最終話 求婚は情熱的に、そしてわかりやすく
「もうやだ」
泣きそうになったシシーは、バルコニーに出て行った。
(嫌な対応してしまった。ダンスの誘いなんて、生まれて初めてで、しかもエドガー様からのお誘い。うれしかったのに、何で私は、あんな対応しかできないんだろう)
シシーは、ついに、エドガーの熱い視線に気が付いてしまった。エドガーがあんな風に見つめるのは自分だけだということも。
(今日のエドガー様は、死ぬほど素敵で……。それなのに、私なんかをどうしてあんな風に見つめるの?)
熱くなった頬に手を当てて、考える。
(からかわれているのかしら? でも、そんなお方ではないわ)
シシーが一人でジタバタ考えていると。
「ねえ、あなた!」
かん高い声に、シシーが振り向くと、三人のご令嬢が立っていた。
「は、はい。何でしょう?」
「あなた、身の程知らずだと思わないのかしら?」
真ん中に立っていた、最も背が高く、美しい令嬢が問いかけた。突然すぎて、シシーは目をぱちぱちさせている。
「あの。失礼ですが、どちら様ですか?」
「マーゴ・セルジウィックよ。セルジウィック伯爵家は知っているでしょう」
尊大な態度で、堂々と名乗ったマーゴは、たたみかけるように告げた。
「あなた、オルレアン騎士団長様とどういうご関係なの?」
「ええと……閣下は私の雇い主でいらっしゃいます」
「だ・か・ら! プライベートな関係を聞いているの。特別親しいのよね?」
「ごあいさつや会話はないことはないのですが、親しいかと言われるとそんなことはないかと……」
シシーの態度を見て、もったいぶっているのだと思い込んだマーゴは苛立つ。
「そんなこと信じられると思っているの!? 図々しく侯爵家に入り込んでいるのに」
シシーは、女性の集団の悪意というものに、無縁だったからわけがわからない。困惑するのみだ。苛立ちを募らせた他の令嬢たちも大声で言った。
「純粋さを装って、オルレアン騎士団長様や侯爵家の方々をだましたのでしょう?」
「育ちが分かるというものね」
シシーは何も言えない。エドガーとの噂がこんなに広がっていることにも、ののしられたことにもショックを受けていた。
(私は、前侯爵夫人の付き添いなのだから、騒ぎを起こすわけにはいかない)
「閣下の名誉のために申し上げます。私は、現時点では、閣下に雇われているだけです。閣下ともあろうお方が、私ごときにだまされるわけがありません」
「まあ、ぬけぬけと」
「図々しいわ、面の皮が厚いのね」
激高した三人の令嬢は、次々に声をあげて、シシーを責める。
「そこまでにしたらどうかな?」
全員が振り返ると、アレクシスが立っていた。令嬢たちは飛び上がって驚き、動揺した。
「アレクシス様! 誤解ですわ」
「そうです、私たち、シシーさまと親しくなりたくて、お声がけしただけですわ」
青ざめた令嬢たちは口々に言い訳をする。
「そう、ならばいいんだ。シシー、前侯爵夫人が探していらした。戻りなさい」
「はい、わかりました」
シシーがアレクシスに頭を下げて、中に入ろうとすると、物憂げなエドガーが立っていた。令嬢たちに責められるシシーを、エドガーとアレクシスは一緒に見つけたのだけれど、怒り狂うエドガーを抑えて、アレクシスが仲裁に入ったのだ。
「シシー嬢、大丈夫かい?」
「何も問題はございませんわ、閣下」
シシーはよそよそしく立ち去ろうとした。
「ちょっと待って、シシー嬢、お願いだから」
乞うように、エドガーがシシーに声をかけると、驚いたシシーは立ち止まった。
「……呼ばれていますので」
「……それは、いい。おばあさまには断りを入れているから。シシー嬢、二人で話がしたいんだ。頼む」
シシーはなぜかわからないけれど、断れない。
二人は、歓談が始まった大ホールを横切って、向かい側のバルコニーへ出た。
誰もが興味津々で見つめた。けれど、真剣な表情のエドガーの顔に気づくと、見て見ぬふりをした。
今宵は満月だった。バルコニーの柵に身を寄せたエドガーは、シシーを隣へ導くと、夜空をあおいだ。そして、月明かりの下で、二人は向かい合った。
「とても美しい夜だね、シシー嬢」
エドガーは身をかがめて、シシーの目をとらえようとする。エドガーはついに腹をくくっていたので、落ち着きはらい、とても幸せそうな顔で微笑んでいる。
けれど、シシーは微妙に目を合わせない。そして、胸をおさえるしぐさをした。
(一歩下がりたいのに、どうして私ったら動けないのかしら……ちょっと近すぎるし、二人きりはきついわ)
「どうしたの、シシー嬢」
「い、いえ、何でもありませんわ」
エドガーは甘く微笑みながら、目を合わせようとする。シシーは苦笑しながら、うつむく。
「あなたは……あなたのことは、ささいなことでも気になってしまうんだ。出会ったときからだ」
「閣下は……エドガー様は、お気遣いと思いやりにあふれた方だからですわ」
「……そう言ってもらえるのはうれしいんだが、残念ながら、違う。あなただからだ」
エドガーは、さらに身をかがめてシシーの目をのぞきこむと、シシーはぴくりと身じろぎをした。それでも、エドガーは慎重に、ゆっくりと近づいた。
(ギャー、近すぎるわ! 離れて! 心臓に悪いから)
「どうしても聞いてほしいことがあるんだ。もしも、あなたが本当にあの暴言を許してくれるのであれば、もう一度、あなたに求婚したいんだ」
「か、閣下」
真剣に、そしてとても甘やかにエドガーは聞いた。シシーは失神寸前だ。
「もう絶対に間違えない。今までの私は間違っていたし、男らしくなかった。大事なあなたを二度と傷つけたりしないし、はっきりと告げたい。いいだろうか?」
シシーは魅せられたように、思わず肯いていた。今宵のエドガーには逆らうことはできない。
(ちょ、ちょっと待って! 本当に求婚なさるの? 見ている人がいるのに、どうしたらいいの!?)
