38. 明るいきざし
ゲオルグ弁護士の使い込み発覚後も、シシーはいつも通りの生活を送った。どんなに不幸が降りかかってきても、授業も仕事も待ってはくれないから。
次の日の夕方も、いつも通り、医学校帰りに王宮の医務室へ出勤していた。
「シシー!」
医務室の前で彼女を待っていたのは、幼馴染のギャラント・デュラス伯爵令息だった。
彼の母親、デュラス伯爵夫人は、シシーの後見人だ。伯爵夫人は、シシーが、マチルダに下宿の空室を問い合わせたことも、シシーの信託財産が使い込まれたことも知っていた。それで、息子のギャラントを差し向けたのだ。
「大丈夫なのか!? 母上、ものすごく心配している。『うちに身を寄せなさい』って言っているんだ」
「……ありがとう。大丈夫よ、何てことない」
「……団長とも色々あったんじゃないのか?」
「閣下には……ちょっと誤解されたけど、仕方がないの」
「信託財産のことは? どうなってる?」
「……よくわからないのだけれど、侯爵夫人は、閣下が動いてくださっていると」
「……そ、そうなんだな、団長が。それならきっと大丈夫だろう」
ギャラントは遠い目になった。昨日シシーの話を知る前、王宮内で見かけたエドガーが宰相室へものすごい剣幕で入っていくのを思い出したからだ。
(くわばらくわばら。きっとあれは、シシーのことで動いていたんだろう。こんなところで話し込んでいるのを、団長に見られたら、また誤解されて大変なことになるな。退散するが吉だ)
ギャラントは、シシーの身を案じながらも、自分の身の安全を確保することにした。
そのとき、医務室のドアが開き、アレクシスとリリアが飛び出してきた。
「シシー! 大丈夫なのか!?」
アレクシスとリリアは、シシーの災難を知ったばかりだった。ギャラントは、軽く手を上げると去っていく。
シシーは、アレクシスとリリアにも、ギャラントと同じ話をした。すると、アレクシスも遠い目になった。
(エドガーが動いている……見たいような見たくないような。権力を使って、とんでもないことをしでかしてなければいいけど……)
シシーが侯爵邸に帰宅すると、彼女の帰宅の報を聞いたらしいミハエルが、前侯爵夫人と出迎えた。
「シシー嬢! さっき聞きました。大丈夫ですか?」
ミハエルは、心配そうにシシーに声をかける。
「大丈夫ですわ。もう、開き直るしかありませんもの」
その日一日、色んな人から気遣ってもらったシシーは、気分が上向いていた。
「……あなたは本当に強い人だ。私にできることはありませんか?」
「ありがとうございます。落ち着いたら…そうですね、また絵を見せていただきながら、お話伺いたいですわ」
「私では、頼りがいはないかもしれません。でも、それ以上のことができればと……」
ミハエルは、シシーに近寄ると、顔を覗き込みながら、肩に手を置いた。
(ち、近い……疲れてるのに。放っておいてほしいわ……こんなふうに思うなんて、八つ当たりだわ。でも、疲れているのよ)
珍しくシシーは、ひどい疲れと苛立ちをにじませていたけれど、なぜかミハエルは気が付かない。前侯爵夫人は、少々がっくりした。
(うーん。何だろう。ミハエルは、少し自惚れがすぎるわね。男なら、こんなとき、慰め役ではなく、行動するものよ! エドガーのように)
「ミハエル、明日また話ししましょう」
前侯爵夫人の一声に、ミハエルは肯くと、名残惜しそうに帰って行った。
(ミハエル……期待したほどではなかったね。エドガーの方がいいな)
前侯爵夫人は、侯爵夫人とダリアにそう告げに行った。
◆◆◆
そして。
エドガーの総攻撃によって、次の日、ゲオルグ弁護士は、辺境近くの宿で捕獲された。事件発覚からわずか二日後のことだ。あっけなさすぎだ。
その知らせを聞いたエドガーは、出向いて尋問にあたる気満々だった。
