規則を破るのは必要悪
万が一、巡兵と遭遇してしまった時、正体がバレないようにするためである。
「大丈夫です。規則を破るのは必要悪ですので」
「それ、酔った勢いで言ったわけじゃなくて、本気で言ってたんだ……」
「もうこの際、開き直りました」
二人は視界の端に見えている皇宮に向かうでもなく、ただ街をぶらりと歩く。
せっかくなら、皇都を見回ってから皇宮に戻ろうということだった。もしかしたら、盗人に遭遇するかもしれないという楽天的な思いつきで、このようなことになったのだ。
「雪仙さんが言っていた邸店荒らしの人達は何も盗まないのなら、きっと薬草を盗んでいる者達とは別ですよね」
「そうだろうな。にしても、皇宮に逃げ込むってことは、十中八九以上荒らして回ってた奴は内朝の人間ってことになるな」
皇宮に入れる者は大勢いるが、その中で夜に門を出入りする者――つまり、皇宮に住んでいる者というのは、内朝の人間に限られる。
二人はうーんと唸った。
「日頃の鬱憤を、市井を荒らすことで発散しているとかでしょうか……」
「昏い趣味だな」
確かに。そんな者と一緒に生活していると思うと、嫌すぎる。
「それにしても、夜の巡兵ってこんなに少ないんですね。まだひとりも遭ってませんが」
「雪仙が言った通り、西側にとられてんだろうさ」
小琳達は皇都を東西に横切り、今は花楼のあった西側から東側へと来ていた。
花楼がないからか、西側よりも薄暗くとても静かだ。
小琳は、隣の成嵐にチラッと視線を向けた。細められた目に浮かぶ感情は怪訝だと思うが、何せ面布のせいで表情が読み取りづらい。
しかし、突如、成嵐の目が大きく見開いた。
即座に、小琳も成嵐の視線の先を追う。そこで見たものは、暗闇の中、三つの黒い人間が、辺りの様子を窺いながら邸店から出てくる場面だった。
例の邸店荒らしかと思ったが、すぐに違うとわかる。出てきたひとりの腕に、両手大の箱が抱かれていたからだ。盗人だ。
「四殿――」
「シッ!」
思わず声を上げそうになったところ、口元を手で覆われ強制的に声を奪われる。
まさか、本当に盗人と遭遇するとは思わなかった。
盗人達は、辺りを気にした素振りを一瞬だけみせ、駆け足で立ち去る。
即座に小琳と成嵐は、後を追った。
「四殿下、荷を取り返す必要はありませんよ。どこに逃げ込むか確認するだけで良いですからね」
『だから、危ないことはしてくれるな』という意味で言ったのだが、正確に伝わっただろうか。
「わかってるよ」と言いながらも、成嵐の駆ける速度はぐんと上がり、すぐに小琳の前へと出た。
小琳は、チラと先を確認する。
正面には、皇宮の大きな影が、城壁にぽつぽつと掲げられた松明の明かりに、ぼんやりと浮かび上がっていた。
もし、盗人達がこのまま走り続ければ、皇宮へと突き当たることになる。
本当に内部の人間の仕業なのか。だとすると、何が目的で市井のものを盗むのか、などと考えながら走っていた時だった。
「おいっ!」
夜闇の中、切羽詰まった声が響き渡った。
声は、小琳のものでも、成嵐のものでもない。
前方を走っていた盗人達のひとりが、小琳達の存在に気付いて仲間に知らせたのだ。
最後尾にいたひとりが、くるっと反転して戻ってくる。
しまった、と思った次の瞬間、「避けてな」と成嵐の声と共に胸をトンと押された。
「四――ッラン様!」と小琳が危急に声を上げるのと、盗人が佩いていた剣を抜いて、成嵐に向かって振るうのは同時だった。
夜の静寂ごと切り裂くような、重めかしい風音が、成嵐の傍らでうなりを上げた。
思わず小琳の喉が「ひっ」と震える。
剣を持つ盗人に対し無手の成嵐は、避けることしかできない。今のところ、成嵐が剣の切っ先を紙一重で躱し続けているが、それもいつまでもつことか。
見ていることしかできない小琳の顔は青くなり、胸の前で握る両手は祈るように指が絡められ、手の甲には爪が食い込んでいた。
不意に、剣を持った盗人が体勢を崩した。
成嵐が足を引っ掛けたようで、盗人は躓いてドタンッと痛々しい音を立てて、前方へと倒れ込んだ。手にしていた剣が、ガシャンと金属特有のうるさい音を鳴らしながら、地面に投げ出される。
隙なく、成嵐は落ちた剣を拾い、地面に転がる盗人に近付く。
「おい! そこで何をしている!」
しかし、成嵐が盗人の首根っこを掴もうとした瞬間、背後から、通りを駆け抜けるような怒声が飛んできた。
声のした方を振り向けば、武具をまとった男がひとり、地面を削るような足音をさせながら、こちらへと近付いて来ていた。
巡兵だ。
(良かった……)
小琳はほっと息をついた。
これで、そこに転がっている盗人は捕まえられるし、そこから仲間達もまとめて捕縛できるはずだ。
纏った武具が月明かりにチラチラと反射する中、建物の影を抜け、巡兵が月明かりの下へと姿を現した。
小琳は月明かりに照らし出された者の姿を見て、一度は吐いた息を、勢いよく吸ってしまった。それは成嵐も同じだったようで、唯一感情が読み取れる目元が痙攣している。
(さ、三殿下……!)
そういえば、祥江は十六衛の所属だったか。
小琳は顔を逸らしつつも、盗人達が逃げた方を指さす。
「あ、あちらに、邸店から盗んだ物を持った盗人が逃げました!」
これですぐに犯人は捕まることだろう、と安堵したのも束の間。
「なんだお前? なぜこんな夜にこんな場所にいる」
思ったより近くで祥江の声がして、小琳は驚きで顔を上げてしまった。
「ぁ……」
そして、声を失った。




