第十五話 皇子が奏でる協奏曲(コンチェルト)
メインホールの屋根の下。
会場を見下ろせるテラスの隅で、事前にエリンが隠してくれた荷物から、着替えを取り出す。
俺がマスクと帽子をマジックアイテムに収納していると、ナタリーがアップにしていた髪を解きながら、突然目の前でドレスを脱いだ。
「おい!」
慌てて後ろを向く。
「誰も見ていない」
すると、そんな感情のない声が返ってくる。
「俺がいるだろ」
「不快じゃないって言ったでしょ?」
「そういう問題じゃなくてだな……」
衣擦れの音が、妙に艶めかしい。
居たたまれなくなっていたら……。
「もう大丈夫」
そんな声が聞こえてきたので、振り返る。
「お礼のつもり。本当にこんなものが嬉しいの?」
まだメイド服のスカートしか履いていないナタリーが、髪をツインテールに結いながら、両腕をあげて胸を見せつけるようなポーズを取っていた。
少し恥ずかしそうな表情に、張りのある大きすぎる胸。その下の引き締まったウエスト。
「だ、大事にしまっておけ」
俺はもう一度、慌てて後ろを向く。
目に焼き付いてしまった姿を振り払うように、小さく首を振っていたら、着替え終わったナタリーが俺の顔を覗き込んできた。
「本当みたいだね。じゃあ、お礼の続きはこの件が終わってから」
上気した頬と、上目遣いの大きなつり目が、妙に色っぽい。
そして、そう言い残すと、ひとりスタスタと先に会場に向かっていった。
からかわれているのだろうか? やっぱり、女性ってわからない。
× × × × ×
1階の大ホールに入ると、まだオーケストラは準備中だったが、宴は既に始まっていた。
メインホールはコロセウムのように、東西南北がスタンド型の客席になっていて、中央ホールがダンス会場と食事ができるパーティー会場になっている。
北側スタンドにオーケストラが陣取り、対面の南スタンドが貴賓席。
左右の西と東のスタンドは、一般観覧席として開放されていた。
パーティー会場側で、不安そうに佇んでいたブリジット公女にメイド服に着替えたナタリーが近づく。
ブリジット公女はナタリーに気づくと、両手を広げて飛びつき、隣に立つ金髪のイケメンにたしなめられていた。
その長身のイケメンと目が合うと、思いっきり殺気混じりの目で睨まれたが……。
ナタリーがクイクイとそのイケメンの袖を引くと、ふたりは会場の隅に消えた。
あれが兄であるロバート・ラゴール。公爵家次男にして、次期当主候補筆頭。
周囲から、一癖も二癖もあるが傑物だと評判の男なのだろう。
エリンを探すと、ダンスホール側で、男子学生に囲まれて苦笑いしていた。
実はモテないんじゃないかと心配していたが、どうやら杞憂のようだ。
俺を見つけたエリンが、男子学生たちを押しのけ、こちらに向かって歩いてくる。
初めて見るドレス姿に、ちょっと驚く。
凜とした姿勢と長く美しい銀髪は品性と知性の高さを感じさせ、優雅な所作は、弱小地方貴族とは言え、さすが領主の娘だと感心させられた。
「なによ、なにか言いたいことでもあるの?」
しかし、しゃべるとエリンだった。
「別にない。それより会場の様子は?」
苦笑いする俺の足下を蹴飛ばしてから、エリンが小声で耳打ちする。
「貴賓席最前列のブラウンの髪の好色そうなおっさんが、バーム王国第一王子のアベール。その左にいるやつれた感じのオバさんが、魔導院の特使、“深淵の魔女”よ」
ミザリー教諭が提供してくれた資料によれば、バームの王子アベールはまだ28歳だが、確かに好色そうなおっさんにしか見えない。
「魔女の左ですかしてるのが、バーム近衛隊長のヒューイット。皇子が殺した特別教官の弟だそうよ」
俺が貴賓席に目を向けると、ヒューイットと目が合う。フンと鼻で笑うような仕草は、プライドが高そうで、相手にしやすそうだった。
