気付きますよ、先生なのでね
なぜか祥江は逃げた盗人ではなく、小琳へと足を向けていたのだから。
残された距離は三歩ほど。祥江はしっかりと小琳を捉えながら、剣を抜いている。
「面布などして怪しいな……斬り捨てるか」
「に、荷を盗んだのは……っあっちで……」
盗人達が逃げた方を震える指で教えるも、彼はチラとも視線を向ける気配がない。
祥江が剣を大きく振りかぶり、小琳は身体を硬くし目をギュッと瞑った。
(もう駄目――っ)
しかし、身体にやって来たのは痛みではなく、空気をつんざく逆立つような金切り音。
驚いて目を開けると、目の前には成嵐の背中があった。
彼は剣を手にして、祥江が振り下ろした刃を受け止めていた。
「立て! 逃げるぞ!」
そう言われてはじめて、小琳は自分の膝が抜けていたことに気付いた。
立とうとするも、足が震えて言うことを聞いてくれない。
「本っ当、私の馬鹿……っ足手まとい」
壁を支えに、どうにかヨロヨロと立ち上がった。
それを見た祥江が、荒々しい声を上げる。
「逃がすと思うか……っ!」
祥江が手首を回し、剣の角度を変えた。受け止めていた成嵐の剣の上を滑るようにして刃をいなし、勢いを利用してそのまま横から剣を薙ぐ。
小琳の脳裏に、いつぞやの外庭での光景がよぎった。
あの日の光景が、目の前でなぞられようとしていた。
「――ッラン様!」
しかし、現実は異なった道を辿った。
小琳の声に重なり、甲高い音を立てて一本の剣が宙を舞った。クルクルと回転しながら剣は地面に落ちた。カランカランと空虚な音が、路地に響く。
祥江は瞠目して、己の何も握られていない右手を見つめていた。
小琳も、目の前の光景に「あ」と声を漏らす。
しかし、すぐにそのような悠長な時間は奪われる。
「わっ!?」
腹部に圧迫感を受けたと思った時には、小琳の足は浮き、成嵐の右肩に後ろ向きで担がれていた。小琳の声に祥江も我に返ったようだったが、時既に遅しで、小琳達と祥江の間はぐんと開いていた。
祥江の喚きが飛んできていたが、声が届くよりも成嵐の足が速く、あっという間に祥江は小さくなり闇の中に消える。しばらくめちゃくちゃに角を曲がり、充分な距離が稼げた時点で、ようやく成嵐は足を止め、小琳を下ろした。
辺りに、人けや後を追ってくる足音がないことを確認して、やっと二人は息を吐いた。
「やはり、外庭の時は手加減されていたんですね」
「やはり?」
以前見た時は、お世辞にも競っているとは言えない程の力量差が、二人の間にはあった。
しかし今回、真剣で斬りかかってくる祥江相手に、成嵐は互角以上の力量を見せていた。
「本当は、左利きですよね」
今、剣は成嵐の左手に持たれている。
そして、外庭の時、彼は間違いなく右手で戦っていた。
「……よく気付いたな」
「そりゃ、いつも四殿下のことを見てますから」
「は?」
「それに、執務机の硯箱や筆置きは、いつも左側でしたし」
それにしても、利き手になっただけで、祥江の剣を弾けるほどの技倆持ちになるとは。
よく、今までこれほどのものを持っていて、隠し通してきたものだ。勿体ないどころではない。
「そ、そんなことより、どうして兄上が巡邏なんか……」
成嵐は腕組みした手で口を覆い、ブツブツと何か呟いていた。
成嵐が言うには、祥江が属している十六衛の部隊は、皇城内の警備と、範囲を拡大しても門周辺までの巡視、そして武芸の訓練係などを担う部隊らしく、皇都の見回りは別の部隊の仕事のはずということだった。
そんな彼が、どうして門から離れた場所を、しかもひとりでうろついていたのだろうか。
「クソッ……犯人も結局全員取り逃がしたし、結局収穫なしかよ」
成嵐は悔しそうに頭を掻いていた。
しかし、小琳は良い機会だと表情を輝かせはじめる。
「ラン様、講義のお時間ですよ」
目をパチパチさせる成嵐と共に、皇城まで大回りして宮へと戻った。
◆
翌日、小琳は朝から西湖宮を訪ねていた。
二人して正室前の廊下に腰を下ろし、ずっと庭を眺めていた。
かれこれ、一刻(二時間)はこうやって、ぼうとただ景色を眺めている。
西湖宮の位置関係から、二人が座っている場所からは太子園の空が一望できる。
もちろん高さはないから、他の宮の建物が見えるというわけではないが、どの方向に何があるのかは把握しやすい。
「昨日の盗人達が逃げる方向を見ても、雪仙さんが言ったことは正しいと思うんです」
「犯人が皇城に逃げ込んだって話か」
小琳は頷く。
「夜に皇城に駆け込めるということは、少なくとも門兵を買収できる者ということです」
自分達も閉門した後に、西湖宮や宿房まで戻れているのだし、買収は使える手段だ。
ただ、金子を払えば、猫も杓子も入れるというわけではない。さすがに門兵もそこはわきまえている。鼻薬が使えるのは、最低限身元が把握できる者くらいだ。小琳については、内侍官の官服を着ていることと、成嵐が一緒にいることが一番の身元保証だ。
「この時点で、盗人は皇宮内に住んでいる者で確定です」
成嵐は顎に親指を引っ掛け、思考していた。
しばらくして、引き結ばれていた口が開く。
「……皇城は、一時的に逃げ込む場所には向かない。朝を迎えれば、周囲は全員官吏だ。その中で官服を着ない者がうろついていたら目立つし、間違いなく御史台に捕まる。もし、夜のうちに再度抜け出すのなら、わざわざ安くない鼻薬を門兵に払ってまで一時的に入る意味がない。まだ街のほうが隠れやすいってもんだ」
「その通りです」
小琳は嬉しそうに頷いた。