「そうか。今から転移魔法で俺が出向き、奴には地獄を見せてやろう」
「閣下。その必要はありません」
げんなりした表情の副官が即座に否定すると、エドガーは鋭く問うた。
「なぜだ?」
「マインドスケープ子爵令嬢の信託財産は、金貨に替えてゲオルグは所持していました。即没収、ゲオルグは王都へ送還されているところであります」
「そ、そうか」
「そうです。バーグ伯爵が面会を求めておりますが、いかがしましょうか? 閣下にお礼を伝えたいそうです」
エドガーによるゲオルグ弁護士捕獲によって、バーグ伯爵が奪われた財産もそのほとんどが戻って来たのだ。
(薄情なバーグには、お灸を据えてやらないとな。けれど、俺はシシー嬢にとって、赤の他人でしかない)
我に返ったエドガーは、舌打ちする。ちょっと考えてから、面会に応じたけれど、バーグ伯爵によるおべっかの数々をほとんど聞いていなかった。
(こんな奴でもシシーと血が繋がっている。それにひきかえ、俺は赤の他人だ。それどころか、傷つけてしまって、避けられている……)
少々忘れていた現実を思い出すと、深くため息をつく。地にのめり込みそうだ。
(俺は、シシー嬢のことを潔く諦めるべきなんだろう。最後にシシー嬢の不幸を防げたんだ。それで良かったと思おう。きちんと謝罪できなかったことだけが心残りだ)
エドガーは、生まれて初めてと言っていいほどの心の痛みと後悔を抱えていたけれど、心から大事に思う誰かを守ることができたことに安堵もしていた。
◆◆◆
「エドガー、やりよったわね。凄腕だわ」
前侯爵夫人はうなっていた。
エドガーからの一報を受けた侯爵夫人からの説明を聞いて、シシーは涙を流して喜んだ。そして、何度もお礼を言いながら、保安警備隊に手続きのため出向いた。
あっという間の一件落着だった。シシーを見送った、前侯爵夫人、侯爵夫人、ダリアの三人組は集まっていた。
「まさかエドガーが、あんなに出来る子だったとは!」
前侯爵夫人が感嘆した。
「シシーさんの前でだけ、お兄様はとんでもなくポンコツになるのね。残念すぎる」
ダリアは、呆れ半分感心半分といったところだ。
「でも……もうシシーさんのことは諦めるそうよ」
侯爵夫人が言った。
「「エッ!? 本当に!?」」
エドガーから事の次第を聞いた侯爵夫人がねぎらったところ、エドガーは『当然のことをしたまでです。母上たちにもご心配おかけしましたが、もう諦めますから』とすっきりした顔で宣言したのだ。オルレアン侯爵家の男のしつこさを知る前侯爵夫人は驚いた。
侯爵夫人は肯いた。前侯爵夫人もため息をつきながら考えこんだ。
「……あの暴言については、許せないけどね。謝らせて……シシーに許してもらって、何とか……ならないかしら? 私はあと一週間で帰らなきゃならない」
隣国でピアノの教授をしている前侯爵夫人は、間もなく休暇を終えて、帰国することになっている。
「関係者総出で……。それでどうにもならなかったら、今度こそキッパリ諦めるしかありませんわ。シシーさんはお母様に何と言っていたのですか?」
ダリアは、侯爵夫人に聞いた。
「控えめにだけれど、エドガーの尽力だと伝えたの。そしたら、シシーさん、泣き出してしまって」
「エッ!? エドガーに助けられたのが嫌で?」
前侯爵夫人はあまりに失礼な質問をしたけれど、侯爵夫人はうーんとうなる。
「たぶん、違いますわ。でもなぜ泣いたのかわからないのです」
「そ、それは……。お兄様の愛に心打たれ、感動したのでは?」
前侯爵夫人とダリアは肯き合った。
「そうだそうだ、きっとそう。『エドガーめ、余計なことしやがって』なんて、あの純粋なシシーが思うわけがない。私だったら思うかもだけど」
真顔で言った前侯爵夫人に、侯爵夫人とダリアは、からからと笑った。




