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許せぬもの。

嘲笑うマリア。

"私”に向かって伸びてくる、たくさんの男の人の手。

そして…

「----------!!!」

それは、本当に音が出ていたのならば今までで一番の絶叫だったと思う。でも、そんな音を出せる力など私の喉にはもう残ってはいなかった。

今は、私は18人目の"私"になっていた。



エリザの閉じた目からは涙が流れ落ち、額からは汗が止めどなく流れ落ちる。歯を食い縛った口元からは血が流れ、食い縛ってもなお音にならない悲鳴が漏れる。

そんなエリザが爪が立て、喰い込んだことで血が滲み出てくる手を構いもせず、アルトはジッとエリザを見守っていた。離れようという思いなど持つことは無い。


居てもいいけど、助けようなんて思わないでね?


エリザと共に居ると決めたアルトに、そうニコヤカに告げたオウキの姿が何度も脳裏に過ぎって行った。

でも、そう釘を差されたことに良かったと思う。

でなければ、エリザの覚悟も、テイガ達の覚悟も、何もかも振りほどいてエリザを目覚めさせようと、解放しようとしていたかも知れない。


祈ることしか出来ない自分に自嘲を浮かべる。


そんなアルトの耳元に、ある筈の無い声が届いた。

"あのクソガキ"

オウキが取り込んだ死者達の成れの果てである、周囲に蠢いている黒いモノ。

アルトと横たわるエリザ以外の全てを飲み込んでいたそれは、酷いときにはエリザの体の一部さえも黒く染めていた。今はそれも無く、エリザから一定の距離を保つように蠢いている。

そんなモノの中から、これまでに囁くように聞こえてきていたような恨み言でも無く、恐怖を訴える声でも無い、はっきりとした女性の声に、アルトは困惑した。




オウキは機嫌良く鼻歌さえも口ずさんでいた。

悪夢に苛むエリザの様子を見守っていたオウキだったが、エリザから良き兆候を見出すとすぐに、取り込んでいた被害者達の塊を切り離していた。

それらが経験したおぞましき記憶を注ぎ込まれる事で心を弱らせ、それらを退けることが出来なくなったエリザが黒い闇に飲み込まれそうになった。その時には、もう駄目かな、なんて考えたオウキだった。でも、段々とそれを押し返し始めた姿に、オウキはニンマリと笑みを浮かべた。

オウキは、エリザのことを自分の血を継ぐ子供達の中で一番気に入っている。

それは何故か。

それは、自分を消し去ることが出来る可能性があるからだ。

エリザが『破邪の力』を完全に扱えるようになれば、今のオウキを構成している数多の思念を消し去っていけるようになる。オウキの事を曽祖父として好いているエリザには無理かも知れない、その可能性の方が強いだろう。でも、それでもオウキを楽しませる程度のことは出来るだろう。

あの故郷である東の果ての島国で、二つの顔を使い分けて茉莉-ジャスミン・サルドを遊んでいた時のように、オウキの心を高揚させてくれるだろう。

エリザが目覚めたら、試しにっと口実をつけて少しだけ、そう少しだけ遊んでもらおうかな。なんて企むオウキの笑みが怪しく艶めいていた。


オウキの思考がそうなるのも仕方無いことだ。

それはオウキ自身も自覚していた。


エリザの元に、マリアの被害を受けて命を落とした者達を切り離してきた。

そうなった今、オウキの中に残っている思念の多くは、サルドの墓地で取り込んだサルドの血族達のものだった。その後、国中に溢れていたサルドとは関係の無い様々な魂の成れの果ても取り込んだ事は取り込んだが、サルドの本領に築かれていた先祖達の墓からも取り込んだオウキの中には、サルドだった者達が多い。何より、生前から強い意志を持っていたサルド一族達は死んでも尚、強く己を保っている。

だからこそ、今オウキの中に強く息づいているのは、「戦いたい」「強くなりたい」という思念だといっていい。

それはオウキが抱く「楽しみたい」という思念と重なるところも多く、オウキという名の怨霊の存在理由となっていた。


「爺様。エリザはどうだ?」


浮き足立って歩くオウキに、テイガが声をかけた。

あれからも続けていたのか、訓練終わりらしく、テイガやその後ろに続いているカーズやバーグなどの一族の面々は所々に汚れが目立ち、軽くとはいえ怪我を負っている者も目立つ。

