『小谷でいろいろ考えたっ!!』 ~ 長政の本音 ~
物語の展開が判りづらくなってきたので、長政の本心を少し聞いてみましょう。
これは少しだけ前のお話しである。
『さあて、義秋をどうすればいいのだろうか?』
いきなり、『永禄の変』が起こってしまったから、とりあえず手駒として覚慶を保護するように手配はした。
「浅井が守護であればなあ~」
思わず漏れてしまった言葉こそ、偽らざる俺の本音である。
『守護代の俺が、義秋を将軍として擁立できるか?』
答えは、”否”である。
『信長は、やったじゃんか?』
という声もあるだろうが、
あれは義秋が、甲賀の和田屋敷で、関東管領上杉謙信・河内守護畠山高政・能登守護畠山義綱らに手紙を出して自らの健在を示したものの半ば無視され……。
兄.義輝を擁立していた六角を頼ってはいたものの、矢島御所に放置されたあげく襲われ。
仕方がないから若狭守護武田を頼ってみたら、丁重に追い出され。
思い切って越前朝倉氏を頼ったら……、やはり てい良く放置された。
と云う、義秋の苦い経験という下地があってこそである 。
三好への怒りと、なんとしてでも将軍になるという熱意が、義秋とその側近を妥協させたと言えよう。
実際に上洛をするまで、結構小煩かったみたいだ。
義秋にしてみれば、そりゃ、謙信みたいな有力な武将連中を従えて堂々と京へ上洛したいだろうさ。
信長としても、尾張・美濃を制し、三河の徳川・北近江の浅井を味方につけ朝倉を押さえた上での上洛だった。
そこまでして、ようやくお膳立てが叶う。
信長自身も自分の権力強化のために将軍家を利用したが、畿内の政争にモロに巻き込まれるハメになったといえる。
表面上勝利して、名目上畿内を支配しても実効性は意外と薄い。
畿内を制したとは云え、実は旧六角領の一部の国人以外まともに信長に従っていないのだ。
京の都が近いからと、ホイホイと迂闊に担ぎ出してしまっては、信長みたいに年中戦争するハメになる。
「正直、俺はゴメンだな」
三好が担ぎ出している 義栄にだって正当性があるのが頭が痛いところなのだ。
もし、負けるようなことがあれば、いきなり反乱軍になってしまう。
守護であれば、それなりに他の守護と連携できるが、守護代でしかない浅井ではヘタに妬まれた途端、逆襲を喰らい、いきなり”お家の危機”が来るかも知れないのだ。
松永久秀の爺様も、低い身分からの成り上がりだ。それに対する嫉妬と侮りでとても苦労しているのだ。
正直、三好はアホである。俺はそう思う。
三好の権力を保証していたのは、将軍.足利義輝の権威なのだ。
気に入らないなら押し込めて、次の義栄に譲位させるのが正しい選択だ。
義輝公を殺してしまえば、将軍位は空位となってしまい、三好はいち大名でしかなくなる。
義栄にしても、義秋にしても将軍になるには 『朝廷の協力』が必要である。
『将軍宣下』 もいきなりは行えない、まずは左馬頭に任じられなければならない。
と云うわけで、しばらくは将軍位は空位のままである。
そんな訳で、義秋を六角家に任せ、矢島御所に放置しておいた。
ヘタに関わると、火傷してしまう。
向こう(義秋)は命令する気満々であるが、やつらの命令を聞くのは守護の仕事だ。
(俺はしらん、関わりたくない)
俺としては、なにより完全に近江と美濃を制するほうのが先決だ。
それには、将軍などというものが居ない方が都合がいい。
今がチャンスというわけである。
美濃の方が案外上手くいっている。 『斎藤道三』という、前例があるのが大きい。
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そして先日、急報が届いた。
三好方に寝返った国人衆の反乱が発生したのである。
さいわいすぐに鎮圧されたらしいが、矢島御所が動揺しているようだ。
忍びの報告では、蒲生賢秀・朽木綱がいつの間にか六角家臣に紛れ義秋に接近しているようである。
義秋に言葉巧みに取り入り、讒言しているらしい。
