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未来ということ。  前

アルト先生の無事な姿を早く確認したい。

ほんの僅かに持っていたそんな願いは、本当にすぐ叶えられました。


アリス義姉様に手を繋がれ、私は今まで居た部屋から廊下へとを出ました。

短い時間とはいえ、体を動かす事も出来ずに精神を消耗させていたのだから。不都合があるかも知れないという心配から、何時もよりも大分ゆっくりとした足取りでアリス義姉様は先導してくれました。


行なう事が事なだけ。オウキ曾お爺様が本気となって『破邪の力』を振るった時、その場所に存在していた人々を欠片一つ残すことなく『存在そのものを拒絶』してのけたのです。私の力がそこまでに至る可能性を否定出来ない、とオウキ曾お爺様がオリヴィア姫に用意させた部屋は人気の一切無い場所にありました。皆が居る離宮の端の端から地下へと入り、細く長く伸びた通路を歩いた先で地上へと階段を上がる。そんな行程を得て向かった先にあった部屋。通常では使うことの無いその一角には、元から定期的に掃除を行なう者が赴く程度の人の出入りしか無いと説明されました。

秘密の逢瀬や、外には出せない存在を閉じ込めておいたりと、案内してくれた際に緊張する私を慰めようとしたのかしないのか、オウキ曾お爺様がオリヴィア姫に聞いた話を色々と教えてくれました。

付き添って下さったアルト先生が途中で、「全然、笑い話になりませんよ、それ。」と注意してくださらなければ、ティグ王国に留まらず曾お爺様が立ち寄られた国々で見聞きした、あまり口には出せない不穏な話をもっとたくさん聞かされていたのでしょう。