「いい感じだよ?あと数人くらい体験すれば、あれらを全部消し去ることも出来るんじゃないかな?」

うっとりと悦に入った表情で告げるオウキに、テイガ達は顔を引き攣らせた。それでも良い兆候だということと聞き、ホッと息をつく。

そんな中、面々の後ろの方に居たシギだけは引き攣った顔のまま、気配を絶ちゆっくりと体を下がらせていっている。

「ねぇ」

そんな安堵の空気は、オウキの声によって掻き消された。

「ちょっと、お祖父ちゃんと遊ばない?」

高揚を抑え切れなかったオウキが殺気を露にしてテイガ達に迫る。

その姿に、幼い頃に敵わないと感じた父や祖父、年長の一族の姿が重なって見えたのは、一人二人ではない。


カツンッ


向けられる尋常ではない殺気に膠着した場に、石畳を踏み鳴らす音が響いた。

それは異様な程大きく響き、緊張に気を張ったテイガ達だけでなく、悦に浸っているオウキの気を引くことにも成功した。

「アリス?」

それは、テイガにとって最愛の存在。

同じ年頃の女性に比べても小柄な彼女が大きく、いや一瞬別人のように見えた。

僅かに顔を俯かせた状態のアリスの表情は窺えない。

だが、チリチリと空気が震える感覚を覚える。


カツ カツ カツ


足音を響かせて、アリスが近づいてくる。

様子のおかしさを感じ取り、テイガは首を傾げる。

勘が良いシギや、オウキに頼まれたお使いによって慣れてしまったイーズなどは、すでに遠く離れた場所へと後退していた。


「どうしたんだい、アリス?お前が、僕と遊んでくれるの?」

近づくアリスに体を向けたオウキは、振りかぶるアリスの腕を目にした。

だが、そんな分かりやすい攻撃など避けるなど容易いこと。

何がしたいのか。そんな思いを走らせながら、オウキは振り下ろされてくるアリスの腕を掴み取ろうとした。

だが、その腕は止まり、アリスの拳は真っ直ぐにオウキの顔へと降り注いだ。

「"甘んじて受けろ、このクソガキ!"」

それは、アリスの声では無かった。少し高めの声で淡々と話すアリスのそれとは違う、低く感情を露にした女の声。

何だ、とテイガ達は目を細める。

バキッ

鈍い音を立てた拳を受けたオウキはよろめき、僅かに飛ぶことになった体がそのまま床へと腰を叩き付けた。

元々、あまり激しい訓練を行なったことも無く、必要とはしない皇太子の体だ。攻撃を受けてしまえば、呆気なくダメージを負う。

完全にシオンの体を支配しているオウキにも、その衝撃は完璧に伝わる。すぐに腫れ出した頬を見る限り、痛みは相当なものだろう。

だが倒れ込んだオウキは、痛がるわけでも、怒るわけでもなく、攻撃を返すでもなく、ただ呆然とアリスを見上げていた。


「茉莉?」


アリスの口から吐き出された声に、オウキは覚えがあった。どれだけの年月が経とうと、最期の別れから聞いていないとはいっても、忘れることのない妻の声だった。

オウキが長い寿命を終わらせ死んだ時、そして怨霊として甦った時、会えるかなと心を躍らせた死に別れた妻は、取り込んだサルドの死者達の中に居なかった。さっぱりとした彼女の事だから、オウキや現世に心を残すことも無く消えてしまったのかと思って諦めていた。そんな彼女の声で、オウキへ吐き捨てられた事のある言葉が、アリスの口から放たれた。

それは、悦に入っているオウキを正気づかせるには充分な衝撃だった。


「"貴方が行っていることは、確かに世界を救う為には必要かもしれない。それは認める。確かに、エリザの力は必要だ。でも、恐怖を覚えるにしても必要の無い情報もある筈だ。あの子を壊すだけの情報を何故抜き去っておかない。相変わらず、仕様も無い程の馬鹿だな、お前は。"」


それだけ言い終わると、アリスは顔を上げた。


その顔は、普段と何も変わらないアリスのそれだった。

「疲れた…。」

その声も、本来のモノに戻っている。

「僅かな時間でもこれだけ疲れるなんて…。」

淡々とした口調で、首を左右に動かしたり、肩を叩いてみせるアリス。

「だ、大丈夫なのか?」

テイガが駆け寄り、心配の声をかける。

「大丈夫。本当に少しの間だし、曾お婆様も配慮して下さったようだもの。」

「曾お婆様…ジャスミン・サルドの事か?」

爺様の妻の…。

「ちょっと一発殴りたいから体を貸してくれないって、さっき頼まれたの。今は、エリザの所に向かったわ。曾お爺様が省き忘れている、あまり好ましくない記憶を排除しに。」

それが何なのか、ジャスミンから聞かされているアリスは、オウキに冷たい睨みを注ぐ。

「一つならまだしも、幾つもは確実にエリザを壊してしまうだけだもの。構わないわよね?」

据わった目を向けられたテイガも、アリスの言葉からそれがどういうものかを読み取り、コクコクと頷き了承する。

「まったく。同じ女として、それを差し向けて楽しんだという事実に怒り狂いそうだわ。」

そして、そんな殺され方をしたのが一人ではないことに怖気が走る。

怒り狂う。その言葉の通り、全身を震わせて周囲の空気さえも歪ませるアリスに、男達はどう声を掛け、宥めれば良いかも分からず、ただ息を呑んで見ていることしか出来なかった。


「茉莉…」


オウキの、否、シオンの体が崩れ落ちた。


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