私はあなたの師ですから
罪を働いた後宮の女達が入れられる冷宮や、官吏が収監されるような牢塔とは違い、街でもよく見る四合院造りの屋敷だった。北に正房、東西に廂房があり、周囲は通常よりも高い壁でぐるりと囲まれている。大きさは、街の小金持ちの屋敷くらいか。
四合院造りの屋敷には、門が二つある。
外側の大門と、その先にある院子や正房がある生活の場に入るための垂花門だ。
食事や掃除をする内侍官は、門兵に大門と垂花門の鍵を開けてもらい中に入れるが、ただの訪問者の場合は、大門を開けてもらえるだけで、内側の垂花門手前までしか行けない。
どちらにせよ、中に入ろうとする者は、必ず門兵の誰何を受けなければならないということだ。
そして今、門兵が待ち構える大門へ近付く者がいた。
「失礼」
「なんの用だ」
やって来た小柄な内侍官に、門兵は威嚇するように険しい顔で理由を尋ねる。
俯きがちにゲホゲホと咳き込む小柄な内侍官は、口元を布で覆い隠していた。
「慈于です……四殿下にひと目でも……」
「なんだ、お前が慈于か。どうした、声が小さいぞ」
「少し、喉をやって……ゴホッ」
「ああ、わかったわかった。もう喋るな」
内朝の門兵は内侍官が兼任している。内朝には多くの内侍官がおり、皆が皆の顔を覚えているというわけではないが、慈于に関しては、以前からその名はよく知られている。そして、今回の一件で、さらに認知されることとなった。
呆子殿下に仕えたせいで、もう先を望めない憐れな内侍官として。
門兵は大門の閂を抜き、扉を開いた。
「ほら、別れの挨拶でもしてこい。明日にゃ取り調べが来て、三日後にゃこの世にいねえからな」
ビクッと慈于の肩が揺れたのを見て、門兵は憐憫に眉をひそめた。
頬を掻き、気の毒そうに「あー」やら「そのー」やらと間延びした声を発する。
「垂花門は開けられねえから顔見はできねえけどよ……まあ、時間は大目に見てやるからさ……」
門兵は、決められた時間よりも、長くいても良いと言っていた。
「どうも」と慈于は頭を下げながら門兵の脇を抜けると、小走りで大門の中へと入っていった。
背後で門扉が閉まり、閂が再び掛けられる重い音がした。
慈于はチラと後ろを振り向いて、門の内側に自分意外誰もいないことを確認すると、ふぅと息を吐いて口元の布を外した。
「案外バレないものなんだ」
いや、元男の内侍官だと疑われないというのも、女としてどうなのだろう。
「まあ、慈于殿の顔見知りってわけじゃなかったようだし、良かったと思っとこうっと」
慈于――ではなく、小琳は複雑な思いを抱きつつも「ま、いっか」と垂花門を叩いた。
ドンドンと少々荒々しく扉を叩く。
「四殿下! 大丈夫ですか、四殿下!」
やはり、垂花門の外から声を掛けても聞こえないか、扉に耳を当てていると、門の向こう側が急にバタバタと騒がしくなった。
バタン、ガタガタッ、パリン、ダダダと実に賑やかだ。
そして、耳を当てていた扉がバンッ! と木製扉に穴が空いたのではと思うほどの大音と共に揺れた。思わず小琳も、「ひっ」と顔を離して距離をとる。
「あ、あの、何か割りませんでした? 大丈――」
「その声は、小女史か……!」
心配する小琳の声に被せて、馴染みのある声が扉のすぐ向こうから聞こえた。
小琳は、一度離れた扉に両手で触れ、そっと身を寄せる。
「はい……あなたの師が来ましたよ。お元気そうな声で良かった」
皇族だからないとは思っていたが、万が一、乱暴な目にあっていたらと心配していたが、どうやら声を聞く限り大丈夫そうだ。
「そういう小女史は、なんか声が嗄れてるけど……」
そうだった。自分の今の声は、喉嗄れしていた。
「これは峨楽殿に、ちょっと喉を潰す薬をもらったんですよ」
「喉を潰す!?」
「潰すと言っても一時的なものですので。慈于殿のふりをして通してもらったのですが、やはり姿は誤魔化せても、声までは無理だと思いましたので」
成嵐に会うため、慈于のふりをさせてくれてと頼んだのだが、衣装や姿形はどうにか似せられても、さすがに声だけはどんなに頑張っても女のものだった。そこで、峨楽に喉を痛める薬をもらい、声の確認をできなくしたのだ。少々喉がガサついて喋りにくいが、一過性のものだし問題はない。
「そこまでする必要はないだろ……っ俺なんかのために」
そう言う成嵐の声には、憤りが含まれていた。
もしかして、心配してくれているのだろうか。
「『俺なんか』じゃないですよ。あなたは私の教え子なんですから。なんの苦もありませんよ」
扉の向こうは沈黙したが、きっと彼が納得していないだろうことは、雰囲気から伝わってきた。普段はよく喋る彼の無言こそが、雄弁だ。
「それで……何しに来たんだよ」
「四殿下の無実を晴らすためには、当日の状況を知らないとと思いまして」
「俺を信じてくれるんだ?」
「ええ。私は四殿下が兄弟に毒を盛るような人物じゃないと、もう知っていますので」
返事が返ってこなくなったと思ったら、扉を擦るような音が、段々と下へとと移っていく。おそらく、扉を背に脱力しているのだろう。
小琳も扉の前に腰を下ろし、背後の声を一語たりとも聞き逃がさぬよう、背中に神経を集中させる。
外だから、部屋の中と違って、風の流れる音が聞こえていた。とりのさえずりや、葉の重なりの音。身じろぎをしているのか、扉が時折ギッと軋む。
すると、「あの時は」と、成嵐がぽつぽつと当時の状況を語りはじめた。