あのような話の数々を、面白い、楽しい、笑えるよねぇと言ってのけるオウキ曾お爺様が少し怖いを感じてしまいました。

「大丈夫、俺もだよ。」と私が思わず呟いてしまった思いに、アルト先生が同意して慰めてくれました。

でも、もしもマリアが現れなかったら…そういった事が普通ではないものの行なわれ、面白おかしく話題となる世界に身を置かねばならなかったのかと、考えてしまいました。


地下に伸びる通路に、階段を降りていく。

急とも言えない階段です。だというのに、一歩足を踏み降ろしただけで体が揺らいでしまいました。大丈夫だと思っていたのに、と少し驚きました。

カツーン カツーン

四方を囲まれている地下の通路で鳴る音は、反響してより大きなものとして耳に届きます。

小さな灯が、エリザ達が歩いて向かおうとしている通路の奥から、段々と大きくはっきりとしながら向かってきました。

「あら?」

灯りが一つだけしか見えない暗闇に、アリス義姉様が目を凝らしました。

「エリザちゃん。」

「アルト先生。」

こちらに気づいたその人は灯りを大きく掲げ、より広くが照らされました。

そして、目を凝らすことなく私にも見えるようになったその人は、アルト先生でした。


「アルト、そこで止まりなさい。」


私とアリス義姉様を見て笑ったアルト先生の足が速まりましたが、それをアリス義姉様が止めました。

「アリス義姉様?」

「エリザ、何か違和感みたいなものは感じる?」

「…いいえ、全く。」

私がもしもアルト先生に『拒絶の力』を向けてしまったら、アリス義姉様の指示はそう考えてのことだと気づき、目を瞑って自分の中に渦巻いているものに意識を向けました。

でも、アルト先生に恐怖を覚えているなんてこともなく、目を開いてアルト先生の姿をしっかりと目に入れても違和感を感じることはありません。

それを首を振ることでアリス義姉様に伝えれば、ホッと息を吐いている様子でした。

「なら、大丈夫ね。」

近づいていいわよ、とアルト先生に指示を出すアリス義姉様。

その言葉を聞いて、アルト先生はゆっくりと近づいてきました。


「本当に大丈夫、エリザちゃん?無理そうなら、ちゃんと言ってね。」


「本当に大丈夫なんです、アルト先生。」

ご心配をおかけしました。とアルト先生とアリス義姉様の両方に伝える。

それでも、私のことを心配し、気遣ってくれるアルト先生に、私はとても嬉しく感じます。


「すでに家族枠なのか、それとも男として意識されていないのか。まぁ、本当に男性に対する恐怖を覚えずに済んだのか。」


「アリス義姉様、何か仰いましたか?」

「余計なことを考えないで下さいよ、アリスさん。」


アリス義姉様が口元に手を当てて口にした言葉は、私には言葉として聞こえることはなかったのですが、アルト先生には聞こえたようでした。

義姉様は何と仰られたのか、とアルト先生に尋ねようと目を向けました。すぐ近くにまで近づいてきたアルト先生には怪我一つなく、眠る前に見た姿そのままです。

良かった、眠った状態の私が『破邪の力』で何か危害を加えていなかったことが確認出来ました。


「なら、余計なことを言う前に、私は先に行かせてもらうことにするわ。エリザ、私は少し用が出来たから先に行くわね。貴女は、アルトとゆっくりいらっしゃいな。」


「えっ?アリス義姉様?」

突然のアリス義姉様の言葉に私は驚きました。ですが、名前を呼んで問い掛けようとした私の声を背に、義姉様は颯爽と通路の暗闇の中に姿を消して行ってしまいました。灯りも持たず、魔術で光源を生むわけでもなく、暗闇の中を真っ直ぐに危なげもなく歩いていく姿。あっという間に消えていったその速さに、先程までどれだけの気遣いで私に合わせてくれていたのか思い知らされた。

「あぁ~…行こうか、エリザちゃん。」

「え、あっ、はい。」


「はい。」

アリス義姉様がしてくださったように、とアルト先生が手を差し出してくれる。

「あ、ありがとうございます。」

断る事も出来ず、通路を閉ざす暗闇にほんの少しだけ怖さを覚えた私は、アルト先生のその手を取りました。



小さな灯りだけを頼りに、カツンカツンと冷たい二人分の甲高い足音を立てて、暗い通路を歩いていく。

長い道のり、何か会話をして気を紛らわせる方がいいとは思うのですが、何を話していいのか、それが分からなくて暫くの間、アルト先生と手を繋いだまま無言で歩き続けていました。


「……ようやく、戦いが始まるね。」


何か話を…。

そう思っていたのは、アルト先生も同じだったようです。

「はい。」

ようやく始められる。

小さくなって隠れ住む事しか出来ていなかったのは、本当につい最近の事。

マークが私達の家に押しかけてきて、いえ仕舞い込んでいた婚約指輪を売り払ってから、本当にめまぐるしく日々でした。

話を聞くだけでお会いすることは無いと思っていた、曾お爺様と会ってお話出来るようになるなんて、まさかとも思っていなかった。


「君やリアを遠くに逃がして、その間に俺達だけで終わらせられることだったら、良かったのに。」


思ってはいけない、そう感じながらも私もそう思っていました。

私やリアが、ではありません。私とリア、テイガ兄様にアリス義姉様、一族の皆、そしてアルト先生。出来ることなら、オリヴィア姫やこの国の人達。皆で遠くへ遠くへ逃げ延びて、他の誰かがマリアを討ってくれたのなら、と思うことは止められません。

どうして、サルド家がやらねばならないのか。

如何なる強さであろうと、それを持つものこそが、権利と義務を得る事になるのだ。

そんな言葉を、サルド家の古い手記に見たことがありました。マリアと神に、相対出来る強さを持っていたからと言われれば、この世界を守る為にも立ち上がらなければならないとは理解しているのです。誰かがやらないといけない。でも、どうしても私達ではない誰かがやってくれたらと思ってしまうのです。


「怖いです。本当に怖い。マリアに対する恐怖を、今は抑えていられます。でも。もしかしたらマリアを目の前にした瞬間に、恐怖に負けて逃げ出してしまうかも知れません。そんな、皆を裏切ってしまうかと思ってしまうと、とても…怖いのです。」


何回も、夢の中で私は理不尽な死を迎えました。

どうして、あんな事が出来るのか。どうして、あんな風に人を傷つける術を思いつくことが出来るのか。どうして、あんな風に笑えるのか。

本当に、彼女を恐ろしく思います。


「そうだね…それは仕方ないことだよ。」


今のエリザちゃんほどでは無いかも知れない、でも俺も確かに恐怖を感じている。テイガも、アリスも、皆、あれを怖いを思わない人は居ないよ。

皆が、心の何処かで逃げたいと感じている。


「皆が?」

アルト先生の言葉に、私は驚きました。

テイガ兄様も、アリス姉様も、一族の皆、そしてアルト先生も。皆が皆、戦う術を持って私がまだ経験してはいない戦場や、様々な体験を積んできている。だから、戦いを前にして逃げたいなんて思うことが意外だと。

私も、そんな皆のように強くなりたいと思っていました。

「確かに、戦いの経験はあるよ。死にそうになった事もある。でも、今までの相手は人だった。」

あれは人とは言えないだろ?

それは本当ならば悲嘆するべき言葉だろう。

でも、両肩を竦めておどけながらアルト先生はそれを言葉にした。その様子が可笑しくて、思わず笑ってしまっていました。

きっと、わざとそうしてくれたのでしょう。

その気遣いがとても嬉しく感じられます。


「エリザちゃん、ちょっと未来のことを考えてみよう。」


突然、アルト先生はそう私に言いました。


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