『浅井長政は、卑しい身分の者である』 『傲慢にも、六角家を食い物にしている』 とか、
なんともいえない悪口らしい。
一体何を考えているのやら。
そう思っていたら、なんと六角承禎に断りもなく、将軍さま御一行は若狭へと亡命していったのだった。
「……まあ良い」
どこかの守護が担ぐなら、状況を見て有利であれば尻馬に乗ればいい。
若狭武田義統ならば、放置。
越前朝倉ならば、同盟者として協力。
関東管領上杉謙信が、義秋を担ぎ出すのならば上洛できるのかどうかを見極める。
もし上洛が出来そうならば、……。
その時は、禁裏への仲介でポイントを稼げば良いであろう。
毛利ならば、三好と噛み合わせた後、将軍のおもりを任せてしまえば良い。
「俺、べつに天下なんて、狙ってないし~」
それよりも問題は別にある、守護.六角承禎の許可を得ずに将軍候補に接近し、出奔した蒲生と朽木だ。
主家の六角家に泥を塗り、将軍弟を危険に晒すような身勝手な行動をしたのは許されない。
三好が、義秋の命を狙っているのだ、『あまりにも迂闊な行為』である。
というわけで、この案件は承禎さまに捌いてもらおう。
蒲生と朽木は、六角配下にしておいてよかった。
それに、江南の国人の反乱、矢島御所襲撃未遂事件とそれと、蒲生達が流していた不穏な噂も追求しないとな。
逢坂山城に、使者を送ろう。
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それから、しばらくして
『甲賀で、義治が反旗を翻した』
「六角家には、大津、日野、甲賀、伊賀をお任せしてあったのだが……」
どうやら、三好の策に嵌まったようである。
三好勢が畿内で猛威を振るうにつれ、それに便乗しようと六角義治が追従したらしい。
三雲が義治につくなど、一部勢力を取り戻す勢いである。
裏では、日野の蒲生定家らが暗躍している様子だ。
多くの国人が動揺している。義治になびく者もかなり出てきそうだ。
「どういうことだ? 蒲生は三好に付くのか、義秋を奉じるのかどっちか判らん?」
そう思っていると……
細川から、書状が届いた。『道中襲撃に遭ったものの、なんとか若狭に到着した』らしい。
そして、蒲生が途中で姿を消したとの事だった。
(三淵・細川兄弟に金子を渡しておいて正解だった、役に立つではないか。)
どうやら蒲生賢秀は、将軍を誘き出す役だったようだ。
奉公衆がいるせいで、討ち取れなかったのか、すでに蒲生だけ姿を消しているらしい。
朽木は、完全に欺された口だな。
となると、蒲生は謀反人と云うことか。
まあ、六角家内部のことである、向こうで処置していただこう。
俺は、報告だけを行い、事態を静観した。
もちろんいつでも、出陣できる体制は整えてある。
そして、
近江守護 六角承禎3千 対 反乱軍 六角義治2千と各城の守備兵
身内同士の非情なる戦いが始まった。
双方戦意は乏しかったが、俺が守護代として反乱軍鎮圧をサポートした。
もちろん俺がしゃしゃり出る問題ではない、あくまで六角家内部の問題である。
判っている、守護代として多少協力するだけだ。
理不尽にも浅井に攻めてくる敵を適当に捌きつつ、戦闘の終結を待った。
結論が見えている戦いである。
反乱軍は櫛の歯が抜けるようにその数をへらし、内部から崩れ去っていった。
六角家は、もはや大津の一部を領する一国人となった。
念のため言って置くが、死者はごく僅かであった。
派手な殺し合いをさせたかったわけではない。そんな趣味の悪いことはしない。
おのれ達(六角家)が動員できる”兵力の小ささ”を思い知らせ、”心を折る”のが目的だったのである。
「これでようやく、浅井の力とおのれの立場が判ったことだろう」
多くの国人・地侍は改易にはせずに、それなりに減額して貫高で『浅井家家臣』として召し抱え直した。
とりあえずこれで近江のことは一段落である。
「さあて、須賀谷温泉にでも行くとしようかな!」
下克上をするなら、将軍が居ないうちがベストである。
というお話しでした。




