はいはい、冗談言ってないで
予想外の答えすぎて、小琳は一瞬思考を放棄してしまった。
しかし、目の前の彼が目を細めて、まるでこちらの出方を窺うような顔をしていれば、揶揄われているのだなと、小琳の動揺しかけた心もすぐに落ち着く。
「まったく」と、小琳は額を押さえてはぁと長嘆した。
「四殿下、私は真面目に尋ねてるんですよ。冗談ばかり言ってないでください」
「冗談じゃ……」
彼は面白くなさそうに口先を尖らせると、ふいと顔をそっぽ向けてしまった。
そういうことに興味がある年頃なのはわかるが、閨教育など遊び半分でするようなことではない。
「好奇心旺盛なのも結構ですが、以前も言った通り、まず皇太子にならない者には不要な教育ですから。あと、龍陽の四殿下には、なお必要ないじゃありませんか」
すると、チラと彼の目線だけが戻ってくる。
「じゃあ、小女史はどこで閨の技術を学んだんだよ」
「以前言いましたよね。実家が花楼だって」
そう、生まれた時から自分の周りには、情事や男女の駆け引きに長けた女人の手練れが、うじゃうじゃといた。
そして、一度耳にしたことは忘れないという、小琳の特性が最悪な融合を果たした。
妓女の姉達は、客と話した内容を小琳に聞かせて覚えさせたのだ。客との前回の会話を覚えている妓女は、他の妓女よりもやはり喜ばれる。
「よく、相手がどういった客か、姉達にこっそり耳打ちしていましたよ」
客台帳代わりにされていたのだ。
加えて、彼女達はよく子守唄代わりに、幼子に聞かせてたら駄目な話から、理不尽と不条理の塊である女人の辞書の引き方まで、あらゆる場所で開けっぴろげに話すものだから、否が応でも覚えてしまったのだ。
中には、太客との会話を覚えさせるために、部屋の前で待機させられたこともあった。もちろん嬌声やらなんやらの声も丸聞こえだ。
結果、閨知識だけは一級という、異様に品質の高い耳年増ができあがったわけである。
「そういうわけで、誰に教わったと聞かれたら、妓女達からという回答になりますが」
今思い出しても、当時の生育環境は子供にとって最悪だったと言えるだろう。よくぐれずに育ったなと自分で自分を褒めたい。
こんな話を聞いて、何が楽しいのだろうかと思っていると、成嵐は「へーそうなんだ」としゃっきりとした明るい声で頷いた。
「じゃあ、小女史に経験値はないわけだ……へえ」
事実ではあるが、癪に障る。
どうしてそう楽しそうに言うのか。
どうせ、男経験がないただの耳年増か、などと思っているのだろう。
「すみませんね、経験皆無が偉そうに手ほどきしてまして。でも、大抵の後宮の者は経験値なんかないと思いますけどね。この先も含めて」
後宮に住まう者は、皇帝が崩御して後宮解散が行われるまで、後宮の外で生きることは叶わない。つまり、后妃は別として、女官達のほとんどは子を産まず、男と交わることなく一生を独り身で過ごすこととなる。
「女史にとっても后妃様達にとっても、閨教育だけが重要というわけではありませんからね。私は、自分の教え子達が幸せになれるよう、手伝いをしているだけですし」
自分を救ってくれた老師のように。
「それと、内文学館にいるうちは様々なことを学べますから。それだけでも、後宮に入った価値はありました」
「それもそうだな。余計な虫もつかずに済むし」
「はい? 虫?」
どこから虫が出てきたのか。
しかし、小琳が首を捻っても、既に彼の興味は会話から逸れてしまったようで、渡した書物をパラパラと開いて目で追っていた。
元々書物を読みあさっていたのなら、勉強嫌いではなく、嫌いなふりをしていただけなのだろう。当初、あんなに書物を読むのを嫌がっていた空気が、今はない。
彼が書物を手にする姿は、さもそれが当然の姿であったかのような自然さがある。
小琳は書物に目を落として言った。
「四殿下……せめて、西湖宮では馬鹿のふりなんてしなくて良いですからね。私は誰かに言いふらしたりしませんし、自分を偽るのはつらいでしょう」
彼からの返事はなかったが、彼は返事の代わりとするようにページをめくった。
「それと、ほしいものを考えておいてください。そんなに高価な物は無理ですが、できるだけ頑張りますから」
「ああ、考えておくよ」と言って、彼は詩を淀みなく詠みはじめた。
小琳はチラと窓から外を見やった。
空へ、一条の白煙が登っていた。掃除した落ち葉でも燃やしているのだろう。
秋が深まっていく。
◆
木々の秋色の葉が青空に映える、秋の中月も終わりかけの頃。
空を仰げば、視界の端で一条の煙が空にたなびいていた。
掃除女官が、掃除で集めた葉でも燃やしているのかもしれない。
「風情があるねえ」
小琳は、ぼうと空へ上っていく煙を眺めながら、西湖宮への道を歩いて行く。
西湖宮へと向かう道すがら、小琳は太子園の掃除女官達が、よろよろとした力ない足取りでこちら――太子園の入り口へ歩いてくるのに気付いた。
「どうしたんだ、お前達」
声を掛ければ、三人の女官達が「小女史長」と小琳に気付いた。
三人が三人とも顔色が悪く、口元を手で押さえている子もいて、小琳は慌てて彼女達に駆け寄った。
三人の内、真ん中の女官が一番具合が悪そうで、両側から同僚に支えられている。
「具合が悪いのか?」
「はい。掃除をしていたら目眩がしまして……」
「この子は、目眩どころか頭も痛いって言ってまして」
右側の女官が、目線で真ん中で沈黙している女官を示した。口を開く気力もないようで、ぐったりとしてる。
「風邪かな」
「実は、ここ最近、周りの子達は皆こんなふうで……」
「体調を崩して掃除場所変更した子もいるんです」
ああ、そういえばこの間もふらふらした子がいた。
「風邪が流行ってるのかも」
季節の変わり目は体調を崩しやすいものだ。
「典薬局に薬をもらいに行こうか」




