無視することはできないらしい
確かに皇族である成嵐が呼びかけたら、裏技――面倒な問答は不要となってしまう。小琳としては、むしろここに皇族がいるのなら、ありがたく皇族の力を借りたいのだが。
しかし、成嵐は腕組みをしているし、戸を叩く気など微塵もないようだ。
(好奇心旺盛の弊害だ……)
「小女史長、僕もその裏技っての見てみたいです!」
二人から童のような純粋な期待に満ちた目を向けられれば、小琳が戸を叩く選択肢以外はなかった。
「峨楽殿ー、小琳ですが」
内側からバタバタとした音がした。
「春眠!」
「暁を覚えず」
今回は詩か。
「人生七十!」
「古来稀なり」
バンッ! と戸が開いた。
どうやら今回は二回の問答で済んだようだ。基準がまったくわからない。さすが変人。
「しょ、小女史、こ、今度はなんの用だよ――って、呆……! じゃなかった、四殿下!?」
現れた峨楽は、小琳の後ろに成嵐の姿を認めるなり、目と眉の間を広くして、大仰に仰け反って驚いていた。
小琳は峨楽に腕を引っ張られ、勢いのある小声で耳打ちされる。
「なんでいんの!? わ、ゎわわわ私、馬鹿は嫌いなんだけど!」
「そういったことは、ご本人に向かって、大きな声で言ったほうが良いと思いますよ」
「い、言えるわけないじゃん! 馬鹿なの!?」
小琳は、峨楽のいつもよりさらに丸まった背中を撫でて落ち着かせ、今日訪ねた理由を告げる。こうなったら、さっさと彼の本分に集中させるまでだ。
「実は、この草が峨楽殿が仕入れた薬草かどうか、確かめてほしいんです」
小琳が、まだも入り口の外にいた成嵐達に目配せして、やっと二人は薬処の敷居を跨いだ。
作業台の上に、成嵐が手にしていた植物をばらっと載せる。萎れて黒くなり、焼けている部分もあるが、概ねどれも原型は留めていた。
台に置かれたものを見た瞬間、峨楽は目つきを変え、絡み合った植物をひとつひとつ丁寧に指でより分けていく。そして、ひと山だったものがいくつかの組に分けられた。
「あーなるほどね。これは、私が仕入れている薬草で間違いないよ。うん……冶葛に顛茄に天南星に……注文とぴったりだ」
峨楽はひと組ずつ示して、それがなんの植物か教えてくれた。
どれも毒性を持つ植物だという話だ。
「あれ、烏頭がないな」
どうやら、仕入れ予定だった植物が足りないらしい。
「適当に掴んで持ってきたから、取り落としたのかもしれないな」
向かい側の成嵐が応えると、峨楽は「そ、そうですか」と恐縮して言うと、視線を台へと落としていた。
峨楽にとって成嵐という存在は、一番相容れないのかもしれない。
皇族のために存在している峨楽だが、馬鹿は嫌いという信念のせいで、馬鹿のふりをしている成嵐への対応に苦慮しているのがよく伝わってくる。
「燃やした跡があるけど、煙は吸ってないね? どれも毒性が強いやつだから、長いこと直で吸っちゃ駄目だよ。手巾か何かで鼻と口は守ってよ」
やはり、あの煙で女官達は具合を悪くしていたようだ。
木々が多く風が通り抜けにくい場所だし、煙が滞留していたのだろう。西山宮を掃除していた女官が一番具合が悪くなったのも、たき火から一番近かったからと思われた。
「これで、誰が荷を盗み続けた犯人かわかったな」
昨晩、何かを盗んだ盗人達は、皇宮の中へ逃げ込んだ。
その翌日、西山宮の内侍官が、何故か典薬局が仕入れる予定だった薬草を燃やしていた。
ただの、いち内侍官が自らの判断で盗みを行っていたとは考えられない。
であれば、誰が指示を出していたのかなど明白だった。
そういえば、彼が職掌外の場所にいたのはなぜだったのだろうか。
◆
成嵐は、気の進まぬ思いで西山宮を訪ねていた。
典薬局から戻った慈于が、盗みについて自ら祥江に問いただしに行こうとしたのだ。小琳も賛成し西山宮を一緒に訪ねると言っていたのを、成嵐が止めた。
西山宮には自分が行くからと、彼女には、今日のところはもう後宮に戻るように伝えた。
彼女も一緒に行きたいと食い下がられたが、兄弟の会話をあまり他人に聞かれたくはない、と言えば納得してくれた。彼女は自分が何か兄にされやしないかと心配していたようで、慈于を連れて行くと言えばそれで安心したようだ。
色々と理由をつけて彼女を帰らせたが、本当の理由は単純で、彼女を兄に会わせたくはなかったからだ。
(俺が庇ったからか、兄上は彼女に妙な関心を持ってしまったようだしな)
嫌がらせついでに、彼女を己の宮付き女官にする可能性があった。
兄には、昔からことあるごとに目の敵にされ、よく裏では馬鹿にされてきたものだ。
彼の母親が貴妃位についてからは、裏ではなく、これ見よがしに人目があるところで馬鹿にされるようになった。
彼の自分に対する思いも、まあ、理解はできる。
昔は彼の母親の位が婕妤と低く、弟である自分のほうが優遇されやすく忌々しく思っていたのだろう。母親が貴妃になってからは、今度は同じ貴妃を母親に持つ太子ということで、比べられやすくなった分、わかりやすく蹴落としにきた。
彼が自分について、あることないことを吹聴しているのは知っていた。
人を遠ざけたかった自分からすれば、悪評を広めてくれるのは丁度良かったし、自分から関わらなければ良いだけと思って無視していた。
だが、どうやらそうも言っていられないらしい。
「なんの用だ、成嵐」
部屋に入ってくるなり、祥江は成嵐に威圧的な声を掛けた。
成嵐は椅子から起立し拱手を掲げて、一応の礼をとるが、祥江は一瞥しただけで、成嵐の前にどっかと腰を下ろした。立てた片膝に、まだ籠手を付けたままの腕を引っ掛けるように載せた姿は、鷹揚というよりも尊大だ。
成嵐も何事もなかったかのように座る。
「兄上、近頃皇都では妙な盗人がいるのをご存知ですか」




