34. すれ違う心
晩餐会がお開きになったのは、二十時頃だった。ミハエルは、デッサンを描いている場所にシシーを誘い、二人は席を立った。
未婚の男女が部屋で二人きりになるのはご法度だけれど、サンルームでガラス張りになっているので、今の時代、問題にならない。人通りが全くなくなる場所でもない。
それなのに、エドガーは顔を赤黒く染めて怒った。
「こんな時間に不謹慎な!」
「いい加減にしろ、エドガー! だったら、お前もついていけばよかったじゃないか」
侯爵は、呆れながら諫めた。呆れを通り越した侯爵夫人は、冷たい一瞥をエドガーにくれただけで、何も言わずに自室に下がった。
前侯爵夫人とダリアは、席に居座り、給仕が運んできたお茶をすする。エドガーは、ダイニングルームのドアを見てばかりいた。ダリアは見守っていたけれど、エドガーの殺気に苛立って意見した。
「シシーさんにだって、色々な男性と話したり、青春を楽しんだりする権利がありますわ。お兄様には、それを阻止する権利は、まだありませんもの」
「……別にシシー嬢の楽しみを邪魔する気はない。だが、彼女は今うちで働いている」
「でも、仕事の時間は終わっていますわ。それに、今日は子爵令嬢としてのシシーさんを招待したんですのよ」
「それはわかっている」
「お分かりならいいのですわ。ただ、私は確認しただけです。ね、おばあさま?」
「エドガー、あんたのおじいさまは、私が他の男性と話そうが、いつだってどんと構えていたよ」
(じいさまは、自由奔放なあなたの行動を見すぎて、悟りを開いていただけだ。腹の中は煮えくり返っていたに決まっているだろう!)
エドガーは、我を忘れていた。
(ちくしょう! シシー嬢は、いつになったら戻ってくるんだ!)
掛け時計を見ると、シシーとミハエルが消えて、まだ十分くらいだった。
(あと五分だ、五分待って戻って来なかったら、心配だから見に行く。雇用者としては、シシー嬢の安全を守る義務がある)
前侯爵夫人と侯爵は自室に下がり、ダリアだけになった頃、ミハエルにエスコートされてシシーが戻って来た。彼女は、頬を紅潮させながら言った。
「ダリア様! おっしゃっていた通りですわ! すばらしいですわね! 今にも動き出しそうな」
「でしょう!? 私も驚いたのよ、未完成のデッサンなのに、おばあさまを超越してますの」
ミハエルは、微笑みながら礼を言い、優雅にいとまを告げた。彼の帰り支度ができるころ、侯爵夫人が執事と降りてきて、一同で見送る。エドガーだけが無表情のまま、ミハエルに別れの挨拶をした。
ミハエルの姿が消えると、非難めいた視線をエドガーに向けながら、侯爵夫妻も自室へ下がった。シシーを促そうとしたダリアを、エドガーが止めた。
「シシー嬢に話があるから、ダリアは先に下がっていてくれ」
「ちょっと、お兄様!? あの、」
エドガーは、鋭い視線をダリアに向ける。そんな視線を向けられたことがないダリアは、思わず一歩下がる。
「シシー。君は、ここで働いている間は、それにふさわしいマナーを守ってもらわなくては困る」
「え、」
「遅い時間に、主賓の男性と二人きりになるというのは感心しない。私には、雇用主としては君の安全を守る義務があるし、次期当主としては家名を守る必要もある」
何か言いかけたシシーは、脱力したように一瞬だけ目を閉じたけれど、すぐに頭を下げて謝罪した。
顔を上げると、とても傷ついた顔をしていて、ダリアの胸は詰まった。思わずエドガーの腕をゆすりながら、ささやく。
「お兄様! その言い方は、ひどいですわ」
「……そんなことはない」
「今すぐシシーさんに謝るべきです」
しかし、エドガーとダリアがコソコソもめている間に、シシーは背を向けると、ダリアが止めるのも聞かず、階段を駆け上がっていった。
「お兄様! いいかげんにしてくださいな。さあ、一緒に行ってあげますから、謝ってください」
「…………」
立ち上がったダリアは、憤怒の表情で、エドガーの腕を引っ張った。
「見苦しいですわ! 勝手に嫉妬して、あんな八つ当たりするなんて」
「じゃあ、ダリアならこの時間、他の邸宅に招かれたとして、同じことをするか?」
「私はまた別ですわ。うちは、王家に連なる家ですし、私には心に決めた方が……」
「それなら王家に連なる家に仕えている彼女だって、同じように慎重には慎重を期した行動を取るべきだ!」
「考えを改めるべきですわ! イマドキそんな堅苦しいことは受け入れてもらえませんわよ。それに一番の問題は、お兄様がシシーさんを一方的に侮辱したことです」
「違う、事実を言ったまでだ! 雇っている彼女が下手なことをすれば、家名に傷がつく」
「家名? そんなこと言ってるから、お兄様はシシーさんに振り向いてもらえないのです。ご自分の胸に手を当てて、よくお考えになるべきです」
ダリアはそう捨て台詞を吐くと、バタンと音を立ててドアを閉め、出て行った。




