40. よみがえる期待
馬車の中から、エドガーが見えなくなるまでシシーも彼を見ていた。そして、見えなくなると、ため息をつきながら肩を落とした。
(一体どうしたというのかしら、ドキドキが止まらない)
侯爵邸に着くと、侯爵夫人が扉をバンと開いて、出てきた。
「シシーさん! 大丈夫だった!?」
その後ろではダリアが叫んだ。心配そうにしている二人を見て、シシーは声を詰まらせた。
「どうもありがとうございました。エドガー様のおかげで、信託財産が戻ってきました」
「……良かったわ。ちょっと帰りが遅かったから心配していたの。何かあったのではないかと」
「申し訳ありません。手続きに時間がかかったのと、閣下の宿舎に寄って、お礼を伝えてきたのです」
前侯爵夫人とダリアは目を丸くして、見合わせた。前侯爵夫人はにんまりしながら言った。
「そう。エドガーは何て言っていた?」
「『良かった』とおっしゃってくださいました」
シシーの顔がパッと明るくなったので、二人は期待を込めて聞いた。
「「ほ、他には?」」
「ええと……。それだけだったかと」
((それだけかい! またあの男は、シシーを前にポンコツ発動したんだな))
二人は肩を落としたけれど、気を取り直して言った。
「シシーさん、さぞ疲れたでしょう。今日は、医務室のバイト、休みなのだから、ゆっくり休んでね」
「あ、はい。ちょっと図書館に行ってきます」
「え、もう夕方だけど、夕食はどうするの?」
「図書館は、二十時まであいていますよ。すぐ帰ってきますから、夕食はいつも通りいただきます」
(やれやれ、相変わらず勤勉を絵にかいたような娘ね……)
二人は感心しつつ、シシーを見送った。
「それにしても、シシーさん、ものすごく元気になったわね。良かったわ」
ダリアは安堵のため息を漏らす。
「そうそう、アントワープ子爵のことでエドガーがいらん一言を言ってから、ずっと元気なかったからね」
「お父様によると、お兄様はかなり反省していたらしいから、ちゃんと謝ったのではないかしら」
二人は語り合う。
「ちょっと待って! ということは。仲が発展したわけではないけれど、和解にはいたったわけね。お兄様はそれでもあきらめるのかしら?」
ダリアが考えこみながら言うと、前侯爵夫人は肯きながら、侯爵夫人を呼び、提案した。
「出禁をといてやったらどうだい?」
渋々肯いた侯爵夫人は、エドガーに使いを送った。その晩、エドガーは、十日ぶりに侯爵邸へ帰って来た。夕食の席では、前侯爵夫人と侯爵夫人に取り囲まれて、身を縮めていた。気まずい雰囲気のなか、前侯爵夫人が口火を切った。
「エドガー、あんたは、シシーに謝罪はしたのかい?」
「はい」
「そして許してももらったと」
「……はい、たぶんですが、そうだと思います」
前侯爵夫人は目を閉じながら、続ける。
「あんたはまだ若いからわからないだろうけれど、人生は短いんだ。あんたのおじいさまとは、もっと長く一緒にいられると思ったのに。別れは、あっという間にやってきた。口をはさむつもりはないけれど、それだけは覚えておくように」
「……はい、肝に命じます」
侯爵夫人は、何か言いかけたけれど、何も言わなかった。
エドガーが席を立つと、前侯爵夫人は侯爵夫人へ言った。
「私たちができることはなさそうだね。私はあと一週間で帰らなきゃならないから、見届けられそうもないな」
「五日後、義母上様の送別パーティがありますけどね」
「そうだったそうだった。……久々にキャロリーヌが来るからね、何か起こるかもしれん」
キャロリーヌというのは、前侯爵夫人の一人娘で、侯爵の妹だ。宰相の元へ嫁ぎ、現在では公爵夫人となっている。
このキャロリーヌというのが、太陽のごとく明るく美しい女性なのだけれど、『縁結びの女神』『縁結びの最終兵器』として社交界で崇拝もされている。何と、カップルが揃ってキャロリーヌに挨拶するだけでも、ご利益があるとされている。
そのため、前侯爵夫人はもっと早く投入したかったのだけれど、ちょうど産後で臥せっていた。
「この前赤ん坊見に行ったら、エドガーとシシーの噂を知っていて、興味津々だったから、プッシュしてくれるだろう」
「でも……もう、私たちは見守るだけですわ」
「久々のキャロリーヌのご降臨だ。きっとご利益が爆発的なはず」
侯爵夫人の心は揺れたけれど、一旦、手を引くと決めた手前、同意はしない。
「最後の神頼みといこう。ちょっとキャロリーヌのところへ行って、話をしてくるよ」




