26. 前侯爵夫人の陰謀
一方、侯爵の母である、前侯爵夫人も焦り始めていた。
デレるエドガーが、シシーを眺めたり、一生懸命話しかけたりする表情を見守るのは、とても新鮮でおもしろかった。
しかも、容姿がいい二人が並ぶ姿は、ロマンスの香り高く、身長差も前侯爵夫人の好みで、趣味の妄想ははかどった。
(二人が並ぶ絵はいいのよ、一緒に笑顔になったらもう最高。見つめあったり、しゃべってないけれど……)
そう。最初に頭に疑問符がかすめたのは、シシーが侯爵邸で迎えた初めての週末のこと。お茶の席にせっかくシシーが同席したのに、エドガーは無表情でほとんど話さなかった。
(え、もしかして、全然進展してない!? 聞いてない! そんなわけないわよね…?)
それでも、嫁の侯爵夫人より出しゃばるわけにはいかないと、遠慮してみたものの。
(まだまだこれから!と信じてたのに)
きわめつけは、今日の晩餐だ。せっかくシシーが初めて晩餐に同席したのに、にやけるだけでエドガーはほとんど話してなかった。前侯爵夫人がせっかく水を向けても、全然いかせない。
前侯爵夫人は、愕然とし、心の中でエドガーを罵倒する。
(『隣でご飯を食べれるなんて胸いっぱいです』みたいな感じだわね……エドガー、全然食べてない! シシーはお代わりしそうな勢いなのに……)
(初恋なのか!? 甘酸っぱいわね。もう三十になろうかというおっさんが。女子学生じゃあるまいし……)
(じれったすぎる。頼むから、巻きで進めてくれ……)
教鞭を取っている隣国の音楽学校を休んで帰ってきたのは、エドガーとシシーの婚約を見守るためだ。いつまでも休みではない!
前侯爵夫人は、大至急、お気に入りの孫娘、ダリアを呼び出した。
「ダリア、あなたはエドガーとシシーのこと、どう思う?」
「……もう諦めて次行きましょう!」
ダリアは断じた。面白がっていた彼女も、進展がないエドガーとシシーに飽きてきたのだ。
「……それができれば誰も苦労しない。もう、エドガーが産まれてから、29年も待った。あと二十九年は絶対に待てない」
「そうなのですわ。お兄様、本当にお父様そっくりで……いえ、おじいさまにも?」
「その通り……そして、私はいちお、亡き侯爵から『くれぐれもエドガーの代でこの家が絶えないよう頼む』と遺言を受けているのよ」
「初耳ですわ。おじいさまが亡くなられたとき、私は生まれていませんし、お兄様は幼児だったはず。それなのにそんな遺言を!?」
「……そう、代々、この家の男は同じことの繰り返しだから。堅物で、晩婚。だれか好きになったら、回りくどいくせに、しつこいという……目をつけられた女は本当に迷惑」
「では、やはりシシーさんに折れてもらうしかないのですね」
さんざんエドガーをこきおろすも、すぐにネタは尽きていたので、仕方がなく標的をシシーに移す。
「でも、あの娘も相当なものだから」
「……私、ぶりっ子ではない真正の鈍感を初めて見た気がしますわ」
「あの娘、忙しすぎて、余裕がないだけじゃ? いっつも部屋で勉強しているじゃないか?」
「あれでも、この家に来てから、かなり余裕が出たのですわ。前はいつ寝ているのか不思議だったほどで」
しかし、シシーのネタもすぐに尽きた。苦労人で、勤勉なシシーをこき下ろすのは良心が痛むのだ。そこで、『やはりエドガーが頑張るしかない』という結論になった。
「それにしても、お兄様は、何のためにあんな大変な思いして、自宅までおびきよせたのかしら。たるんでいますわ」
「おびきよせて、安心しているのかな? ……進展する気が、全然しない。もう帰ろっかな」
ひらめいたダリアが叫ぶ。
「あの根拠のない余裕を、第三者に介入させて、打ちくだけばいいのではないかしら?」
「……なるほど」
と前侯爵夫人が手を叩き、眉間にしわを寄せて考える。
「ダリア、さすがだね! ライバル登場か。当て馬っていうやつね。誰かいる?」
うーんと考えこみながらダリアが答えた。
「ぱっと思い浮かぶところでは、シシーさんの幼馴染、ギャラント・デュラス伯爵子息なのですが……彼は婚約したばかりですし、お兄様もライバル退場と認識してますわ」
「え、何で退場? もう一回、登場させるのはだめなのかい?」
ダリアは遠い目になった。
「母上のデュラス伯爵夫人は、シシーさんの後見人ですの。お兄様は、伯爵夫人に挨拶と根回し済みです。……他にもいろいろあって、ギャラント殿はもう、シシーさんと距離を置いていると思いますわ」
「他にいいライバル候補はいないのかい?」
「なかなかいないのですよ。私たちがよく知っている人で、お兄様のライバルとなりえるそれなりの人。選択肢は限られてきますわ」
「そうだね……。それに、シシー嬢に本気で惚れられると困る。うちでそんなことになったら……血の雨が降ると困る。無難無難な人物でないと」
「……いないのでは?」
「そこを何とかもう一声!」
しばらく重い沈黙が下りた。また突然ひらめいたダリアは思わず叫ぶ。
「ヒールダー伯爵夫人の甥である、ミハエル・アントワープ子爵はいかがでしょう?」
「宮廷上席画家の?」
「そうです、私の友人のお兄様でもあります。この前のヒールダー伯爵家のガーデンパーティでシシーと親しげにしていたらしいのです。それで、お兄様はカリカリして」
「彼は遊び人と言われているけど、危ない橋は渡らないし、空気も読める人物だわ。でも、逸材すぎないか? 悪くないというか、良すぎるという」
「まあ、そうですね、でも他にはいません」
「じゃあ、そうしよう。今度、うちでやるパーティに呼ぶとか?」
「え!? それだと遅すぎますわ、おばあさま、帰ってしまうではないですか」
「そうだった、そうだった」
「じゃあどうする?」
「おばあさまの肖像画を頼んだらいいのではないかしら。お母様から国王陛下に頼んでもらいましょう」
ミハエル・アントワープ子爵は、宮廷上席画家だ。しかし侯爵夫人は、現王が溺愛する姪っ子なので、頼めば許可してもらえると、ダリアは踏んだ。
「それは悪くないわね、本当にさすがだわ、ダリア。彼の絵はすばらしいわ、大好きよ。それに彼の話は、貴族とは思えないほど面白いから、描いてもらっている間も退屈しないですむわ」
前侯爵夫人の肖像画は、結婚のときに描かれたきり。彼女は、じっとしていられない人だったから、結婚後の肖像画が一枚もなくてちょうど皆が困っているところだった。一石二鳥だ。
(エドガーにせいぜい慌ててもらいましょう! 私たちも忙しくなりそうね)




