながら、小琳も烏頭についての知識を脳内で漁る。
「即効姓の毒を遅効性にするような方法があれば、良いんですが……」
成嵐がいる時に毒を盛られたのでなければ、やはり会う以前に、どこかで柳史は遅効性の毒を盛られていたことになる。そうして、偶々成嵐と会っている時に、毒が効いたと考えるのが一番可能性が高い。
しかし、使用された毒は、即効性の毒である烏頭と確定しているのだ。
可能性と事実が、あまりにも矛盾してしまう、とこめかみを押さえた時、小琳の脳内でとある台詞が蘇った。
『食い合わせが悪けりゃね。薬草も調合次第じゃ薬にも毒にもなるもんだし、同じだよ』――それは、具合が悪い女官を峨楽に診せた時の言葉。
「矛盾……」と、小琳は口の中で呟き、次は、扉の向こうにも聞こえる声で言う。
「あの……峨楽殿が、食い合わせが悪いと体調不良を引き起こす原因になると、以前言っていまして」
成嵐が、こちらに集中する気配があった。
「薬草の調合次第では、薬にも毒にもなるものだとも」
「だとすると、烏頭の他に何かを合わせたら、遅効性の毒にすることも可能ってことか!」
「あ、いえっ、可能性の話ですけど」
ただ、状況を加味すると、この可能性は低くはない。
成嵐の「んー」と悩ましげに唸る声が響いてくる。
きっと、眉間に皺を寄せて、腕を抱えているのだろう。
「昔……書物で、二つの毒を混ぜると効き目がなくなるとか……そんなの読んだ覚えが……あーなんだったかな、あの書物は。えー毒百……いや、山?」
彼の言葉にピンとくるものがあった。
「もしかして、その書物は『山海百毒本草子』じゃないですか?」
「それだ!」
間髪容れずに返ってきた声と扉の揺れに、小琳も振り返って扉に手を置く。扉がなければ、喜びに互いの手を握り合っていたかもしれない。
山海百毒本草子は、古今東西に伝わる毒物についてまとめられた書物だが、薬草が載っているわけでもなく、純粋に毒物のみをまとめたもので、これを読む者というのは限られている。せいぜい、治療を目的とした学ぶ心のある医官や薬師か、あとは相手を屠ろうとする害意のある者くらだ。
「よくこんな本を読まれてましたね」
「まあね。時間ならいくらでもあったからさ」
彼が今まで、西湖宮でどのように過ごしてきたか想像できた。
埃ひとつない書庫の本こそ、彼の真面目さを知る唯一の証人なのかもしれない。
「だけど、肝心の部分が思い出せないんだよな……何と何の毒だったか……」
「『烏頭をひと匙と、河豚の潰した肝をひと匙とひとつまみで一刻の空白。のち、烏頭毒にて死に至る。空白の多寡は河豚肝のみを調整すべし』――という内容ですよ」
歯痒そうな成嵐の声に被せて、小琳がツラツラと書物の一文を読み上げた。
しかし、彼女の手に書物があるわけではない。
「そうだ! 間違いない、それだ」
「私のこの無駄な特技も役にたつものですね」
小琳が書物の一節を苦もなく思い出せたのは、日常でおつかいの時くらいしか役立つことのない、『一度聞いたものは忘れない』という特技が、遺憾なく発揮された結果だった。
この毒に関する書物の内容は、すべて小琳の頭の中にある。