「資料にあった、他のメンバーが見当たらないが」
「火傷でもして、休んでるんじゃない?」
エリンはそう言って、楽しそうに笑った。
ってことは、今朝の襲撃に紛れて活動していたのだろう。
「会場に怪しいヤツは」
「見当たらないわね」
そうなると、この会場で襲撃される可能性は低い。
油断してはいけないが、少しだけ安堵の息がもれた。
「エリンは引き続き、会場を見張ってくれないか」
「いいけど……本当に、本物のチャーリー皇子は現れるの?」
俺はその言葉に、準備中のオーケストラを見る。
変装した帽子屋は上手く紛れ込めたようで、何食わぬ顔でチェロをチューニングしていた。
その斜め前の中年のバイオリン演奏者は、存在感がなさ過ぎで、左の前髪も長すぎる。
ついでにネクタイの結び目が太すぎて、なんかダサい。
「いたよ。今夜は、存分に踊ってもらおう」
エリンが微笑む俺の視線を追って、首を傾げる。
「方法は?」
「役者はそろったし、幕は上がっている。道化は舞台を盛り上げるだけいい」
俺の説明にエリンは不満そうに頬を膨らます。
チューニングが終わったオーケストラが静まりかえると、一拍おいて、指揮者がタクトを振った。
左前髪が長すぎるバイオリニストの独奏が始まり、やがてそれを追いかけるように、他の楽器との協奏が始まる。
アップテンポな協奏曲が始まると、会場がざわめきだした。
「そういえば、まだ返事を聞いてなかったわ」
「なにの?」
「舞踏会のお誘いよ、盛り上げるんでしょ」
そっぽを向きながら片手を差し出すエリンに、苦笑いが漏れる。
「あの男たちは、ほっといていいのか?」
エリンを囲んでいた男子学生たちが、俺を睨んでいた。
「ブリジット公女の横に、こわーいお兄さんがいたから、こっちに寄ってきただけのクズよ」
はたして本当に、それだけだろうか?
だが、盛り上げるためにはちょうどいい。
「では一曲」
俺は優雅に腰を折ってから、エリンの手を取って、会場の中心に躍り出る。
「ちょ、ちょっと! いきなりこんな場所」
照れたように顔を赤らめ、不満を漏らすエリンをリードする。
まだ遠慮がちだった学生や来賓の注目が一気に集まる。
「盛り上げるんだろ」
俺の言葉に唇を尖らせたが、エリンは音楽に合わせてステップを踏みながら、俺にもたれかかった。
「知らないわよ!」
まだ不満顔のエリンの腰に手を回し、軽くリフトすると、綺麗なターンを決める。
会場から拍手がわく。
それに合わせるように、いくつかの殺気が飛んでくる。
来賓席からは、魔導院の特使“深淵の魔女”と、バーム近衛隊長のヒューイット。
ダンスホール内からも、ひとつ。
後は……オーケストラのチェロ演奏者からだが、これは無視すべきだろう。
ターンの後、手を取ったエリンが顔を近づけてくる。
「あの子は同じ研究室の、王国連合からの留学生よ」
殺気に気づいたエリンが目配せする。
「エリンの研究は、寿命を削って魔力を増大させる薬を、生成することは可能か?」
俺の質問に、エリンの眉根が寄った。
「できないことも、ないかもね」
徐々に、足りないピースが不吉な音を立てて重なり合う。
学園が、エリンを追放したかった理由。
ナタリーが語った、バーム王国があせる理由。
――そして、先ほどの薬品。
この舞踏会は、まだ安全ではない。
左前髪の長いバイオリニストのソロパートが、会場を包み込む。
その旋律が、どこか不安を覚えさせる。
「まずは、お手並み拝見といこうか」
俺がエリンの腰に手を回して、ふたりで同時にターンしたら、今日一番の殺気がチェロ演奏者から飛んできた。
なあ帽子屋よ、お前はどこに向かってるんだ?
やっと始まった舞踏会に響く小さな不協和音に、俺はため息をついた。




