ゆっくりしません!
「お待たせしましたわ、ラン様。ちょっと面倒なお客様がいらしてて――」
突如、成嵐の信じられないとばかりの呻くような掠れ声を遮り、部屋の主である雪仙が入ってきた。
「――って、あら?」
彼女は目の前の光景――見目の良い男が、使用人のような小柄の男を押し倒しているの――を見て、「まあっ!」と喜びが滲んだ声を上げた。
「あの、わたくしはそういったのに偏見はありませんし……どうぞごゆっくり?」
「しませんからッ!」
嬉しそうな顔で気を利かせようとする雪仙に、小琳は怒声を上げて成嵐を押し飛ばした。
「――薬草が盗人に狙われているのですか?」
成嵐の話を聞いた雪仙は小首を傾げた。
「ああ。そういった話は、何か聞いたことないか?」
小琳は成嵐の袖をチョンと引っ張り、振り向いた彼に声を潜めて尋ねる。
「あの、どうして盗みの件を雪仙さんに聞くんですか。こういったのは、それこそ十六衛のほうがよく知っているんじゃ……」
十六衛には、皇都の犯罪を取り締まったり巡邏したりする部隊がある。窃盗は立派な犯罪なのだから、十六衛に聞いたほうが早いと思うのだが。
しかし、成嵐は首を横に振った。
「市井のことは市井に聞くのが早いんだよ」
「あらあらまあまあ、ラン様の小姓さんは、随分と純朴でらっしゃるものね」
雪仙には、小琳を『ラン様』の小姓と説明していた。慈于のことも小姓と説明しており、彼とは同僚という設定だ。さすがに、女が男装をしているのは訳ありのほかなく、その部分を突っ込まれれば、説明に窮することが読めていたからだ。それであれば、男の小姓としてしまったほうが説明が楽である。
(女ってバレないことを喜ぶべきか、男って思われることを悲しむべきか……)
しかし、目の前の、牡丹を擬人化したような艶やかな美女と比べれば、同じ女と言うのは気が引けるというもの。自分が化粧を濃くしたところで、こうはならまい。
「ふふ、わたくし達も、なんでもお役人様に報告するわけじゃないんですのよ。あまりお役人様には首を突っ込まれたくないこともあるし。ほら、荷駄の中身を聞かれたら、困る者もいるでしょう?」
聞かれて困る物が運ばれていると……?
雪仙は「うふふ」と軽やかに笑んでいるが、どうやらその部分は深掘りしないほうが身のためかもしれない。
「雪仙は、ここら一帯にある花街の自警団を統括してるんだ。こういった犯罪や裏の情報については、役所よりもよく把握してるし、自ら自警団を動かしての対応が早い」
「それはすごいですね」
美しい上に仕事もできるとは。
「あら、嬉しっ。皆わたくしに優しくて、なんでも聞いたら教えてくれるもんだから、いつの間にかわたくしが情報の元締めみたいになっちゃって」
彼女に皆が優しいのは、なんとなく理解できる。
小琳は彼女の顔を眺め、そして胸部へと視線を下ろした。なんとも贅沢な身体だ。この顔と身体で甘えられたら、落ちない男はいないだろう。女の自分でも、ややグッとくるものがあるのだし。
「盗みですか。残念ながら、ここ最近で盗みの情報といえば、例の……蓋を開ければいつも盗まれたものはないという、妙な窃盗くらいですね」
「盗まれない窃盗? つまり、荒らしていくだけってことですか?」
それは窃盗とは言えないような気がするが。
「ええ。うちの花楼が契約してます邸店の他にも別の邸店や、それ以外で言うと、市場の店先などが荒らされることがあったと。物は無事なので、お役人様に被害を届け出る気にもならず」
「花街以外の店もか……」
成嵐が袖で口元を覆って、思案の格好をとる。
「その店ってどこにあるんだ」
「ここから、数坊ほど南にくだったところの藁屋ですわ」
そこで、雪仙が「ああ、そうでした」と華奢な手をパンッと打った。
「そうそう、ひとつ気になったことがありまして。この窃盗未満の窃盗話が上がるのって、いつも西側ばかりなんです。東側ではこんな変な窃盗はないと。もちろん、小さな物盗りなんて東西関係なく起っていますので、騒ぎになるようなものはという前提ですが」
皇都の東西では、置かれている店の雰囲気が違ってくる。
西はこういった花楼や大きな酒楼、異国の物を取り扱う店や新しい店などが多く、雰囲気は賑やかで煌びやかだ。
対して、東は昔ながらの店が多く、金細工の店や町医者の診療所、反物や生糸を取り扱う店などが多く並ぶ。落ち着いて成熟した雰囲気がある。診療所があるし、薬草の客商もおそらく東側の邸店を利用しているだろう。
西側ばかりということは、盗人は珍しい物などを狙っているのだろうか。いや、しかし、何も盗らないという話だった。であれば、西を荒らしている理由はなんだろうか。
「おかげで近頃は、騒がしい西側ばかり巡兵が多くなってしまって……これでは花街もあがったりですわ。巡兵が外をウロウロしてる中、花楼に入ろうなんて剛気な方は少ないんですもの。本当、物は盗まれてなくとも良い迷惑です」
「巡兵ね……そりゃ、俺もしばらく来るのを控えようかな」
「あら、やだぁ~ラン様まで……冷たいお方」
街では彼はラン様で通しているが、もし巡兵が第四太子の顔を知っていれば、すぐにバレてしまうだろうし、そのほうが良いと思う。
「あ、そうそう。思い出しましたわ」
「今度はなんだ」と、成嵐が胡坐をかいた膝の上で頬杖をついて、相槌を打つ。『どうせ、大した話じゃないんだろう』と聞こえてくるような態度だ。
それは雪仙にも伝わったようで、彼女は「もうっ」と口先を尖らせながら口を開く。
「先日もまた、うちの邸店が荒らされるようなことがありまして。見回りをしていた花街の自警団が偶然、犯人達と鉢合わせて後を追ったそうなんです」
「なんだと!?」「なんですって!?」と、これには成嵐と小琳も、聞く姿勢が前のめりになる。
二人の目は、「それで」と雪仙に先を請うていた。
予想外の食いつきの良さに、雪仙のほうが身を反らしてたじろぐ。
「で、ですが、犯人達がなんと皇宮に逃げ込んだらしく、それ以上は追えなかったと」
小琳と成嵐は顔を見合わせた。
(犯人達が皇宮に入っていった……!?)
二人の顔は鏡あわせのように、目を見開いて口角を下げた驚愕の表情をしていた。
夜に皇宮の門をくぐった。つまり、盗人は皇宮に住んでいる者ということだ。
◆
日が落ちて、花楼の行灯が煌々と輝きだした頃。
霓裳楼から出た小琳と成嵐は、皇都の夜道を二人して歩いていた。
「あーあ、女史長ともあろう者が、皇宮は抜け出すわ閉門以降も街にいるわで、すっかり不良になったもんだねえ」
くぐもった声でも、彼が揶揄いでニヤついているのは伝わってきた。
成嵐と小琳は今、口元に面布を巻いて顔半分を隠していた。




