師達の想い
内朝の女達は、表の祭祀である嘗祭に出席することはできず、小琳が、せめて今回の詩の暗唱は成功させてほしいな、などと呑気に願っていた時、まさか表では、皇太子毒殺未遂が起こっているとは微塵も思わなかった。
「本当……でしょうか、周尚宮」
朝一番に呼び出された、いつぞやと同じ尚宮局の一室。
小琳は、座卓の向こうに座る周尚宮に、震え声で聞き返した。
今回も彼女の視線は俯いており、やはり彼女は木目を数えるのを趣味としはじめたのかもしれない。
「あの、ですね、周尚宮。あの……四殿下は確かに、馬鹿なこととかたくさんしてきたと、思うんですけど……でも、あの……」
「……小琳」
「でっ、でもですね、優しいところもあってですね……っ! あ、私、前に手首を痛めるようなことがあってですね、自分じゃ大したことなかったんですけど、彼は大丈夫かってきいてくれて……」
「小琳……っ」
「それに、こ、孝経の暗唱もできますし、詩経だって本当はたくさん覚えて……っ」
「小琳っ!」
『やめろ』とばかりの周尚宮の大音声に、小琳は肩を跳ねさせ口を噤んだ。
しかし、その口は『でも』と言いたげに、はくはくと空音だけを紡ごうとする。
だが、痛々しそうな顔で見つめてくる周尚宮を前にしたら、結局は下唇を噛んですべてを飲み込むしかない。
ここで彼女に反論しても仕方がなかった。
「信じたくないのはわかる。しかし、事実なんだ……四殿下が拘禁されたというのは」
表で嘗祭が行われていることは知っていた。
そこで太子達の歌詠みがあり、彼はどうするだろうかと気になっていた。
しかし、彼が何をするでも、きっと噂は流れてくるのだろうなと思っていれば、突然周尚宮に呼び出され聞かされた言葉に、ぐにゃりと視界が歪んだ。
成嵐が、皇太子を毒殺しようとしたらしい。
「昨日の祭祀で、皇太子殿下が倒れられた。ちょうど、四殿下と一緒に茶を飲まれて、休憩されていた時だそうだ。峨楽殿が、皇太子殿下が倒れられた原因は持病ではなく、服毒によるものだとハッキリと断じた」
峨楽が言うのならば、間違いない。
彼は、自分の仕事に関してはだけは、決して曲がらない矜持を持っているのだから。
「しかし、幸いに皇太子殿下は一命を取り留められた。峨楽殿が早急に処置したのが大きかったのだろう。その峨楽殿だが、皇太子殿下の症状から、盛られた毒の当たりを付けたそうだ。皇太子殿下に盛られた毒は、即効姓のあるもの毒だったと。どんなに遅くとも、摂取して四半刻も経たずに症状が出るそうだ」
「だ……からって、四殿下が皇太子殿下に毒を盛ったとは、限らないじゃないですかっ!」
声が震え、変に裏返ってしまった。
周尚宮の眉宇がまた、痛ましいとばかりに顰められる。
「小琳、小琳……落ち着け」
「落ち着いてますよ」
でなければ、まだここにいるはずがない。
握った拳が震えていた。
握り込んだ親指が指の内側に爪を立てる痛みすら、ぬるく感じる。
「小琳……皇宮の問題には首を突っ込むな」
諭すような目だった。
『飲み込め』と言っているのが聞こえてくるようだった。
自分よりも長く後宮に勤め、酷かったと言われる時代を過ごしてきた人だ。もしかしたら、彼女も自分と同じく、爪の痛みをぬるいと感じた日があったのかもしれない。何度も理不尽を飲み込んできたのだろう。
「小琳、私は教え子が、不幸になる姿など見たくない」
「私も、教え子が不幸になる姿を見たくないだけですよ」
未だ自分を教え子として見てくれている周尚宮に、小琳は嬉しくも困ったような笑みを向けた。
この点に関しては、どこまでいっても彼女とは平行線だろう。
今や、同じ立場で同じ方向を見ているのだから。彼女と視線は交わらない。
「周女史、私を信じてください」
周尚宮が片眉を下げて、クッ、と渋るように笑った。
「お前……今それはずるいだろう」
かつて周尚宮と小琳は、師と教え子だった。
そして、小琳を女史にしたのも、女史長にしたのも周尚宮だ。自分が選んだ者を、信じないわけにはいかないだろう。
「はぁ……子を持つ母というのは、こういった気持ちなんだろうな」
周尚宮は傍らにあった冊子を開き、筆を執ってサラサラと何かを書き付けていた。
書付けが終わり、筆がカタンと置かれれば、彼女は実に清々しさのある苦笑顔で小琳を見た。
「小女史、二日間の休みを出す。その間は私が女史長を代行しよう。後悔がないように片付けてきなさい」
「ありがとうございます、周尚宮」
深々と腰を折った小琳に、周尚宮は「手の掛かる子だ」と嬉しそうにぼやいていた。
◆
皇族が拘禁される場所は、内朝の片隅にある。
拘禁といっても、さすがに皇族だ。