シシーは混乱を極めていたけれど、エドガーは容赦なく、膝をついてシシーを見上げた。そしてはっきりと告げた。
「離れているのは耐えられないほど、私はあなたを愛している。私と結婚してほしい」
たとえようもない幸福感が、シシーの心を満たす。
そして、シシー本人も気づかないうちに、目から涙があふれていた。驚いた彼女は目を手でこすろうとした。
けれどそれより早く、エドガーが立ち上がって、白いハンカチで彼女の目をやさしく拭った。彼女の頬に手をあてて。
(なぜ私は泣いているのかしら?)
三年前両親が亡くなったときから、シシーは涙を流したことがない。そんな余裕はなかったから。
(やだ、どんだけ出てくるのかしら。止まらないわ。何か言わなくちゃいけないのに)
シシーは、とても静かに涙をあふれさせる。焦り始めたのは、エドガーも同じだ。ハンカチで拭いても拭いても、あふれ出すシシーの涙。すごい量で、ハンカチはぐっしょりになった。
(困った。泣き顔もかわいいけど……。ちょっと待った。もしかして、俺からの求婚がそんなに嫌だったとかか!?)
困り果てるエドガーに気づくと、シシーはハンカチをエドガーから奪い取って、目をおさえながら言った。
「も、申し訳ありません。私ったらどうしちゃったのかしら」
「……め、迷惑だった?」
シシーは、驚いて、ぶんぶんと首を振る。やっと涙は止まっていた。
「ち、違います。うれしくて、倒れそう……」
「う、うれしい!? 本当に!?」
エドガーは踊り狂いそうなほど喜びながら、返事を待つ。シシーは深呼吸をして、言った。
「こういうとき、女性はどうお答えしたらいいのでしょうか?」
「そ、それなら、『お受けしますわ』一択だ」
エドガーは目を輝かせて断言した。
「そうなのですね。ではお受けしますわ、閣下」
シシーが答えた瞬間、エドガーは、彼女の手を恭しく取り口づけた。
その瞬間、歓声が聞こえた。二人の世界に浸っていたエドガーとシシーが声の方を見ると、若い貴族の子女たちが拍手をしていた。
そして、侯爵家の人々や、キャロリーヌ、アレクシス、シシーの後見人のデュラス伯爵夫人たちが大ホールからやってくるのが見えた。
エドガーは、立ち上がってシシーに一歩近づいた。
「閣下と呼ぶのは、金輪際止めてね、それだけが君に望むことだ。他は何だっていい」
「でも、ちょっと待って下さい……よく考えてみると、私はエドガー様にふさわしくないと思うのですが」
「今更もう遅い。そんなたわごとは、もう聞いてあげれない」
シシーの肩を抱いて、エドガーは、二人を待つ侯爵家の人々や友人たちに近づいていった。
一方、エドガーとシシーに笑顔を向けながら、前侯爵夫人は息子の侯爵にささやいた。
「こうなるのはわかっていたよ」
「キャロリーヌ効果なんじゃないですか? いずれにせよ、母上がお帰りになる前に決着がついて良かった」
侯爵夫人は、目尻をハンカチでおさえながら、ダリアにささやく。
「どうなることかと思ったけど、エドガーめ、しぶとかったわね。オルレアン侯爵家の遺伝子は間違えないわね」
前侯爵夫人は嫁の侯爵夫人に握手を求めた。二人は握手だけでは足りず、きつく抱きしめ合う。そして、近づいてきたエドガーとシシーを笑顔で迎え入れて抱きしめた。
「おいおい、私は仲間はずれか?」
侯爵のからかいにエドガーは振り向いた。そして、誰も見たことがない満面の笑みで侯爵だけでなく、ダリアやアレクシスやキャロリーヌをかわるがわる抱きしめて回った。そして、最後にシシーの手を取ると、その甲にキスをしながらささやいた。
「足を何度踏まれても一向に構わないから、君を抱いて踊りたい」
END




