29. 騎士団長は帰宅したい
自分の家族が不穏な動きをしているとは知らず、エドガーは騎士団内の会議室につめていた。寝ていないのに、ハイテンションだ。彼だけがやる気満々、幹部たちの目は全員死んでいる。
というのもエドガーは、昨日、シシーが差し入れに来てくれたことに喜び悶えた。そして、その時のシシーを思い出しては、早く仕事を早く終わらせ帰宅しようと、部下たちに発破をかけつづけているのだ。
(早く帰りたい! それだけが俺の願いだ! 国王の外遊警備より俺の私生活の方がはるかに大事だ!)
エドガーは、不敬なことを考え、舌打ちをする。
◆◆◆
そう、それは昨日の夕べのことだった。エドガーは幹部から、各隊の護衛計画の再報告を受けていた。
「こんなんじゃ、また差し戻しになるだろう! やる気はあるのか!?」
エドガーは、疲れた目をほぐしながら檄を飛ばしていた。実家に帰れない=シシーの顔を見られない彼は、超絶に機嫌が悪かった。
騎士服の第二ボタンまで外し、いつにも増してかっこいい彼を見て、誰もがビビりながらも、みんな似たようなことを考えていた。
(((この人、かっこいいけど、やわらかくならないと結婚できないな……。どっかの子爵令嬢と噂になっているらしいけど、絶対嘘だな)))
「とにかくやり直せ! 一旦解散だ」
会議室にいた三十人ほどは、机の上の資料をまとめて立ち上がる。
「次の会議は、一時間後! 以上!」
エドガーが怒鳴り、全員が慌てて出て行こうとしたとき、恐る恐る顔をのぞかせる者がいた。副官が、廊下に確認に行き、すぐに戻って来た。非常に興味津々な表情だ。
「団長殿、ご実家から使いの方がお見えなのですがいかがいたしましょうか?」
「使い!? この忙しい時に……それどころでは……。いや、ちょっと待て。誰だ?」
エドガーは、副官の顔を見もしないで、殺気を飛ばしながら聞く。
「侯爵家に侍女としてお勤めのヴァランシー・マインドスケープ子爵令嬢とのこと」
「なに!?」
エドガーは鋭い声で叫ぶと、机に両手をついて立ち上がった。
「早くそう言え! いつから来ているんだ!?」
エドガーは、副官の耳元に顔を近づけて、小さな声で聞いた。
(え。もしかして、噂の子爵家ご令嬢!? 侍女として勤めているの!?)
副官は固まったけれど、顔には出さず答える。シシーが侯爵家で働いていることは社交界の噂になってはいたけれど、騎士団にまでは届いていない。
「ついさっきとのこと。大丈夫です、何も聞いていない様子で、にこにこしながら『侯爵夫人からの差し入れをお持ちしました』とおっしゃっていて……」
動揺のあまり、副官はエドガーが聞いてもいないことを答えるけれど、エドガーは目にもとまらぬ速さで会議室から飛び出していた。残された面々は何が起こったのかわからずにいた。
(((え、何!? いつの間に消えたの!?)))
(((まさか、噂の子爵令嬢!?)))
(((っていうか、侯爵家で侍女をしている!? 別人かな!?)))
(((団長があんなに焦っているかを初めて見たんだけど!)))
(((怒鳴っているところを聞かれたくなかったの!? 何それ)))
残された面々は、突っ込みどころと、疑問点のあまりの多さに呆然となる。
「ははははは……。あれだな、団長殿にも春が来たのかな、めでたいな」
エドガーの騎士団入隊時からいる、古参の副官がひきつった顔で口火を切ると、他の面々も騒ぎ出した。そして、廊下では―――――。
「シシー嬢!」
エドガーが会議室から飛び出すと、ちょうど帰ろうとするシシーを、先輩侍女のベルダが必死に引き留めているところだった。
エドガーのシシーへの気持ちは、誰の目にも明らかなので、屋敷中がエドガーの大願成就を心から祈っていた。
振り向いたシシーの顔は、少しひきつっているようにエドガーには思えた。
『怒鳴り声をまた聞かれてしまった……』と内心打ちひしがれながら、シシーの前に立つと、エドガーは身をかがめてシシーの目をのぞきこんだ。
「……申し訳ない。聞き苦しかっただろう」
「いえ、閣下、そんなことはございません。あ、突然押しかけてしまいましたことお詫びいたしますわ。差し入れをお渡ししたかっただけですの」
ベルダや護衛は、顔を見合わせながら少しずつ後ずさりして、二人から離れていく。エドガーは全く気が付かない。
(いつ見てもかわいいな……。仕事が手につかなくなる。敵国からの刺客かとさえ思う)
シシーもまたエドガーしか目に入っていなかった。
(閣下は、部下想いなだけではなく、厳しい面もお持ちなのね……。アメとムチというやつね。さすがだわ。それにしても相変わらずかっこいいわね……目が溶けるというか、潰れそうです)
厳格なエドガーが若干乱れているさまは、病室で見たことがあるけれど、今日のエドガーは騎士服姿であり、危険なほど魅惑的なのだ。
(閣下のおみぐし、お直ししてさしあげたいわ……)
今日のシシーは、エドガーに見惚れるだけではなく、彼の髪をきれいになでつけたいという衝動を感じていた。それは、幼い弟に感じる気持ちとは全く違っていて、シシーは戸惑う。
(ちょっと! 私ったら、何考えているの!? 奥さんみたいなこと考えて図々しいわ!)
すっかり動揺したシシーは、エドガーの質問が耳に入っていなかった。
「これから医務室へ行くのかな?」
エドガーはシシーの目の前で掌をひらひらさせながら、三度目の質問をする。
「あ、はい! そうです」
「あの差し入れを一緒に、私と一緒に、食べよう」
ようやくシシーは我に返って、あたりを見回した。ベルダや護衛、おまけにエドガーの部下たちは遠くで空気になりながら、エドガーとシシーを凝視している。
エドガーは周囲など気に留める様子もなく、シシーを見つめている。シシーは慌てた。
「い、いえ、閣下。めっそうもない。すぐに! 失礼いたします! お忙しいところ失礼いたしました!」
赤くなった顔をそれとなく隠しながら、シシーは目にもとまらぬ速さで消えようとしたけれど、エドガーは彼女の前に立ちはだかった。
「いや、そういうわけにはいかない。君と雇用契約を交わすときに約束したはずだ。専属パティシエのデザートを間食に用意すると。今日はジュディスが来ている日だから、あの籠の中にはジュディスの手製デザートがあるはずだ」
「……ご明察でいらっしゃいますが、あまり時間が……」
「団長室はすぐ上だ。お茶と菓子くらい、十分もあれば食べられるだろう。いや、すまない……一時間は必要だな。アレクシスへ遅刻の連絡を……」
「閣下。すぐにまいりましょう。五分で食べられますので、大丈夫です」
とんでもない理由で遅刻させようとするエドガーに、シシーは同意するしかない。
「レディの見本たるあなたのような女性が? 信じられないな」
エドガーは、甘やかにシシーに微笑みかけた。息をつめて見守っていた全員の目が点になる。
すぐエドガーは、ベルダや護衛に鋭く目配せすると、侯爵邸の優秀な使用人たちは、またたく間にシシーのもとへ集まり、取り囲んだ。そして、エドガーの先導で、シシーを騎士団長室へ誘導する。
初めて目にした、エドガーの女性への甘さと剛腕ぶりに、残されたエドガーの部下たちは呆れ半分、感心半分見送るしかできなかった。




