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第四太子の教育係  作者: 巻村 螢
第三章 盗まれた薬草の行方を追え

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今更、誰かに期待すんなよ

 花楼の中には、昼は酒楼として開けている店もある。

 霓裳楼(げいしょうろう)も、昼は客に酒と料理を振る舞い、夜は妓女達が客に振る舞われるといった営業形態だ。建物の手前部分が酒楼で、奥が花楼となっており、酒楼(ひる)花楼(よる)とでは働く店員も別である。


 今、霓裳楼は夜の顔をすっかりとひそめ、酒でいつもより威勢が良くなった男達の声で賑わっていた。わいわいガヤガヤとした店の奥、気配を消すようにして隅で酒を呑む男がいた。卓の上には、空になった酒壺が幾本も転がっている。


「ラン様、朝からずっと呑まれてますけど、もう昼過ぎですわよ。お屋敷に戻らなくてもよろしいんですの?」


 ちびちびと干し(なつめ)を囓りながら、酒杯を重ねる成嵐の向かいに雪仙が座った。

 化粧は変わらないが、身に纏った衣装は夜に見せる時と違い、あくせく働く街娘のように質素なものだ。


 彼女は、成嵐が口に運ぼうとした干し棗を横取りし、あむと噛みついた。

 珊瑚色の唇で、真っ赤な干し棗を噛みちぎる。

 唇の間から見える小さな歯が、干し棗を噛んでいる姿は、妙ななまめかしさがあった。


「んっ、密漬けね。美味しい」


 食べようとしていた干し棗を奪われても、成嵐は怒ることなく、淡々と皿から次の棗を摘まんで口に運ぶ。


「ラン様……何かあったんですの? いつもとご様子が……」

「別に、いつもと変わらないって」


 顔を覗き込もうとする雪仙を、成嵐は軽く手で払う。

 雪仙の存在に気付いた客達が、気を引こうと大声で雪仙の名を呼んだり、手を振ったりしていた。


「さすがは当紅(とうこう)。昼の客にも人気だな」


 雪仙は、客達へ柔らかな笑みで手を振り返しながら、成嵐だけに聞こえる声で言う。


「日頃から愛想は良くしておきませんと。いざという時だけでは、皆さんおしゃべりしてくださらないんですもの」

「怖い怖い。こうやって男達は、知らず知らず女郎(くも)に餌を献上するようになるんだな」

「まあ、ひどい。花街で生きていくためですよ。使えるものはなんでも使いませんと」


 婉然とした笑みひとつで男の全財産を空にするような女は、やはり言うことが違うなと、成嵐は密かに笑った。

 男がいないと生きていけないような弱々しさを醸し出しているのに、実際はなんと強かなことだろうか。


(後宮に入ったら、妃嬪達と結構良い勝負するだろうな)


 後宮は、深謀遠慮に長けた者か、鈍感な者しか生きてはいけない場所だから。

 心が美しい人ほど、命を散らすのは早い。

 ひと通り、店内の客達に愛想を振りまき終わった雪仙が、成嵐へと向き直り、再び干し棗に手を伸ばす。


「雪仙、悪いけどひとりにしてくれ」


 雪仙の手が皿の手前で止まった。

 彼女は目を瞬かせ、意外だという顔で成嵐を眺めていた。

 瞬きの多さで『どうして』と言っているのがわかる。


「今日は静かに呑みたいんだ」


 是とも非とも言わず立ち上がった雪仙は、最後に干し棗をひとつ、細指で攫っていった。


「相変わらず、つれないお方」


 呟いて、ぽいっと干し棗を口に放り込み、彼女は苦笑を置いて花楼がある奥へと消えていった。

 成嵐は前髪をくしゃりと握り込み、卓にため息を落とす。

 静かに呑みたいのは本当だった。

 今朝から頭がグチャグチャで、まともな思考ができないのだ。


「はぁ……ったく、なんだってんだよ……」


 朝、目を覚まして、今日も午後から彼女の講義があるのかと思ったら、どうしてか急にいたたまれない気持ちになった。

『会いたくない』と、強烈に思った次の瞬間逃げ出したくなって、慈于には「散歩」とだけ言いそのまま皇城を出た。


 慈于はきっと今頃、長すぎる散歩はただの逃亡だったと悟っているに違いない。

 後宮の女人達と違い、太子である自分は皇城の出入りは自由にできる。

 それでも、自分も慈于も外出を『逃げた』と言ってしまうのは、何事にも向き合っていないという自覚があるからだろう。


 太子宮に住んで、第四太子という肩書きがあるのに、太子として求められる役割も成果も、なんなら人品骨柄すらない。与えられた仕事は、後で面倒事にならない程度には手を付けるが、自ら進んでするようなこともない。


 そうやって、何年も過ごしてきたというのに、彼女が現れててから、何ひとつ思い通りにいかない。

 成嵐は、へたり、と卓に突っ伏した。

 頬の下に腕を敷いて、ぼうと見るともなしに卓を見つめる。


 ふと、卓に置かれた自分の右手が目についた。

 昔は剣の稽古で打ち身を作っては、母親がよく心配して撫でてくれていた。

 右手を反対の手で撫でてみる。

 痛みなど当然ない。今やもう、打ち身を作ることすらない。


「誰かに心配されるなんて……いつぶりだろ」


 彼女は、自分の手をまるで壊れ物かのように、至極優しい手つきで掬い取っていた。手を確かめる彼女の目は真剣で、本気で心配してくれているのかと驚いた。


「……っ」


 しかし、成嵐は瞼を強く閉じ、その時の光景も、胸に灯りかけた小さな温もりもすべて脳裏から消し去る。


(今更、誰かに期待なんてするなよ)


 そんなことよりも、これからどうするかが問題だ。


 衝動的に街へと逃げてきてしまったが、問題は何も解決していない。

 今日逃げたところで、彼女であれば、明日も必ず西湖宮を訪ねてくるはずだ。


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