13
屋敷を出て、見慣れたハインツ領を歩く。
昼間に出ることは多々あるが、このくらいのもう深夜と言って差し支えない時間に見るとまた違って見えるものだ。
領民の皆さんがあまり、外に出ていないのが有難い。
すっかり顔なじみの彼らにバレでもしたら面倒なことになるかもしれない。
出ていく決心が鈍るといけないし、もし優しい声をかけられたりでもしたらそれを理由にこの地に留まってしまうかもしれない。
そんなこと、許されない。
フードを深く被り直して外套をかきあわせた。
こういう孤独な夜というのは随分久しい。
屋敷はいつも人の気配がしたし、部屋も貰えていて冬でもあたたかかった。
今は冬ではないけれど何故だろう異様に夜風を冷たく感じる。
フードの隙間から夜空を見上げると満月が煌々と輝いていた。
こうやって、月を見上げながら過ごす夜というのも随分と懐かしい。
思えば拾われる前はこうして、路地に背をあずけ、震える膝をだいて眠ったものだ。
冬なんかは、もう明日は目覚めないのかもしれないと毎日思った。
寒くて寒くて気を失うようにして眠り、朝が来るとどこかで落胆した。
私はかなり丈夫な質らしかったから。
それもエドアルド様に拾っていただいたおかげで、そんなことを考えることは無くなった。
毎日毎日、忙しく、仕事をすることに必死で、けれど生きていると思えた。楽しかった。
私はあのくそ真面目で鬼のように容赦のない無表情な主の傍にいれることが嬉しかった。
あの場所がだいすきだった。
「……今更か」
ふっと、自嘲して頬を叩く。
感傷に浸っていても仕方が無い。
私は生きているから、自分に出来ることをしなければ明日もまた目覚めて生活が続いていく。
とりあえず、ハインツ領は出よう。
領地は広大で、今日中には出ることが出来ないかもしれないけれど。
ここは思い出がありすぎて辛いものがあるし、なにより、直ぐに私のことが知れてしまう。
そうしたらきっとエドアルド様を不快にさせてしまうだろう。
街をとっくに抜けた私は領を出るべく森に向かって歩く。
外れの森を抜ければ後は民家の少ない畑ばかりの道である。
そこら辺で適当に野宿でもして運が良ければ乗合の馬車か、荷車か……そうでなくても歩いて違う地に行こう。
そこでまた、新しい生活を始めよう。
エドアルド様はきっと私が消えて清々するだろう。
私にとっては大切な恩人でかけがえのない方であったけれど、エドアルド様にとっては替えのきくものだ。
信頼を置いてくださっていたのは理解しているから、少しは残念に思ってくれると嬉しいけれど、不正や不実を良しとしないあの方がすっぱり頭の中から私を消し去ってくれる方がいいかもしれない。あの方にとっては、それが。
いつの間にか森の近くまで来て立ち止まる。
分かっていたことだけれど暗すぎる。
こんなの夜更けに超えられるわけもない。
少し離れたところにもう使われていないのか、廃墟のような建物を見つけた。
もとは小さな教会だったのか、かなり朽ちてはいても壁はしっかりしていそう。
ぐるぐると扉のドアに鎖のようなものが巻かれている。
いたずら禁止だろうか、危険防止だろうか。
3年この地にいたけれど、この建物は訪れたことがなかった。
「まあ……なんでもいいか、」
よいしょっ、と外壁沿いに腰をおろして荷物を傍らに置く。
膝を抱えてその間に頭を填めた。
今日はとりあえずここで眠ろう。
日が昇ったら、森に入って、なにか食べれるものが無いか探そう。
カンは鈍っているけれど、そういうことをしたことがない訳でもない。
眠ろう、と思うと急に凄まじい睡魔に襲われる。
本当に長い一日だった。そういえば疲れている。
なんか色々なことがあったな。
エドアルド様はもう、眠られただろうか?
今日済まなかった案件がいくつかあるから、明日はきっと大変だろう。
はやく眠れていればいいけれど………。
もう、私は関係ない人間なのに浮かんでくるのはエドアルド様の無表情や、口角を微妙に上げた顔で、自分で自分に笑えてくる。
ざり、
すぐ近くで土を踏み締める音が聞こえた。
半分、眠っている頭で獣でもやってきたのか。とそう思った。
ああ、起きなければ食われるか。
まあ、でも、5年前のあの日起こるべきだったことが今になっただけだ。
今更だし、そもそも、彼らの領分に勝手に入ってきたのは私の方だ。
文句は言えまい。
「…………お前、こんな所で何をしているの」
そう思って目を閉じると聞き慣れない声が降ってきた。
全く聞き覚えのない低過ぎず耳障りの良いどこか甘い声だ。
全く聞き覚えがないのに、何故だろう、その言い回しというかその台詞をどこかで聞いたことがある気がする。
どこだっただろう。
眠りかけた頭では記憶を引っ張り出すことが出来ず、獣ではなかったみたい、とぼんやり思った。
…………………………
……………
「聞いている?」
しばらく気にせずに眠ってしまっていたらしい。
やはり、いつか、どこかで似たような言葉を言われた気がする。
その時は確か…こんなに心配そうな色を含むようなものではなかったけれど。
ハッとして目を開くと、うずめた膝の間から頭を少しだけ上げて、フードと膝の隙間から当たりをうかがう。
というか、私が話しかけられているのか。
そりゃそうだ、こんな夜中にこんな所で寝るやつなんか普通に考えて、いない。
暗闇に慣れた視界に映ったのは、闇の中で鈍く光る磨きあげられた革靴。
一気に頭が覚醒する。
勢いよく、顔を上げた。
「…………こんにちは、お貴族様」
「こんばんはだよ、ライリー」
月の光を背に浴びて淡く発光するように煌めくプラチナブロンドの髪、暗くてわかりづらいけれど、きっと翡翠色であろう瞳はほのかに細められている。
下がった眉尻と緩やかにカーブする薄い形のいい唇。
泣きそうな顔だと思った。
私が女だということで怒らせて傷つけてしまって、泣きそうに歪んだあの日の少年と、重なる。
顔かたちはもう思い出のものとは随分違って、すっかり男らしく、大人びて、どこかあの時よりも棘が取れたよう。
出会った頃は私より小さかった背も随分と高くなっているらしいし、肩幅だって、もう男性のそれだ。
一瞬、一瞬だけ、エドアルド様かと思って期待してしまった自分が嫌になる。
そんなわけがないのに。
「………セレス、様……………?」
「久しぶり、ライリー」
なんで?
どうして、
記憶の少年とは随分違う。
それでも、この台詞、この表情。あの、少年だ。
いや、でも……なんで?
彼は心底怒っていて、私の髪を切り落として、走って私のもとを去った。
そして、私はきっと彼を騙した罰を受けた。
二度と会いたくないはずの私になぜ声をかけたのだろう。
というか、これは現実なのだろうか。
………いや、そんなわけが無い。
疲れすぎておかしな夢を見ている。
今日は本当に色々なことがあったから。
「ライリー…?」
意識がゆっくりと閉ざされていく。
疲れた、本当に。何も考えたくない。この、おかしな夢のことも。……なにも。
意識が闇に飲まれる直前で、焦ったような声でもう一度「ライリー」と呼ばれた気がした。
孤児の少年‘ライリー’の唯一の友達だったあの彼の。




