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39. 感謝と尊敬だけでなく

 どきどきする胸をおさえながら、シシーは、保安警備隊へ向かう馬車の中で考え続けていた。


(閣下が私のために、ご尽力下さった。嫌われているのに)


 保安警備隊の副隊長から、ゲオルグ弁護士が隣国に逃亡する寸前だったことを告げられると、シシーは安堵のあまり、また涙を流した。


(そうだったわ、閣下は、(うつわ)の大きな方で、感情で動かれる方ではない。とても部下思いな方だったわ。私なんかのためにここまでして下さるなんて、本当に寛容な方)


 エドガーの想いにまだ気付かないシシーは、またまた誤解しているけれど、ここ数日の落ち込みが嘘のように元気になったし、エドガーに会いたくてたまらなくなった。


(お忙しいのはわかっているけれど、直接お礼を伝えたいのよ、どうしても)


 シシーにしては突拍子(とっぴょうし)ないことだったけれど、エドガーが普段住む王宮内の宿舎に寄ることにした。馬車の従者に伝えると、彼は快諾(かいだく)し、王宮の前で待ってくれることになった。はやる気持ちをおさえながら、玄関で呼び鈴を鳴らすと、髪が少々濡れたエドガーがすぐに現れた。二人は黙って向かい合う。


(か、閣下は……相変わらず、かっこよくていらっしゃる。だけど……シャツのボタンは上まで留めていただきたいわ)


 シシーは目のやり場に困り、固まっていた。エドガーもまた固まっていた。シシーが訪ねてくるとは思っていなくて、(まぼろし)かと思ったのだ。思わず目をこする。


「か、閣下! ではなく、エドガー様。あの、私なんかのために、色々ご尽力をいただいたと伺いました。先ほど無事、手続きを終えてきました。ありがとうございました。エドガー様のおかげで、私……」


 シシーは早口で一気に話す。しかし急に言葉に詰まったかと思うと、うつむいて泣き出してしまった。エドガーは思わず一歩近づく。


(どうした? どうしたというのだ?)


「シシー嬢、あの……『私なんか』なんて言わないでほしい」


(違う、そうじゃない! 俺は何を言っているんだ! 何様のつもりだ!)


「いや、そうじゃなくて……大丈夫かい?」


 エドガーは自分を(のろ)ったけれど、シシーははっとして視線を上げ、二人の視線がからまりあう。エドガーは切なそうに目を細めた。


(……泣くのはやめてくれ、抱きしめたくなるから。触れたくて、死にそう……いや、触ったら犯罪だから。そもそも、もう諦めると決めたんだろう! それに言わないといけないことがある!)


「シシー嬢。お役に立てて、本当に良かった。それから……この前、アントワープ子爵のことでは失礼なことを言ってしまった。許してほしい」


(よし、言えたぞ。謝ることができた!) 


 言うべきことを言えたエドガーは、緊張がとけた。おそるおそるシシーの顔をのぞきこんだエドガーに、シシーは動揺する。彼があまりに優しい目をして微笑んでいたからだ。


(何、このかっこよくも(うるわ)しい微笑み……。初めて見たわこんなの)


「閣下、ではなく、エドガー様。そんな……」


 言葉に詰まると、シシーはまた泣き出してしまった。二人の世界にいたエドガーが、視線を感じてあたりを見回すと、立ち止まった何人かの文官や騎士に凝視(ガン見)されていた。ここは王宮内で、夕刻にはまだ早く、人通りが多い時間帯だ。エドガーはまたオロオロしてしまった。


(俺が泣かせているみたいじゃないか。いや、泣かせたのは俺か。まずい、どうしよう。隠すか? でも、うちには誰もいないから、招き入れることができないんだった。残念!)


 それで仕方なく、身をかがめてシシーに囁いた。


「シシー嬢。ごめん、泣かないで。みんなが見ているから」


 シシーは、飛び上がって、すぐに泣き止む。赤くなった目と鼻をこすりながら、顔を赤らめた。そして、平謝りした。


「いや、いいんだ。ごめん。びっくりさせて。侯爵邸(うち)まで送って行こう」

「馬車が門の前で待ってくれています」

「そうか、じゃあ行こうか」


 エドガーが、ギャラリーを威嚇(いかく)すると、あっという間に散り散りになった。彼は、先を促そうと、シシーの(ひじ)に少しだけ触れた。そのとたん、彼の胸は苦しくなった。


 エドガーは黙ったままだった。シシーを王宮の門まで連れていくと、期待で目を輝かせた従者を呼ぶ。シシーの手を(うやうや)しく取って、馬車に乗せた。エドガーは、触れた手の感触に、さらに焦がれる思いをかみしめた。


(……やはり、この人のことがとにかく好きだ)


 シシーも、別れがたかった。けれど、エドガーをじっと見つめながら手を振る。


(何でこんな気持ちになるの? エドガー様になんて言ったらいい?)


 エドガーもシシーを熱く見つめ返す。お互いに声が出ないままだった。


 馬車が見えなくなっても、エドガーはそこにずっと立ち尽くしていた。




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